少しの休息と嵐の予感
高校に入学してから、いろいろなことがありすぎたので、まったりと乙女ゲームをする時間がなかった。
なので、昨日久しぶりにゲーム機に触れると止まらなくて徹夜でフルコンしてしまった。お陰で様で眠い。
目をしょぼしょぼしながら机に伏せっていると、友達の琴葉ちゃんが心配そうに見てきた。
「大丈夫?」
「誰も私を止めてくれる人が居なくて、徹夜しちゃって」
「家に誰も居ないの?」
「両親が居るけど、私を止められる人はお兄ちゃんしか居なんだー」
「お兄ちゃんが居るんだね」
うんうん、と頷く。
私には一個上の兄が居る。ゲームに夢中になりすぎてしまう時は兄からいつもゲームを取り上げられていた。
だけど、今はそういうことはない。何せ、兄は全寮制の高校に入っているからめったに家に帰ってこない。それには訳があるのだが、それは置いとこう。
「まっ、兄の話はここまでにして、琴葉ちゃんはゲームとかしないの?」
「うーん、私はゲーム苦手で…本とかなら好きかな」
「琴葉ちゃんらしい!」
「そうかな?」
「うん!」
琴葉ちゃんの好きなジャンルはファンタジーらしい。魔法とか人外に憧れるみたいだ。
趣味について語っていた時の琴葉ちゃんは頬を軽く染め、いい笑顔だったので凄く可愛かった。
そんなことで朝の癒やしの時間は終わりを告げた。
「姫野さんはいる?」
そう言って教室のドアのところに数人の女子生徒がやって来たのは昼休みのこと。
愛莉姫は意味が分からないと言った顔をしながら女子生徒のところに行く。
「ちょっといい?」
語尾にはちゃんとハテナマークがあるのだが、口調は拒否を許さないほど強い。
頷く暇も与えないほど、数人の女子生徒は愛莉姫を引きずるように教室を去っていた。彼女らが教室から見えなくなるまで、誰一人も話さなかった。
「なんだろう?」
呟くように琴葉ちゃんが口を開いた。私はそれに頷く。
だけど、愛莉姫を呼び出した女子生徒に見覚えがあった。
あれは確実に昨日桐島先輩の周りに居た先輩方だろう。きっと、愛莉姫を牽制しに来たに違いない。
イベントだとしたら、桐島先輩が助けてくれる。確か、そういうイベントはあったはずだ。だけど、そのイベントは時期が遅かった気がする。
私は椅子からバッと立ち上がる。勢いが良すぎてガタッと椅子が倒れた。
「海砂ちゃん?」
「私、用事を思い出した。ちょっと行ってくる」
琴葉ちゃんの返答を聞かずに急いで教室を出る。
向かうは、西棟裏だ。西棟に授業以外で人は全く来ないので見つかりにくいところだ。
ゲームの時もそこを使われていたので合ってるだろう。
西棟裏は中庭ほど綺麗ではないが、ちょっとした庭みたいになっている。要するに裏庭だ。
その裏庭にさっき教室に来た先輩方と裏庭で待っていたであろう数人の先輩方が愛莉姫を囲んでいる。そこに桐島先輩は居ない。
今にも愛莉姫に殴りかかりそうな雰囲気を醸し出している先輩方の様子を校舎の陰で覗きながら焦りを覚える。
愛莉姫が殴られでもしたら、綺麗な顔に傷が付いてしまう。多分、見えるところは殴られないと思うが、それでもヒロインである愛莉姫を傷付けるなんて駄目だろ。
「どうしたら…」
「いいんだろうねぇ」
「……っっ!」
前にもこんなことがあった気がする。というより、何でこの人は出現する時に人を脅かすのか。
私は聞き覚えのある声の主を確かめようと後ろをチラッと見る。やっぱり、桐島先輩だ。
桐島先輩が来たということは、やっぱりこれはイベントだったのか。焦って損をした気がする。彼が来たのなら愛莉姫は殴られずに解決するだろう。
だが、桐島先輩はこの現状を見ても動こうとしない。今にも殴りそうな雰囲気に気付いてないのか。いや、そんな訳ではない。
不思議に思って先輩を見つめると、視線に気付いた先輩は笑みを浮かべる。
「で、海砂ちゃんは急いでここに来た理由は、あれ?」
「えっ?」
「俺は海砂ちゃんが急いでどこかに行ってるのが見えたから来てみたんだけど…」
先輩の言葉に耳を疑った。
私が急いでここに来なかったら、先輩は来てなかったことになる。愛莉姫の体に傷が付く。
「せ、先輩っ!」
「ん?」
「あの子を助けて下さい」
なぜかは知らないが、そう頼まないと先輩は動こうとしないと思う。
少しだけ考える素振りをして、先輩は口角を上げるだけの笑みを浮かべる。
「いいけど、友達なの?」
「…違うけど」
「まっいっか。いいよ、あの子を助けてあげる。その代わり、交換条件ね?」
「分かりましたから、はやくっ」
「はいはい、君の願いを叶えましょうか。お姫様」
笑みを浮かべながら、先輩は裏庭へと足を踏み入れた。
これで大丈夫とホッとすると同時に先輩の言葉を勢いで了解してしまったことに気が付いた。
交換条件ということは私も先輩の頼みを聞かなければいけないことになる。どうか、無難な頼みでお願いします。
そんなことを考えていると、足音が遠ざかっていく。裏庭を覗くと、そこにはもう愛莉姫と桐島先輩しか居ない。
愛莉姫は頭を何度も下げ、先輩はそれを笑いながら「いいんだよ。君が無事なら」と言っていた。
すぐにそこから愛莉姫が居なくなった。
先輩は愛莉姫が居なくなると、こちらの方にやってくる。顔がやけに、にこやかだ。
「俺は君との約束を守ったよ。だから、今度は君が守る番だね」
「えっと、私は何をすれば…?」
「そうだねぇ」
にこやかに笑いながら顔を近付けてきた。瞬間的に後ろに下がると、校舎の壁だった。
「なんで逃げるかなぁ?」
ダンッと先輩は私の顔の横に手をついて、顔を更に近付ける。
後ろには壁、前には先輩。逃げ道はない。
男性といったら家族しか免疫がない私の心臓は先輩の所為で壊れるんじゃないかと思うほど、バクバクと鳴り響いた。
「先輩っ、近い近い!」
「そう?俺はもっと近くてもいいぐらいだよ」
「私は離れて欲しいですっ!」
そう言うと、更に先輩は顔を近付けた。吐息がかかるぐらい近くに先輩の顔がある。
少しでも動けば、触れてしまいそうで動けない。
「キスしちゃおっかな?」
「えぇぇ!」
「ふふ、冗談だよ。君がいいって言うなら、しちゃうけど?」
「全力で遠慮させていただきます!」
「遠慮しなくていいのに」
わざとらしく肩を落としながら、先輩は私から離れてくれた。
「じゃあ、交換条件の対価はデートにしようか」
「はっ?」
「デートだよ、デート。したことないの?」
「えぇまぁ…」
「俺が初めてねぇ、いいね。楽しみになってきた」
嬉しそうに笑い、先輩は手を差し伸べてくる。その手を不思議そうに見れば「ケータイは?」と言ってくるので、出したら取られた。
先輩のケータイと私のケータイを器用に扱いながら、何かをしている。作業が終わると、ケータイを返された。
「何してたんですか?」
「メアド交換だよ」
電話帳を見れば「桐島 奏汰」の欄が増えていた。
「メアドないと予定とか送れないからね」
「…まじでデートするんですか?」
先輩は眉をピクッと動かし、不機嫌そうに私を見た。
「当たり前。君ってさ…」
私を見る目が鋭くなる。ビクッと体を強ばらせたら、先輩は目を閉じてため息を零した。
「何でもない。とにかく、デートはするから…そういう約束。そろそろ戻らないと授業始まるね、予定は後でメールで送るから」
「あっ、はい」
「逃げないで、ね?」
小さく頷くと、嬉しそうに微笑まれた。
今日、私は桐島先輩とデートをする約束をしてしまった。
これって、バレたら女子の先輩方に殺されるんではないんでしょうか?