プロローグ
プロローグ
「どうかこの力が王の手に渡らぬように……」
美しい女はそう言い残して自らの舌を噛み切った。
ベッドには血が流れ、白いシーツには赤い染みが広がっていく。
これが稀有な能力を持ったが為に幽閉された女の末路だった。
ある城の中の一室で起きた悲劇だ。そこはまるでお姫様でも暮らしていそうな部屋で、天蓋付きのベッドや装飾が施された洋服箪笥などが優雅に置かれていた。だが、窓には鉄格子が嵌められている上にドアには外側からしっかりと施錠されている。その部屋に逃げ道は無かった。 女が死んだことにはまだ誰も気付いていなかった。部屋の番をしていた衛兵でさえも気付いていなかった。
シーツに広がる赤い染みは更にその面積を広げている。
しばらくすると、女の身体から白い靄と紫の靄が抜け出てきた。女の願いを叶えるかのように魂が身体を抜け出した瞬間だった。女に宿った稀有な能力を引き連れて……。
その靄はどんどん混ざり合いながら全てを突き抜けて天に昇っていった。溶け合うかのように螺旋を描きながらぐんぐんと上昇した。そしていつしか靄は姿を消した。 靄が見えなくなった時と同じくして、衛兵は異変に気付いた。部屋の鍵を開けて中に入った時には既に遅く、ベッドが真っ赤に染まっていたのだ。その上に美しい女を横たえて。
知らせを受けた王が急いで駆け付けた時、女の身体には能力の欠片すら残っていなかった。
「これがいなければ、わたしは世界を掴むことができぬではないか!」
王は怒り、女の亡骸を乱暴につかんだ。女の頭が、ぐらん、と揺れて王の方を向いた。生気を宿さないその顔は、死して尚美しかった。が、王にはそんなことどうでもよかった。女の持っていた能力だけが、王の望んだものだったから。
それなのに、女の首筋には血の跡に隠れて微かに痣ができていた。能力を失ったことを意味する痣が。
怒りの収まらない王に近付いた黒いローブの男が王に耳打ちした。
「おそらくあの力は魂と共に《永遠の交差点》を通り《輪廻の輪》へと向かったのだと思われます。どうしてもあの力が欲しいのならば、一つだけ方法がございますが、いかがいたしますかな?」
ある日突然王の前に現れたローブの男。あまりにも深くローブを被っているので誰もその顔を見ることができないでいた。若いのかも年老いているのかも、誰にも分からない。ただ低くしゃがれた声だけが、ローブの中が男であると考えられる理由だった。それでも王は出自の分からないローブの男を信用しているらしく、この男のいうことならなんでも聞いていた。
「ほう、どうすればよいのだ?」
王は期待に胸を膨らませ、ローブの男の話に耳を傾けた。
「《扉の番人》を遣えばよいのです」
一方、女の魂は《永遠の交差点》を通り過ぎて既に《輪廻の輪》に辿り着いていた。
《永遠の交差点》は全ての死者の魂が通るとされる場所である。そして《輪廻の輪》は全ての魂が集まる場所であり、何者にも侵害されることはない。次の運命が与えられるのを待つ魂達を庇護しているのだ。そして、女の魂もいつかは転生しなければならない。
だが、《輪廻の輪》を司る番人達は恐れていた。あまりにも強力な、女の魂に絡み付く能力を。
この魂を与えられた次なる運命を背負う者が、並外れた能力に耐え兼ねて力を暴走させてしまわないだろうか、と。『この魂は危険だ。この能力は危険だ。何とかして切り離さなければ。力を分散させなければ全てが滅んでしまうかもしれない』
でも、大変なことに魂と能力の結合は考えられていたよりも強固だった。それはまるで、能力すらも魂であるかのように融合してしまっていたのだ。
『これは魂自体を分けなければなるまい。少しでも能力を分離すれば弱まるかもしれん』
番人達は考えに考え抜いた末に、魂を分裂させることにした。前例が無いことではあるが、それしか方法が出てこなかったのだから仕方が無い。全てを終わらせる滅びの可能性を秘めた能力をそのまま転生させることはできないのだから。
けれども、いくら二つに分けたからといっても一つひとつが強力なことに変わりは無かった。二つに分裂されても生き生きと輝きを放つ魂は番人達を尚も困らせていた。
『この二つの魂には監視を付けねばなるまいよ』
そう判断を下した番人達は、さっそく監視者を作り出した。監視という使命を授かり作り出された思念体は、橙色の光を灯し揺らめいてていた。
そしてその後、新たなる運命を与えられた二つの魂は次なる所有者の元へと旅立った。
魂の奥底に眠る強大な力を有したままで………。