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金糸雀と天使  作者:
四章
17/18

「ねえアンちゃん、風が吹いてるよ」

 ちい、と鳴いた金糸雀が、大きく翼をはためかせる。黄金色の瞬きを目に捉えながら、ルゥは開け放った窓の外に思いを傾けていた。

 空に浮かぶのは作りものの星々だ。色とりどりのそれを割ったなら、きっとこんな音がするのだろう。鼓膜を震わせる音色は、今やフォルドハイトじゅうを包み込んでいた。

 路上に立ち止まった女性が、不思議そうに夜空を見上げる。ルゥはそれを見てくすりと笑った。

「アンちゃんも、ルゥも、聴いたことがあるもんね」

 あれは心の歌だ。たったひとりを呼ぶための歌。

 夕暮れの日、ちらりと覗き見た青年の顔を思い出す。あのとき彼は、一体誰を呼んでいたのだろう。――そして今、誰を呼んでいるのだろう。泣き声にも讃美歌にも聞こえる風の音に、ルゥはただ耳を澄ましていた。

「お姉ちゃんとお兄ちゃんが、大好きなひとに会えるといいね……」

 そうしたらまた、ルゥと遊んでくれるはずだから。

 窓から入り込んだ風に願いをかける。ひとりぼっちの家で、ルゥは両親の帰りを待っていた。


     *


 暴虐を尽くした風が収まったとき、最初に響いたのは、耳障りな電子音だった。

 自動的に接続された通信機の向こう側から、雑音混じりに女性の声が伝わってくる。――第五観察所、第五観察所、応答せよ。芯の通った声に、けれどもすぐ返事のできる者はいなかった。

『誰もいないのか? 第五観察所、応答せよ。こちら都市議会、ジュネス・オルコット議員である。オルコット管理官がそちらに邪魔をしているはずだが。おい、第五観察所!』

「……ええ、聞こえていますよ、キーファ・オルコットは確かにここに」声を張り上げ、腰を抜かしていた男が一人、立ち上がる。ふらつきながら通信機のそばに歩み寄ると、空になった椅子に身を落ち着けた。「ずいぶん遅かったじゃありませんか、奥さん」

(……奥さん?)

 あんぐりと口を開けたアンゼリカに対し、周囲の監察官は呆れたようにうなだれている。どうやら彼らにとってはその会話も日常茶飯事であるようだった。

『やむないだろう、さっきの今で議会に話を通すような真似を強いられたんだぞ』

「あなたならやってくれるかと思ったもので」

『なにを当然のことを、……と、言ってやりたいが。今回ばかりは翼人に助けられたな』

「はあ」

 キーファが相槌を打つ。夫の気のない返事に、通信機の先の女性は鼻を鳴らした。

『今回の一件に対する処理は、翼人の総意に基づくものとする、とのことだ。アンゼリカ・ローデンは都市の“市民”であるすべての翼人たちに無罪放免を望まれている。翼人がただの観察対象ではないことが、めでたく承認される結果となった。議員たちにはご立腹だが』

「それはまた」

『まったく大事を起こしてくれる、議会所も風でめちゃくちゃだ。こんな夜中だというのに……掃除なんてしたことがない』

「早いところ片付けてしまってくださいよ、今晩はルゥと一緒に夕食を取ると言ってあるんですから」

『分かっている!』

 憤懣も露わな声を限りに通信は途切れ、再びしんと静まった一室が戻ってくる。

 アンゼリカがはっとふり返れば、保護区域には管理官と夫になだめられている母親の姿があった。彼女は通信機を手渡され、もう一度壁の向こう――アンゼリカの座る部屋へと顔を向ける。武骨な機械に、おずおずと声を吐き出した。

『アンゼリカ』

 声は耳元に響いた。キーファに差し出された通信機に、アンゼリカは「お母さん」と呼びかけた。

「お母さん、……わたし」

『アンゼリカ、怪我はない? 元気でいる? ひとりぼっちになってはいない?』

 心臓を直接つつかれるような心地がした。アンゼリカは唾と一緒に嗚咽を飲み込んで、げんき、と笑う。

「ずっと寂しかったけど、もう、だいじょうぶ。お母さんと、お父さんと……フレイのおかげ。きっと、また笑っていられる。だから」

『アンゼリカ』

「今度は、ちゃんと会いにくるよ。こんな方法を取らなくてもいいように」

 どうやって、とは伝えなかったけれど、彼女はその声色に答えを悟ったらしかった。ゆるりと笑って、ええ、とうなずいてみせる。

『大好きよ、アンゼリカ。いつまでもあなたは、私たちの天使』

「うん。……うん、ありがとう」

 通信が切れる。名残惜しそうに去っていくふたりの翼人を見送って、アンゼリカは深く息を吐き出した。

 大損害を生み出した部屋を見回して、キーファが渋い表情をする。書類の束はあちこちにばらまかれ、机から落下した機器の中には、電線をのぞかせたものさえ見受けられた。環境のためにと置かれていたのであろう鉢植えも、その土を床に崩落させている。

「確かにめちゃくちゃだな……」

「オルコット管理官、私たちはどうすれば」

 遠慮がちに手を上げた管理官の一人に、キーファはため息をついてみせた。

「まあ、片付けるほかにあるまい。そこの警備員も、手伝ってもらえるかな」

「は、はあ」

 呆然としたまま、しかし人々はそれぞれに立ち上がった。書類を拾い、揃え直しては机上に重ねていく。苦笑いでそれを眺めるキーファに、ひとり、声をかける者があった。

「やあオルコット管理官。片付けついでに、報告をさせてもらってもいいかい」

 部屋の扉に手をかけて、ガネットが立っている。彼女の頬には皮肉じみた笑みが浮かんでいた。あっと声を上げたアンゼリカを一瞥してから、ガネットは室内に踏み込んだ。

「彼女――アンゼリカに任せていた翼人フレイは、たった今翼人でなくなった」

 管理官たちが揃って目を剥く。

 衝撃の気配もどこ吹く風で、ガネットは自身の胸を叩いた。

「このことにおいては私が全責任を負おう。上にも追って連絡を入れるつもりだ。……けどね、管理官。フレイは都市にとって、これ以上ないほどの観察対象になるんじゃないか」

 一度言葉を切り、ガネットはにいと唇をつりあげる。

「なにせあれは今、翼を切り落としたばかりの身だ。勝手に翼を落として、勝手に人の体に慣れてしまった私なんかより、よほど研究のしがいがあると思うけどね?」

 頭を抱えたキーファを仰ぎ、ガネットの瞳は試すようにぎらりと輝いた。彼女を呆けたままで見上げ、アンゼリカはその色の理由にようやくの納得を覚える。彼女は人間であることを自ら選んだ翼人なのだ。

 翼人は保護区域に籠められ、自らの生死を人に委ねるほかにない。彼らはその生活に疑問を抱くこともしなかった。けれども、もし、鳥籠を抜け出したいと願う翼人が存在していたとしたら。

 自分の手で翼を切り落とす翼人が、存在していたのだとしたら――。

(なりそこないなんて、どこにもいない……)

 ガネットはアンゼリカに手を貸して、軽々と立ち上がらせる。人間と同じだけの力を、頭を、その身に取り戻した翼人は、困ったように笑っていた。

「そういうことだ、アンゼリカ。またあの馬鹿を引きとってもらえないかな」

「で……でも、いいんですか」

「いいもなにも。あれを保護区域に住ませるわけにもいかないんだ、上も納得してくれるだろう。……そうだね、きみがもう一度、ここに戻ってくるまででいい」

 アンゼリカと母親との対話を聞いていたのだろう、ガネットは見透かしたように言う。ぱくぱくと口を開閉させたアンゼリカに、力強くうなずいてみせた。

「立派な翼人管理官になって、またここまでおいで。今度は都市に、直接文句をつけられるようにね」

 無理を通すのはそれからだ。そう言ってガネットが肩をすくめる。

 彼女の瞳に輝く翡翠は、人懐っこく細められていた。

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