帰って来た夜に
今日は家に帰る日だ。二泊三日は長いようで短かった。
爽やかな笑顔を浮かべ、お父さんお母さんと話している終壱くんとも今日でお別れだ。次に会う時は正月ぐらいだろう。
学校がある日の休日に会おうと思えば会えるのだが、終壱くんは風紀委員が忙しいので会えないと思う。
「終壱君が家にいたら、きっと素敵なのにね」
ふぅ、とため息を吐きながらお母さんがそんなことを言っていた。
お母さん、面食いすぎるだろ。確かに終壱くんはイケメンだが、お兄ちゃんも同じぐらいイケメンだ。お兄ちゃん一人で満足だろ。
そう心では思っても、口には出さなかった。
「あら、終壱は海砂ちゃんの夫になる予定だから大丈夫よ」
ふふふ、と優しくも有無を言わせない笑みを浮かべるのは終壱くんのお母様だ。
終壱くんの優しげな顔付きは母親似だと思う。というより、終壱くんの父親を見たことがないだけだが。
だが、終壱くんとお兄ちゃんが似ているのは、終壱くんが母親似で、お兄ちゃんが父親似だからだろう。終壱くんのお母様と私達のお父さんは姉弟なのだから。
「海砂ちゃん、終壱をお願いね?この子は年よりも大人びて見えるようだけど、本当は誰よりも子どもなのよ。だから、海砂ちゃんが側にて終壱を支えてほしいの」
「へっ?」
「お母さん…海砂が困ってる」
「ふふ、ごめんなさいね。終壱の大切な子には逃げられなくないのよ」
目を伏せて曖昧に笑う終壱くんのお母様を見て、似ているなと思う。終壱くんと似ていて、どこかほっとけない。
「私は終壱くんに助けられてばっかりで、私が終壱くんから離れられませんよ!」
「ほんと?ふふっ、終壱は子どもぽいし独占欲が強いから嬉しいわ」
「お母さん…海砂に変なことを言うなよ」
自分のお母様を引っ張りながら、私と距離を取る。
少しだけムスッとした終壱くんが珍しくて笑みを零せば、不機嫌そうに私を見る。それにまた笑ったら、終壱くんも微笑んだ。
「じゃあ、また会おう」
「うん!お元気で!」
「あぁ、海砂も元気でいるんだよ?」
「了解です!」
終壱くんの前で敬礼をしたら「まぁ、すぐに会えるから心配ないんだけど」と呟くのが聞こえたので、聞き返すと「なんでもないよ」と言われた。
首を傾げていると、今まで黙っていたお兄ちゃんに終壱くんが話しかける。
「補習が始まる前に寮に戻っとけ」
「分かってますよー。あぁ、ずっと家にいたいなぁ」
甘えるように私の肩口に顔を埋めた。
だだをこねるお兄ちゃんの頭を撫でながら、私は終壱くんと笑顔でお別れをした。
家に帰って来た私はいろいろとして、寝る時間になったのでベッドに潜った。
しばらくベッドの上でごろごろするが、全く眠気が訪れない。だけど、ベッドから起き上がって何かをしようという気も起きない。
すると、部屋のドアを控え目にノックする音が聞こえた。私は「はい」と返事をすると、ドアが開く。
私はベッドに寝ているので誰が来たかは分からまま、ドアが閉まる音が聞こえる。ベッドに近付く足音。
「海砂ちゃん…」
「お兄ちゃん?」
部屋に入って来たのがお兄ちゃんというのは珍しい。いや、私の部屋にはよく来るがノックをするのが珍しいのだ。
電気を消してるため、薄暗い。お兄ちゃんの姿は見えるが、顔がよく見えなかった。
お兄ちゃんはベッドの端に腰掛けて、私の頬を撫でる。
「ねぇ、海砂ちゃん」
「……なに?」
深刻そうな声色で言葉を発するものだから緊張してきた。私の緊張を感じ取ったのか、お兄ちゃんは更に優しく私の頬を何度も撫でる。
「………だめ、だから」
「えっ、なんて言ったの?」
「…終壱さんだけはだめだから」
「どういうこと?」
「おれは…認めない」
ギシッとベッドの軋む音が聞こえた。
お兄ちゃんは私の顔の隣に手を付き、顔を近付ける。はっきりとお兄ちゃんの表情が見えた。
「おれは、ね。終壱さんだけには海砂ちゃんを取られたくないんだよ…いや、今は誰にもやりたくない」
「おにい、ちゃん?」
「分かってる。これが身勝手なことだって。だけどっ!」
痛いほど悲しい顔をしていたお兄ちゃんの頭を抱えるように抱き締める。私に縋り、お兄ちゃんは小さく嗚咽をもらした。
「終壱さんは海砂ちゃんのことを……」
「……え?」
お兄ちゃんの声が小さすぎて、凄く近くにいる私にも最初らへんの言葉しか聞こえなかった。
終壱くんが私を、なに?
そのことを聞きたいけど、聞いたらいけない気がする。喉まででかかった言葉を飲み込んだ。
「海砂ちゃんが悲しむ姿を見たくないんだよ」
「お兄ちゃん…」
「だから、海砂ちゃんには忠告する。きみのことが大切な人は、いつまでもきみを守ってくれるわけではないんだよ」
耳たぶに触れるか触れないかの距離で囁く言葉に私は首を傾げるしかなかった。
上体を起こしたお兄ちゃんは、そんな私を見て微笑んだ気がした。
「でも、海砂ちゃんのことを本当に大切に想う人は…きみを守ってくれると思うよ」
私の頬を一撫でして、お兄ちゃんは部屋から出て行った。
一人になった部屋で私は言葉の意味を考えていた。いつまで考えても、お兄ちゃんが言った言葉の意味が分からない。
『きみのことが大切な人は、いつまでもきみを守ってくれるわけではないんだよ』
人は大切な人を守りたいと思うが、それには限度がある。守れる時と守れない時があるのは当たり前だ。
けれど、お兄ちゃんの言葉に引っかかりを覚えるのは、なぜなのだろうか?
そんなことを考えていた私はいつの間にか寝ていた。
その数日後には、もうお兄ちゃんは学校の寮に戻ってしまった。
あの夜は幻だったかのように、お兄ちゃんはいつものテンションで私と接していた。
あの夜のお兄ちゃんはどこか思い詰めた顔だったというのに。