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金糸雀と天使  作者:
四章
13/18

 翼人保護区域、中央監察施設。

 翼人管理官が単に「施設」とだけ呼ぶその建物の一室で、アンゼリカはソファに腰を下ろしていた。

 ずぶ濡れになっていた体は一度風呂に放りこまれ、完全に乾かされたのち、簡素な衣服に包まれていた。病人服にも似たそれからは洗剤の香りがして、アンゼリカの呼吸をかたくなにする。ちらりと見やった部屋の隅にはベッドが一つ置かれており、その上ではフレイが安らかな寝息を立てていた。

(薬が効いているのかも……よかった)

 施設に運び込まれたフレイには、早急に手当てがなされた。解熱剤にはいくらかの鎮静作用が備わっていたようで、彼の呼吸に乱れはない。

 ともあれ、休息が取れるなら安心だ、と、まず息をついて、アンゼリカは部屋を見渡した。

(ついて来たはいいけど。これからどうしよう)

 ガネットの語る“実験”とやらがどんなものであるかは知らない、けれども自分には彼のことを見届ける責任と権利がある――そう主張したのはつい先ほどのことで、その結果としてアンゼリカは施設に連れてこられたのだった。風呂と衣服が与えられたのは、まだアンゼリカが実験への協力者と見なされているためなのだろう。

(ガネットさんも、管理官の人たちも、私を無下にすることはできないはず。せめて説明だけはしてもらわないと)

 どこまでなら踏み込めるのか、わからないけれど。

 慎重にと自分に言い聞かせて、アンゼリカは深呼吸を行う。考える余裕ができたのは幸いだった。

「……ん」

 衣擦れの音がした。身じろぎする気配のあとで、フレイがぱちりと目を覚ます。

「フレイ」

 アンゼリカは早足にベッド脇に寄る。フレイはくり返しまばたきをしてから、呆けたように首をかしげた。

「アンゼ……変な感じだ、頭が回らない。体が重い」

「薬のせいだと思う。熱を下げるためだから、気にしなくていいの」

「薬……? ここ、家じゃないよな。なんで」

 大儀そうに目を動かして、フレイは顔をしかめる。

「もしかして施設なのか。アンゼまで、どうしてこんなところにいるんだ」

「わからない。でも」

「でも?」

「……ううん。なんでもない」

 でもきっと、これが彼と過ごす、最後の時間なのだ、と。そこまでを口にすることはためらわれて、アンゼリカは首を振る。

「だいじょうぶ。すぐによくなるから、フレイは眠っていて」

「だいじょうぶって、説明になってないよ。なにもだいじょうぶじゃないだろ」

 唇を動かすのも一苦労なのだろう、フレイは気だるげに息をついた。アンゼリカはその頬に触れて、まだ熱が引いていないことを悟る。

「もう無理はしなくていいの。だいじょうぶだから」

 そう言い聞かせたいのは自分だった。

 文句を言いたげなフレイの瞳を、アンゼリカはてのひらで覆う。彼がまぶたを下ろすのを確認したとき、部屋の扉が叩かれた。

「体に不調はないかい、市民。風呂には香りを煮出していたようだけど?」

 軽口をたたくガネットをにらみ据える。彼女は肩をすくめ、長居をするつもりはないとばかりに壁に体を預けた。

「まずは黙っていたことを謝ろうか。説明もせずにフレイを押し付けたのは、申し訳ないと思っているよ」

「心にもないことを言わないでください」

「厳しいな。……まあ確かに、私が管理官として頭を下げたところで、誠意の一端も伝わらないだろうね」

「謝られたって、受け入れられるわけがないんです。……教えてください、ガネットさん。実験ってなんなんですか。どうしてフレイは私に預けられたんですか」

 詰問に、ガネットは二度うなずいた。

「翼人の体のことは前に話しただろう? 寄生生物、翼であるところの奴らのおかげで、翼人たちは体内外の機能を抑えつけられている。だからこそ彼らは保護区域のなかに住むほかにない、とね。……けれどこれは、卵が先か鶏が先か、という話に過ぎないんだ。免疫力が低いから保護区域に入れられたのか、それとも」

 ガネットが言葉を切る。アンゼリカはこわばった唇を開き、継いだ。

「保護区域に入れられたから、免疫力が落ちたのか……?」

「そう。ここ数年で、翼人研究にも限界が見えていたところだった。保護区域外での監察実験を求める声が上がっていたんだ。そこに起こったのがフレイの脱走だ」

「それじゃあフレイは、体よく実験台にされたんですか!?」

「物は言いようだね。そのおかげでフレイはきみに会えたわけだし、きみは一時でも両親とのつながりを得ただろう? このことにおいて誰も損はしていないんだ。違うかい」

「納得できるわけ」

「納得できようができまいが、説明責任は果たした。きみとはこれでお別れだ。……ああ、そうそう」

 アンゼリカの目の前に、一枚の紙切れが差し出される。

 一度濡れてしまったものを乾かしたのだろう、さんざんに波打ってしまってはいるものの、それが手紙であることはかろうじて見て取れた。

「フレイが大事に抱えていたものだよ。申し訳ないけど、中身は上層部と一緒に改めさせてもらった。渡しても問題はないとのご判断だ」

 アンゼリカは震える手で手紙を開く。インクの滲みは激しく、文面の一部しか判別できないありさまだった。その一端一端を拾い上げて、唇を噛む。

 ――どうか自由に。

 ――いつまでもあなたを愛して。

 ――この願いがかなうなら、一度でいい、

「……あなたに、会いたい」

 掌の中で手紙が歪む。巻き込んだ指先に痛みを覚えても、アンゼリカはてのひらを開くことをしなかった。

 あんまりだ、と思う。

 手の届かない場所に希望をちらつかされるぐらいなら、いっそ目など盲いほうがよかった。声のない手紙に、温度のない愛に、自分の名前を呼ばれるぐらいなら。

「こんなの、」

 まるで拷問だ。

 硬く唇を結んだアンゼリカに、ガネットは何ごとか言いたげな視線を投げかけていた。しかしいざ彼女が息を吸い込んだとき、視界の隅に追いやられていた寝台が、唐突に軋んだ音を上げる。

 そのときアンゼリカの瞳に映ったものは、はぎ取られた毛布と、翼の中に輝く羽々。そしてその合間からのぞいた、フレイの必死の形相だった。虚を突かれたガネットが、渾身の体当たりに引き倒される。

「……っ、アンゼ、行け! 施設は保護区域に繋がってるんだ、アンゼの父さんも母さんもそこにいる!」

「フレイ」

 でも、を吐き出しかけた口が、無言の中に閉じられる。フレイの眼差しは、どんな刃よりもまっすぐにアンゼリカの胸を突いた。

「行け!!」

 一声に背を押され、転がるようにして走り出す。金属を叩く硬質な足音は、アンゼリカの心臓を急きたてた。

(諦めちゃだめだ)

 届かないと嘆くなら、せめて、指先だけでも触れられるように。

 怒声と呼び声をかき分ける。逃げるように、けれども追いかけるように、アンゼリカは懸命に廊下を蹴っていた。

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