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金糸雀と天使  作者:
一章
3/18

「本官は、保護区域を脱走した翼人を捕獲すべく追跡を行っている。……あんたのことだよ、フレイ」

「ガ、ネット、さん」

 青年、フレイの手元が揺れる。危うく首をかき切られるところだったので、アンゼリカはびくりと身を固めた。

 ガネットはフレイを見、その下に寝ころぶアンゼリカを見て、呆れたように眉を上げる。

「ずいぶんな格好じゃないか。五年早いよ、出直しな」

「ちがっ……人質に取ってるんだ、俺は、こいつを!」

「同じことさ。それだけ手を震わせておきながら、なにが人質だ。あほらしい」

 言われて気がついたのだろう。フレイはガラスを握る手を、もう一方の手で支えようとする。その拍子に皮膚が切れ、血のしずくが一滴、アンゼリカの首元に落ちた。人と同じ色――翼人も、人も、そうでない者も、血の色は変わらず赤だった。

「市民、まだ気は確かかい」

 ごくりと唾を呑んだアンゼリカに、ガネットは低い声で呼びかける。答える代わりにアンゼリカがまばたきをすると、てらいのない笑顔が返された。

「今からきみを助けてあげよう。簡単なことだ、市民、そのまま身を転がしてごらん」

「は……?」

「きみの上には誰もいないも同然だ。体重なんか感じないだろう?」

(体重、って)

 緊張のあまり、自分の体勢を理解していなかった。アンゼリカが改めて自分の体を見下ろせば、フレイは完全に腹の上に腰を下ろしている。にもかかわらず、アンゼリカは一度も息苦しさを感じていなかった。

 体重がないのか。あるいは、重みをかけていないのか。

 だとしたら。

(……一か八か!)

 アンゼリカは意を決して、寝返りを打つように身を転がした。

 恐れていた抵抗も、最後まで感じられないままだった。アンゼリカの身の上に座り込んでいたフレイは、巻き込まれるようによろけて元の床へと崩れ落ちる。

 直後のガネットの動きは速かった。フレイが体を起こす前にと、その首筋にナイフを寄せる。鉄の刃が鈍くきらめけば、彼はぴくりとも動かなくなった。

「えらいえらい、よくがんばったね」

 彼女は言って、片手間にアンゼリカの頭をなでる。

 途端、アンゼリカの全身から冷たい汗が噴き出した。なんとか身こそ持ち上げたものの、足はがくがくと震え、立ち上がることもままならなかった。それを落ち着かせるように、ガネットの指はくり返し髪を梳いていく。

「これは私が責任を持って保護区域に連れ戻す。見たところきみはただの被害者らしいし、取り調べの必要もなさそうだ。窓と扉の修繕費の要請は私から行っておこう。メンタルケアの担当も呼ぼうか」

「い、いえ……平気です」

「そうか、強い子だ。巻き込んで悪かったね」

 ガネットの言葉が途切れたころ、フレイが痙攣するように身を揺らす。彼の目はガネットのナイフに固定され、それを忌々しそうに睨みつけていた。

 刃物に怯えるにしても異様な光景だ。アンゼリカが刃先を見つめていると、ガネットは刀身でフレイの首を叩いてみせる。その瞬間、彼の体は大きく跳ねた。

「見ての通りだよ。翼人はひどく鉄を嫌う。触れるどころか、近づけられるだけでも我慢がならない」

「……鉄を?」

「ここの扉も鉄製だったね。翼人よけとしては懸命な装備だ」

 軽口をたたきながら、ガネットは手早く彼の両腕を縛りあげる。縄の結び目にはこれ見よがしに鉄の金具が取り付けられた。その後ナイフを鞘にしまい、小銃を折りたたんで、背負った荷物の中に放りこむ。

 拘束を始めてから再び彼女が腰を上げるまで、わずか一分とかからなかった。逃亡した翼人への対応には慣れきっているのだろう。

「ほら、行くよ」

 縄を掴み上げ、ガネットはフレイを立ち上がらせる。彼は首を振った。

「い、やだ」

「聞きわけを持ちな。もう駄々をこねるような歳じゃないだろう」

「嫌だ……探さなきゃいけないんだ、俺は。あの子を、アンゼを」

「へっ」

 間抜けな声を上げてしまってから、アンゼリカは慌てて口を覆う。

 ガネットがそれに気を逸らされた隙に、フレイは身をよじって彼女の手を逃れた。けれどもひとりで立ち続けるには至らず、もんどりうって床の上に倒れ込む。

 涼やかな音が跳ねた。一度割られたガラスの破片が、再び散り散りに砕けていく。

「……こら、フレイ、いい加減に」

「帰れないんだよ!」フレイは体全体で拒否を示す。「まだ帰れない、このまま二人の前には戻れない! 俺はアンゼに……アンゼリカ・ローデンに会わなきゃいけないんだ!」

 一喝はアンゼリカの鼓膜を震わせた。水を打ったような沈黙が広がり、耳にはきいんと耳鳴りが残る。

 痺れにも似たその痛みが消えたころ、アンゼリカは何度か瞬きをしてから「あの」と声をかけた。

「もし、間違いがなければ、アンゼリカ・ローデンは……私、ですけど」

「はっ!?」

「いや、だから。たぶん、きみの言ってるアンゼは、私のことだと思う」

 生唾を呑む。――アンゼ、アンゼリカ。まだ子供の頃の記憶に残る、自分を呼ぶ両親の声が蘇るようだった。

 アンゼリカを愛称で呼ぶのは二人ぐらいのものだ。自分でも名乗ることは減っていただけに、どこかかけ離れたもののようにも感じていたところだった。

 それが、今になって。アンゼリカは唇の裏側を噛む。

「“二人”って。もしかして、私のお父さんとお母さんなんじゃないの」

 幼いころに引き離されてから、両親とは一度として顔を合わせたことがない。文通も禁じられている以上、アンゼリカと二人との繋がりは皆無に等しかった。

(もし、この人がお父さんたちのことを知っているなら)

 手繰らずにはいられないのだ。それがどんなに、細い糸であったとしても。

 フレイは面食らったようにまばたきをくり返す。彼の反応にアンゼリカが焦れていると、ガネットが代わりに首を振った。

「すまないが、人と翼人との接触は禁止されている。例外はない」

「っ、私は――」

 言葉に詰まる。翼人です、と、続けることはできなかった。

 翡翠の瞳を持っていても、両親と同じ血が流れていても、アンゼリカの背には翼がない。翼人ではなく、けれども人間でいることも許せなかった何者か――それがアンゼリカ・ローデンという少女だ。

 開閉した唇は力なく閉ざされる。それでもアンゼリカの瞳は縋るように、ガネットを見上げていた。

「そんな顔をされても困るんだけどな」

 ガネットは唸って顔を背ける。秒針が一巡するほどの間があって、彼女はああそうだと手を打った。

「市民。いや、アンゼリカ。ひとつ提案だ。これを受けてくれるなら、私たちもきみと翼人……正確には、そこのフレイとの交流を許可しよう」

「ほ、本当ですか!」

「ああ、こちらの要求を呑んでくれるならね」

 アンゼリカとフレイの目が疑問符を浮かべる。

 ふたりの若者を見下ろして、ガネットはにやりと笑ってみせた。

「翼人フレイを、しばらくこの家で養ってくれないか。三食寝床つき、もちろんこき使ってくれてかまわない。……いわゆる居候というやつだ。どうかな」

「――え」

 えええっ、とけたたましい声が上がった。道行く市民はそれぞれに眉をひそめ、小屋の鶏が勘違いをして鳴き始める。

 それは鳥籠の街フォルドハイトの朝早く。

 高層に住む市民議員が、まだ深い寝息を立てているころのことだった。

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