夢の中のあなたと残念な人
激しく降り続ける雨の中、朦朧とした意識で私はどこかに向かっている。いや、私より少しだけ大きい手をした誰かに連れられているんだ。
いつもより目線が低い気がする。それに着ている服も、いつも着ている服より子どもぽい。
私の手を引いて歩いている人の顔は見えないけど、私は嫌な感じはなかった。きっと知り合いなのだろう。
その人物は、傘も差さずにただ私を連れてずっと歩いている。どこまで歩くのかなんて分からない。
『ここか……』
『ここって、ーー?』
『あぁ、よく見てみて。あれが、ーーなんだ』
『えっ、ーー?』
なんて言っているのか、よく聞こえない。聞こえているはずなのに、聞こえない。
ザァァッと雨の音が大きくなる。
体が長時間もの間に雨に当たっているのにも関わらず、私達は会話を続ける。そのためにここに来たみたいに。
『ーーは……捨てたんだよ。ーーに……いらなかった』
『でも……』
『だから、ーー!』
『そんなことない!』
さっきよりも聞き取りづらい。肝心な言葉は私には届いてない。
なのに、この人物の気持ちは私の心にスッと入ってくる。
私はこの人物が消えてなくならないように、強く強く抱き締めた。上を見上げれば、この人物は泣きそうなほどに顔を歪めていた。
『そんなことないよ…私が私が、ーー!ーー!そしたら…』
私の腰に優しく手を回し、この人物は優しく微笑んだ。
ありがとう、と震える唇で囁いた。
「……しゅう、おにいちゃん」
苦しい、辛い、息が出来ない。
寝苦しいわ!とバッと起き上がろうとするが、なぜか身動きが取れない。体が動けない。
取りあえず、動かないお腹の方を見ると、私のじゃない誰かの手が私を抱き締めている。
私はその手を見た瞬間に嫌な予感がする。嫌な予感がするが見なければいけない。
恐る恐る隣を見れば、さらりとした黒髪に長いまつげ、整っている顔立ち。目元は少しだけつり目でキリッとした感じだ。閉ざされている瞳は深い黒だというのが分かる。
「おにいちゃん…」
私の部屋にお兄ちゃんがなんで居るのかなんて、今更だ。帰ってきたら、彼は私と寝ようとする。それが、お兄ちゃんの常識だ。
「ん、ん…みさちゃん?」
「お兄ちゃん、帰ってきたの?」
「帰ったすぐに海砂ちゃんに逢いたくて」
目を覚ましたお兄ちゃんは、とろんとした甘い笑みを私に向けた。ギュウギュウと更に私を抱き締め、チュッと額に唇を寄せる。
もうお分かりだと思うが、私の兄である東堂愁斗は、シスコンである。しかも重度のだ。
「海砂ちゃん、好きだよ。可愛いねぇ、可愛い」
「うん、分かった。分かったから、どいてください」
「凄く可愛いよ、このままお兄ちゃんとイケないことを…」
お兄ちゃんはすぐに私の両手首を掴み、私の上へと乗る。
この行為には驚かない。お兄ちゃんは帰って来たら、そんなことを毎日のようにしているのだ。驚く方がどうかしている。
「とりあえず、どいて」
「仕方ないなぁ…可愛い妹の頼みだし、どいてあげる」
私の上からどいたお兄ちゃんはベッドを降りて、背伸びをしている。シングルのベッドで二人で寝るのは辛いらしい。いや、私もなんだけどね。
私のお兄ちゃんは一言も話さなければ、クールそうなイケメンなのだが、一言でも話せば残念なイケメンに早変わりだ。そう、私のお兄ちゃんはイケメンなのだ。家族だからといって、贔屓ではない。本当にイケメンだ。
そんなイケメンにドキドキしないのは、そのイケメンが兄であって残念だからである。
「お兄ちゃんって残念だよね」
「海砂ちゃんに罵られるのっていいねぇ、ゾクゾクするよ」
「うん、残念」
本当になんで残念に育ったのか不思議でたまんない。
私はベッドの上でうなだれていると、よしよしと頭を撫でるお兄ちゃん。下から見つめれば、甘ったるい笑みを浮かべられた。
「それにしても、高校生になって美人になったねぇ…」
「ん?」
お兄ちゃんよ、あなたは近所のおばさんですか?
そんなことを考えていると、お兄ちゃんが不機嫌そうに眉を寄せた。
「まさか、彼氏が出来たとか言わないよねぇ?」
探りを入れるお兄ちゃんに首を振る。
お兄ちゃんは私に彼氏というものが出来るのを嫌がっている。そして、いつも言う言葉がこれだ。
「海砂ちゃんの彼氏は、おれよりも頭が良くて、おれよりも強くて、おれよりも海砂ちゃんのことを大切に思っていて、おれよりも格好いいことが条件だよ?」
「そんな完璧人間いないって」
「じゃあ、海砂ちゃんは彼氏が一生出来ないね」
全てがお兄ちゃんより上という人間なんているわけない。
お兄ちゃんは頭も良くて、喧嘩も強くて、格好いい。それ以上となると、女子達がほっとかないぐらい格好いい人になる。自然に競争率も高くなる。無理だな。
「まぁ、いざとなったらお兄ちゃんがどうにかしてあげる」
「いえ、いいです」
「それは受け付けないよ。おれが海砂ちゃんをどうにかしたいんだよ」
どうにかって、私をどうするつもりなんだよ。
そう思うが口には出さない。出したら「なら、教えてあげる」とか言って何かをするのは目に見えている。
「お兄ちゃん」
「なぁに?」
「部屋から出て行って、着替えるから」
「手伝おうか?」
「いらんわ!」
てか、妹の部屋に無断で入って、着替えを手伝うとか言うか?言わないだろ!
「このシスコン兄貴」
「そうだよ?おれは海砂ちゃんの愛で生きてるからね!」
それは自慢することなのだろうか。私にはさっぱりだ。
私はお兄ちゃんと朝の攻防戦を繰り広げている内に、夢の内容なんて忘れていた。