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金糸雀と天使  作者:
二章
6/18

 人工の空は真っ青に広がるばかりだ。金の羽の影も形も見つからない。ルゥと名乗った少女は鳥籠を腕いっぱいに抱きしめて、そんな空を見上げていた。

「お母さんも、お父さんもいなかったから。アンちゃんを飛ばせてあげようと思ったの、でも窓が開いていて、それで」

「逃げていっちゃったのね」

 アンゼリカの声に、ルゥがこっくりとうなずいた。真っ赤に腫れた目元には今も涙の跡がある。

(放っておいたら整備士さんに見つかるだけだ)

 そうすればすぐに始末されてしまうだろう。けれどもそれを伝えるのは酷だ。アンゼリカは手袋をはずして、彼女の手を取った。

「一緒に探してみようか」

「……アンゼ」

 たちまちフレイが渋い顔をする。アンゼリカは彼に首を振ってみせた。

 鳥を追うことの難しさを理解していないわけではない。とはいえ一度手を出してしまった以上、突き放すのも気が引けたのだった。

 それに、探すあてがまったくないというわけでもない。

「別の階層に降りるなら見張りの前を通るから、すぐに騒ぎになるでしょう? まだそうなっていないってことは、アンちゃんはこの階層にいるはず」

 そうでなくても金色の羽は目立つ。都市の人々に聞きこんでいけば、あるいは。

「一日ぐらい、手伝うことはできると思うの」

「アンゼが決めたなら、俺は反対なんかできないけどさ」

「うん、ごめんね」

 ルゥの頭をなでる。くるみのように丸い瞳は、戸惑うように揺れていた。

 彼女はアンゼリカと同じだった。誰に助けを求めても応えてもらえなかった少女と。その心細さも、胸を貫くような痛みも、よく知っている。だからこそアンゼリカだけは、彼女を見捨てるわけにはいかないのだ。

「わたしたちも手伝うよ。だからもう少しだけ、がんばってみよう」




 ちらりと見かけたきりの金糸雀は、もうどこかへと身を隠してしまったのだろう。いくら空を睨んでいても見つからなかった。

 アンゼリカはフレイと別れ、ルゥを連れて昼探しの都市を闊歩する。繋いだ手は赤子のように温かく、小さくて、か細かった。聞けば両親は朝に夕にと忙しく働いているようで、彼女は一人で家に残されることが多いという。

「さびしくない?」

「ちょっとだけ」

 アンゼリカが問うと、ルゥは恥ずかしそうにうつむいた。

「でも、アンちゃんがいたから平気。ひとりじゃないもの」

「……そう」

 そのぬくもりを、アンゼリカも今朝感じたばかりだ。わかるよとうなずくと力がわいてくる。意を決して道行く一人に声をかけた。

 買い物帰りであるらしい女性は、不思議そうにアンゼリカをふり返る。彼女は一度ルゥを見やり、それからアンゼリカの瞳を覗きこんで小さく息を呑んだ。

 翡翠の瞳、翼人の証。にもかかわらず、羽の一枚もない背中。

 アンゼリカはよぎった不安をむりやりに覆い隠して、にっこりと笑ってみせた。

「鳥を探しているんです。……この子の金糸雀が、逃げてしまって。見覚えはありませんか」

「さ、さあ」

「そうですか、ありがとうございます。呼び止めてしまってすみません」

 そそくさと立ち去ろうとしたアンゼリカに、あなた、と女性が声をかける。彼女はためらいがちに口を開いた。

「その子は、あなたの妹さん?」

「……いいえ。さっき知り合ったばかりです」

 誘拐を疑われているのかもしれない、と、アンゼリカの声が固くなる。そうでなくても誤解を受けやすい身の上だ。

 しかし女性はいくらか考える様子を見せたあと、ふわりと表情を和らげた。

「金糸雀ね、見かけたら知らせるわ。あなた、南地区の子で間違いはない?」

「え……はい。アンゼリカ・ローデンです」

 階層を問わず、保護区域を追い出された少女の噂は広まっている。見ず知らずの相手に声をかけられることは珍しくなかった。出会いがしらに罵声を浴びせかけられることもたびたびだ。

 けれども、こんなふうにほほ笑みかけられたことは一度もなかった。

「わたしも友達に聞いてみるわ。助けにはならないかもしれないけど」

「い、いいえ、助かります。ありがとうございます……!」

 ひらひらと手を振って、女性は元通りに街路を歩いていく。アンゼリカはその背中をじっと見つめていた。お姉ちゃん、と手を引かれて、初めてルゥに向き直る。

「なあに」

「お姉ちゃん、アンゼリカっていうのね」

 無垢な瞳に、アンゼリカは苦笑を返す。ルゥの名前を聞くだけ聞いて、自分は名乗っていなかったのを思い出したのだ。

「うん、アンゼリカ。アンゼリカ・ローデン。それがどうかした?」

「アンちゃんと似てる。アンちゃんの名前はアンジュっていうのよ」

 舌足らずな声は耳鳴りを呼んだ。言葉を失ったアンゼリカのまなうらを、おぼろげな木漏れ日が照らしていく。


 ――アンゼ。

 ――わたしたちの、かわいい天使アンゼリカ……。


 蘇るのは母親の腕に抱かれたころの記憶だった。魔法をかけるかのような囁きにこめられた、あの穏やかな愛の形。すべらかな背中に腕をまわした母親の顔は、なのにどうしても思い出せなかった。

 ――なぜふたりは、翼のない子供を、天使だなどと名づけたのだろう。

「……お姉ちゃん?」

 ルゥがぶらりと腕を揺らす。彼女の心配げな表情を見て、アンゼリカの喉はかすかに震えた。

「ねえ、ルゥ。アンちゃんの名前はどうして……」

「アンゼ!」

 アンゼリカの言葉は遮られた。

 見れば通りを抜けた向こう側にはフレイが立っていて、大きく腕を振っている。

 その瞬間、ひとときでも子供に縋ろうとした自分が恥ずかしくなった。アンゼリカはごめんねとルゥに謝ってから、フレイに手を振り返す。

「見つからなかった?」

「ああ」

「……そう」

 フレイの腕の中には、別れたときのままで空の籠が収まっていた。彼が険しい表情であごを引くのを、アンゼリカは暗い思いで受け止める。

 時は夕刻を過ぎている。街灯番が都市のランプに光をともし終えるころを見計らって、ドームを照らす太陽も月に入れ替わってしまうだろう。頭上に点々と続く明かりは、気付けばすでに街並みのほとんどを覆っていた。

 ルゥの瞳に影が落ちる。アンゼリカはそれをちらりと見て首を振った。

「明日、もう一度探してみよう。アンちゃんを傷つけたりしないように、整備士さんには私からお願いしてみる」

「でも」

「だいじょうぶ、きっと見つかるから。……簡単にあきらめちゃだめだよ」

 手が届かなくなってしまったわけではないのなら。――見つけられるかもしれないのなら。ルゥにはまだあがくことが許されているのだから。

 ややあって、こくりとうなずきが返る。けれども始めに口を開いたのはアンゼリカでもルゥでもなかった。

「……はあ」

 深いため息がふたりのあいだを横切っていく。見ればフレイは片手で顔面を覆い、拗ねたようによそを向いていた。

「もういいよ。降参」

「もういいよって、なにもよくないよ。アンちゃんはルゥの家族なんだから」

 そうじゃなくてとフレイが首を振る。逡巡するだけの間があって、彼はルゥの目の前にしゃがみこんだ。

 大きなてのひらが、少女の頭をくしゃりと撫でる。

「お兄ちゃん?」

「ここで見たこと、ぜんぶ秘密な。アンゼが怒るから」

「え、フレイ、」

 まさかと思ったところで、アンゼリカには止めるすべもなかった。

 絹糸のショールが揺れ、肩先からしだれ落ちる。代わりにこぼれ出したのは輝かんばかりの純白の羽だ。伸びをするようにその先までをぴんと張ったあと、フレイは照れ臭そうに笑った。

「アンゼ、ルゥ。ちょっとだけ、あっちを向いててくれないか」


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