17 狼の大反撃 2
ゴルドウルフが手厚くかけていた火災保険のおかげで、野良犬の店は木造の犬小屋からテントを経て、今や石造りの立派な3階建てへと生まれ変わっていた。
人間でも店でも、急成長すると近づきがたくなり、反感を買うものだが、冒険者たちはむしろさらに足繁く通うようになる。
売れなかった地下アイドルを自分たちの手でトップスターにしたような親心が、彼らの中に芽生え始めたのだ。
つい最近まで一強を誇っていた王様の店は、すでに閑古鳥もいない。
路地裏のほうがまだ賑やかだと思われるほどに、静寂をきわめる。
……そして、とある街にある本部はすでに瓦解を繰り返し、掘っ立て小屋同然になっていた。
中から聞こえるのは、ガオン! ガオン! と鉄骨を打ち鳴らす音と、
「うがぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! がるるるるるるるっ!!」
もはや人の言葉を失った、獣の咆哮である。
すでに客どころか、店員すらも近寄らないその場所。
蝶番が取れ、傾いた入り口の扉を、あるひとりの紳士が引き開けようとしていた。
キッチリと撫でつけられた黒光りする髪、年齢を感じさせるがシャープな顔立ち。
几帳面そうなスクウェアのメガネの向こうにある、温かみを感じさせる瞳。
いかにも熟練のビジネスマンといった中年男性。
商談などできそうもないこの場所に、いったい何の用があるのか……?
彼が取っ手に触れたとたん、ガタンと外れてしまったので、扉を両手で抱えて壁に立てかけた。
「よっこらしょ……っと。……あの、ごめんください」
中に入っても、あまり外と変わりがなかった。
床は土間であるし、欠けた歯のような壁の隙間からは、野風と陽の光が入り放題だったからだ。
しかし、もともとは大勢の人を抱えていた本部なだけあって、中はさすがに広い。
しかし、ほとんどなにもない。
足元には、ボロボロに引き裂かれたぬいぐるみ、へし折られたデク人形、ひん曲がった鎧甲冑などが転がっている。
戦闘種族の赤ちゃん部屋のような、破壊衝動の残骸に満ちた床。
その中央には、鉄骨を突き立てて作った、檻のような小部屋。
凶暴なベビーには相応しいベッドであるが、手前に立っている看板には、
『方面部長室』
と案内がある。
ベッドの中で蠢いていた、かまくらのように巨大な影は、
「ぐがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーっ!!!」
ぐずるようにひと泣きすると、巨槌のようなパンチを鉄骨に浴びせていた。
……ガアンッ!! ゴオンッ!! ガインッ!!
音の出るオモチャのようにメチャクチャにかき鳴らしていたが、背後に人の気配を感じると、
……ギロリ……!
と殺戮本能に満ちた眼光で振り返った。
もはや野獣を通り越し、殺人鬼のような風体に変貌していたジェノサイドナックル。
並の人間であれば身体がすくむほどの威圧感であったが、紳士はそよ風のように気にせず、彼に歩みを進めながら言った。
「はじめまして、ジェノサイドナックル方面部長」
「ぐるあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
部長からの返礼は、サイのような突進だった。
鉄骨に身体を阻まれると、隙間に首を突っ込み、手を限界まで伸ばして、いまにも食いかからんばかりに吠えかかる。
「うがっ! ぐるあっ! があっ!」
彼は別に閉じ込められているわけではない。
背後には出入りできるだけの隙間があるのだが、すでにそこまでの知恵もないようだった。
紳士は両手を広げ、敵意がないことをアピールする。
「落ち着いてください、方面部長。私は方面部長の味方です」
「ぐるあああっ! うそだ! さてはおまえも、おでのもうけをよこどりしにきたな!? おでのもうけはわたさないど! がおおっ! ぶっとばしてやる! ふがぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「とんでもない。儲けを横取りするどころか、さしあげに参ったのです」
「ふがっ!? ほんとか!? おでにもうけをくれるのか!? なら、さっさとよこせ!」
「まあまあ、まずは落ち着いてください。そして、こちらをご覧ください」
紳士は革の手提げカバンから、バスタオルくらいの大きさの布を取り出し、ジェノサイドナックルに手渡した。
「なんだ、これ……? おで、こんなのいらない! こんなのでごまかそうったって、そうはいかないど! もうけはどこへやった!?」
「いえ、それが方面部長に大きな儲けを運んでくれる、魔法の布なのです」
「まほうの、ぬの……!? おで、まほうすき!」
「それはよかった。実を申しますとそれは、スラムドッグマートさんにもお勧めした布なのです」
『スラムドッグマート』と聞いて、ジェノサイドナックルは狂戦士のように激昂する。
「スラムドッグマートだどぉ!?!? ぐるるるるるるるっ!! ゆるさないゆるさないゆるさないどぉっ!! ゆるさないどぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」
それは、目の前で火山が噴火したような迫力であった。
空気がビリビリと震え、鉄骨がワンワンと共鳴。
四方の壁板をビシリとひび割れさせるどころか、外を歩いていた人がひっくり返ってしまうほどの爆音。
しかし、紳士は動じなかった。
衝撃波のような怒声すら、まるで幼児の癇癪のごとく軽く受け流していたのだ。
そしてベテラン保育士のようになだめすかしながら、話を続ける。
並の人間であれば、怖じ気づいて腰を抜かしているか、すでに捕まって雑巾のように絞られているはずなのに……。
このオッサン……!
たいしたタマである……!
……彼の説明はこうだった。
スラムドッグマートが火事になったにも関わらず、売り上げが増大したのは、この布で店内の商品を守っていたから。
この魔法の布で商品を包んでいれば、火事になっても焼け残る。
それに彼らは付加価値をつけて、売りさばいたのだと。
実際はもっと噛み砕いた説明だったが、ジェノサイドナックルはスラムドッグマート躍進のカラクリを知った。
その反応は、生まれて初めて炭酸飲料を口にした幼児のように、お目々をパチクリ。
「そうか……! そうだったのか……! おでが店員にめいれいして、火をつけさせたのに……! 店はぜんぶもえたはずなのに、おでがもうからなかったのは、そういうことだったのか……!」
紳士の瞳が、メガネとともにキラリと光る。
「……やはり、あの火事は方面部長の命令だったのですね」
「しまった!」という表情で、口を塞ぐ幼児。
「ち、ちがうど! おでじゃない! おではやってない! おしえてくれたのはオヤジで、やったのは店員のやつらだ! だからおではわるくない! わるくないんだど!」
「落ち着いてください。私は言いふらしたりしませんから。むしろ、オススメしやすくなりました。なぜならば儲けるためには、この布で御社の店の品物を覆って、火をつける必要があるのですから……!」
そうささやきかける紳士の背後には、悪魔のような影が長く伸びていたのだが……。
誘拐犯のような巧みな話術に取り込まれてしまった幼児は、気づいてはいなかった。
狼の大反撃は、まだまだ続きます…!