20 解明、オッサンの嗜好
午後の柔らかな日差しが降り注ぐ河原。
穏やかな川の流れはやさしく耳に届き、吹き渡る風はあたたく肌を撫でていく。
そんな川べりに、オッサンは立っている。
隣には女性がいたのだが、彼女はふと髪をかきあげながら顔を向けてきた。
それは何気ない仕草であったが、その拍子に艷やかな襟足から、真っ白いうなじがチラ見えする。
男であれば間違いなく目玉を奪われてしまう情景にも、オッサンは気づかない様子でスルー。
多くの視線に晒されてきた彼女にとっては、そんな天然とも紳士ともつかぬ振る舞いは新鮮で、また心地良かった。
「あの……すみませんっ、ゴルドウルフ社長っ。わがままを言ってしまってっ」
「社長はよしてください、ミスミセスさん。それに、たまにはこうやって寄り道するのもいいですね」
すまなさそうにするミスミセスに、微笑みかけるゴルドウルフ。
それだけで彼女の内心は、キュン、と高鳴る。
ミスミセスは以前はゴージャスマートに勤めていたのだが、主に客引きの仕事をやらされていた。
しかし過労がたたり、スラムドッグマートの前で倒れてしまう。
そこでゴルドウルフに介抱されたのが縁で、今ではスラムドッグマートに勤めているのだ。
ゴージャスマートにいた頃は過酷な勤務と方面部長からの暴力のせいで、髪も肌も老いさらばえ、さながら老女のようであった。
心労と過労のダブルパンチであったが、スラムドッグマートで働きだしてからは、みるみるうちに元の美しさを取り戻す。
そして今や聖女たちと比肩するほどの、店のマドンナ的存在となっていた。
黒壇のような髪に、匂い立つような肌……。
そして、花瓶のように丸みを帯びた身体の曲線。
ぽってりとした唇からこぼれる、悩ましげな声は色っぽく……。
マーメイドの歌声で誘うように、店に訪れた冒険者たちを客にしていたのだ。
しかも外見だけでなく、仕事もバリバリとこなす才女でもある。
かつての店では女性だからという理由で客引きしかやらせてもらえなかったそうだが、ゴルドウルフはすぐに彼女の聡明さを見抜いた。
彼女はめきめきと頭角を表し、あっという間に支部長の地位へと昇進する。
そして今日、支部長昇進を取引先の工房に知らせるため、ふたりで挨拶回りをしていた。
それも終わって帰る途中で、ミスミセスは寄り道をせがんだ。
そのおねだりをオッサンは快く承諾し、郊外にある長閑な川辺で、彼女ととりとめもない世間話をしていた。
街の河原はゴロツキの棲家となっているが、このあたりにはいない。
安全で水も綺麗なので、気分転換にはもってこいの場所なのだ。
「そういえば、マセリアさんはスラムドッグスクールにはもう慣れたようですか?」
マセリアというのは、ミスミセスのひとり娘のことである。
「んっ、はいっ。マセリアちゃんは弓術士を目指しているんですがっ、スラムドッグスクールは以前の塾よりいいと言っていますっ」
彼女のしゃべり方は独特で、語尾が熱っぽい吐息を漏らしているように聞こえる。
本人としては至って真面目に話しているつもりなのだが、男性をよく誤解させてしまうのが悩みらしい。
「そうですか、それはよかった」
「あんっ、そういえば……マセリアちゃんが言ってましたっ。いまスラムドッグスクールでは、ゴルドウルフ社……ゴルドウルフさんのことで、持ちきりだって」
「……? 私のことで? どうしてですか?」
「はいっ。ゴルドウルフさんが、胸の大きい女性と小さい女性っ、どちらが好きなのか、って……」
オッサンの疑問は、すぐに苦笑に変わった。
「そのことですか。シャルルンロットさんが気にしていましたからね」
ミスミセスは胸のあたりにある、フェロモンの発送装置のような豊かな曲線の前で、きゅっと手を握りしめる。
「あの……ゴルドウルフさん?」
そしてやや思いつめたような表情で、一瞬だけうつむいたあと……オッサンに潤みがちな瞳を向けた。
「……どちら、なんでしょうか……っ?」
「どちら、と言いますと?」
「大きい方と、小さい方……どちらがお好き、なんですかっ……?」
しかしキョトンとした反応がかえってきたので、ミスミセスは急に恥ずかしくなって、視線をそらしてしまった。
「あっ、あんっ。……す、すみません。私ったら、なんてことをっ……。いまのは、忘れてくださいっ……!」
「……私は、あたたかいのが好きです」
「えっ?」とミスミセスが再び顔を向けると、オッサンはまっすぐ前を向いていた。
彼の視線は川を挟んだ土手のほうに投げられていたが、しかし憧憬のようなそれは、遥か遠くの景色を映しているかのようだった。
「お母さんの胸に抱かれる赤ちゃんは、あたたかそうで、安らかですよね。私は孤児だったので、その記憶がありません。だからでしょうか、女性の胸に『あたたかさ』という憧れを抱いてしまうのです……」
しかし途中でハッとなり、あわてて訂正する。
「あ、失礼。私みたいなおじさんがそんなことを言うと、気持ち悪いですよね」
そう取り繕って向き直った先には、なぜか瞳を、そして唇までもを濡らしたピンク色の美女が……!
きゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅんっ……!!
すでに彼女の心臓は、鷲掴みにされてしまっていた。
無理もない。
いつもは群れを統べる大狼のように、部下に対しては真摯で厳正な彼が……。
しかし子狼に対しては穏やかで雄大な彼が……。
いつも冷静で、ときには情熱的……。鋭さと熱さが同居しているようで、しかしながら孤高……。
すべてを許しているようで、何者にも心を許さないような彼が……。
激レア表情のひとつである、『捨て犬のような寂しげな横顔』を見せたのだ……!
チョコレート工場へのゴールデンチケットに、色めきたたない子供がいないように……。
オッサンのロンリーフェイスが描かれた灰色のチケットは、美女をガッシリとハートキャッチ……!
そのうえ母性までもを掘り起こし、ビンビンに刺激していたのだ……!!
ミスミセスは、許されるならばこのまま飛びかかって抱きしめたい気持ちでいっぱいになる。
もしこの場に、例の大聖女がいたならば問答無用だっただろう。
「こんにちは赤ちゃんっ! わたしがママでちゅよぉーーーっ!!」
と脊髄反射のフライングボディプレスをかましていたに違いない。
それよりはまだ常識人であるミスミセスは、こくりと白い喉を鳴らして尋ねる。
「あのっ……もしよろしければ、私のっ……」
しかしその想いは、オッサンには届かなかった。
「おおーっとぉー!? こんなところで、お熱いねぇーっ!?」
野太い荒くれ声によって、花のように踏みにじられてしまったのだ。
花壇を土足で荒らすような、ドカドカとした無遠慮な足音がふたりを包囲する。
不安そうに見上げるミスミセス。
すでにまわりには、日差しを遮る塀のような大男たちが……!
「あんっ。な、なんですかっ、あなたたちは……っ!?」
「おおっとぉ、今の声、聞いたかぁ!?」
「ああ! マジで色っぺぇー!」
「普段でコレじゃ、アノ時の声はきっともっとスゲェぜ!」
「こんないい女、オッサンにはもったいねぇーなぁー!」
「おい、こんなしょぼいオッサンよりも、俺たちとつきあえよ!」
グローブのようないかつい手がミスミセスを掴むより先に、彼女の身体はさらわれた。
腰をグイと抱き寄せられ、
……ばふっ……!
と飛び込んだ先は……。
つい今しがたまで夢見ていた、あのオッサンの腕の中であった……!
「ミスミセスさん。ほんの少しだけ、ダンスに付き合っていただけませんか?」
それは、今まさに迫る危機をすべて忘れさせるような、ジェントルでスウィートなウィスパー。
もうそれだけで、誘われたパートナーは腰砕けになってしまう。
「はっ、はいっ……はふぅぅ……」
ミスミセスの瞳にはもう、ゴルドウルフしか映っていない。
いちおうオッサンの肩越しには、怒れる野ブタのような強面たちが居並び、見下ろしていたのだが……。
彼女にはそれすらも百輪の薔薇と錯覚してしまうほどに、とろけきっていた。
次回、ダンス…!?