47 我が家へ
まるでゆりかごの中にいるような、心地のよい振動。
母の手のように、やさしく頬を撫でていく微風。
わずかに瞼を開けると、ベッドメリーのように揺らぐ梢が目に入った。
「ん……」
プリムラが意識を取り戻すと、そこは見慣れた景色のなかを進む馬車の中だった。
両肩には、グラスパリーンとシャルルンロットが寄りかかっている。
「ふにゃ……」「んごー」と、両者ともまだ夢の中。
プリムラは御者席のほうに視線を移す。
シルエットとなった大きな背中が、まるで職人のように、静かに手綱を操っている。
「おじさま……?」
密やかに声をかけると、広い肩幅が振り返った。
「目が覚めましたか、ドラゴンゾンビとの戦いで、だいぶ疲れてしまったようですね。もうすぐアントレアの街ですから、着いたらゆっくりと休んでください」
「えっ……?」
その一言に、少女の瞳がまんまるになる。
ドラゴンゾンビとの戦いはたしかに大事件ではあったが、それ以上の話題があったはずだ。
「あの……おじさま? わたしたち、『蟻塚』の『王の間』で捕まって……不死者にされかかったのですが……。気がついたら、ここに……。おじさまが助けてくださったのですか?」
「そんなことがあったのですか? 私は、ドラゴンゾンビと戦って行き倒れていたみなさんを担いで、この馬車に乗せました。それからミッドナイトシュガーさんを探しに行ったのですが、見つけて連れ帰ったときも、みなさんは眠ったままでしたよ」
「えっ……ええっ? そうなのですか? わたしたちはたしかに、ゴルドくんマスクを被って『王の間』に行って、不死者にされそうになっているミッドナイトシュガーさんを見つけて……。それでどうやって助けようかと悩んでいたら、シャルルンロットさんがいきなり飛び出していって、それで……」
「……ドラゴンゾンビとの戦いは、かなり過酷だったようですね。疲れているときは、そういう良くない夢をみてしまうものです」
「ゆ、夢……? そ、そんな……! あれは、夢ではありません! だってわたくし、『つがい』と言っていただいて、とても嬉しかったのですから……!」
「……つがい? なんですかそれは?」
オッサンの疑問に、聖女は「しまった!」という表情になったあと、ボンっ! と顔を赤熱させる。
「なななっ、なんでもありませんっ!」
……彼女は、捕まってレリーフに磔にされ、ミッドナイトシャッフラーから言われたことを、ハッキリと覚えていた。
『この年老いた、つがいの野良犬が、どうなっても知らないノン!』
『年老いた』という点はさておき、『つがいの野良犬』という一言を、彼女はこう解釈していたのだ。
……もしかして、他の方々からは、おじさまとわたくしは、夫婦に見えているということなのですかっ……!?!?
彼女の姉は、稀代の天然っぷりで有名であるが、どうやらそれは血筋らしい。
首を斬られようとしている最中だというのに、そんなことを考えていたとは……実は彼女も『隠れ天然』であったのだ。
「そうよ! アレは絶対に夢なんかじゃないわっ!」
いつの間にか起きていたシャルルンロットが声を荒げる。
「だってアタシ、リッチが現れたあと、スキを見てアイツをブン殴ってやったのよ! すごく硬くて落ちちゃったけど、偶然、アイツの手のひらに落ちて助かったんだから!」
……リッチことバルルミンテが『王の間』を制圧したあと、珍事があった。
不死者たちに取り押さえられていたお嬢様が拘束を振り払い、バルルミンテのマントをよじ登って黄金の頭蓋にゲンコツを食らわせたのだ。
もちろん不死王ともなれば、そんな不覚をとることなど絶対にありえない。
ゴルドウルフから「彼女たちは決して傷つけないように」と命令を受けていたので、手荒なマネができなかったのだ。
喧嘩上等の子猫のようにバルルミンテの肩によじ登ったお嬢様は、自慢の鉄拳を浴びせた。
しかしあまりの固さにのけぞり、足をすべらせて落ちてしまう。
不死王は人間を殺すことはあっても、助けることなどありえない。
しかしこの時ばかりは例外であった。
この人間に死なれてはゴルドウルフ様に顔向けができないと、自分を殴った相手を手で受け止めていたのだ。
……ちなみにこの時、『王の間』にいた来賓客たちは一列に並ばされ、不死王の審判を受けていた。
その光景はさながら、閻魔大王の裁きを受ける亡者たちを彷彿とさせる。
もちろんこれも、ゴルドウルフの指示によるものであった。
取り押さえた人間たちは、罪の数を数えさせ、それに見合った裁きを与えよ、と……!
不死王の裁きは、以下の4段階に別れた。
一、無罪放免。すぐに昇降機に乗って地上へ戻ること。
ただし、この地下迷宮は『蟻塚』から『不死王の国』となったことを人の世に喧伝せよ。
二、生者のまま、この地で指定期間の強制労働。
期間を過ぎたあとは、昇降機に乗って地上に戻ってよし。
三、最下級の不死者となり、この地で永遠の強制労働。
そして最重罪である『四』は、裁きの主を殴ってしまったツインテ少女に下される……。
繋がれた人間たちは、誰もがそう思っていた。
しかし彼女たちの審問の番になったとたん、
「そなたらは無罪放免! 一刻も早くこの地から、尺を退けよっ!」
一切の審理は行われず、即判決が下されたのだ。
これには、大半が極刑を食らっていた来賓客からも、驚きの声があがった。
血も涙もない不死王にはありえないほどの、奇跡のような温情。
というか、厄介払い……!?
いずれにせよ、被告人は血の涙を流して喜ぶべきなのだが、
「なによソレっ!? 手ぇ抜いてんじゃないわよっ! わかった! アタシにブン殴られてビビってんのね!? デカいナリしてるクセに、肝っ玉は三流レストランのトリュフくらい小さいのね! ほらほら、どうしたのよ!? 悔しかったらアタシを裁いてみせなさいよ!」
何事にも突っかからないと気が済まないお嬢様に吠えられて、バルルミンテは困り果ててしまう。
結局、やむなく少女たちを眠らせて、部下である不死者たちに担がせて強制退去処分とした。
そのままオッサンが身柄を引き取り、再び馬車に寝かせた……というわけだ。
さらに話はそれるが、「昇魂の秘術」で生贄となった、労働者たちの魂についてもゴルドウルフは指示を下していた。
「天に還るか、死者となってとどまるか、本人に選ばせてあげてください。とどまった方には、厚遇をお願いします」と……。
魂の半分ほどは、天に還ることを望んだ。
意外なことに残りの半分は、死者となってバルルミンテに仕える道を選んだ。
「死者のままのほうが、気楽でいいや!」という者や、「聖女学校に通っている娘に浄化されるまでは、成仏なんてできねぇ!」など、理由は様々だった。
なんにせよ、残留した者にはバルルミンテに次ぐ最上級の階級を与えられた。
仕事も学校も、労働も勉強もない、気楽な永世を送ることとなったのだ。
「……あれ? そういえば、ミッドナイトシュガーさんは……?」
最後に目覚めたグラスパリーンは、メガネごしの瞼をまだ眠そうに、しばたたかせながら見回していた。
オッサンは木漏れ日のような笑顔で、少女たちに伝える。
「ミッドナイトシュガーさんはトルクルム領にお住まいだったので、帰るついでにお送りしておきました。……さぁ、街が見えてきましたよ」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
………………。
…………。
……。
「……ママ?」
「ああっ、気がついたのね! よかった! 今までどこへ行っていたの!? ママ、ずっと探していたんだから!」
「……パパに、パパに、会った、よ……」
そう漏らしながら、よろよろと身体を起こす少女。
枕がわりに頭に敷いていた、大きな麻袋に気づく。
「これ、は……?」
「あなたが家の前に倒れているのを見つけたときから、ずっと頭にあったわよ? あなたの荷物じゃないの?」
「私の、荷物……?」
袋の口を開くと、まばゆい黄金があふれるようにこぼれた。
後に続くように、紙片がなだれ落ちる。
「……不死王の国……給与明細……?」
「あっ! ということは……これは、パパのお給料……!?」
「すごい、こんなにたくさん……!?」
……かつての『蟻塚』、今や『不死王の国』となった地下迷宮。
そこにある財宝はすべて、奴隷たちの手によって配送作業が行われ、労働者たちの家族に分配された。
これも、あのオッサンの指示によるものである。
第2章、これにて大・団・円!
めでたしめでたし!
…とは、なりません!
勇者たちの末路は、このあとちゃんと用意してありますので、もう少しだけお付き合いください!