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金糸雀と天使  作者:
三章
9/18

 切り落とした枝が、遠い地表で音を立てる。

 まばらな影をこぼす大樹は、その公園のシンボルだ。伸びきった枝がドームを傷つけないように前もって切り落とし、全体の形を整えてやるのも、アンゼリカら都市整備士の役割だった。

 脚立の上、はさみを両手に頂いて、器用に枝を断ち落とす。長丁場になりそうだと見て取って、アンゼリカは一度ぐるりと肩を回した。

 けれども作業の手を止めようものなら、途端にガネットの顔が思い浮かぶのだ。

 ――でも本当に、そこに留まっていたいのは。

 心臓の裏側をつつくようなそれを、アンゼリカは頬を叩いて追い払おうとする。しかしいくら想いを逸らそうとしたところで、頭には煙が立ち込めていくばかりだ。しまいには深いため息をついた。

 ちらりと腰元を見れば、命綱のない腹が目に入る。

 ガネットの会話の最中、仕事の時間を告げる鐘が鳴り響いたのは幸運だった。アンゼリカはそのまま逃げるようにして公園まで駆けてきたのだ。命綱なしに脚立へ上る羽目になっているのもそのためだった。

(落ちたことなんか一度もないし。気を付けていれば平気だけど)

 一枝、また一枝と切り落とす。都市の日差しが橙色を帯び始めたころ、アンゼリカはついにその手を下ろした。

(どんな顔をして、フレイに会えばいいんだろう)

 彼はまたアンゼリカの家へと戻ってくるのだろう。そのとき笑って迎えることができるだろうか。無理矢理に頬を吊り上げてみても、その鉛のような重さに耐えきれなかった。

「……会いたくないな」

 喉を飛び出した澱は、アンゼリカの膝にぬめって落ちた。

 きっと嫌な気持ちになるだけだ。また不要な嫉妬をして、羨んで、そんな自分の醜さが受け入れられなくて胸がきしむだけ。――それならいっそ、このまま顔を合わせないほうがいいのではないか。

(いつか、ガネットさんに相談してみよう)

 そう胸に決める。しかし幹から頭を持ち上げた瞬間、腰元の脚立がぐらりと揺れた。

「え」

 体が傾く。大樹が遠のく。投げ出される瞬間は、時が止まったかと錯覚するほどに緩慢だった。

 落ちる、という実感が訪れて、すぐに恐怖が襲ってきた。浮遊感に身がすくむのは最後の最後だ。必死に伸ばした手も空をかいて、傍にあったはずの枝一本もつかめない。

 きつく目をつむる。誰かの叫び声と、風を切る音が聞こえた気がした。

「――アンゼ!」

 腰の下に軽い衝撃。その少しあとに、抱きかかえられるような感触があった。目を瞠った直後、もろともに水の中へと落下する。

「わ、……っぷ」

 一度は溺れかけたものの、水底は思いのほかに浅くにあった。アンゼリカらが沈んだのは、どうやら大樹のふもとに置かれた噴水の中であるらしい。慌てて起き上がり、自分の下に沈む青年の姿にぎょっとする。

「ふ、フレイ! フレイ!?」

 抱え上げた肩は紙のように軽い。胸の薄さに不安が募る。ガネットに聞かされたばかりの翼人の脆さを思うたび、アンゼリカの指先には震えが走った。

 青年のまぶたが瞬く。小さなうめき声が漏れた。

「……重、」

「フレイ」

 着水の際に口に入ったのだろう、フレイは水を吐き出してから、くり返し咳をする。荒い息のあとにようやく肩を下ろした。

「びっ……くり、した。飛んでたら、落ちてくるから。何かと思って」

「ごめん、なさい……」

 すっかり気を緩めていた。命綱がなくとも仕事はできるだろうとたかをくくっていたのだ。家に忘れ物をした時点で、心ここにあらずであることは明らかだったというのに。

 アンゼリカの視線が水面に落ちる。礼を言うにも、弁解をするにも、フレイの顔を見ることさえできなかった。

(言わなきゃ)

 ――ありがとう。助けてくれて。フレイのおかげで。

 けれども思い浮かんだ断片のどれひとつとして、声の形を取ろうとしない。

 ふるり、と唇を震わせたきり、アンゼリカは口をつぐむ。居心地の悪い沈黙を切り払ったのは「ごめん」というフレイの声だった。

「……え?」

「保護区域に戻るとき、俺、アンゼになにも言わなかった。やらなきゃいけなかったこと、思い出して……焦ってて。そうしたら怒られたんだ。さっき、ガネットさんに」

 途切れ途切れの説明の中に、アンゼリカはフレイのたどった道のりを探る。

 曰く、思い立ってアンゼリカの家を出たフレイは、その用事を果たすべく翼人保護区域を奔走していた。アンゼリカを訪ねていたガネットにこっぴどく叱られたのは、その用事がちょうど終わったときだったという。

「アンゼに心配かけたって聞かされて。そういえば俺、アンゼになにも説明していなかったって、……ああ違う、そうじゃない、そうじゃなくて。それよりもまず、俺は謝らなきゃいけないんだ」

 フレイが頭を掻く。記憶を必死で辿る様子こそ見せたものの、結局「ごめん」の一言に落ち着いた。

「アンゼ、きっと誤解してるんだ。アンゼの父さんと母さんのこと」

「誤解? なにを」

 顔をしかめるアンゼリカの前で、フレイは服の中に潜り込ませていた布の塊を引きずり出す。濡れてしまってはいるが、それはアンゼリカが預けたショールに違いなかった。

 フレイは宝物のようにそれを抱え、ほうと息をつく。

「ふたりはアンゼを捨てたんじゃない。アンゼの代わりに俺を選んだんじゃない。だってふたりは――」

「おい、なにがあった!?」

 フレイの言葉を遮ったのは、数人の都市整備士たちだった。

 揃って都市警備を担当する者たちだろう、とアンゼリカは推測する。紺地の制服の釦は首元まできっちりと留められている。脚立から落下するアンゼリカを目撃した市民が、彼らを呼びに行ったのだ。

 騒ぎを起こしたのが保護区域を追放された少女だと知れれば、また彼らとの距離が開いてしまう。アンゼリカは水を振り払って立ち上がった。

「な、なんでもないんです。私の不注意で。本当に、なにも」

 必死の弁明を試みる。しかし都市整備士の目は、すでにアンゼリカから外されていた。

「翼人……?」

 誰かが呟いたのをきっかけに、遠巻きに二人を眺める群衆がざわりと沸いた。

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