最後の条件
私の目の前で両者が睨み合っている。いや、正確には一人は人が殺せそうなほど睨んでいるが、もう一人は顔に似合わずにやついた笑みを浮かべていた。
「玖珂陸翔せんぱーい」
クスクスといった笑い声をあげながら、凄い目つきで睨んでいる玖珂先輩の名をわざとらしく呼ぶのは黒髪で少しつり目の青年だ。彼の名は東堂愁斗。私の実のお兄ちゃんである。
なぜ、学校も違う二人が対面しているのかというと、ただお兄ちゃんの方が私が使う駅に放課後待ち伏せをしていたのだ。
「りくとーせんぱーいは、挑発的な瞳をお持ちになられているのですねぇ」
お兄ちゃん、何を言っているんだ。いろいろつっこみたいことが山ほどある。だが、玖珂先輩はただ何も言わずにお兄ちゃんを睨みつけていた。
つまらなそうにため息を吐き出し、お兄ちゃんは腕を組んだ。そこで気づいたのだが、お兄ちゃんは「風紀委員」と書かれた腕章をしている。
仕事じゃないのか、その腕章をしているというのは。そんな思いを込めてお兄ちゃんを見ると、テヘッというような笑みを浮かべて浮かべた。
「お兄ちゃん、仕事じゃないの?」
「そうだよぉ、仕事なの。学校から抜け出したお馬鹿さんな子を捕らえに来ちゃった」
言っていることは凄い大変なのに、声色は簡単なことを言ってるみたいに明るい。
そんなことを簡単に言っていいのか。そんな目でお兄ちゃんを見ると玖珂先輩もそんな目でお兄ちゃんを見ていた。
「いやぁ、よく抜け出す子っていっぱいいるからね」
「そうなんだ…」
おか高の実態を聞いたような気がして、少しだけ唖然とする。よくこんな高校と合同文化祭出来たなと自分たちを尊敬する。
だが、そんな問題児が多い高校だが終壱くんみたいな風紀委員が優秀だからいいのだろう。
「それで、その東堂愁斗さんは探さなくていいのか?」
私のその玖珂先輩の言葉でバッと彼を見る。
まさか、玖珂先輩が人にさん付けをするなんて。しかも年下にだ。口調はいつもと変わらないが、意外だと思った。
私が驚いたがお兄ちゃんの方は驚いてないみたいだ。いつもと変わらないにやにやした笑顔だ。
「大丈夫ですよー、もう見つけてますから」
「もしかして、あそこにいるヤツか?」
玖珂先輩は一つの方を指差す。その先にいるのは駅のベンチに座りながら時計を気にしている一人の男子だ。服装は私服でおか高の制服を着ているわけではない。
首を傾げ男子を見ているとお兄ちゃんが「ぴんぽーん!」と今までで一番の笑顔を見せた。その笑みは妹である私に向けたことがない嫌な笑みだった。
「よくお分かりで」
「目線がよくそっちにいってたからな」
玖珂先輩は洞察力があるのか。確かにそうだもんな。私が何も言わなくても大概のことは分かってしまうもんな。
かっこいいと思いながら玖珂先輩を見つめる。ぼーっと玖珂先輩を見つめていたが、お兄ちゃんの次の言葉に私は思いっきりお兄ちゃんを睨みつけるのだった。
「へぇ、すごいですねぇ。流石は海砂ちゃんの彼氏の妥協点ですよ」
「はっ⁉︎」
妥協点ってなんだ。妥協点ってなんなんだよ。お兄ちゃんはそんな風に玖珂先輩を見ていたのか。
キッとお兄ちゃんを睨みつけていると玖珂先輩が小さく「やっぱりか」と呟いた。
「あれぇ?分かっちゃってましたか?」
「そうだな」
「そうですよ、玖珂陸翔先輩は妥協ですよぉ。海砂ちゃんの彼氏は、おれよりも頭が良くて、おれよりも格好良くて、おれよりも強くて、おれよりも海砂ちゃんのことを大切に思っていることが条件なのです。まぁ、最後の一つはおれ以上になるのは無理だから、おれと同等でいいでけど?」
にっこりと、さもそれが当たり前だと言うように思っているお兄ちゃんは言い切った。
お兄ちゃんが私のことを想ってくれているのが嬉しいのだが、玖珂先輩のことは何も言ってほしくなかった。玖珂先輩は私が初めて好きになった人なんだ。そんな人にあんな言い方をするなんて嫌だ。
私の気持ちに感づいたのか、玖珂先輩は私の隣に来る。そっと微笑むのは、意地悪な笑みじゃない。私を安心させる笑みだ。
「妥協か。今はそう思っていればいい。今は、な」
挑発的なオレンジの瞳が真っ直ぐとお兄ちゃんを見つめる。それにお兄ちゃんは楽しそうにしていた。
「なら、勝負しましょうか。この勝負は力の強さを競う勝負です」
今から、脱走した生徒に不良が近付きます。そいつらが脱走した生徒にカツアゲをするんですよ。それに毎回断れなくて、あの子は授業をサボってまで待ち合わせ場所に来てしまう。その不良たちをやっつけるのがおれの仕事です。だから勝負はどっちが数人いる不良を多く倒せるかってことですよ。
お兄ちゃんはそんなことを説明する。ようするに不良と喧嘩するということだ。
それに、脱走した生徒はそんな理由があったのか。脱走して待ち合わせ場所に来ないといけないと思うほど、怖い思いをしたのか。
「分かった。いいだろう」
「え、玖珂先輩行っちゃうんですか?」
私の言葉に玖珂先輩はフッと笑みを浮かべる。ポンっと頭に玖珂先輩の手が乗り「大丈夫だ」と言った。
私は玖珂先輩とお兄ちゃんを離れたところから見る。しばらくするとお兄ちゃんが言った通りに脱走した生徒に見るからに不良ぽい人たちが近付く。
「おぉ、ちゃんと用意したか?」
「もうこんなことしない!俺はもうしないからな!」
脱走した生徒が勇敢にも不良たちに立ち向かっている。だが、不良の一人が脱走した生徒の肩に腕を回す。
きっとこれはあれだ。よく見るあれだ。「俺たち友達だろ?」と言うパターンだ。
そう思うが内心はハラハラしながら彼を見ていた。
「おい」
「なーに、やってんのかな?」
玖珂先輩とお兄ちゃんが同時に話しかける。不機嫌そうに不良たちはそっちを見た瞬間に青ざめた。ついでに脱走した生徒も顔を青ざめている。
「おか高の風紀委員!」
「玖珂陸翔までいるぞ!」
青ざめた不良たちは一斉に脱走した生徒を置いて走り出した。
お兄ちゃんはどこからかケータイを取り出し、誰かに電話をかける。「逃がすな」と一言呟いて電話を切る。
その状況を私はただ凄いなと目で見ていた。玖珂先輩はやっぱり他校に顔が知られていることは凄いことだし、おか高の風紀委員というのも凄いんだなと実感した。
「いやー、逃げちゃいましたね。勝負は引き分けってことでいいですよね?」
「どうでもいい」
「そうですか?でも、まぁいいでしょう。しばらくは海砂ちゃんの彼氏として認めましょう」
なぜ上から目線なんだ、お兄ちゃんよ。玖珂先輩はお兄ちゃんより年上だぞ。
お兄ちゃんは「じゃあ、行こうかな」と呟いて、脱走した生徒の腕を掴んで去って行った。まるで嵐のように。
「お兄ちゃん、何がしたかったの?」
「オレを見に来たんじゃねぇか?」
「そうなんですか?」
「多分な。アンタが好きになった人を見極めに来ただと思うんだが」
玖珂先輩でもお兄ちゃんが来た真相は分からないらしい。
それよりも私は玖珂先輩が言ったことが頭から離れない。「アンタが好きになった人」という言葉が。確かに私は玖珂先輩が好きだ。でも、やっぱりそれを玖珂先輩から聞くと恥ずかしい。
告白した日からあまり今までと変わらなかったからだろうか。私は玖珂先輩が好きだから触れたいと思うし、触れられたいとも思う。
「それにしても、アンタの彼氏になる条件は凄いな」
「はう、すみません。お兄ちゃんはいつも言うんですよ」
「でも、まぁ…他の条件はよく分からないが、最後の一つは簡単だ」
「えっ?」
ドキッと胸が跳ねる。最後の一つの条件は「お兄ちゃん以上に私のことを大切に想ってくれること」だ。
ドキドキと胸が高鳴るのを感じながら、玖珂先輩を見上げる。玖珂先輩は意地悪な笑みを浮かべて、私の額にデコピンをする。
「バカな海砂には言葉で言わないと通じないみたいだ。だが、オレはあえて何も言わないでおこうか」
「なっ、玖珂先輩は意地悪です!」
「アンタにだけだ」
優しく微笑んだ玖珂先輩は、むくれる私の機嫌を直すようにポンポンと頭を撫でた。
「子ども扱いですか!」
「いや、オレにとってはアンタは十分大人だ」
フッと笑みを零す玖珂先輩に見惚れてしまったなんて、きっと彼にはお見通しなんだろう。
乱暴だが優しい手付きに私は嬉しくて微笑んだ。