お昼と屋上と夕日
朝。昨日の放課後と同じぐらい、いやそれ以上に玖珂先輩が不機嫌そうだ。イライラしていることがこっちにまで伝わっている。
私は何かしたのだろうか?思い出すのは玖珂先輩の前で彼の言葉に動揺したことだろう。だが、それとはなんか違う気がした。
いつもなら私の一歩前を常に歩いているというのに、今日は何歩も先を歩いている。いつもは私がちゃんと付いて来ているのか確認するようにチラッと後ろを向くのに。
玖珂先輩の広い背中を見るのが寂しくなって下を向きながら歩いた。
「…い……おい!」
「はっ!」
肩を揺すられて、自分が初めて立ち止まっていたことを知った。
目の前には不機嫌そうに眉を寄せている玖珂先輩。さっきまで数歩前を歩いていたのに戻ってきてくれたのか。そう思うと嬉しくなる。我ながら単純だ。
肩から重みが消え、玖珂先輩が手を肩から離したことが分かる。しかし、玖珂先輩はそのまま歩き出さないで私を観察するようにジッと見つめた。
私を映すオレンジの瞳を逸らすことが出来ずに、同じようにジッと見つめた。
「今日の昼休みは屋上に来い。間違っても、東棟の屋上に行くなよな…」
「え?」
「西棟の、屋上に、昼休み、来い」
言葉を一つ一つはっきりと伝えるように区切り、私に言い聞かせる。
私は声には出さずに唇だけを動かして、さっきの言葉を反復した。何度も同じ言葉を言った。
唇の動きを読んだ玖珂先輩が深いため息を吐き出し、私の腕を掴む。そのまま、引きずるかように私を学校まで連れて行った。
昼休み。私は西棟の屋上のドアの前まで来ていた。手には自分の弁当を持っている。
いつ玖珂先輩が来るか分からないが弁当ぐらい食べてていいと思う。なにせ、お腹が減った。
どうして食べて来ない?と聞かれても、もしかしたら玖珂先輩はお昼を食べる前に来いと言ったかもしれないからだ。早く来ていた方がいいと判断した。
私は屋上へと続くドアを開く。寂れているドアがギィィと鳴り響いた。
その音に反応してドアの向こうに居た人物がこちらを見た。玖珂先輩だ。私より早く来ていたんだ。
「来たか」
玖珂先輩は目線だけで「こっちに来い」と言っているみたいだ。
それに素直に従って近付くと、さっきまで玖珂先輩が何を見ていたのかを知った。玖珂先輩は私が来るまで、屋上の下にある裏庭を見ていたのだ。
屋上にはフェンスが高いところまであるので、いくら覗き込んでもフェンスが邪魔で下に落ちることがないから安心して見下ろせる。
裏庭は昨日と変わらずに紫や青といった落ち着いた色の花が咲いている。いつもその落ち着いた色合いの花を見ると落ち着くのに今日は何だか落ち着かない。隣に鮮やかな色の花の方が似合いそうな玖珂先輩が居るからなのか。
「ここから、裏庭が見えるな」
「…そうですね?」
玖珂先輩は何が言いたいのか、私には分からない。
更に下を見ようとフェンスに近付けば、玖珂先輩のため息が聞こえた気がした。
今は夏だ。外にいるだけで暑いのに背中にゆくもりを感じた。そのぬくもりは嫌なものではない。
強張った体がほぐれる。全身をなぜかそのぬくもりに預けたかった。
ガシャと小さくフェンスが音を立てる。音がしたのは私の顔の近くでだ。
音がしたところを見ると指をフェンスに絡めていた。規則的なフェンスの穴がその指の所為で歪んでいる。
きっとその指は玖珂先輩のだ。そして背中に感じるゆくもりは玖珂先輩のだろう。ぴったりと身体を私にくっつけているというのが分かる。
急に意識してしまったら、背中のぬくもりが熱すぎる。夏だからか、それとも背中に感じるゆくもりが熱いからか、汗がスッと流れ落ちた。
「なぁ、アンタは無防備すぎると思わないか?」
「…ん?」
首を傾げて、玖珂先輩の言葉の意味を考える。別に私は無防備ではないと思うが。
そんな私の考えが読めたのか、本日二回目の深いため息が頭上から聞こえた。
振り返って、呆れていると思う玖珂先輩の顔を見てみたいと思うが、それをしたら顔が近くにありそうで出来なかった。
「アンタは無防備だ。だから、碓氷がいろいろしてもアンタは気付かない」
「会長が、ですか?」
なぜ、いきなり会長の話をするのか。それに会長は私に何をしたのか。記憶を遡っても、意地悪されたことしか思い浮かばなかった。そのことなのかと考えるが、ちょっと違うかと思い直す。
考えていると、玖珂先輩の指に力が入った。さっきよりも歪んだフェンスに、私はバクバクと心臓が鳴り響く。
玖珂先輩を怒らせた、昨日の放課後よりも今日の朝よりもはっきりと分かる。私は何かしてはいけない。あるいは、言ってはいけないこと言った。
「昼は大概はここにいる。たまたまアンタが裏庭で昼を取っていると知ったのは昨日だ」
その言葉に思い当たることがある。昨日は裏庭に会長が来たのだ。一緒に昼ご飯を食べた記憶がある。その場面を玖珂先輩は見たというのか。
フェンスに手を付いてない方の手で私の体の向きを変える。玖珂先輩と向かい合う形にされたのだ。
思っていた通りの近さに戸惑いながらも、鋭い視線に怯えながらも、玖珂先輩の瞳を見つめた。
こんな時にこう思うなんてどうかしているが、玖珂先輩のオレンジの瞳は綺麗だ。炎のような、とかは何度も思ったが本当にその通りだ。炎のようにゆらゆらと感情を表してる瞳は綺麗。触りたいけど、触ったら火傷してしまいそうだ。
「…きれい」
炎みたい。だけど、夕日にも見える。私は初めてそう思った。
夕日だったら触っても火傷しないよね?と思い、クスリと笑う。
私の行動に玖珂先輩の眉が寄る。瞳に映る感情がゆらりと揺れた。
私は完璧にこの状況を忘れていた。だから、夕日に触ってみたくなり手を伸ばす。
流石に眼球には触れないので赤い髪に手を伸ばした。頑張って背伸びをすれば、赤い髪に触れることができ、私はゆっくりと撫でた。
何を思ったのか、それともただ状況に付いていけなかったのか。玖珂先輩は何も言わずに私に髪を撫でられていた。
「玖珂先輩の髪、触っちゃった」
えへへと笑えば、玖珂先輩は髪を触っていた私の手を掴んで離す。
自身も私から離れれば、片手で顔を隠す。本日三回目の深いため息を吐いた。過去二回のため息よりも深い気がする。
「アンタはオレの話を聞く気がないみたいだ」
「え、ありますよ?」
「いや、もういい。代わりに一つだけ約束しろ」
自分の顔を隠していた手を外し、真っ直ぐに私を瞳に映し出した。
真剣な表情にドキッと胸が高鳴るのを隠すように頷いた。
「昼は裏庭じゃなくて、ここに来い」
それは裏庭で昼ご飯を食べるのではなく、この屋上で食べろということなのか?
私は昼ご飯を食べる場所は人目に付かないところならどこでもいい。屋上でもいいのだが、屋上は玖珂先輩がいる。私が来たら邪魔だと思う。
私の考えていることが簡単に分かるらしい玖珂先輩は、自分が一歩空けた距離を詰める。私の髪の毛をぐちゃぐちゃにする勢いで頭を撫でる。
「オレがそうしたいだけだ」
あぁ、なんでだろう。今日の玖珂先輩は怒ったり、優しくなったりしている。
優しく笑う玖珂先輩は私の中で珍しくはなくなってきている。だけど、その笑みを見るといつも嬉しくなる。
玖珂先輩と初めて会った時に嫌われていたから、そう思うだけ。人に優しくされると単純に嬉しいだけ。
私は薄く染まった頬を隠しきれていますか?