テスト前日にて
「いやっ…もう、無理ですよ。そんなのっ、はいらない…」
「海砂ちゃん、もうちょっとだから頑張って。あとこれだけ入ればいいから」
「無理無理、そんなの頭に入るわけないですよー!」
「大丈夫、海砂ちゃんなら詰め込めるよ」
テストは明日からだ。今は最後の仕上げで頭に詰め込んでいる。
しかも、苦手な英語が明日にあるという鬼畜さだ。
ん?冒頭の台詞には何の意味があるかって?意味は特にない。ただ言ってみただけさ!
「桐島先輩って鬼畜だったんですね…初めて知りました」
「奏汰は英語となると誰にも負けたくないですから」
「海砂ちゃんには学年一位を目指してほしいからね」
「英語で、ですよね?」
私の言葉に当たり前だ、というように笑った。
他の教科の勉強ももちろんしたが、基本は英語だ。毎日、毎日、飽きずに英語をずっとやっている。おかげで何を見ても英語に見えてしまいそうだ。
「ほら、あとこれだけだよ。家に帰ってもちゃんとするように」
「はーい」
どっさりと課題を貰い、テスト前の猛勉強は終わりを告げた。
先輩方とも別れ、一人で帰っていた。私の家は電車で四駅ほど離れたところで、学校から駅までが歩いて二十分ぐらいだ。
因みに琴葉ちゃんと別れる道は学校から十分ぐらいのところだ。
ちょうど、その道に差し掛かった時にグイッと後ろから腕を掴まれでバランスが崩れた。ボフッと腕を掴んだ人に倒れ込んだ。
腕を掴んだまま私を支えている人を確認するために上目で見れば、赤い髪がチラッと見えた。瞬間的に目を逸らすために下を向く。
「おい、こっちを向け」
苛立ちの籠もった低い声が聞こえてくる。だが、私の心の中はパニック状態だ。
なんで、ここに居るんですか!前回もここで会いましたけど、通学路なんですか!
赤毛の彼ーー玖珂先輩には会わないように気を付けていたのに。というより、あの一件から先輩のことを見ていなかったので安心していたというのに。今ですか、今出てくるんですか。
「こっちを向けと言っているだろうが」
「いっ…」
無理やり顎を掴まれて上を向かされる。挑発的に揺れるオレンジの瞳と視線が絡み合う。
いったい私に何の用ですか?と聞きたいが、怒らせるような発言はしたくない。大人しくしとこう。
「今日は随分と大人しいな」
フッと馬鹿にするような笑みを浮かべられ、ピクッと眉が動くが我慢だ。ここで口を開けば、相手の思うつぼだ。
私は真っ直ぐと玖珂先輩を見つめる。お願いだ、無事に帰らせてくれ、と思いながら。
「明日からテストだな」
「えっ?」
まさかの世間話をするために私の腕を掴んだんですか?友達居ないのか?いやいや、そんなはずがない。ゲームでもイケメンサブキャラの友達が居たぞ。
玖珂先輩は私の「えっ?」発言に不思議そうにしていた。
「アンタは明日からテストって忘れてたのか?」
「えっ?いえいえ、覚えてますよ!」
「そうか。勉強はしてんのか?」
「は、はい」
何の会話だよ、これ!玖珂先輩が、あの玖珂先輩が私とこんな会話をするのか?私のこと、嫌いなんでしょ!?
戸惑いを隠しきれない私を見て、先輩は整っている口元を歪ませた。
「アンタって単純過ぎだぜ。考えてること、顔に出てる」
「…はっ?」
「ほら、な」
ニヤリとしている先輩を思いっきり睨む。
今日の先輩はいつもとは少し違う気がする。いつもより優しい気がした。
いつもより優しい理由が知りたくて、ムズムズする。聞いていいのか?いやでも、と繰り返していたがやっぱり気になってしまうので聞くことにした。
「今日は、優しいんですね…」
驚いた表情を一瞬だけ見せたが、すぐに不敵な笑みを浮かべた。
「なんだ、酷くされた方が好みか?」
「いえいえいえ!優しい方が好みです!どうせなら、腕を離してくれた方がもっと好みです!」
「腕を離したら、アンタは逃げるから駄目だ」
しれっと逃げるために言った言葉を簡単に見透かされてしまった。
先輩は私の耳元に唇を近付ける。地味に耳に唇が触れ、くすぐったい。
身をよじれば、先輩は軽く声を立てて笑った。その所為で、耳元に微かに触れる唇が更にくすぐったい。
「今から、アンタに既成事実を作ろうかと思っているんだが?」
「へっ?」
「既成事実、だ。アイツのものを奪うんだ」
怒りを潜ませた低い声にゾクッと体が反応する。
アイツとは、きっと会長のことだ。だが、私はまず会長のものではない。私と既成事実を作っても、会長は痛くも痒くもないと思う。
てか、私って貞操の危機とか?いや、まさかね。テスト前にそんなことをする人っているのかね?
「今すぐにアンタを奪ってやる」
はい、ここにいました。テスト前日なのに盛ってる男子がここにいました。
「いやいやいや、明日からテストですよ!」
「それがどうしたって言うんだ?」
「テスト勉強しましょうよ!」
「……なぜ?」
これだから、頭のいい人間は。
じゃなくて、私の貞操がかかっているんだ。ここはどうにかして先輩に勉強しようという気にさせなければならない。
会長の女に誤解されてから、いいことないな!
「テストは、いつも会長が一位で玖珂先輩が二位なんですよね?」
「……なぜ、知ってるんだ」
「え?えっと、噂で…」
嘘です。ゲームの中にテストで会長から一位を奪うイベントがあったことを思い出したからです。
「会長が嫌いなら、まずはテストで一位を取って会長をギャフンと言わせる!勉強をして、会長に勝つ!」
そっちのほうが私にとっても、先輩にとってもいいことだと思う。
先輩は掴んでいた私の腕を乱暴に離し、私を見て曖昧に笑った。
「……テストか。まっ、いいだろう。アンタが言ったこと実行してやるぜ」
「そうですよ!会長から一位の座を奪いましょう!」
私がガッツポーズを作りながら「頑張りましょう」と言っていたら、悲しそうに先輩が笑った。
私はその時、自分の過ちに気付いた。
玖珂先輩がなぜ、会長に直接的に手を出さないのか。それは玖珂先輩の親が会長の親に援助されているからだ。玖珂先輩の親が借金を作ってしまって、それを肩代わりしてくれたのが会長の親だ。
小さい頃は仲の良かった会長と玖珂先輩だが、喧嘩をするといつも玖珂先輩は親に怒られる。年が経つにつれ、遊んだだけでも怒られることになった。学校のテストでも一番を取ると怒られる。クラスのリーダーになっても怒られる。会長より優秀だったら、怒られたんだ。「碓氷より上に立ってはいけない」「私達は碓氷に恩がある」「碓氷の息子よりも貴方が優秀だったら、怒りを買うかもしれない」「私達は碓氷に生かされている」と小さい頃から何度も何度も聞かされ続け、実の親も玖珂先輩より会長を優先していた。
いつからか、玖珂先輩は親から何もかも奪われていて、その恨みが会長の方へといったわけだ。
「あっ…」
過ちに気付いて小さく声が漏れたが、私は玖珂先輩のことを何も知らないことにしなくてはいけないんだ。
私は笑顔を作り「勉強、しないといけませんね」と言った。
「アイツから一位を奪ってやる」
「はい…」
「オレを焚き付けだ責任をテスト終わったら取ってもらうから、覚悟しとけ」
「えっ?」
責任?えっと、何のですか?私は「テストで会長に勝とう!」としか言ってないぞ。特別、何か凄いことは言ってないはずだ。
焚き付けるほど、心を揺るがす一言とか言ってないよ。
てか、玖珂先輩って私の言葉に「じゃあ、そうするか」みたいなノリで言ってたけど、今更ながらいいのか?本当にいいのか?
そう思っても、ここに玖珂先輩はもう居ない。
「本気か?」
現実では、そこまで悩んでないとか?
でも、それだったらあの時に玖珂先輩はあそこまで怒らなかったのではないか?
「よく分かんないよね、玖珂先輩って」
玖珂先輩って、実は不思議ちゃんなのか。