42 見えない蟻地獄
……それからかなりの数の骨董武器が、格安でゴルドウルフの手に渡ることになる。
だがそれらが『スラムドッグマート』の店頭に並ぶことはついぞなかった。
すべてのあのオッサンの、コレクションの仲間入り……!
しかし、もはやジェノサイドファングは引き返せない。
すでにアントレア領のゴージャスマートが保有する、骨董武器のほとんどを吐き出してしまったからだ。
これで何の成果も挙げられなければ、大変なことになる。
ライオンは野良犬を追い詰めたつもりでいたのだが、逆に追い詰められていたのだ。
こうなったら、偽物の聖剣『ゴッドスマイルブレード・11』を出すしかない……!
ジェノサイドファングはそう決意する。
オッサンからの絶大な信頼を得ている今、この聖剣さえ売りつけてしまえば、今までの損を回収できると思ったからだ。
そしてジェノサイドファングは最後の希望を偽剣に託す。
ニセモノに命を賭けるハメになるとは、なんとも皮肉な話であるが……彼にはお似合いかもしれない。
アタッシュケースに秘めたそれを携えると、もはや数え切れないほど訪れた敵陣本部へと向かう。
しかし入口をくぐる前に、
「……ああっ、リオンさん」
建物からフラフラと飛び出してきたオッサンと鉢合わせた。
「げほっ、ごほっ……。い……いい所に来てくれました。ちょうどリオンさんを探しに行くところだったんです……くしょんっ!」
その顔は凍り付いているかのように真っ白で、同じ色のマスクからは咳とくしゃみが止まらない。
この前までの満ち足りた様子はどこへやら、今は心身ともに追い詰められているようだった。
「ぐすっ、ごほんっ……リオンさんに、ご相談したいことがあるんです。ここでは何ですから、私といっしょに来てください」
病身のオッサンに引っ張られるようにして、馬車に乗せられるジェノサイドファング。
向かった先は、ルタンベスタ領のアントレアの街であった。
ジェノサイドファングはてっきり、この領内のスラムドッグマート本部に向かうのかと思っていたのだが、馬車は止まることもなく街中を通り過ぎていく。
そのまま高級住宅街へと進んでいき、着いた先は森に囲まれた大きな屋敷だった。
「げほっ、ごほっ! ここは私が居候している、ホーリードール家の住居です。ぐふっ! えふんっ!」
オッサンが、むせながら教えてくれる。
「えっ? ということは、マザーがおられるということですか?」
いきなりとんでもない所に連れてこられ、さすがのジェノサイドファングも身を固くした。
「げふんげふん! はい。ですが聖女の方々はスラムドッグマートのほうで働いていますので、ごほんっ! 今はここにはおりません。使用人の方々がいるだけです……はっくしょん!」
ホッとしたような、少し残念なような気持ちでオッサンの後をついていくジェノサイドファング。
屋敷のなかは、不思議な空間だった。
ジェノサイド一家の住まいも同じくらいの規模の屋敷なので、豪華さに臆することもないのだが……なんというか、あたたかい温もりのようなものを感じるのだ。
ひとつひとつの調度が、とても大切にされているような……。
もちろん、どれも一級品なのだが、金にモノを言わせてとっかえひっかえされているというよりも、ずっと大事にされてきたような……。
通りすがった柱には背比べの跡がついていたのだが、柱は傷つけられて悲しんでいるというよりも、成長を見守るグランドマザーのように、やさしく佇んでいた。
そんな、言葉などでは表現が難しい感覚……。
強いて言うなら『愛』……に満ちあふれていたのだ。
しかしライオンはまだ、気づいてはいなかった。
この、慈愛に満ちあふれた白亜の宮殿が、彼にとっての蟻地獄だということに。
地下への階段を一歩降りていくたびに、砂のすり鉢へと引きずり込まれているということに……。
エナメルホワイトの大理石に囲まれた廊下に、カツーンカツーンと冷たい足音が響き渡る。
突き当たりにある大きな両開きの扉の前で、オッサンは止まった。
「さあ、着きました。この部屋です」
ギギギギギギ……!
重厚な音をたてて、開かれる扉……。
その向こうは、一度入ったら二度とは戻れない、地獄の一丁目だということを……。
彼はまだ、知らなかったのだ……!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
室内は広々とした展示場だった。
宝石店のようなショーウインドウが並び、中には見覚えのある武器たちが納められている。
そのどれもが、ジェノサイドファング扮するリオンがゴルドウルフに売ったものだ。
そしてどれもが、骨董の背景に即したデザインの飾り立てがされており、大切に扱われているようだった。
古代ハールバリーの銀剣は、当時の王家の紋章の壁掛けレリーフに、クロスさせる形で納められている。
伝説の剣豪の木刀は、剣豪の出身である東の国で当時流行していた、鹿の角の台座に横たえられている。
オーナーの愛好のほどがうかがえる、見るものが見れば唸るような見事な陳列。
骨董武器を見慣れていたジェノサイドファングですら、「おお」と思わず感嘆の声を漏らしてしまうほどに。
部屋の奥のほうは画廊となっており、柱や壁に絵が掛けられていた。
それらの絵も見事な額縁におさめられており、遠目からでも価値のほどが伝わってくる。
ここまで案内してきたオッサンは、部屋の外に誰もいないかを用心深く確認していた。
長く伸びている廊下の奥にまで目を凝らしたあと、部屋の扉をカッチリと閉める。
そして大きな溜息をつくと、どっかりと扉に寄りかかった。
もはや深刻さを隠さない様子で、財布を落とした人みたいにガックリとうなだれている。
ジェノサイドファングはギャラリー内を見て回りたい気持ちもあったが、それよりもいつにないゴルドウルフの落ち込みようが気になったので、声をかけた。
「……大丈夫ですか? 一体、なにがあったのですか?」
すると、オッサンは口ごもるようにムニャムニャと唇を動かす。
しばらく悩んだ様子で、咳とクシャミを繰り返していたが……。
鼻をすすりながら、ようやく重い口を開いた。
「あの……リオンさん。おほんっ! 実はリオンさんに、お願いがあって……ごほっ!」
「なんでしょうか?」
「はくしょんっ! 非常に言いにくいお願いなのです……げふんっ! 私がこれから言うことは、誰にも言わないと、約束してもらえますか……? くしゅんっ!」
「もちろん。お願いへの約束はできませんが、他言無用というのは固く守らせていただきます。私も商売人ですから、信用第一です」
リオンの表情は、しっかりとしたものだった。
しかし内心のジェノサイドファングは、そうではなかった。
――もったいつけやがって……! 一体何だってんだよ!?
テメーが知られて困ることなんて、埋めた骨の隠し場所くらいじゃねのかよ!?
もしそんなチンケな話だったら、持ってきた偽の聖剣をケツ穴に突っ込んで、奥歯ぜんぶほじくり返してやっからな、ゴルアァァァ!!
「ごほっ、おほんっ! ありがとうございます、リオンさん。では、お話します……」
そして野良犬の口から弱々しく紡ぎ出されたのは、意外なる……。
盤石だと思われたスラムドッグマートの根幹を揺るがしかねない、新たなる事実……!
さらには天使のようなオッサンの、悪魔のような考えだったのだ……!
次回、オッサンが信じられない一言を…!?