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金糸雀と天使  作者:
四章
16/18

「え……?」

 耳を疑ったのはアンゼリカのみではない。そばに立つキーファも、感情のこもらない目で机に向かっていた管理官たちも、いっせいに顔を上げて音の主を探した。

「風鳴り」

 誰かが呟いた。鳴りやまない風の歌は、どこか悲痛な色を伴って施設に反響する。幾枚もの書類が浮かび上がり、アンゼリカの髪はひらりと舞った。

 軽く、踊るように、風を呼び、硝子の壁さえもすり抜けて、先へ。

 ――そうして、呼んでいた。

 産まれたばかりの赤ん坊のように、親を見失った子供のように、ただ懸命に叫んでいた。ひとりにしないでと泣いていた。言葉を失ったアンゼリカの声まで、まるごとさらって。

「フレイ……」

 だから、歌ったのは、彼以外にはありえなかった。

 保護区域の空を、二つの影がよぎる。翼をひらめかせて庭園に舞い降りると、その男女は息を切らせながら歩き回る。

 赤い髪を結んだ女性と、すらりとした骨格の男性と。ふたりは必死に誰かを呼んでいる。唇の形をなぞって、アンゼリカは首を振った。

「ここ、」

 全身の力を込めて、硝子を殴りつける。管理官たちがぎょっと目を剥いた。

「ここに、いる、……ここに!」

 アンゼリカの叫びが届いたはずもなかった。しかし硝子の振動は、その向こうに立つ誰かの存在を伝えたのだろう。女性はおぼつかない足取りで地を踏んで、壁際にまで歩み寄る。


 ――アンゼリカ?


 唇が呼んだ、名前。

 声が聞こえなくとも、それがアンゼリカのすべてだった。

 壁越しにてのひらを重ねて、それに抱かれた日のことを思う。温もりさえも忘れてしまった過去のことを。薄れかけていた両親の輪郭は、確かな形を取ってアンゼリカの網膜に焼きつけられた。

「お母さん、お父さん」

 会いたかった。なにを伝えられなくとも、ただ、ここに生きていると。片時もふたりのことを忘れたことはなかったと――そして。

「ありがとう」

 届け、と、硝子を叩いた。

 女性の腕がぴくりと震える。驚きに染まっていた表情は、見る見るうちに歪んでいった。彼女は硝子に身を投げ出し、縋りつくように腕をかける。アンゼリカ、アンゼリカ、と、音を伴わない唇がくり返し呼んでいた。

「アンゼリカ・ローデン!」

 怒声が響いたのはそのときだ。今しがたアンゼリカらが開いてきたばかりの扉から、警備員たちがなだれ込む。彼らは瞬く間にアンゼリカを抑えつけると、軽々と硝子から引き剥がした。

「い……嫌っ、お母さん、お父さん!」

「離れろ市民、ここはお前が入っていい場所ではない!」

 問答は意味を為さなかった。アンゼリカの細腕はあっけなく取り上げられ、二人がかりで引きずられていく。

 呼びかけに振動が返らないことに気付いたのだろう、女性ははっと目の色を変える。力の限りに壁を殴りつけたのち、決死の表情でその向こうを睨みつけた。

 きいん、と、苛むような叫びが鳴りわたる。

 風鳴りの音は部屋に残った全ての者の耳を貫いた。続き巻き起こった風が、並んだ書類の束を空中へと払いあげる。強風は次第に勢いを増し、その場に立つ全員をなぎ倒していった。

 声が声を呼ぶ。一人の母親が歌った風鳴りが、翼人たちの翼を震わせる。輪唱する風に包まれたのは施設だけではない。廊下を走り、扉を抜けて、かれらの呼び声が街並みへと伝わってゆく。

 閉ざされた鳥籠の都市に、その日、風が吹いた。

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