二 変なことがつぎつぎと
二 変なことがつぎつぎと
年が明けた。今年は二二九九年、二十三世紀最後の年だ。
テレビでは、盛んに「激論! トラトラダモスの真偽」なんて番組をやっている。昔、トラトラダモスという人物が、「今世紀最後の年、黒の悪魔ののろいで、人工の星がめつ亡する」と予言したらしい。そのことについて、うらない師や科学者が、議論しているのだ。人工の星といえば、メトロコスモスのことじゃないか、メトロコスモスの中では、今、もっともホットな話題と言っていいだろう。
三学期の始業式、風太が登校したときには、四年二組の教室でも、論戦が巻き起こっていた。
「原因不明だって言うんだぜ。おかしいじゃんか」
「だから、今、調べてるんだって。だいたい、周回鉄道が止まったってことと、メトロコスモスがめつ亡することと、なんの関係もないじゃん」
「じゃ、クリスマスの雪のことは、どうなんだよ」
「クリスマスのときは、まだ、二十三世紀最後の年じゃないでしょ」
「だから、予兆なんだって。トラトラダモスの予言って、今まで、当たらなかったことないんだよ」
先生が入ってきたのは、議論がまさにふっとうしていたときだ。先生が「はい、みんな席について」と注意すると、児童たちは、しぶしぶ自分の席にもどっていった。
確かに、ここのところ、おかしなできごとが続いている。
最近では、正月早々、周回鉄道が突然停止する、というできごとがあった。春中央駅では、春日神社の参拝を終えた初もうで客が、電車待ちであふれたという。
冬市では、年末のクリスマスに、町を歩けないほど大雪が降る、ということもあった。気象センターには、ひっきりなしに苦情電話があったそうだ。はじめは、この日の雪を担当していた風太のおとうさんが、制御データの入力をミスしたんじゃないか、って疑われたらしい。けど、中央コントロールセンターから気象センターのコンピューターに、大雪を降らすような信号が送られてきたのが、本当の原因らしいのだ。
「おとうさんの疑いは晴れたけど、このままにしておけないだろ。また、起こるかも知れないから……」
風太のおとうさんはそう言って、今朝も早くに家を出た。二週間たった今でも、対応に追われている。
学校から帰る途中、ミッチが言った。
「風太くん、覚えてる? ほら、遠足で動物園行ったときのこと。鳥の楽園で、鳥が大さわぎしてたことあるじゃない」
「ああ、確か――、地磁気が逆転しちゃったとか……」
「そうそう。あれの原因、わかったんだって。パパが教えてくれたの」
「なんだったの?」
「動物園の地磁気コントローラってのに、中央コントロールセンターから、逆転コマンドが送られてきたためだって。なんでそんなコマンドが送られてきたかっていうのは、今、調べてるらしいんだけどね」
「へえ、そうなんだ」
ミッチのパパは、市役所の情報管理室に勤めている。秋市のいろんな情報が集められるところだ。
「去年、周回ロードが、大じゅうたいしたってこと、あったじゃない」
「うん、覚えてるよ。荷物いっぱいあるのに、かさも持たされた日だもん」
「あれも、中央コントロールセンターから、交通情報センターに変な信号が届いたらしいのよね。それで、交通情報センターが、運転中の自動車のナビに、周回ロード以外は通れない、って信号を、送信してしまったんだって」
「なんでそんなことが……。中央コントロールセンターが故障したってこと?」
「それはまだ、わかんないんらしいの。トラトラダモスの予言、当たってるのかしら――。そんな、ばかなこと、あるわけないわよね」
中央コントロールセンターは、今まで、一度も不具合を起こしたことがない。なんと言っても、メトロコスモスでもっとも重要な施設。わずかな異変も見のがさない、ばんぜんの態勢で、二十四時間管理しているからだ。
中学校でも、トラトラダモスの話題で持ちきりらしい。夕食のとき、おねえちゃんが言った。
「信じる派と信じない派が、完全に分かれちゃって……。もうクラス中が、大さわぎだったんだから――。臨時のホームルーム開こうよ、って提案する男子もいたくらい」
「で、おねえちゃんはどっち?」
「うーん。やっぱ、信じない派かなあ――。予言とかうらないとか、宇宙時代の話じゃないもん」
「でも、変なこと、起きてるのも確かだよ」
「そうなんだけどねえ……」
「ねえ、おかあさん。おとうさん、きょうもおそいの?」
と風太はおかあさんにたずねた。
「クリスマスの異常気象のことが、まだ片付かないんだって」
「冬休みに、シーサイドパーク、連れてってくれるって、約束だったのに……」
「がまんしなさい。おとうさん、今、たいへんなんだから」
その日の晩、「正月に、周回鉄道が停止した原因が、わかりました」と、テレビニュースが伝えていた。中央コントロールセンターから、きみょうな信号が、鉄道管制局に届いたためらしい。
「また、中央コントロールセンターか……」
なにか――、正体の知れないなにかが、メトロコスモスにしのび寄っている……、風太は、そんな予感がしていた。
つぎの日曜日、風太は、おねえちゃんと遊園地に出かけた。本当は、シーサイドパークに行きたかったんだけど、おとうさんもおかあさんも行けないので、子供だけでも行ける遊園地にしたのだ。
おとうさんは、まだ仕事が片付かないんだ、って出勤してしまったし、おかあさんは、自治会の臨時集会があるから出かけられない。ここのところ大人の人たちは、いつもいそがしそうにしている。たぶん一連のきみょうな現象と、関係があるのだろう。
ふたりは、秋中央駅の改札口に、生徒手帳をかざして、周回鉄道のホームに入っていった。
今の時代、運転免許証やキャッシュカードやIC乗車券、といったカード類は、すべて、一枚の身分証明書に集約されている。このカードさえあれば、電車やバスに乗れるし、スーパーやデパートで買い物もできる。学校に通っている風太たちは、生徒手帳がその役割を果たす。ちなみに、このカードはぬすまれても他人に悪用されることはない。使うときは、カード認証と同時に指もん認証も行われるからだ。
風太たちは、ホームにやってきた急行に乗った。遊園地のある夏中央駅まで止まらない電車だ。
電車の窓を開けて、変わっていく景色をながめる。周回ロードでは、電車と同じくらいのスピードで、自動車が走っている。電車の窓から見ると、止まっているようにも見えた。周回ロードの向こうには、周回サイクリング道、そのさらに向こうに、周回歩道が見える。来週開かれる「州民マラソン大会」の準備で、周回歩道のあちこちに、給水所ができていた。五千人のランナーが、一周三一・四一六キロの距離を走りぬく。メトロコスモス州の一大イベントだ。
車窓の景色は、森林公園、秋天大聖堂、秋風神社と移っていく。
小高い丘の上に、石でできた塔がある。「メトロ遺せき」だ。二十三世紀のはじめ、メトロコスモスに人類が住みはじめたことを記念して、建てられたものだ。「遺せき博物館」には、建設中のメトロコスモスの写真や、当時、建設にたずさわった人の宇宙服が展示されている。
当時の宇宙服はとても分厚くて、重さが七十キロもあったらしい。はいた息から、二酸化炭素を取り除いて、酸素にもどしたり、宇宙服の中の、温度やしつ度を調整したり――、そういうことをする装置を、背中に背負わなければならないからだ。着ているのが精いっぱいで、からだも、自由に動かせないような物だったようだ。今の宇宙服は、もっとうすく動きやすい物に改良されている。
メトロ遺せきを過ぎると、夏市に入った。風が急に暖かくなる。乗客たちが、上着をぬいだ。おねえちゃんもカーディガンをぬいで、ひざの上に置いた。海が見える。もちろん人工のものだが、魚もいるし、ノリやワカメもとれる。さすがにクジラはいないのだが……。海の上には、青い地球が浮かんでいた。
海のすぐ横には、シーサイドパークがある。新型ウォータースライダーで遊ぶ子供たちのかん声も聞こえてきた。おとうさんの仕事が一段落したら、連れてきてもらおう、と風太は思った。
電車は、夏中央駅についた。電車を降りるとそこは真夏だった。強い日差しが照りつける。もちろん、疑似太陽光だけど、地球の夏とまったく同じなのだ。
風太たちは、ゲートに生徒手帳をかざして、遊園地に入っていった。「スペースコースター」のごう音が聞こえてきた。評判の、絶きょうマシンだ。
遊園地の乗り物は、地球のものよりメトロコスモスのものが、だんぜんおもしろい。メトロコスモスの遊園地の乗り物は、ほとんどが、地上から地下にもぐりこんで、宇宙空間に飛び出していく。そこから見えるながめは、地球では、決して味わえないものなのだ。
「ねっ、早くなんか乗ろうよ」
「そうねえ。じゃ、さっそくスペースコースターにする?」
ふたりは、乗り場の方に走っていった。去年完成したばかりのスペースコースターは、ふたりともまだ乗ったことがない。この乗り物は、地上高くから地面に落下して、その勢いで、地面の中を猛スピードで突きぬける。それから、メトロコスモスを飛び出し、きりもみ回転してから、もどってくるというものだ。宇宙空間では、空気が満たされたチューブの中を回ってくるのだが、宇宙に出たときに見える、地球と月と星々と、そしてメトロコスモス自身のながめは、大はく力だという。今、もっとも人気のある乗り物だ。
乗り場では、大勢の人が順番待ちで並んでいた。風太たちは列の最後尾に並ぼうとした。ところがそこで風太は、いやなことが書かれているのを見つけてしまったのだ。
「身長百三十五センチ未満の方は、乗車できません」
四月には五年生になる風太だけど、身長はまだ百三十センチにも足らない。
「ええっ! なんで……」
このときほど風太は、背たけが足らないことを、くやんだことはない。風太は、がっくりと肩を落とした。ガラス張りの地下空間から、ゴーッと音を立てて、スペースコースターがのぼってくる。乗客が、「ああ、おもしろかった」と言いながら、下りてきた。風太は、うらめしそうな目でその光景を見た。横で、幼稚園くらいの男の子も、半べそをかきながらコースターをながめていた。
「風太、あきらめなって。わたしも乗らないから」
おねえちゃんにさとされて、風太は、なごりおしそうにその場をはなれた。
風太は「チャイルドシップ」の乗り場に行った。絶きょうマシンに乗れず、ふてくされている風太を見て、おねえちゃんが「これでも乗ったら」とすすめたのだ。
チャイルドシップは、幼稚園から小学低学年向けの宇宙船のことだ。これなら百三十センチでも乗れる。というか――、百三十五センチ以下の人しか乗れない――、そういう乗り物なのだ。宇宙服が、きっかり百三十五センチしかないことと、チャイルドシップの中がとてもせまく、天井に頭がついてしまうからだ。チャイルドシップは、空気が満たされたチューブの中ではなく、実際に宇宙服を着て、真空の宇宙を、自分で操縦する乗り物だ。地球の遊園地でいうゴーカートの宇宙版のようなものを、想像すればいいだろう。
風太は、宇宙服を着て、チャイルドシップの前に立った。チャイルドシップはふたり乗りだ。風太の横に幼稚園ぐらいの男の子がいて、いっしょに乗りたそうにしていた。幼稚園の子供は、ひとりでは操縦できないので、だれかいっしょに乗ってくれる人を、探していたのだ。男の子の母親らしい人が、風太に言った。
「おにいちゃん、悪いけど、この子、いっしょに乗せてやってくれる?」
「はい、いいですけど……」
「シンちゃん、中でさわいじゃだめよ。おっきいおにいちゃんの言うこと、良く聞いてね」
母親は、男の子にそう言ったあと、風太を見て軽くえしゃくした。風太は不機嫌そうな顔で、首をたてにふった。なんで、こんな子供用の乗り物、乗るはめになっちゃったんだよ、という気持ちだった。
チャイルドシップは子供用だけど、一応、ちゃんとした宇宙船で、ひととおりのことはできるようになっている。百キロ程度の距離なら通信も可能だし、耐熱パネルも張られているので大気けん突入も可能だ。操縦技術のある高学年なら、その気になれば、地球に行くこともできる乗り物なのだ。
ただ、遊園地の乗り物としては、おもしろくない。ロープにつながれているので、遠くには飛び出せないのと、船体が全面ガラス張りじゃなく、CDほどの小さな窓が、座席の横についているだけなので、外の景色をほとんど見られないからだ。前にモニターディスプレーはあるが、そんなのを見ても、宇宙空間に出てるような気分にはならない。
風太は、男の子とチャイルドシップに乗りこんで、操縦席にすわった。男の子も、宇宙服をちゃんと着て座席ベルトをつけている。ヘルメットの中にマイクとスピーカーがあって、話はできるようになっている。
「じゃあ、行くよ」
風太はそう言って、チャイルドシップを発射させた。男の子は、わくわくしているような表情だ。
だが、楽しいのはそこまでだった。チャイルドシップは宇宙に出たのだが、窓が小さくて、星空が良く見えない。風太は、なんとか、星空を男の子に見せてやらなきゃ、とチャイルドシップの方向を、いろいろ変えてみた。けれど、どう回転しても、真っ黒な景色があるだけだった。男の子は窓をのぞきこんでいるが、なにも見えないのに、がっかりしている様子だ。
「では、そろそろもどしますから……」
遊園地のスタッフの声が、スピーカーから聞こえた。
「ええ、もう終わっちゃうの……」
と男の子が言った。チャイルドシップは、ロープで、もとの発射場に引きもどされた。
チャイルドシップから下りた男の子に、母親がたずねた。
「どう? おもしろかった?」
「つまんなかった――。だって景色、ぜんぜん見えないんだもん」
男の子はそう言って風太を見た。風太は不機嫌そうな顔で見返した。ぼくのせいじゃないよ、という顔だ。
実際、チャイルドシップは、幼稚園児にも人気がない。遊園地にも、一機しか残っていない乗り物なのだ。いずれ遊園地からも消えちゃうんじゃないか、と風太は思った。
園内を、警察官が走っている。かなりあわてている様子だ。事件が少ないメトロコスモスではめずらしいことだ。
「なんか、あったのかなあ――」
と風太が言った。客が警察官のあとを追いかけていく。
「スペースコースター、途中で止まっちゃったんだってよ」
「えっ、ほんとかよ」
風太とおねえちゃんも、あとを追いかけていった。スペースコースターの乗り場では、救助隊の人が空気ボンベを背負って、地下のもぐり口に入っていくところだった。大勢の客が、遠巻きにその作業をながめている。風太たちもその輪に加わった。風太たちの前で警察官が、これ以上前に行かないよう止めていた。
「おい、見ろよ。あそこに引っかかってんだよ」
風太は、やじうまが指さした方向を見た。地下に、スペースコースターが走るチューブがある。そのずっと先、宇宙空間を出てきりもみ回転するところに、スペースコースターが見えた。どうやらあそこで引っかかったらしい。
「一番、こわいとこじゃん」
地球のジェットコースターでいうと、回転している途中で止まってしまった。そんな感じだ。乗客は無事らしい。けど、あんなこわいところで止まっちゃうなんて……。
遊園地の場内アナウンスが流れてきた。
「本日は、遊園地におこしいただき、ありがとうございます。まことに申し訳ありませんが、都合により、本日はこれをもって、臨時休業とさせていただきます。お客さまは、すみやかにご退場をお願いします」
あちこちから客の声が聞こえてくる。
「ええっ、臨時休業だってよ」
「そりゃ、スペースコースターがこうなっちゃってはな」
「また、中央コントロールセンターから、変な信号が届いたっていうんじゃないかしら」
「やっぱり、トラトラダモスの予言って、当たってんじゃない?」
客たちは、不満の声をもらしながらも、しかたないって感じで、遊園地を出ていった。
この日は、もうひとつ事件があった。風太たちが夏中央駅についたとき、多くの人がホームに入れないで、改札口の外にいたのだ。みんな途方にくれた顔をしている。駅員の何人かは客の問い合わせに追われ、ほかの何人かはどこかに電話していた。
人波は、遊園地から出てきた人で、どんどん増えていく。風太たちもどうして良いかわからず、駅前に立っていた。しばらくすると、駅員がハンドマイクを持って出てきて、言った。
「ごめいわくをおかけして申し訳ありません。カード認証で、不具合が起こってるようなのです。修理に時間がかかりますので、本日は、カードをかざさずに改札口をお通りください」
客たちは、「やれやれ……」と言いながら改札口をぬけた。ちょうどホームに電車がやってきて、客たちはそのまま電車になだれこんだ。
日曜だっていうのに、きょうも、おとうさんの帰りはおそいらしい。きょうの夕食も、三人だけだ。風太はここのところ、おとうさんといっしょにご飯を食べた記おくがない。おかあさんが言った。
「クリスマスの後始末、終わりそうだって言ってたのに――、また、異常気象が起こったらしいの。今度は、春市だって。突然、もう吹雪になって、田んぼとか畑が、雪でうまっちゃったのよ」
「たいへんじゃん、お米とか野菜、どうなっちゃうの」
と風太が言った。
「ちょうど、ニュースの時間だわ。ちょっと、テレビつけて」
風太がテレビをつけると、アナウンサーが早口でしゃべっていた。
「本日発生した、春市のごう雪で、農作物が大きょう作になることが、心配されています。ですが、食料は、低重力倉庫に、五年分の備ちくがありますので、直ちに食料が不足することはありません。チェスノコフ州知事は、州民に、落ちついて行動するよう呼びかけています」
おねえちゃんが、「なんか、あのアナウンサーの人、ちょっとあわててるみたい――」と言った。
アナウンサーは続けている。
「ごう雪の原因は、現在調査中ですが、気象センターの河瀬健一課長は、中央コントロールセンターの一連の異変と関係があるんじゃないか、と話しています」
画面に、河瀬課長がインタビューに答えている様子が、映し出された。
「あっ、おとうさんだ」
「おとうさん、なんか、疲れた顔してない?」
画面は、またアナウンサーに切りかわった。
「では、つぎのニュースです。きょう、夏市の遊園地で、人気アトラクションのスペースコースターが、回転している途中に停止するという事故がありました。乗客は、コース沿いの階段を、歩いて避難したため無事でした。また、このすぐあと、周回鉄道の夏中央駅で、自動改札が通れなくなる、という事故もありました。このふたつの事故は、いずれも、中央コントロールセンターから異常な制御信号が送られたため、と見られています」
「えっ? 詩織と風太、遊園地、行ってたんじゃないの」
「そうなの。もし風太の背たけがもうちょっと高けりゃ、スペースコースター、乗ってたかも知んないわ」
「遊園地でも駅でも、みんな、大さわぎしてたんだよ。ねっ、おねえちゃん」
「そんなことあったら、おかあさんにも教えてよ」
「ごめんなさい。でも、家に帰ったらおかあさん、電話してたから……」
やっぱり、なんか変なことが起こってる。風太は、メトロコスモスどうなっちゃうんだろう……、と思った。
変なことはまだ続いた。
つぎの日、学校に行くと、先生たちが手になにかいっぱい持って、ろうかを走っていた。だれかが先生に、「ろうか、走っちゃだめ」と注意した。先生は「ごめん、急いでるの」と言って、そのまま走っていった。
風太たちが教室でさわいでいると、まだ始業チャイムも鳴っていないのに、イサベル先生が教室に入ってきた。先生は、すぐに教だんに立って大きな声で言った。
「はーい、みんな。すぐにすわって」
さわいでいた児童たちは、みんな自分の席についた。アレックが、「先生、なんかあったんですか」と聞いた。
「はい、今から説明するから……。ええと、みんな登校してるわね。まだ来ていない人は――、いないわね」
先生は、教室を見わたして、全員いることを確かめてから言った。
「急なことですが、きょうからしばらく、学校はお休みにします」
「えーっ、なんで」
「来なくていいの?」
「やったーっ」
「はい、静かに。静かにしなさい。実は、冬市の一部で、空気の中にわずかに催眠剤がふくまれていたことが、わかったらしいの。わたしたちのいる秋市では、今のところ、なんにもないんだけど、当分の間は、授業は、みなさんの家で受けてもらうことにします。インターネット授業です。みんな、やったことあるからわかるでしょ」
「なんだあ、やっぱ、勉強はするんだ――」
「家に帰っても、なるべく、外には出ないようにしてください。もし出かけるときは、必ず、空気マスクつけるようにしてください」
「先生。サイミンザイってなんですか。吸うと死んじゃうんですか」
「ううん、ねむくなるだけ。健康には害はないわ。でも、外でねむっちゃうとたいへんでしょ。だから、空気マスクは必ずつけるようにしてください。今から空気マスク、配りますので、きょうから、さっそくつけて家に帰ってください」
先生はそう言って、空気マスクを児童に配っていった。登校したとき、先生方が持って走っていたのはこれだ。学校の倉庫に保管していたものを持ってきたのだ。
空気マスクは、メトロコスモスでは緊急時に必要なものだ。小学生はみんな、自分でかぶれるように訓練を受けている。
家に帰ると、おねえちゃんはすでに帰ってきていた。中学校も休校になったらしい。おかあさんとおねえちゃんは、不安そうな顔して、リビングでテレビを見ていた。
「風太、おかえり」
おかあさんは、風太の方をふり返りもしないで言った。
「テロリストのしわざかも知れないって……。ずっと臨時ニュース、やってるのよ」
風太は、自分の部屋にランドセルを置くと、すぐにリビングに行った。アナウンサーが、緊張したおももちで話している。
「では、今朝から各地で起きた事件を、あらためてお伝えします。まず、通信センターによると、きょうの未明から、地球との無線通信がいっさいできなくなった、とのことです。電話やメール、インターネット、テレビ放送といったすべての通信が、現在不通になっています。なお、メトロコスモス内の通信には支障がありません」
「地球テレビも見られないの?」
「そうみたい。さっきチャンネル変えてみたけど、真っ黒で、なんにも映んなかったわ」
「つぎに、空気環境局によると、冬市空気システムが異常動作を起こして、空気の中に催眠剤が放出されたことが確認されたそうです。どこで混入したかは、現在調査中ですが、本日は、できるだけ外出しないよう呼びかけています。とくに車での外出は、いねむり運転してしまうおそれがありますので、ぜったいにやめてください」
「きょう、ぼく、空気マスクして帰ってきたんだよ」
「わたしも」
「先生、外に出るときは、必ず空気マスクしなさいって。おかあさん、うちにも予備のボンベあるよね」
「ええ、確か、押し入れの中にあるはずよ。あとで探しといてあげる」
「秋市消防署によると、きょう、午前七時ごろ、秋市のデパートで火事が発生しました。はじめは、ぼや程度の火だったようですが、自動消火装置が動作しなかったため、ビル全体の火災にまで、広がってしまったとのことです。現在、夏市、冬市の消防署からも消防車が出動して消火活動にあたっています」
「デパートって、うちのすぐ近くじゃない」
「そういや、朝、カンカンって消防車の音、聞こえてたけど、それだったのかしら……」
「今も、燃えてんだって。たいへんなことじゃん」
メトロコスモスでは、火事はぜったいにあってはならない。酸素を急激に消費して、空気調整に大打げきをあたえてしまうからだ。最悪の場合、メトロコスモス全体が、酸欠になってしまうおそれもあるのだ。このためメトロコスモスでは、すべての建物に、自動消火装置をつけることが義務づけられている。今回は、それが動作しなかったという。なによりも朝七時というと、デパートには客はもちろん店員もいない。そんなところで火事が発生したというのが、おかしなことなのだ。
「今、新しい情報が入りました。今朝、起きたできごとは、すべて、中央コントロールセンターからの異常信号が原因だということです。警察は、今回の事件が、テロの可能性もあるとして、特別そう査本部を立ち上げてそう査を開始しました」
「なんか、こわい……」
おねえちゃんがおかあさんにだきついた。おかあさんは、おねえちゃんの背中をぽんぽんとたたいて「大丈夫、大丈夫よ」と言った。
やはり、なにか、たいへんなことが起こっているらしい。黒の悪魔ののろい――、トラトラダモスの予言が当たっているのだろうか。