18 狼の大反撃 3
次の日、ルタンベスタ領の憲兵局の窓辺に、一匹のフクロウがとまった。
灰色の毛並みに、フクロウにしては大柄な身体は、雲が迷い込んだかのよう。
彼は黄金の瞳を、机に足を投げ出していたガンハウンドに向け、呼びつけるようにクチバシをカチカチと鳴らす。
用件は一目瞭然。
鉄の爪のように、がっしりと窓枠を掴む趾の上には、伝書が入っているであろう脚環がついていたからだ。
しかし失意の猟犬は目もくれない。
かわりに部下のソースカンが受け取って、手紙に目を通す。
『ルタンベスタ領にあるゴージャスマートに網を張れ、魚の群れが引っかかる』
いわゆる『タレコミ』というやつだった。
しかし、この手の匿名の投書は憲兵局では珍しいものではない。
いつもであれば、一笑とともに足元のゴミ箱行きなのであるが……ソレに限っては、無視できないだけの説得力があった。
……カリーン。
澄んだ音とともに、手紙の間からこぼれ落ちた金属片。
ガンハウンドがあの夜に撃った、10シルバー弾の破片だった。
それを見た途端、猟犬の眼にふさわしい光が戻る。
「……悪魔からのタレコミってわけですか、っと」
「でもガンハウンド上官、そのカケラは……本当に火事の時に撃ったのと同じ弾なのでありますか?」
「ああ、洗礼済のシルバー弾には、洗礼痕ってのがつくんだ。それが僕が愛用している聖女一家のものと一致する、っと」
「えっ、このあいだスラムドッグマートで買ったホーリードール家の弾とは、違うのでありますか?」
「バァーカ。容疑者から買った弾丸なんて使えるかよ。奴さんが『魔王信奉者』だったら、洗礼には拒絶反応を示すはずだから、試してみたんだよ、っと」
ガンハウンドはそこでいったん言葉を区切って、後ろ頭を帽子ごしにバリバリと掻きむしる。
「しっかし、奴さんが『魔王信奉者』どころか、『悪魔憑依者』だとしたら……洗礼済のシルバー弾なんて、入ってるケースを持つどころか近付くことも嫌がるハズなんだけどねぇ……っと」
「やっぱり、あの男……ゴルドウルフは違うのではないですか? 自分はあの男が、そんな大それたことができるとは到底思えないのですが……」
「ま、なんにしても、新しい手がかりがおいでなすったんだ。罠かもしれねぇが、コイツに賭けしてみようじゃないの、っと。……そうだ、ついでだからコイツを運んできた、あの鳥もしょっぴいて……」
凸凹コンビは、揃って来客の訪れた窓に視線を戻す。
しかしそこには、灰色の羽毛が舞っているだけ。
外にはすでに、青空の裂け目のようなグレイの翼が広がっていた。
……スカイブルーを刃物で横薙ぎにするように翔び去っていく、彼の名は『雲の骸』。
『死を運ぶ冥鳥』の二つ名を持つが、ホーリードール家では『ムクちゃん』の愛称で親しまれている。
魔界では悪魔王の魂を運べるのは彼のみ、といわれるほどの大物。
しかし先日の火事の際には、人間のために連絡用の手紙を運びまくって大活躍。
大聖女にいっぱいナデナデされていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
謎のタレコミから数日後、アントレアの街を……いや、ルタンベスタ領をふたたび紅蓮の悪魔が襲った。
規模は前回の火事とほぼ同じであったが、大きく違っていたのはふたつ。
まず、異常気象が起こらなかったこと。
そして、衛兵100人体制での、大捕物が行われていたということ……!
ガンハウンドはタレコミを受けたその日から、憲兵の権限を使ってルンタベスタじゅうの街や村の衛兵に命令していた。
24時間体制で『ゴージャスマート』を見張れ、と……!
出処不明の情報だけで、それだけの人間を動かすにはかなりのリスクがあった。
猟犬にとっては大いなる賭けとなったが、彼は自分の憲兵としてのカンを信じたのだ。
命を受けた衛兵たちは私服に扮し、夜を徹しての張り込みを行っていた。
すでに日も暮れ、ゴージャスマートは閉店してしまったが、彼らの見張りはこれからが本番。
店内には、どこかの店のマネをしたであろう、棚カバーがかけられていた。
しかしその表面のデザインは、方面部長であるジェノサイドナックルがピースしているイラストである。
そのビーストっぷりはすでに有名だったので、街を行き交う人々は店を避けるように街路を歩いていた。
……せめて、王様のイラストにすればよかったのに……。
と、路地裏から覗く衛兵たちが、誰もが思っていた、その時……!
ついに、目撃する……!
店内にひとりだけ残った店員が、油のようなものをぶちまけ……!
火のついたマッチを、その油だまりにピンと投げ込み……!
……ゴォォォォォォッ……!!
あっという間に、火の海に変える瞬間を……!!
「……いくぞっ!」
店の裏口から人影が飛び出していくのと、路地裏から衛兵が飛び出したのはほぼ同時だった。
「おい! そこのお前! 待てっ!」
呼び止められ、追われていることに気づいた人影は、脱兎と化す……!
「あっ!? 逃がすな! 追えーっ!」
そして始まる、大追跡……!
……吹き上がる炎に染まる街中。
その前を赤銅色に照らされたシルエットたちが、右往左往する大騒動。
そんな大規模クーデターが勃発したような光景が、ルタンベスタじゅうで見られた。
出火の発見は早かったものの、衛兵たちは犯人逮捕に総動員されていたせいで、消火活動は遅れてしまう。
結果、被害状況は前回と同じになってしまった。
死者こそ出なかったものの、店舗は全焼……!
この知らせに、二度に渡る火事の首謀者である、ジェノサイドナックルは小躍りして喜んでいた。
鉄骨に囲まれた『方面部長室』の中で、彼は発情期を迎えた動物園のゴリラのように浮かれ騒ぐ。
「やったやった! やったど! これで、燃え残ったものを売れば、おおもうけできるど! ねだんをふだんの10倍……いや100倍にすれば、もっともっともうかるど! おで、あたまいい!!」
しかしそれは、取れぬゴリラの皮算用に終わる。
『炎の精霊に愛された武器』のブームが去ってしまったから……?
それとも、値付けが高すぎたから……?
……否っ……!
そもそも商品が、燃え残らなかったのだ……!!
そう……!
以前、あの紳士がセールスした布は、『耐火の布』などではなかった……!
それとは真逆の効果を持つ、『加熱の布』だったのだ……!!
魔法の布を選ぶゴルドウルフとプリムラの、こんなやりとりを覚えているだろうか。
「へぇ……いろいろあるのですね。こちらは加熱の布、とありますが……?」
「それは耐火とは逆の効果で、火を通過させる性質の布です。この布を通った火は温度が高くなるんですよ」
「あっ、知っています。お姉ちゃんが、昨晩のお料理に使っていました」
「そうですね、料理用の布として有名です。この布で食材を包むと、少しの火力でも高熱で包み焼きにできるんですよ」
……そう……そうなのだ……。
少しの熱でも高熱になるという布に、火事のような大火を与えてしまったら……。
できあがるのは、『炎の精霊に愛された武器』どころか……。
……『ゴージャスマートの武器の包み焼き』っ……!!
火事現場の瓦礫の山から、掘り起こされたもの、それは……。
ドロドロに融解し、くっつきあい……前衛芸術のような見た目になってしまった、かつての商品たちであった。
そのお値段……!
グラムあたり、0.1¥……!
ようはただの、鉄クズっ……!!
しかもジェノサイドナックルは、ルタンベスタのゴージャスマート全店舗だけでなく、郊外にある大型倉庫や問屋などにも同じ布を掛けさせ、放火させていたのだ。
もちろん、あの紳士のすすめで。
もはや店舗にある在庫どころか、物流拠点にある在庫まで、全滅……!
売るものが、将来のぶんまで含めて消滅……!
全店舗、比喩どころではなく、閉店ガラガラ……!
あのオッサンは、黒に染まった盤面を、たったの一手で、すべて白にひっくり返すことに成功する。
しかも、それだけでは許さなかった。
彼は布を売りつけただけで、『ゴージャスマート』をすべて成敗してしまったのだ……!
一撃で、何もかもすべて壊滅……っ!
これこそが、あの伝説の販売員の、本気である。
これはもう、皆殺しどころではない。
破滅……!!
しかも、しかもである……!
この『破滅』ですら、まだ『序曲』に過ぎないということを……!
相手のライフがゼロになってもなお許さない、オーバーキル……!
「もうやめて!」と止める間もない無慈悲なる一撃が、さらに獣たちに降りかかろうとしていたのだ……!
次回、ジェノサイドナックル編のクライマックスです!