優しい先輩を演じましょうか
桐島奏汰視点です。
資料室から出ると蒸し暑い空気が押し寄せてくる。
はぁ、とため息を零して、先ほどまでのことを考えた。
彼女の驚いた顔、恥ずかしがってる表情、無防備に笑う姿にどうしようもない気持ちが溢れた。どうして彼女だったのか分からないが、確かに奏汰は彼女が好きだった。
「俺って優しい先輩かな?」
自分は優しくはない。それは自覚していたのに、まさか彼女からそう言われるとは思わなかった。
優しい先輩だったら、彼女が困ることなんてしない。いや、彼女に近付くことなんてしなかったと思う。
今では仲が良いみたいだが、いつも一緒に居る数人の女の子達に虐められると分かってて、近付くはずがない。自分が近付きたくて近付いた。それがどんなことになろうとも。
だけど結局は、優しい先輩だ。
「なんか羨ましいな」
ふと思い出すのは、彼女と玖珂陸翔のことだった。
自分が出来なかったことを簡単にやってのける玖珂が羨ましかった。そして、無意識に彼女は玖珂を頼っていることに悲しくなった。
彼女は玖珂が助けてくれる。そう思うと無性にやるせない気持ちがこみ上げてくる。
「奏汰?」
「あっ…」
適当に校内をぶらぶら歩いていた奏汰の前に伊吹が来た。伊吹は奏汰に資料室に行くように仕向けた人だ。
少しばかり睨み付けるように見れば、伊吹は意味が分からんと言った顔をしていた。
「資料室には行ったのか?」
「今から行きますよ」
そう言うとガッカリした表情をされた。
伊吹は奏汰の気持ちに気付いていて、手助けをしようとしたのだろう。彼女は伊吹から資料室に行くようにして、あとから奏汰を行かせる。
全て伊吹の思い通りだと思うとイラッときたが、気持ちを落ち着かせるために息を吐いた。
「……ありがとうございました」
「奏汰?」
礼を言ったことに不思議に思った伊吹が近付いてくる。それを無視して、奏汰は資料室に向けて歩き出した。
きっともう、二人は居ないだろう。
いろんなことがあったのは昨日のことだ。今日は土曜日だ。
週明けから始まる学校で課題テストがある。そのために勉強をしなければならない。
図書館の中に入り、空いている席を探す。奏汰は図書館や図書室などの本に囲まれたところだと集中出来るのだ。
ふらふらと歩いていたら、見知った人を見つけた。その人物に近付き、奏汰は笑みを浮かべた。
「海砂ちゃん」
「え、桐島先輩?」
「最近はよく会うね」
ふふっと笑みを零す奏汰に返すように彼女も笑みを浮かべた。
いつもの彼女に少しだけ悲しくなったが、自分の気持ちを気付かれたくはなかった。矛盾している気持ちを隠すために、息を吐き出す。
「隣いいかな?」
「はい、どうぞ!」
わざわざ椅子を引く彼女を見つめながら、奏汰は「無防備だなぁ」と彼女に聞こえないほど小さな声で呟いた。
椅子に座り、彼女のノートを覗き込む。していた教科は英語で、やっぱり苦手なのかと苦笑するしかない。
「あっ、ここ間違ってる」
「はいっ、ありがとうございます!」
素直に訂正を入れる彼女の横で奏汰も自分の勉強をし始めた。
時々、分からないところを聞かれたり、覗き込んだ時に間違っていたところを教えたりして一日があっという間に終わる。
「今日はありがとうございました!」
「いや、俺もありがとう」
「はい?」
今日は本当に楽しかったよ。その言葉を心の中で付け加える。
彼女と別れた奏汰はそっと自分の手を見つめた。
今日は一度も彼女に触れてないな、と小さく言葉を紡ぐが、聞いている人は自分を除いて誰もいない。
「優しい先輩…優しい先輩か」
彼女が臨むのなら、ずっと優しい先輩を演じようか。
きっと、この先で彼女が振り向いてくれる可能性なんてないのに、奏汰は諦めきれてなかった。
「簡単に諦められるなんて、無理だしね」
彼女以上に好きになる女の子もきっと出てくる。だけど、今は彼女が好きなのだ。彼女が心を許している人が出て来ても、今は諦めきれない。
なにせ、彼女はまだ好きというのを自覚していないのだから。
奏汰は自分を納得させ、自分が帰る場所に歩き出した。