21 シャル・ウィー・ダンス
謎の男たちの乱入に、河原の平穏はすっかり打ち破られてしまった。
崖っぷちのような川べりに立つ、ゴルドウルフとミスミセス。
男女はペアダンスの開始前のようなポーズで、すっかりふたりだけの世界に入っている。
その周囲には、下心と殺意を面白半分にないまぜにしたような、下卑た顔の男たち。
立って威嚇する熊のような巨大な身体に、鎧のような筋肉と血管が走っている。
構え、ニギニギと動く手は、オッサンの顔を簡単に握り潰せるほどに大きい。
オッサンのペアの優雅さとは対照的に、彼らは開始のゴングを待つ格闘家のように気張っている。
世にも不思議な異種格闘戦は、間もなく始まろうとしていた。
観客は土手の上に林立する、低木と茂みたち。
人間は誰もいないかと思われたが、その中のひとつが風もないのに揺れる。
そして、調子っぱずれの声がはみ出た。
「いかがでありますか、ガンハウンド上官!! ヤツらは軍兵時代、自分の同期だった者たちであります!!」
「だからうるさいって、ソースカン。隠れてんだから、デカイ声出すなっての、っと」
「し、失礼しました! 彼らは軍隊格闘術に加え、ボクシングにレスリングなどに精通していて……素手でも100人は殺せるであります!」
「うぅん……まぁ、アレなら大丈夫か、っと。アレだけの奴らに襲われたら、いくら奴さんでも、マジになってくれるだろ……っと」
「でも、また違っていたらどうするでありますか!? この前も強引に連行しましたが、ヤツはなにもありませんでした! これ以上、ホーリードール家からの抗議を受けたら、もう注意だけでは済まされないのでは……!?」
実は先日、ガンハウンドは強引な取り調べを行っていた。
『エンジェル・ハイロウ』の弾丸を受けて無傷の人間がいるわけがない。
ヤツがたとえ最上級の悪魔と盟約を交わした『悪魔憑依者』であっても、大きな傷ができているはず……!
そう信じてスラムドッグマート1号店に乗り込み、ゴルドウルフの身柄を拘束したのだ。
そして取調室で全裸にして、身体をすみずみまでチェックしたのだが……。
オッサンの身体にあったのは、無数の古傷のみ……!
それを後で知ったリインカーネーションは、憲兵局に猛然と抗議した。
「ゴルちゃんを裸にしただなんて!? そんなっ、いけません! だって、ママだって滅多に見せてもらえないのに!」
内容はちょっと妙だったが、名家の大聖女のクレームにより、憲兵局のお偉いさんは平謝り。
ガンハウンドは上層部から、強引な捜査はするなと釘を刺されたばかりだった。
彼が付け狙っている容疑者、ゴルドウルフには未だ決定的な証拠がない。
しかし彼は自分の勘を信じ、こうして人気のないところで仕掛けたのだ。
あれだけの手練に襲われれば、ヤツは『悪魔憑依者』の本性を表さざるを得ないはず、と……!
「さぁて、そろそろおっぱじまるかな、っと」
猟犬はすでに、相棒の魔銃を構え、野良犬の頭に狙いを定めていた。
その身体が、妖精のようにふわりとスウィングする。
シャル・ウィー・ダンス? と周囲の男たちに問いかけるように。
そしてそれが、開戦の合図となった。
「さっきから俺らのこと、ガン無視しやがって! なめてんのか、このオッサン!」
「かまわねぇ、ボコボコにして、川にたたきこんでやれっ!」
そして、飛び交う拳骨と怒号。
「ビビってくるくせに、イキがってんじゃねぇぞ! オッサン!」
「しばらくメシが食えねぇように、顎を砕いてやらぁ!」
「腹パンで、血のションベンを垂れ流せや、おらぁ!」
全方位から押し寄せる罵声は、耳を噛みちぎりそうなほどに恐ろしい。
……ゴオッ!! ブオッ!! グオオンッ!!
唸る腕から繰り出される轟音の一撃は、鐘を打ち鳴らす撞木のように強烈……!
しかしオッサンは、それらが見えていないかのように、聞こえていないかのように、完全無視。
ここで反応を見せたら、ミスミセスが怖がるだろうと思っていたのだ。
腰を抱かれ、指を絡め合わせていた美女は、リードされてくるくると舞う。
彼女はまわりだした世界の中でも、オッサンのやさしく、どこか哀しげな瞳に釘付けであった。
心がふわふわして、まるでメリーゴーランドに乗っているかのような夢見心地。
かすめていくパンチはライトアップの明かりのように輝き、怒鳴りは子供の歓声のように楽しげに響く。
唯一の観客は、唖然……!
構えていた銃も、取り落としてしまうほどに……!
「な、なんだ、アレ……っと!?」
「ぐっ、軍兵の格闘大会でも、上位にいる者たちなのに……!? しかも相手は、女を守りながらだというのに……! パンチがまるで当たってない……!? あっ、あれがまさか……悪魔憑依者というものでありますか!? ガンハウンド上官!?」
「し、知らねぇよ……! あんな軽やかな悪魔、いてたまるかよ……っと!」
「じゃ、じゃあ何なのでありますか!? ヤツはまさか、天使だとでも……!?」
ソースカンがそう口にしたとたん、男たちは確かに目にする。
オッサンの背中に……純白の翼が翻っているのを……!
「なっ……なにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
しかしそれは、瞬きほどの間に消えてしまった。
そして……彼らはさらに、信じられない光景を目の当たりにする。
「……あああっ!?」
どっぱーんっ!
襲っていた男のひとりが、殴りかかっていった途端にバランスを崩し、つんのめって川にダイブしてしまった。
……そんな偶然としか思えない事故が、立て続けに起こったのだ。
「死ねぇぇぇ!! ……ぇぇぇぇぇぇえええええええええーーーーーっ!?!?」
ざっぱーんっ!
「おらぁぁぁぁぁ!! ……ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーっ!?!?」
どぼぉーんっ!
突如巻き起こりはじめた幻覚のような光景に、茂みの男たちは我が視神経を疑うように擦り、瞬かせる。
先に気づいたのは、ガンハウンドのほうだった。
「……あ、足だ……! 奴さん、飛びかかってくるのに合わせて、カウンターみたいに足を引っ掛けてやがる……っと!」
「えええっ!? そ、そんなバカな! あっ……! し、失礼しました! ほっ……本当であります! ヤツは迫ってくるパンチどころか、足元すら見ていないのに……!?」
「「ああっ、とうとう、最後のひとりに……!」」
凸凹コンビが声を揃えた瞬間、殴り抜けた男が足をもつれさせる。
たたらを踏むようにして、川べりまでよろめいていく。
しかし淵ギリギリで踏みとどまり、両手をわたわたと振り回して辛うじてバランスを取っていた。
「「よし! がんばれっ!!」」
思わず口をついて飛び出す声援。
しかしオッサンがクイックステップで回転しながら、踏みとどまる男に急接近したかと思うと、
……とんっ!
密かやなる後ろ蹴りを繰り出し、絶望の淵へと突き落とす……!
「あっあっあっ!? ああっ!? あああっ!? ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
……どっぱぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーんっ!!
花火大会の大トリを飾る花火のような、盛大なる水しぶきがあがった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ゴルドウルフは襲撃者たちの頭を冷やさせたあと、川からひっぱりあげて救出する。
そしてひと言ふた言、声をかけたあと何かを手渡し、ミスミセスとともに河原から立ち去った。
オッサンの姿が完全に見えなくなったところで、ガンハウンドとソースカンは茂みから出て、男たちの元へと向かう。
すると彼らはうなだれていて、肩を震わせながら嗚咽を漏らしていた。
「おやおや、どうしちゃったのキミたち。あのオッサンから、なにか悔しいことでも言われちゃったの……? っと」
すると、揃って顔をあげた男たちは、濡れた肌をさらに熱い涙で濡らしながら叫んだ。
「いいえ……! 逆です……! あのオッサン……! いいえ、あの御方は、自分たちに喝を入れてくださったんです……!」
彼らは、忘れていた感情があふれ出したかのように、口々にまくしたてた。
「自分たちを助け出したあと、あの御方はこう言ったんです……! 『あなたたちの拳は、この国を守るためにあるのではないですか?』と……!」
「あの御方は、自分たちの身体つきと身のこなしから、自分たちを軍兵だと知っていたのです……!」
「あの御方は、それを知っていたからこそ……! 御婦人を怖がらせないように、ダンスに見せかけて自分たちを撃退した……!」
「あれこそが、自分たちが新兵のころに教わった、理想の国防……! 国民に脅威が迫っていることすら気づかせず、迅速に排除する……!」
「『あなたたちの拳の向こうにあるのは、敵の苦しみではなく、変わらない市民の笑顔であるということを、忘れないでください』……!」
ポカンとしているガンハウンドをよそに、ざざっ! と一斉に起立する軍兵たち。
その手には、ゴルドウルフが手渡したのであろう『スラムドッグスクール』のチラシが握りしめられていた。
彼らは、ずざざっ! と身体の向きを変え、去っていったオッサンの方角に向かって敬礼する。
「ゴルドウルフ先生っ! 自分たちは、目がさめました! 先生のもとで、もっともっと学びたいでありますっ! そしていつかは、先生のように国を守れるようになりたいであります! みんなもそうだろう!? なあっ!」
「おおーっ!!」
「よぉし! 『スラムドッグマート』まで駆け足っ!!」
「♪野良犬の店に行~くぞ! ♪野良犬の店はいいお店! ♪父ちゃんたちにも大評判!」
チラシに書いてあった、シャルルンロット作詞のオリジナルソングを轟かせながら、むくつけき男たちはザッザッと去っていく。
いつのまにか感化されたソースカンまで彼らについていってしまい、ガンハウンドは誰もいなくなった河原に、ひとりポツンと佇んでいた。
次回からはジェノサイドファング編になります。