一 メトロコスモス
一 メトロコスモス
「周回ロードは、秋中央インター付近で、大じゅうたいしています」
テレビのアナウンサーが、興奮した様子でしゃべっている。朝のこの時間、いつも少しはこむけど、これほどのじゅうたいは、起きたことはないらしい。
「たぶん、交通情報センターのだれかが、データ入力、ミスしたんだろうな――。おかあさん、きょう、電車で行くからね。ちょっと急がなくっちゃ」
風太のおとうさんは、そう言って食パンにかぶりついた。
風太は、マンションの窓から周回ロードを見た。周回ロードは、周回鉄道と並行して「メトロコスモス」を一周する幹線道路だ。じゅずつなぎのバスや乗用車の横を、満員の周回電車が、通り過ぎていった。
線路の向こうに草原が見える。放牧された牛やヒツジが、のんびり歩いていた。通勤や通学であわただしい線路のこちら側とはちがい、時間が、ゆったり流れている感じがする。草原の一角には動物園がある。ゾウの親子が、並んで草を食べていた。キリンも、えさ箱の中に頭を突っこんでいる。カバはまだ、陸に出てきていないようだ。目をこらせば、サル山のサルが、つなわたりしているのまで見えた。
「ごちそうさま」
朝食を食べ、歯みがきしたあと、風太は自分の部屋にもどった。ランドセルを背負い、けんばんハーモニカと、体操着と、上ばきの手さげぶくろを持って、玄関に行く。くつをはき「行ってきまーす」と言って玄関を出ようとしたときだ。
おかあさんが風太を呼び止めた。
「ちょっと待ちなさい。きょう夕方、雨降るんだって。かさも持っていきなさい」
「ええっ、荷物いっぱいなのに……」
風太は、荷物を全部、右手に持ちなおし、左手でかさを取って、背中で玄関のとびらを開けて、出ていった。
ろうかを歩く風太に、同じマンションのおばさんが、「まあ、たいへんねえ」と声をかけた。風太は、ぶすっとした表情のまま、「はい……」と言って、おばさんの横を通り過ぎた。
エレベータを下り、マンションの外に出る。バス停の前で、かさを持った大勢の人が、並んでいた。今は晴れているが、きょうの正午から午後六時の間、きっかり二十ミリの雨が、降ることになっているからだ。
風太は、周回ロード沿いの歩道を、学校に向かって歩いていった。電気自動車が、列をなして空に向かってのびていく。メトロコスモスでは、酸素を消費するガソリン自動車は、乗ってはいけないのだ。ずっと先の丸い輪の中に、冬市のスキー場が、かすんで見えた。輪の中の景色が、空をせり上がっていくように見えるのは、ここがメトロコスモスだからだ。
風太は、二年前にここにやって来た。そのときは、この景色にちょっととまどったけど、今は慣れた。輪の外を見ると、真上に低重力エリア、その左側は、地球が太陽に照らされて青く光り、右側では、三日月が星々といっしょに、ゆっくり動いていた。
秋市立第一小学校は、周回ロードから、少し山手にいったところにある。四年二組の教室は校舎の三階、河瀬風太の席は真ん中の列の一番前、教だんのすぐ前だ。
担任のイサベル先生は、風太が一番背が低いから、という理由でそうしたのだが、机にすわるんだから、背の高さなんか関係ないのに、と風太は思っている。風太のとなりは、やはり女子の中で一番小がらな新藤美智代、ミッチの席だ。
はじめにこの席に決まったときは、いつも先生に見られていやだなあ――、と思っていたけど、すわってみると案外そうでもない。灯台もと暗し、という言葉どおり、先生はすぐ前の風太はあまり見ないで、後ろの方ばかり向いて話をするからだ。
一時間目は体育だ。「ドッジボールとかサッカーだったら楽しいのに……」と風太は思った。体育は得意な風太だが、きょうは、ただひとつ苦手な器械体操だからだ。マット運動やとびばこは、なんとかできるけど、鉄棒では逆上がりもできない。きょうは、苦手中の苦手、「うんてい」をするという。
同級生が、順番にうんていにぶら下がって、向こうのはしに進んでいく。エドガーなんて、三段おきにバーを移動して、あっという間に向こう側についた。風太の番がやってきた。風太はぶら下がったままで、先のバーに手を持っていくことができない。
「ほら、からだ全体を、ぶらんぶらんとふって。ふりこのようによ」
と先生は言う。そんなこと言われなくてもわかってるよ、と思うけど、風太にはできない。一生けん命、からだを前後にゆすってるんだけど、どうやっても、ふりこのようにはならないのだ。ひとつ先のバーが、ものすごく遠くに感じる。風太は一段も進めないで、その場で手をはなしてしまった。一段も進めなかったのは、風太とちょっと太ってるナナコだけだった。
風太はくやしかった。けれど、このままずっとできないでいるというのは、もっと、たえられない。この日から風太は、エドガーから、うんていを教わることにした。足がおそいしドッヂボールのたまもよけられないエドガーに、教えてもらうのはしゃくだけど、しかたがない。
「風太、ちがうって。足だけふったって、だめなんだよ。ほらこうやって、おしりからふるんだよ」
「低重力体育館では、できたんだけどなあ――」
「あんなとこで、できたってだめだよ。1Gのところでできなきゃ」
風太は毎日、休み時間に練習を続けた。手にまめができ、それもつぶれて水が出てきた。バーをにぎるのが、いたくていたくてしかたがなかったけど、がまんした。そして一週間後、ようやく一段だけ移動できるようになったのだ。
メトロコスモスというのは、地球を回る、宇宙ステーションの中にできた都市のことだ。たとえて言うと、自動車のタイヤのようなというか、うきわの真ん中に、かんづめを置いたようなというか――、そんな形をしている。うきわ部分の直径は十キロ、かんづめ部分の直径でも、五キロもあるという、巨大な宇宙ステーションだ。
メトロコスモスは、全体がコマのように回って、見かけ上の重力を作り出している。風太たち住人が暮らす「居住エリア」は、うきわ部分の内部にある。かんづめ部分は「低重力エリア」で、そのはしっこ、つまり、かんづめの底の部分とふたの部分は、それぞれ「南極」、「北極」と呼ばれている。南極は常に地球の方を向き、北極は宇宙の方を向いている。
夕飯のとき、風太が言った。
「ねえ、おとうさん、今度、シーサイドパーク連れてってよ。新型ウォータースライダー、ちょうおもしろいってさ」
「うーん、冬休み入ったらな。今、いそがしいんだよ。もうすぐクリスマスだろ。冬市の雪、まかされちゃってさ」
今年、中学生になったおねえちゃんが、「へえ、責任重大じゃん」と言った。
「そうなんだよ。どうやってロマンチックに降らせるかって――、おとうさん、そればっかり考えてんだから……」
おとうさんは、気象センターのエンジニアだ。気象センターといっても、地球のように、先の天気を予想するのではなく、天気をコントロールする仕事をしている。この前、秋市で雨を降らしたのも、気象センターがそういう制御をしたからだ。
クリスマスには冬市で雪を降らせる――。メトロコスモスでは、毎年、こう例になっていることだけど、いかに、げんそう的に降らせるか、というのは、気象エンジニアの、うでの見せどころなのだ。去年は、風にまうこな雪、おととしは確か、静かに降るぼたん雪で、メルヘンチックなクリスマスを、演出していた。
メトロコスモスには、十万人の人々が住んでいる。
うきわ部分の内部は、ちょうど九十度ずつ、春市、夏市、秋市、冬市に分かれていて、百八十度はなれたところ、つまり点対称の位置に、なるべく同じくらいの重さの施設が、つくられている。コマは、重さのバランスがとれていないと、きれいに回転しない。それと同じように、メトロコスモスも、重量のバランスをとるようにしているのだ。たとえば、春市には田んぼや植物園があるが、百八十度はなれた秋市には、ほぼ同じ重さの牧場や動物園がある。夏市の海や遊園地の対称の位置には、冬市のスキー場やスタジアムがある、といったぐあいだ。
人々は、四つの市に分かれて住んでいる。市の人口も四分の一ずつ、約二万五千人だ。春市は、その名のとおりいつも春、ほかの市も、いつもその季節になるよう、調整されている。
きょうは四年生の遠足だ。遠足というと、ふつうは楽しい行事だろうけど、風太は、あまりうれしくなかった。というのも、行き先が動物園だからだ。
「メトロコスモスの中に動物園をつくるときって、たいへんだったのよ。キリンやゾウやライオンやカバや……、いろんな動物、宇宙船に乗せて、連れてきたっていうんだから……」
と先生は言う。それはわかるけど、電車やバスに乗って、遠くに行くわけでもない。リュックサックとスケッチブックを持って、いつも通学してくる道を、逆もどりするだけって、楽しいわけないじゃないか、と風太は思う。
「動物なんて、どこがおもしろいんだか――。見たけりゃ、家のベランダから、いつでも見られるしさ……」
動物園までの道のりを、みんなで歩いているとき、風太は、不満げにつぶやいた。
「いいじゃない、なんべん行ったって。わたし楽しみよ。この間、ペンギンの赤ちゃん生まれたって、ニュースでやってたし……」
とミッチが言った。
動物園には、幼稚園児も遠足に来ていた。冬市からやってきたのか、みんな厚手のセーターを着ている。園児は、ふたりずつ手をつないで、歩いていた。
「見て見て、かっわいい」
「どこが……」
「だってさあ、風太くんよりずっと小さいんだよ――。かわいいじゃん」
風太は、自分と同じくらい背の低いミッチに、そんな風に言われて、おもしろくなかった。
風太とミッチは、「鳥たちの楽園」というところに、入っていった。ものすごく大きな鳥小屋になっているところだ。高いところまであみが張られていて、その中で、多くの鳥が飼育されている。
「見て見て、あれ、ものすごく大きい鳥――」
ミッチが、上を見上げて言った。大きな鳥が、グライダーのように、羽を広げて飛んでいる。
「コンドルだよ。そりゃ大きいよな。ぼくは小さいけど……」
「なに? 風太くん。さっきのこと、まだ気にしてんの」
「べつに……」
むすっとした表情の風太を、ミッチはにやけた顔で見た。
ふたりは、絵が描きやすそうな場所を探して、楽園の中を歩いた。「フラミンゴの池」で、ピンク色のフラミンゴが片足で立っている。これなら、絵にするのも簡単そうだ。ふたりはその前に陣取って、スケッチブックを広げ、絵を描きはじめた。
そのときだ。急に楽園の中が、さわがしくなった。鳥たちが一せいに鳴き出したのだ。耳をつんざくような鳴き声だ。のんびり立っていたフラミンゴが羽を広げた。上空を飛んでいた鳥があみにぶつかった。あわてた様子で木に止まった鳥もいた。
「どうしたんだろう」
「なんか、こわいことでも起きたのかしら……」
鳴き声は、しばらく続いたあと止まった。フラミンゴも、落ちついた様子で、また一本足ポーズにもどった。
少しして、飼育員の人が楽園に入ってきた。鳥の様子を一羽一羽観察している。
「なにか、あったんですか」
風太が聞くと、飼育員の人が答えた。
「鳥たちの楽園ではね、地球の地磁気を、再現してるんだけど――、それが、急に逆転しちゃってね。鳥って、磁気を感じる能力あるんだよね。急に変わったから、みんなびっくりしちゃったみたい」
「へえ、鳥ってそんな能力あるんですか……。知りませんでした」
「今は、直ったけどね。でも、こんなことってはじめてだよ」
「不思議なこと、あるんですね……」
風太はそう言って、絵の続きを、描きはじめた。
この前の周回ロードのじゅうたいといい、きょうの地磁気の乱れといい、すべてのことが、完全にコントロールされているはずのメトロコスモスで、なんか、変なことが起こりはじめている。このあと、メトロコスモスは、建設以来の危機に見まわれていく――。変なできごとは、その前兆だった。
二十一世紀のはじめには、すでに「国際宇宙ステーション」というのが、建設されていた。アメリカとロシアとヨーロッパ各国と、そして日本も協力して、つくったものだ。「きぼう」という、日本の実験棟もできて、日本人宇宙飛行士も滞在していたという。きびしい訓練を積んだ宇宙飛行士しか行けなかった宇宙ステーションだけど、宇宙というものが、身近になりつつあったころだ。
その後、第二次宇宙ステーション、第三次宇宙ステーションと、規模が拡大していった。そして二十二世紀に入ると、人々がふつうに住める宇宙ステーションを、建設しようじゃないか、という動きが起こった。ずっと昔、ジェラルド・オニールというアメリカの学者が提唱した「スペースコロニー」。それを、実現しようというのだ。宇宙のきょ点としての宇宙ステーション、それまで、各国が独自に行っていた宇宙開発を、全部まとめて、この宇宙ステーションをきょ点に進めることにしたのだ。
建設は、一世紀にわたって進められ、二十三世紀に入って、今のメトロコスモスが完成した。地球観測、天体観測、無重力実験といった実験施設・観測施設のほか、人が地球と同じように住めるように、空気や水の生成・じょう化装置、発電所、重力や気象の調整施設が建設された。生活に必要な住まいや学校、病院から農場、牧場、漁場にいたるまで、地球と同じような環境がつくられた。
これらの施設はすべて、低重力エリアの奥の奥にある「中央コントロールセンター」で制御されている。スーパーコンピューターを使って、各地の気温や空気成分の調整から、農作物・ちく産・漁業の管理まで、ありとあらゆることがらを、地球環境と同じになるように制御する。中央コントロールセンターは、メトロコスモスの中でもっとも重要な施設、言わば、メトロコスモスの頭脳なのだ。
メトロコスモスができて約百年、二十三世紀も終わりに近い今では、世界各国からやって来た人々が、地球と同じように、メトロコスモスで暮らしている。
「メトロコスモス州」は、世界のひとつの地域として組み入れられている。ちなみに風太の家は、メトロコスモス州秋市さつきが丘二丁目一五三番地オータムレジデンス五二〇号、というところだが、地球から、この住所に手紙を出してもちゃんと届くのだ。
もうすぐ二学期が終わる。風太は、地球の友だちにも年賀状を書くつもりだ。「一度メトロコスモスにも遊びに来てください」と。




