三 ドクターDのたくらみ
三 ドクターDのたくらみ
朝食を食べ終わると、風太は自分の部屋にもどった。ここのところ、ずっと家に閉じこもったままだ。ベランダにも出ることもない。
インターネット授業になって一週間たつ。学校行かなくてもいいんでラッキー――、なんて、最初はちょっと思ったけど、友だちと会えないなんて、やっぱりさびしい。いや、そんなことより、今、メトロコスモスで起こっている事件の方が心配だ。
風太は、パソコンの電源を入れた。半分くらいの児童が、すでにバーチャル教室に入っている。風太は画面の中のミッチを指でタッチして、マイクに向かってしゃべった。
「おはよう、ミッチ」
「おはよう。ねえ風太くん、聞いた?」
「なにを?」
「ドクターDが、首ぼう者じゃないかって。ほら、スペースシェパードの……」
「やっぱりそうか――」
「まだ、確かじゃないんだけどね。今朝、ドクターDが警察に呼ばれたんだって」
さすがにミッチの情報は早い。パパが情報管理課に勤めているだけのことはある。今朝のニュースでもやってたけど、きのう、警察に「スペースシェパード」を名乗る組織から、一連の事件について、犯行声明があったというのだ。スペースシェパートの正体は、まだはっきりしない。けど、ドクターDがからんでるんじゃないかって、警察はにらんでいるのだ。
ドクターDというのは、中央コントロールセンターのデイビス博士のことだ。コンピューターの天才で、メトロコスモス全体のシステムを知りつくしている人物だ。テレビで見たこともあるが、おとうさんが、「どうもひとくせありそうだなあ」と言っていた男だ。
先生がバーチャル教室に入ってきた。きょうの一時間目は理科、風太の得意科目だ。風太はミッチに「じゃ、また、休けい時間にね」と言って会話モードを閉じた。
学校にいるときと先生の顔の角度がちがう。真正面から見る先生の顔は、なんかちょっと美人っぽい。ほりが深いっていうか……。風太は、教だんのすぐ前の席で、いつもイサベル先生を、あごの方から見ていたからそう思うのだ。先生はまだ三十代前半だけど、風太は先生のあごの下が、ぼよんとたるんでいるのも知っている。
先生は横のボードに「遠心力」と書いてから言った。
「きょうは、遠心力という力の勉強をします。遠心力ってどういうものか、説明できる人」
風太は「手をあげる」のアイコンをクリックした。メトロコスモスの住人なら、だれでも、遠心力という言葉は知っている。だが、説明するとなると別だ。手をあげた人数は十五人と表示された。クラスの半分くらいだ。
「はい、佐伯くん」
佐伯くんの顔がポップアップされた。佐伯くんは四年二組の学級委員だ。勉強は良くできるけど、ちょっと頭が固いところがある。
「ものが回転するとき、外に向かってはたらく力のことです。メトロコスモスにいるぼくらが、立っていられるのも遠心力のおかげです」
「はい、そのとおりですね。佐伯くんが言ったように、メトロコスモスは、全体が回転しています。こういうのを自転といいます。その中にいるわたしたちは、外側に引っ張られる力を受けてるから、ふわふわ浮かないで、生活できるんですね。この力が遠心力です。では、メトロコスモスは、どのくらいの速さで自転してるんでしょう」
全員の手が、一せいにあがった。みんな同時に「手をあげる」をクリックしたのだ。教室での授業なら、エドガーくんあたりが、「ハイ、ハイ、ハイッ」と大声をあげて、立ち上がろうとしているところだろう。
「はい、ハンスクさん」
「二分半で一周、一時間に二十四回転です。わたしたちのいる一番外側は時速七百五十キロで回転しています」
「はい、ちゃんと覚えていましたね」
覚えてるもなにも、小学四年にもなって、こんな基本的なことを知らないはずがない。メトロコスモスでは、常識中の常識だ。メトロコスモス自体も、時速二万五千キロで飛び、地球のまわりを一日に十四周している。
先生は続けた。
「では、これはわかりますか。メトロコスモスの自転の速さは、どうやって調整しているのでしょう」
風太は手をあげたけど、ほかに「手をあげる」を押した人はふたりだけだ。エドガーくんもおとなしくなった。
「はい、河瀬くん」
先生が風太を当てた。
「フライホイールで調整しています。低重力エリアの中にあります」
「はい、そのとおり。良く知っていましたね」
インターネット授業だけど、風太はみんなの視線を感じて、ちょっと得意になった。先生は、ボードに大きな円を描いて、その中に一回り小さい円を描いた。
「この大きい円がメトロコスモスで、中の小さい円がフライホイールです。フライホイールというのは、はずみぐるまのことですね。これは、いつも高速で回転してるんですが、この回転の速さを変えると、反作用で、メトロコスモス全体の自転の速さが、ちょっと変わるでしょ。この方法で調整してるんですね。ほかに、居住エリアの外にある、スラスターというもので調整することもあります。これは、ロケットエンジンみたいなものね。フライホイールで調整しきれなくなったときに使います」
「先生!」
バジルが「手をあげて」をクリックして言った。
「きのうの地震、フライホイールのせいなんですか」
「たぶん、そうじゃないか――って言われてるけど、まだ、わかんないの。もし、きのうみたいに地震が起きても、みんなあわてないでね。大人の人の言うこと聞いて、ちゃんと避難すれば大丈夫だから……」
風太は、ねていたので気がつかなかったが、きのうの夜中、メトロコスモス全域で、地震があったらしい。地球では震度4に相当するゆれだ。大きな被害はなかったけれど、メトロコスモスで地震があったこと自体、おかしいできごとなのだ。原因は、メトロコスモスの自転が、一時的に変動したためだが、また、中央コントロールセンターから、変な信号があったんじゃないか、とうわさされている。
インターネット授業で、なんと言ってもつまらないのは、音楽と体育だ。音楽なんて、伴奏に合わせてみんなで歌いましょう、って言うけど、自分の部屋で、マイクに向かってひとり歌うなんて、こんなやりにくいことはない。体育にいたっては、画面の前に立って、首を回したり、うでをふったりするだけだ。苦手なうんていでもいいから、やっぱり、体育の授業は、みんなそろって外で受けたい、と風太は思うのだ。
冬市の汚染空気は、少しずつ正常にもどってきているらしい。秋市では、冬市と接する地域で、空気の中に、ごく微量の催眠剤が検出されている程度だ。
けれど、また、いつ汚染された空気が放出されるかわからない。秋市の警かいは、まだ続いていた。
「コンビニもスーパーも、ほとんど、閉まってんのよ。臨時休業なんだって。二キロも先のスーパーまで行ってきたわ」
おかあさんは帰ってくるなり、空気マスクをはずして、そう言った。
「ああ、やれやれ――。ほんと、たいへん」
おかあさんのひたいに汗がにじんでいる。おかあさんは、タオルで汗をぬぐったあと、買ってきた食料品を冷蔵庫につめた。
地球との通信は、まだ復旧できていないらしい。毎週、楽しみにしていた地球テレビの「地球わいわい」は、きょうも見られない。
窓から外を見ても、人通りはほとんどなかった。歩いている人は、みんな空気マスクをつけている。周回ロードにも、ほとんど自動車は走っていない。たまにパトカーが走っていくだけだ。みんな、家の中にいるのだろうけど、なんか、町が町じゃなくなったみたい。向こうの牧場では、牛やヒツジが、以前と変わらず、のんびりと草を食べている、っていうのに……。
冬市は、もっとたいへんらしい。「避難準備命令」というのが出されていて、みんな、いつでもにげ出せるよう、荷物の準備して家にこもっているのだそうだ。避難といっても、ほかの市ににげてくるか、メトロコスモスを脱出して、地球に行くしかないのだけど……。
きょうは、おとうさんが三日ぶりに帰ってきた。
「晩ごはん食べたら、ちょっとだけねるよ。夜中の二時に、また出ていかなきゃならないんだ」
おとうさんはそう言ったあと、ダイニングテーブルのいすに、どかっとすわった。ものすごくつかれている様子だ。ひげがのびてあごが黒ずんでるし、からだから、汗くさいにおいがただよっている。
おかあさんが料理を持ってくるなり、おとうさんは、がつがつと食べはじめた。おねえちゃんが、おとうさんの前にすわって言った。
「無理して、からだこわさないでね」
「ありがとう。でもこの状況、ほっとけないだろ」
風太が言った。
「スペースシェパート、やっぱりドクターDが首ぼう者らしいよ。ミッチのパパが、言ってたんだって」
「そうか……。やっぱりな」
「警察、なんで、たい捕しないのかしら……」
とおかあさんが言った。
「証拠がないんだよ。証拠がね……。その、スペースシェパードって組織だけどさ。つぎ、また、気象センターをターゲットにしてる、ってうわさがあってさ。今、おとうさんの職場、厳かい態勢なんだよ」
おとうさんは、晩ごはんを食べ、シャワーを浴びたあと、すぐにベッドにもぐりこんだ。
「ちょっと来て、来て。ドクターDが出てるわよ」
おかあさんが呼ぶ声がする。風太は急いでリビングに行き、ソファにすわってテレビを見た。おねえちゃんもすぐにやってきた。
「メトロコスモスの将来は」という番組だ。三月はじめに、メトロコスモスの州知事選挙が行われる。来週、立候補者を受け付け、約三週間の選挙戦がはじまる。番組では、立候補予定者と記者の対談を、シリーズで放送している。きょうの対談相手は、ドクターDだ。記者がたずねた。
「するとドクターD――、あっ失礼、デイビス博士も、州知事選に出馬されるということですね」
「わしこそ知事になるべき人物だからね」
ドクターDは、いすにふんぞり返って返事した。ハゲチャビンの頭の両わきに、少しだけかみの毛が残っている。
「選挙に勝てる公算がある――、ということでしょうか」
「そのとおり。ほかにだれが立候補しても、メトロコスモスの市民は、わしにしか投票しないだろうな。もちろん、きみもだよ」
「そこまで自信を持たれる理由は、何なんでしょうか」
「きみい、わからんのかね。ここのところ、あちこちで発生しておる異常現象――。あれを、全部止められるのは、わししかおらんということじゃないか」
「と、おっしゃいますと――、異変の原因がわかっていると……」
「まあ、そういうこと――。たぶん、たぶんだがね。ほらあの、スペースシェパードって組織。あれが、中央コントロールセンターのスーパーコンピューターに、ウイルスを侵入させたんじゃないのかね。それも未知のでごわいやつをね。そのウイルスを退治するワクチンソフトは、わししか作れんのだよ」
「えっ、未知のウイルスですか。そんなのいつ、だれが……」
「きみ――、ばかな質問しちゃいけないよ。そんな問いに、わしが答えられるわけないじゃないか」
「デイビス博士が、スペースシェパードをひきいている――、といううわさもありますが……」
「ほほう、そんな質問もわしにするかね――。わしは、なんとも言えんね」
「警察で、事情聴取、受けたんじゃないんですか」
「きみねえ、公共の電波使って、人を犯罪者あつかいしちゃいかんよ。証拠はどこにあるのかね。わしが犯人なら、今ごろ、こうやってテレビに出るなんて、できないだろ。そう思わないか」
「……。たいへん、失礼しました。では、最後に、有権者のみなさんに、うったえたいことがあればどうぞ」
「メトロコスモスのしょくん、わしは今までの候補者とちがって、頭を下げて投票してくれ、などということは言わん。だが、わしに投票しないとやっかいなことになる、そのことだけは覚えておくんだね。ワクチンソフトがなけりゃ、困るのは、きみたちだからね。トラトラダモスの予言なんて、当たってほしくないだろ。ふふっ」
おかあさんが、立ち上がって言った。
「なによ、これ。おどしじゃないの」
「とんでもないやつだわ」
「こんなの、ぜったい、知事にしちゃだめよ。知事になって、メトロコスモス乗っ取るつもりなのよ」
ドクターDは、天才的な頭脳を持っているくせに、以前からこういう男だった。
一年ほど前、ドクターDの講演会が、市民会館で開かれたことがある。風太は、当時まだ六年生だったおねえちゃんと、いっしょに聞きにいった。「コンピューターのしくみ」という内容だったが、超一流の博士の講演会とのことで、会場は、入りきれないほどの大盛況だった。
確かに、ドクターDは、コンピューターのあらゆることに、くわしかった。小学生にもわかりやすく、理路整然と説明してくれた。大人の人たちも、うんうんとうなずいて聞いていた。
だが、質問のときに、ドクターDの人間性があらわれるできごとがあった。
司会者の「質問はありませんか」という言葉にうながされて、どこかの小学生の男子児童が質問に立った。
「人間のように、心があるコンピューターって、いつかできるんですか」
なんのことはないふつうの質問だった。だが、ドクターDは、それにかみついたのだ。
「きみ、何年生かな」
「六年生です」
「六年にもなって、ふざけたこと聞くんじゃない。もっと、科学的な考えを持ったらどうだ。コンピューターに心を持たせるだと。心、持たせてどうすんだよ。コンピューターを喜ばせるっていうのか、泣かせるっていうのか。そんなことして楽しいか。ああ、どうしてこんな、ばかな質問する子供がいるのかね――」
聴衆はみんな、あ然としている。質問した児童は、立ったまま半泣きになっていた。児童といっしょに来ていた女の人が、割って入った。担任の先生のようだ。
「博士、小学生が純すいな気持ちで聞いた質問です。とってもいい質問だと思いますよ。もっと、やさしく答えてくれたっていいじゃないですか。どうしてそんな言い方、なさるんですか」
「やれやれ、こういうばかな先生がいるから、ばかな小学生が育つんだな」
先生は、引き下がらなかった。声を張り上げてうったえている。
「こんないい質問に、そんな答えしかできない博士の方こそ、おろかじゃないですか!」
会場から、大きなはく手があった。「そうだ、そうだ」、「子供にあやまれ」という声も聞こえた。
講演会は大混乱のまま終わった。
風太は講演会のときのことを思い出して、「異変を起こして、メトロコスモスを乗っ取ろうとしている――、あのドクターDなら、やりそうなことだ」と思った。