15 天使の水鉄砲
『エンジェル・ハイロウ』……!
その魔銃の名にふわさしい、光輪じみた波動が、天使の唇から歌声のように広がる。
白金の雪に輝く光弾は、疾る聖歌……!
一直線に伸びていく銀閃は、闇をも切り裂く聖剣……!
「いただき、っと……!」
ガンハウンドは確信していた。
天を頂く悪魔はこちらを向いているが、銃声がおこってもなお微動だにしていない。
もはや翼を翻したところで、逃れるのは不可能。
この銃が放つ弾丸は、標的に対しての誘導性があるうえに、掠めただけでも衝撃波で、肉をえぐり取る。
それを、まともに腹で受けようものなら、最悪……!
「自分のケツに、お別れのキスをどうぞ、っと……!」
しかしここで、異形のシルエットは信じられない行動に出る。
お姫様抱っこをしていた何者かの身体を、ひょいと持ち上げて弾道から遠ざけるように離し……。
無防備となった腹部で、まともに弾丸を受け止めたのだ……!
……ズバパァァァァァーーーーーーンッ……!!
花火のような火花が、空を彩った。
……。
…………。
………………。
しかし、不動……!
悪魔の影は、平然としている……!
熱にうなされた時にみる、悪い夢のように変わらぬまま……その場に佇んでいたのだ……!
いままで、ヒゲを整えた回数と同じくらいの数の『悪魔憑依者』を葬ってきたガンハウンドが、初めて目にする光景であった。
「なに……っと!? たしかにドテッ腹にブチ込んだはずなのに!?」
さすがの彼も、にわかには信じられず、思わずジャケットの袖で目をこすってしまう。
しかし依然として悪夢、醒めやらず……!
「効いていないだと、っと!? コイツの弾丸を、豆鉄砲扱いするだなんて……! そんなヤツがいてたまるかよっ、っと!」
……しかし、それは厳密には誤りであった。
『撃ってきたのは10シルバー弾ですね。先日、我が君が販売したものとは異なる弾のようです。別の聖女一家の洗礼がかかっています』
『うひゃあ! シルバー弾って冷やっこいんだよね、水かと思っちゃった!』
などという会話が今まさに、悪夢の主のところで交わされているとは……彼は知る由もなかった。
そう……!
豆鉄砲どころか、水鉄砲……!
彼が狙った獲物は、ケツキッスをするどころではなく……!
虫刺されのような痛痒さすら感じておらず、無傷だったのだ……!
「う……嘘だろ……っと」
どんな窮地でも決して手放すことのなかった、飄々とした余裕はすでにない。
これは何かの間違いだと、硝煙の残る愛銃に2発目を込めはじめる。
震える手に、ぽつりと汗が落ちる。
雫はどんどん垂れ落ちてききて、手を、火薬を、しとどに濡らした。
そしてようやく気づく。
ハッ!? と仰いだ天空が、暗幕のような黒雲に覆われていることに。
「なっ……!? さっ、さっきまで、快晴だったはず、っとぉ!? なんで急にっ!?」
雲は、目の前の悪魔の怒りを代弁するかのように、激しく明滅しはじめる。
「や……やはり……っと! これは、夢……! ただの悪い夢だったんだよねぇ……! っと!」
そう確信した瞬間、これは現実であると叱りつけるような、大きな雨粒が彼の頬を張った。
……ビシャッ!
そして、瞬転、
ドッ……!!
シャァァァァァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!
洪水が落ちてきたような豪雨が、街全体を襲った。
しかしこれは、災害などではない。
火災の被害に見舞われている街にとっては、恵みの雨であった。
遅々としていた消火作業を一喝するように、炎をあっという間に消え去る。
「やった! やったやったやった! やったぞぉーーーーーっ! 奇跡だ! 奇跡がおきたんだ! 女神ルナリリス様が、我々を助けてくださったのだぁーーーーーっ!!」
滝に打たれるようにビショ濡れになりながら、クーララカは狂喜していた。
この異常気象を歓迎していたのは彼女だけではない。
雨は不思議と温かかったので、浮浪者たちは板切れの家から這い出し、久々のシャワーだと大喜び。
屋根の上のガンハウンドは、もはや歌うことのできなくなった相棒を手に、愕然としていた。
灰色のヴェールに包まれた空にまぎれるように、悪魔が飛び去っていくのも気づかず……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
謎の火事はアントレアの街のスラムドッグマートだけではなく、ルタンベスタ領すべてのスラムドッグマートで起こっていた。
そしてそれと同じく、ルタンベスタ領全域に突如として降った豪雨で、すべて消し止められていた。
近年まれに見る災害の連続であったが、奇跡的に死者はゼロ。
ホーリードール家のマザーを中心として急遽編成された、聖女救護隊が各地で活躍してくれたおかげで、負傷者のみで済んだのだ。
ゴルドウルフの手によって救出されたプリムラは、屋敷のベッドの上で目を覚ました。
白馬に乗ったおじさまと、空を飛んで……海水浴に行く夢をみてしまいました……。
そこでまさか私が、はじめての水着を着ることになるだなんて……それも、あんなに大胆な……。
そしてそのせいで、おじさまがあんな風に変わられてしまうだなんて……。
起きるなり焦げた毛先を弄び、ひとりニヨニヨする。
そのリアクションに、頭でも打ったのかと皆心配したのだが……。
事の次第を知った彼女は、腹をかっさばく勢いで猛省した。
「すみません! すみません! すみませんっ! おじさま! お姉ちゃん! そしてみなさま……! 私が勝手に残業をしてしまったせいで、ご迷惑をおかけしてしまって……! 本当に、本当に申し訳ありませんでしたっ!!」
「いえ、プリムラさんが無事でよかったです。でもこれからは、決して自分の判断で残業しないようにしてください。いいですね?」
厳しくも温かい言葉に、少女の瞳が聖水をたたえるように潤む。
「は……はいっ、ごめんなさい! ごめんなさいっ、おじさま! おじさまぁぁぁぁ!!」
少女は夢見た胸板に飛び込もうとしたが、
「プリムラちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁん! 本当に本当に本当に、本当に心配したんだからぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」
暴走列車のように横から突っ込んできたボイン特急に、身体ごとかっさらわれてしまった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
死傷者と近隣への被害はなかったものの、『スラムドッグマート』は一夜にしてルタンベスタ領から物理的に消滅させられてしまった。
60%もあったシェアも灰燼と化し、0%……。
すごろくで例えるなら、ふりだしに戻され、所持金没収のうえに10回休み、さらに全員からしっぺをされてしまうほどの、理不尽すぎる仕打ちである。
その仕掛け人であるジェノサイドダディとジェノサイドナックルは、よく似たライオン顔を、満腹になった獣のようにほころばせていた。
「オヤジの言うとおりに、店員たちにめいれいして火をつけたど! これで、おでの店の客がふえる……また昔みたいに、いっぱいもうかるんだど!」
「そうだ! よくやったぞ、我が息子よ! 雨が降らなけりゃ他所にも延焼して、なおよかったんだが……まあいい! 野良犬どもは、どいつもこいつもこんがり焼けた! ホットドックになっちまったから、もうデカいツラはできねぇはずだ! それどころか、再起不能になっちまっただろうなぁ! グルルルルルルルルルッ!!」
……確かに、全店舗が消し炭状態では、建て直すにも時間がかかる。
並の経営者であれば『一時撤退』どころか、『完全閉業』の判断を下してもおかしくない……。
彼らは、それほどまでに甚大な被害を、野良犬に与えたと思っているのだ。
事実、そうなのであるが……。
しかし、考えてもみてほしい。
野良犬が、小屋を奪われたくらいで、野垂れ死ぬだろうか……?
ましてや、『煉獄』から蘇った『地獄の野良犬』が……。
尻尾を巻いて逃げ出すなど、ありえるのだろうか……?
その答えは……否であるっ!
親子は浮かれるばかりで、気づいてはいなかった……!
そう……!
あの野良犬は、この絶望的な戦況をひっくり返すために、すでに策を講じていることを……!
例えるなら、将棋を打っていたら、盤がいつの間にか180度回転しているような……!
王手をかけて追い詰めたはずが、逆に追い詰められているような……!
高慢な百獣の王では、頭の隅にものぼらないような奇策を、誰よりも早く……!
旋風のごとく、実行に移していたのだ……!
次回から、いよいよオッサンの反撃が始まります!
怒涛の展開となり、一気にスッキリさせますのでご期待ください!