34 あわてんぼうのシャンタ
トルクルムでいちばん賑やかな街、ホーンマック。
そこで最も人通りが多いとされる十字路に、突如現れた大聖女……。
マザー・リインカーネーション・ホーリードール……!
これは言うなれば、渋谷のスクランブル交差点に、国民的アイドルがゲリラライブを仕掛けたようなものである。
「うふふ、びっくりした?」
鹿の格好をした彼女は、ドッキリ大成功とばかりにいたずらっぽく笑う。
そして神聖日仕様の馬車に向かって、呼ぶように手招きした。
「でもでも、あわてんぼうのシャンタしゃんは、まだまだいまちゅよ~!」
彼女は、妹とのコンビではなかった。
まさにアイドルユニットのように、大勢の仲間たちが存在していたのだ……!
その中から選び抜かれた子鹿たちが、どやどやと馬車から降りてくる。
もはやアントレアでは名物になりつつある、三人組の小学生グループ、シャルルンロット、ミッドナイトシュガー、グラスパリーンだった。
厳密にはひとりだけ小学生ではないが、この格好では同い年にしか見えない。
「……あわてんぼうのシャンタ、って……神聖日は2ヶ月も先なんだから、あわてすぎでしょうが。それにリインカーネーション、アンタがしてるのはシャンタの格好じゃなくて、シャンタが乗るソリを引いてるカリブーの格好じゃない」
「……厳密にはこの着ぐるみのデザインはカリブーではない。オジロジカ。さらに厳密に言うと、シャンタのソリを引くのはポーキュパインという種類のカリブー」
「あのぉ~、それになんで、みんなカリブー……鹿の格好なんでしょうか? ひとりくらい、シャンタがいても……」
大聖女は、兵馬俑のように固まったままの衆人たちをバックに、もう一回だけクルリンと回ってみせ……テヘペロと舌を出した。
「パインちゃんの『どうぶつずかん』を見て作ったんだけど、少し違ってたかしら。それとシャンタしゃんの衣装も作ろうと思ったんだけど、カリブーちゃんのほうが可愛かったから、つい作りすぎちゃって……気がついたら、布がなくなってたの」
「それにしたって48人分も作るまで気づかないなんて、どういう脳みそしてんの。それにアンタはその着ぐるみを着たところで、鹿になんてなれるわけないでしょ。牛よ牛。着ぐるみでも胸のほうが目立つって、どういう身体してんのよ」
吊目少女の突っ込みは、相手が大聖女であっても容赦がない。
しかし彼女の言葉の後半に関しては、まわりで聞いていた石化した者たちですら、心の中でウンウンと頷いていた。
……『神聖日』というのは、この世界の年末にある一大イベントである。
事の起こりは、翔べない天使『シャンタ』の存在。
彼女は豊穣と調和の女神であるメルタリオンに仕えていたが、翼がないので天使界でもつまはじきにされていた。
それを気の毒に思った人間たちが、彼女にソリをプレゼント。
喜んだ彼女は、そのソリをカリブーに引かせた。
すると、不思議なことにソリは空を飛んだ。
彼女は感謝の気持ちを込めて、空飛ぶソリを使って人間たちにお返しのプレゼントを配りはじめた……という神話が元になっている。
それが広まって、人間どうしでも贈り物をしあう日となった。
そうなると当然、どの商店にとってもこの時期は大きな商戦期となる。
かくいう『スラムドッグマート』も、オーダーメイドポーションの詰め合わせやら、シャンタの格好をしたゴルドくんの専用ポーチなど、様々な商品を売り出す予定だった。
しかしそれは、来月の中旬から……。
街が『神聖日』ムードに包まれるのも、来月以降なのだが……。
しかしシャンタはひと足早く、このホーンマックにやって来た。
厳密にはシャンタはどこにもいなかったのだが、そんなことは些細なこと。
恐怖と憎悪に包まれていたこの大通りを、一瞬にして鎮めてしまったのだから……!
そのリーダー格は、頭よりも大きい胸を特出させた鹿ガール。
彼女は野外ステージの司会進行をするお姉さんのように、あたりをキョロキョロと見回していた。
「あらあら? みんな、どうちたんでちゅか~!? シャンタしゃんでちゅよ~!?」
正確には『シャンタさん』なのだが、舌足らずな妹の呼び方が移ってしまったのだ。
なおもキョトーンとしているクレーマーたちの、顔面の異質さにようやく気づく。
「まあまあ、そのお顔、どうしたんでちゅか!? ぽんぽんイタイイタイの!? 大変! ママにまかせて! ……いたいのいたいのぉ、とんでけ~っ!」
ママ鹿が片手を挙げて舞うと、クレーマーたちの腐ったような皮膚が光に包まれる。
ここでようやく彼らは我に返り、発光している己の身体に驚きの声をあげていた。
大聖女の『癒し』の発動である。
簡単にやってのけているが、百人規模をいちどに治療するというのは、並大抵の力ではない。
光量もかなりのもので、あたり一面は陽光に反射する海のような、まばゆい輝きにあふれていた。
やがてその純白の潮騒は、被術者たちの身体に吸い込まれていく。
これで、どんな怪我も病気も一発治癒。
……のはずなのだが、彼らの皮膚はいまだにまだら模様のままだった。
「あれあれ? ママの祈りが効かないなんて……おかしいでちゅね~?」
瞳をまんまるにする、我らが大聖女。
ライオンマスクは見とれるあまり、いつの間にか脇へと追いやられていた。
しかしここでようやく、己の立場を思い出す。
ハッと息を飲むと、奪われたペースを取り戻すかのように叫んだ。
「……お……おいっ!! みんな見てたか!? 治癒が効かなかったぞ!! マザーの祈りでも治せねぇなんて、こりゃかなりの重病だぜぇ!! やっぱり、スラムドッグマートのポーションを飲んだら、死んじまうんだ!!」
再び街角を混乱に陥れようと、騒ぎ立てたのだが……。
しかし、一度消えてしまった混乱の炎は、なかなか再燃しない。
なぜならば、相手があまりにも悪すぎる……。
相手は『天然と癒やしの権化』ともいえる『マザー・リインカーネーション』、その人……!
これは相撲に例えるなら、言葉による押し合いをしている最中に、猫型ロボットが乱入してくるようなものである。
暴言でいくら土俵際に追い詰めたところで、相手は地面より常に数ミリ浮いているので、土をつけることなど絶対にできないのだ……!
もしこれがプリムラだった場合、祈りが効かないとわかった時点で大いにうろたえ、ペースを奪われていたことだろう。
しかし、この猫型ロボットは、どこ吹く風……!
「まあまあ、それじゃ、『ふきふき』してみましょうね~!」
彼女は白いおもちをたゆんたゆんと揺らし、最寄りにいた女性に近づく。
カビの生えたモチのような、その顔面に向かって、
「はぁい、ふきふき~!」
取り出した白いタオルで、顔をやさしく拭いはじめた。
すると……まるで洗剤のコマーシャルのように、激落ち……!
紫色に変色した肌の向こうから、ハリの良いツヤ肌が現れたのだ……!
「はぁい、キレイキレイになりまちた~! ほら、見て見て!」
マザーが指さしたのは、スラムドッグマートのショーウインドウ。
女性はそこに写り込んだ己の顔を見て、思わず本音を漏らしてしまう。
「こ……これが、私の肌……!? 仕事が忙しくて、スキンケアするヒマもなくて、ずっとガサガサだったのに……!? ほとんどヤケになって、顔にペンキを塗ったのに……! こんなにキレイに……!?」
しかし途中で「しまった!」と口をつぐむ。
でも聖女はそんなこともおかまいなし。彼女の肩を抱いて、ニッコリと微笑んだ。
「女の子の肌は、キレイキレイがいちばんでちゅよ? ねっ!」
その人懐っこい笑顔に抗える者など、いようはずもない。
「は……はいっ……! ありがとうございますっ、マザー!」
それは、発した彼女自信も驚いてしまうほどの、素直な返事だった。
そして、
……パカァァァァァァァァーーーーーンッ!!
頑なだったなにかが割れる音が、たしかに響いていた。
ちなみに、鹿は48人いますが、馬車に乗りきれなかった43人は来ていません。