廊下を走ったら人の迷惑です
生徒会長だ。
その後ろ姿を見つけた瞬間に私は回れ右をして走って逃げる。
人の姿を見て逃げる行為は最低だと思うが、仕方ない。先生の言い付けを守ったと言えばいいのだが、私は私自身の安全のために逃げた。
廊下を走ってはいけません。そんな小学生でも分かることを私は守ってない。
この曲がり角を曲がったら歩こうと心に誓い、私は曲がった。
人は急には止まれないと言うだろう?あ、ヤバいと思った時には既に遅い。
ドンッバサッという効果音。見事に私は曲がり角のところで人とぶつかり、その人が持っていたプリントがバラけてしまった。
「すみません!すぐに拾います」
「助かります」
やけに美声の気がするが、今はそれよりもプリントだ。私の周りに散らばったプリントは拾う。既に、ぶつかった人は自分の周りのプリントは拾い終えていたので、後は私が渡すだけだ。
プリントを渡すためにぶつかった人物を見上げる。
銀に蒼色が混じった綺麗な髪は光の角度が変われば、どちらの色にも見える。髪と同じ色の瞳に知的眼鏡というのだろうか。フレームは細く、切れ長な目に良く似合っていた。
そんなイケメンな男性はまさしく攻略キャラだ。
名は月宮 誠也。二年、生徒会で副会長をやっている。因みに、桐島先輩とは親友だ。
「本当、すみませんでした」
「いえ、こちらにも非がありますので大丈夫です」
プリントを渡して、深々と礼をすればやんわりと制された。
恐る恐る顔を上げれば、ジッと無表情で見られていた。いや、観察されていたと言った方が正しい気がする。
「…あの、私の顔に何か?」
「あっ、いえ、すみません。人をジッと見てしまう悪い癖です」
「だ、大丈夫です」
と言いつつ、そんなに見ないでほしいと心の中で思った。
ゲームをしていた時は私が見られていたのではないから分からなかったが、彼から見つめられると落ち着かない。全てを見透かされている気がしてならなかった。
「貴女は急いでいたのではないのですか?」
「へ?」
「走っていたので急いでいると思ったのですが…違いますか?」
「急いでるわけでは……あっ」
これは月宮先輩の前から居なくなれるチャンスか。そんなチャンスなくても居なくなれるのだが、見つめられていては動けない。
月宮先輩は未だに無表情でジッとこちらを見ている。
いい加減、無表情は止めてほしいがそれが彼の性格だ。これでタラシの桐島先輩と親友なのが不思議なのことだ。丁度、バランスがとれていいことなんだろう。
「そうでした!私、急いでいるんでした」
「そうですか。だけど、今度からは廊下を走らないことをお勧めいたします」
「はい!それでは、すみませんでした」
先輩の返答も聞かずに急いで教室へと戻った。
さっき、廊下を走るなと言われたが私はそれを数秒で破ったのだった。
次の日。
私は柳葉先生の手伝いでプリントを運んでいた。目指すは、西棟の資料室だ。
というより、私はいつの間にか先生の手伝いをするのが当たり前になっていた。さっきも疑問を持たずに引き受けていた。まぁ、先生には世話になっているので心よく引き受けましょう。
私は西棟に入った時に雲行きが怪しかったのを思い出し、早く終わらせようと資料室までの道のりを走った。
資料室のドアまで行き、私は勢いで開けようとした。だが、ドアは私が開ける前に内側から開けられて、勢いあまった私はドアを開けた人物とぶつかってしまった。
ドンッバサッとぶつかる音とプリントが落ちる音。聞き覚えのある音だ。
私は苦笑いを浮かべながら、ぶつかった人物を見上げた。銀に蒼が混じった髪に同じ色の瞳に知的眼鏡、まさしく月宮先輩だ。
彼は私を無表情で見つめていた。何も喋らないということは、驚いているということなのか?無表情なので、彼の表情の変化が分からない。
これが乙女ゲームのヒロインだったら、些細なことで彼の表情の変化を読み取ることが可能なのだ。現実の愛莉姫も可能なのか、一度でいいから見てみたい。
そんな下らないことを考えていたら、先輩がしゃがみ込んでプリントを拾い始めた。私は慌てて、それに続き拾う。
「すみません、ありがとうございます」
「いえ、また貴女だったので少し驚いてしまって、拾い始めるのに時間がかかってしまいました」
やっぱり、驚いていたのか?
だけど先輩から自分驚いていたよ、と言われると逆に本当に驚いていたのか?と疑問を感じる。
拾い集まったプリントを落とさないように両手で抱え込んで、頭を下げる。
「本当に、すみません」
「僕は大丈夫ですけど、貴女は大丈夫でしたか?」
「はい…すみません、本当に二度も」
無表情のまま先輩は小さく否定の言葉を紡ぐ。
何だか申し訳なくてしょぼーんとしていたら、先輩がプリントを凝視していた。
「それはファイルに挟めるやつですか?」
「え、はい」
「手伝いましょう」
「へっ?いえ、そんなお手を煩わせるようなことを…」
「いいのですよ。ぶつかったお詫びだと思って下さい」
資料室へと引き返す先輩を見て、その後に続くしか選択肢はなかった。
プリントは種類別に挟めなければいけない。
先輩がファイルに挟めている間に私は最後のプリントを挟めるファイルを探していた。ないなぁ、とふと上を見上げるとあった。随分と高い位置にあったので見落としていたようだ。
つま先立ちをして、手を限界まで伸ばす。どんなに手を伸ばしても、私の身長では届かなかった。
先輩に頼もうと思い、振り向いたら先輩がこちらを見ていた。やっぱり、無表情で。
「取れないのですか?」
「はい…すみません」
「貴女は謝ってばっかりですね」
「うっ、すみません」
「ほら、また」
ほんの少し、凄く些細だが先輩は目元を細め、口元を緩めた。
見間違いではないのだろうか。私は何度も目を擦っては先輩を見つめる。やっぱり、ほんの微かだが笑みを浮かべていた。
あれ?私、絶対に彼の表情の変化は分からないと思ってたのに分かったよ。ゲームヒロインと同等の目を持っていたのか、私は!
若干、興奮気味に先輩を見つめていたら、私の隣まで来てヒョイとファイルを取ってくれた。その時には既に微かな笑みは消え、無表情で私を見つめていた。
「これで、終わりですよね?」
「え、あっ、はい。ありがとうございます」
「いえ、それほど役に立ててないので」
そう言いながら、先輩はファイルにプリントを挟めていく。実際は私より先輩の方が仕事をしている。何だか、本当に申し訳ない。
「本当にありがとうございます!お礼を…なにか……」
語尾が段々と小さくなる。なにせ、先輩が無表情でジッと見つめてくるので話しづらい。
「お礼ですか。なら、貴女の名前を聞いても宜しいのですか?」
「へ?はい!一年、東堂 海砂です」
「東堂さん。僕は生徒会で副会長をやっている二年の月宮 誠也です」
名前を教えることがお礼なのだろうか。私は不思議に思い、首を傾げる。けれど、先輩は無表情で何を考えているか分からない。
「それでは、もう遅いので気を付けて帰って下さい」
「は、はい」
先輩は廊下へと出る。私も廊下に出て、先輩に小さく礼をした。
「東堂さん、あんまり廊下は走らない方が宜しいかと思います」
「う…はい」
注意されたとしょぼーんと下を向いていたら、頭に何かが乗っかる。何だろう、と上を見上げたら先輩の手が乗ってた。
無表情で私の頭を撫でる先輩。失礼ながら少しだけ怖い。出来ることなら無表情だけは止めてほしい。
「先輩?」
「失礼。貴女が小動物に見えてしまって、つい」
「えっと…?」
「食べたくなってしまいました」
「はぁ!?」
小動物を食べる?あなた、肉食動物にでもなったんですか?
ちょっと待って、先輩はこんなキャラだったか?それとも、これはボケたのか?ツッコミを入れた方がいいのか?それとも、素なのか?
脳内でこれだけのことを考えるのに三秒しかかからなかった。
三秒の沈黙後、私はツッコミを入れることに決めた。
「なんでやねん」
「何がですか?」
「え?」
どうやら、ツッコミの選択肢は間違っていたみたいだ。
先輩は無表情で小さく礼をした。
「では、僕はこれで」
「はい、ありがとうございました」
「いえ、では」
過ぎ去る先輩を見つめながら、私は小さく息を吐いた。
先輩との時間は何だか、精神を削られる。先輩が無表情でさえなければいいのに。
そう思いながら、私は一つ心に決めた。
廊下は絶対に走らない!