第九話:深夜ドライブ
8月23日夕方。
空の色がやや橙掛かった群青色に変わった頃、俺、玉緒、ヨネさん、香澄の4名が旅支度を整えた状態で勢揃いしていた。
そして皆が卓袱台の周りに腰を落ち着かせたのを見計らうと俺はすっと立ち上がり、彼女達が見上げる視線を感じながら、こう切り出した。
「え――――っと、皆さん準備が整ったようですので、これから下の駐車場から車に乗り込み、タクシー大会に参加する為に真砂市の方へ移動します。」
その時、白いノースリーブのシャツの上に水色の半袖の薄手のガーディガンを羽織り、青いジーンズ地のミニスカートと白と黒の太めのストライプのニーソックスを穿いた、如何にも今時の女子高生らしく感じる可愛いおしゃれ着を身に纏った香澄が唐突に口を挟んだ。
「社長、質問!」
「何だ?」
「別に今から出発するのは構わないのだけれど……、どうしてこんな時間に出発するんですか?」
「ああ、ちょっと待て、今説明する。」
俺はそう答えると、改めて口上を続けた。
「ええ……では、これから高速に乗ってほぼ丸一日を掛けて彼地へ向かいます。途中給油の為またはトイレや食事、仮眠をとる為に何度か休憩を取りますが、道路状況が良好なら明日のお昼頃には現地入り出来る予定です。それでは、出発!」
「あの……、新太郎さん。」
今度はヨネさんが右手を上げた。
「何でしょう?」
「その……、休憩は何時何処で取る心算なのですか?」
「その場の状況に応じて適当に、です。バスでの団体による移動ではなく、自家用車に乗っての移動ですし、別に急ぎの用事でもありませんから、臨機応変に休憩を挟む心算です。ですから、途中で休憩が取りたくなった場合は遠慮無く俺に言って下さい。あと他に質問等が有る人は?」
俺は3人の顔を見渡したが、誰も挙手をしなかったので、
「では、出発!」
と号令を掛けた。
部屋の電気を消し、各々手荷物を持って外に出てから戸締りをすると、俺達は地下の駐車場へ向かった。
そして、ガレージの前に立つとコントローラーを操作し、俺はJY33レパードの後期型を呼び出した。
3LV6ツインターボのVQ30DETTエンジンを積んだ最高グレードのモデルで、かつて日産に存在した高級車である。Y33シリーズ共通の、如何にも日産車らしい格調高い内装も素晴らしい上に、リアバンパーにウインカーとバックアップランプを持ってきてテールランプを一面に配したアメ車らしいリアデザインも漢らしくて実に素敵だ。例のごとく高津タクシー仕様にしたお陰で、ますます様になった気もする。尤も、この車のカーナビの音声は能登声ではなく、ゆかり様こと青山ゆかりの声を入力しているが……、それ以外は他の所有車と同じ様な改造を施して自家用車兼タクシーとして運行している。
今回、この車でイベントに参加する事に決めたのには幾つかの理由がある。
先ず、この車が俺の好きな車の内の1台だから。そうでなければイベントの展示品として披露するどころか所有しようとすら思わない。
次に、この車がとてもマイナーな類の、あまり見かけない珍しい車であると共に、まず滅多にタクシー仕様に粧された車両に出会さないからである。メジャーで何十台も参加するようなクラウンやセドリックのような車だと、どうしても他の車との優劣を着けられ易くなってしまいがちだが、1台あるかどうかという車両だと、そこにあるだけで貴重な物となって色物票を狙う事も出来、宣伝として利用する事も期待できる。
そして何よりもその独特のフォルムである。金が無い時代に設計製造された車体だけあって、エンジン等の駆動部品やシャシーやフレーム等の基礎的なパーツだけでなく、インパネやシートといった内装パネルからドア等の部品に到るまで、殆どの部品を他のY33シリーズのハードトップセダンと同じ物を共有、もとい流用しているにも関わらず、兄弟車であるセドグロ(ヘッドライトレンズの形状やエンブレム等の微細な違いを除けば殆ど同じデザインであるセドリックとグロリアをセットにした言い方)やシーマとは一線を画した、それによってモダンな雰囲気を醸し出している車は他にはない。それに改造している事もあるが、パワーもあるし乗り心地も良いしで、あまり疲労やストレスを溜める事なしに長距離を運転出来るという算段もあった。
俺は他の3人をガレージの傍で待たせて一人先に運転席に乗り込むと、キーをスロットに差し込んでエンジンを始動させ、インデックスから行灯とメーターと無表示にしたスーパーサインを車に取り付け、ロービームとフォグランプを点けて発車措置をし、左ウインカーを点滅してステアリングホイールを左へ回しながら軽くアクセルを踏み込んだ。
そして、通路に出て車の向きが変わった所で車を止めてギアをPレンジに入れると、俺は運転席のドアの下部に手を伸ばしてトランクリッドをアンロックし、ドアノブに手を掛けて車から降りた。
「よーし、荷物後ろに載せて、そしたら乗って!」
そう言いつつ車の後部へ回ると、俺はトランクリッドに手を掛けて上方へ跳ね上げた。
玉緒に預けていた黒い中型のスーツケースを受け取るとそのままラゲッジルームへ積め込んだ。そして、それを車の右側の後輪のタイヤハウス付近の奥の方へ押し付けると、今度は香澄から彼女の真紅の中型のスーツケースを持ち上げ、反対側の燃料タンクの近くに押し込めた。
「意外と入るものですねえ……。」
「基本的にこの手のセダンはフルセットのゴルフバックが最低4個は積載出来る様な造りになっていますから、スーツケース2つ位なら余裕で積み込む事が出来ますよ。」
そう、感心していたヨネさんに答えると、俺はトランクを閉めて再び運転席に乗り込んだ。
俺は、普通は元々その車にマルチナビが付いている場合はなるべくその車の純正カーナビを使う事にしているが、時に90年代から00年以前に造られた車に付いている初期のナビゲーションシステムの場合、画面が正方形で小さくて使い難い、またはナビゲーションシステムその物の精度が不正確であるという理由から、ナビが付いていないモデルのオーディオを換装するという形でカーナビ付きマルチシステム高性能オーディオパネルを後付で取り付けていた。オーディオパネルの下半分が普通のオーディオパネルで、上半分の部分からにょきにょきと薄型のモニターがスライドしながら水平に出た後垂直に直立する奴である。
俺は銀色のオーディオパネルを操作して同色のモニターを引き出してカーナビを立ち上げると、目的地を設定してシステムを作動させ、ロービームとフォグランプを点灯して発車措置をし、そっとアクセルを踏み込んだ。
夕暮れによって赤く染まった、バイパスまで続く通りなれた道を真っ白のHIDの前照灯と蒼白のHIDのフォグランプで照らし、青白い光のグラディエーションを織り成しつつ駆け抜ける。
途中バイパス沿いにあるガソリンスタンドに寄って、タンクにハイオクを満タンにするついでに簡単な整備をすると、俺は夕方を迎えて交通量が増えたバイパスの側道を流れる車の列へ自分の車を合流させた。
スタンドから左折してすぐに追越車線へ車線変更し、最寄りのバイパスの出入口に着くと右側の分合流車線に入って車をキックバックさせつつ急加速させる。
今日もバイパスの上を、多くの荷物を運搬する大型トラックや旅客を輸送する高速バスの長距離深夜便が闊歩しているが、気のせいか、空車でもない、そうかと言って営業してもいないタクシーがいつもよりチラホラと多く見受けられる。しかもその殆どが俺と同じ様な個人タクシーである。
あっちには連盟カラーのJ32ティアナの後期型が、そっちには頭の上に提灯を載せてトランクリッドにハイマウントストップランプ付きのリアウィングを装着した黒色のJZX100系チェイサーのツアラーVの後期型が、そのまた向こうには同盟色のクルーの前期型、910ブルーバード、マツダ・カスタムキャブとT140系FRコロナの小型タクシー仕様車が仲良く並走するように走っていた。追い越してから気が付いたのだが、ブルとキャブとコロナは今や珍しい灰色のプラスチックケースに収められているノスタルジックなタイプの丸目4灯の前照灯を装備していた。
高速道路に入り、初奈島大橋を渡っていると、前後をUDのクオンの後期型と現行モデルのいすゞ・ギガの10tの有蓋車に挟まれた状態で走行車線をはしるYCA所属の黄色い右ハンドルの現行型フォード・クラウンビクトリアを見掛けた。(以前記述したと思うが、この世界では自由に車を設計して販売出来るので、日本で販売されていない、または導入されても一部のグレードに限られた等、本来右ハンドルが存在していないような車種やグレードでも造っている店があれば手に入れる事が出来る。)
こうして並んで走ってみると、フルサイズが如何に大きな車格であるかよくわかる。レパードもミドルサイズのセダンとしてはかなり大きな方だが、それでもクラウンビクトリアの方が一回りも二回りもでかく感じる。エンジンのフィーリングも、勿論レパードのV6DOHC直噴ツインターボエンジンが織り成す高速域勝負の吹き上がる感覚も官能的だが、伝統的なアメ車らしいクラウンビクトリアのV8OHV自然吸気エンジンが奏でる低速域からのトルク重視の豪快で力強いエンジン音も、それはそれでとても魅力的だ。
ふと追い抜き際に左の窓の景色をチラ見すると、クラウンビクトリアの運転手が右手を軽く上げて此方に手の甲を見せ、人差し指と中指を閉じたピースサインのようなジェスチャーをして合図を送ったので、俺も右手をハンドルのスポークをから離して同じ様な格好の手にすると、掌を掲げるように合図を返し、そのままアクセルを踏み込んだ。
陸南自動車道との交差点、六郷JCTに差し掛かる。
普段は速やかに左車線に入って帝都方向へ抜けて行くが、今回は反対側の田淵市の方角へ向かう為右車線に入る。
分離帯を無事にパスし、陸南自動車の高架の下を潜るトンネルを抜けて右カーブきつい急なスロープを、エンジンを吹かしながら登って行くと本線との合流地帯が見えてきたので、俺は右後ろを視認して後ろから迫ってくる本線上の車の流れに注意を払いつつスピードを乗せ、3本ある本線車線の内一番左側にある車線へ滑らかに車線変更した。
すると、そこに連盟色のフェンダーミラーのY31セドリック営業車のブロアムと、同じく帝都無線のクラシックSVが真ん中の車線を走って来てそのまま追い越して行ったので、俺も加速して右ウインカーを点滅すると、二台の後ろに追走した。
俺もタクシー仕様車じゃない、自家様向けに造られた銀色のドアミラーのY31セドリック・セダンのブロアムVIPの改造車を持っているので、ふと、レパードも良いけれど、Y31セドリック・セダンでも良かったかな、と考えた。が、もう既に高速を走っている上に、特にそこに拘る必要も無かったので、すぐに打ち消してステアリングホイールを握り直した。
M3を山と海の間の広大な平野部を縦断するように南下して行く。
早くも日は沈んで空も闇に包まれ、規則正しく等間隔に並んだ白や橙色の街灯に照らされた高速道路の路面を前照灯の光で青白く照らしながら風を切って走って行く。
やがて目の前の路肩に近くにSAがある事を示す標識が見えてきた。この辺りを過ぎたら、一旦この高速道路を降り、真砂市へ至る別の高速道路に乗り換える為に暫く一般国道を走行する予定だったので、俺はこのSAで一旦休憩を入れようと思い、左ウインカーを焚きながら車を一番左車線へ移し、前を走る白いY30グロリアの後期型に続いて強めにブレーキを踏んで減速車線へ入っていった。
「ねえ、あなた。」
「ん、何だ?玉緒。」
「前を走っている車、確か同じ様な車をあなたも持っていたわよね?」
「ああ、持っている事は持っているが、5ナンバーだから少し違うみたいだな。俺の奴は3ナンバーのブロアムVIPの後期の3Lターボ車だから。多分あれはV20かL28じゃないかな?どっちにしろ、俺の方が上のグレードである事には違いないよ。」
と、玉緒の方へ話しつつ俺は駐車場に車を停める為にハンドルを左右へ大きく切った。
適当に空いていた場所を見つけ、ステアリングを左に切って頭から斜めに突っ込んで止まり、駐車措置をしてシートベルトのバックルを外した。
そしてエンジンキーを抜いて左後へ顔を向けた。
「よしそれじゃ、少しの間休憩を取るぞ。この後暫くトイレとか行けなくなると思うから、今の内に済ませておいてくれよ。後、ついでにここで夕飯も済ますから、皆その心算で!」
そう言って今度は右側へ振り返り、ドアを開けて外に出ようとした途端、右隣りのスペースとその向こうに駐車された黒いB35ラフェスタ・ハイウェイスターの左前輪の淡い銀色のホイールが、ハロゲンランプ特有の黄味がかった白い光で照らされた。車が入庫する。俺はすぐに手を引っ込めて後ろを窺った。
思い切り前輪を左に曲げながら1台の3ナンバーのEセグメントサイズの古めかしい青いセダンが停車した。手塚治虫の『ミッドナイト』という漫画に出てくるエリカと呼ばれるタクシー車両にそっくり、というかそのまま再現したかのような車だった。
古き懐かしい昭和末期の日本車のようだが、如何せん車種が判らない。大抵の車種は判別出来る相当な車好きの俺でもベースとなった車種が何なのか未だに不明である。バブル振興期にトヨタ車や日産車や三菱車でよく見られたアメ車を意識した細長い六角形の大型のフロントグリルに丸目4灯という角張った車体のボンネットフードをヘッドライトの部分だけ、目を半分覆うように延長処理を施し、リアのコンビランプを歴代スカイラインのそれのような丸目4灯にし、球状の制動灯を囲むようにリング上になった、外側にハザードランプ、内側にバックアップアップランプが並んでいる。因みにテールライトは全てLEDを使っているみたいである。
自分の車からそっと出ると、俺はその車のあまりの出来の良さにまじまじと見とれてしまった。
「どうです?いい車でしょう。」
突然声を掛けられて、俺は車から目を離して顔を上げた。するとそこには、少しだけ開いた運転席のドアの窓枠に肘を着いて、気障なポーズを取っているミッドナイトのコスプレをした首元まで伸びた茶色い長髪で細身の壮年の男が、ニヤニヤと微笑みながら俺の方を見つめていた。
「凄いですね。故手塚治虫御大の『ミッドナイト』に出てくる主人公の車、エリカでしょう?」
「まだ若そうなのによく知っているね。」
「以前学校の図書室で読んだ事がありましたから……。しかし、よくこんな細かい所まで完璧に再現できましたね……。」
「もっとも見てくれだけだけどね。本家と違って、第五の車輪とか無人走行とか、そういうギミックは一切搭載してないよ。」
「それにしたところで……。だけど、一体何の車をベースにこんな車を造ったんですか?」
元ネタが何の車なのか判らないので判断のしようがないが、何となく110クラウンの前期型かギャランΣのデューク辺りの3ナンバー車がベースかなとも思ったが、目を凝らして細部まで内外装を鑑みるにどうも違うようなので、俺はオーナーに改造前の車種を尋ねた。
すると彼はまた笑いつつ俺に向かってあっけらかんとこう言った。
「ああ、これ、フレームから車体の内外装のデザインまで自分で設計して組み立てたんですよ。あ、勿論エンジンとか駆動系は既存の使える物を流用しましたけれどね。」
何だと……。車体を一から造り出したって?そんな馬鹿な……。そう思って一瞬魂消たが、よく考えればこのゲーム、いや世界では車両のデータさえあればどんな車でも造り出す事が可能なのだ。だったら、別に既存の市販車やレーシングカー以外にも、必要な設備と保安部品が装着された上で車両法が認可する範囲にある自動車なら、ユーザーが自由に公道を走らせる事が出来るのである。ならばこういう漫画やアニメ、ドラマや映画に出てきたオリジナル車両の完全再現や、自分でデザインしたオリジナル車両を自作するような猛者も出てくるのだろう。実際現実にも、主に車両規定の緩い北米辺りで車体を造ってナンバーを取っている趣味人は相当数いるらしいし、排ガス規制等も無く、より手軽に作成出来て簡便に登録できるこの世界なら、こういう人達も多いに違いない。
そうか、こういう楽しみ方もあるのか……。今まで既に世に出ている車を少し自分好みに改造する事で満足していたが、自分が考えたデザインの自動車をオーダーメードするなり自作なりしてみるのも面白いかも知れない。今度源さんの所へ相談を持ち掛けてみようかしら。玉緒が知れば激怒するのは目に見えていたが、俺は少々本気でそんな事を検討した。
SAで軽い夕飯と手洗いを済ますと、俺達はまた車に戻った。そして先に他の3人が乗り込んだのを確認してから俺は運転席のドアノブに手を掛けた。
ドアを閉め、真っ白いLEDのルームランプが頭上から足元を照らす中シートに腰を落ち着かせてシートベルトを締めると、俺はエンジンキーをスロットに差し込もうとした。
だが、突然自動ドアの操作レバーがガタンッと跳ね上がってバコーンと派手な音を上げながら俺の脛を打った。
「いっつ――――……!」
激痛に思わず涙目になりながらも、誰だよ!思い切り勢いをつけて扉を開けやがった馬鹿野郎は?と激高して左後ろを睨みつけた。俺は車に昔からある梃子の原理を応用したタイプの自動ドアを取り付けているので、左後部ドアをいきなり開けられると、その動きに連動した操作レバーがこんな感じに跳躍して運転手の手や膝を攻撃する事がままあるのだ。だから、たとえ好意や心配りから来たものだとしても、お客さんにドアを開けられる事を内心嫌がっている運転手は多いと思う。無論俺だって例外じゃない。実際半端なく痛いし。そもそも、こう云う事が嫌だから最後に乗車したのに、これじゃあ全く意味がない。
「何しているんだ?!」
少しだけ開いたドアのヒンジを掴んで今にも閉めようとしていた香澄に向かって俺は怒鳴りつけた。
思ったよりも俺が声を荒げてしまったからかも知れないが、香澄は目をウルウルと涙で滲ませつつ上目遣いで俺の方を見つめてこう呟いた。
「だ……だって、このランプが消えなかったから……、ちゃんと閉まっていなかったのかなって……。」
「ああ?」
俺は香澄がドアから手を放した事を確認してからレバーを操作して扉を閉めると、彼女が指差した方、ドアの上の天井に張り付いている読書灯やルームミラーの所に付いている車内灯を見渡した。ドアが開いている事を示す警告灯はメーター内で点灯していないが、エンジンを切っているので、操作スイッチを『DOOR』で固定しているけれどもルーフランプは全て灯った状態になっている。車種によって異なるが、エンジン停止時には15秒から長くて1分程室内灯が点きっ放しになり、その後徐々に儚く消えて行く、こういう高級車にはよくある仕様である。因みに日産車は車種に関係なく大体15秒点くようになっているらしいが、俺はメーカーや車種に関係なく30秒点灯し続けるように調整している。
「あのなあ、これはただドアを閉めても暫く点いているように調節してあるだけだから、そんな事を気にしなくて良いんだよ。別に半ドア(車のドアが閉まっているように見えて実は開いている状況。走行中に突然ドアが開いて乗員が車外へ転落する危険性がある。)な訳じゃない。……ほら、見ていろ。」
俺はキーをスロットに挿し込むと一気に回してエンジンを始動させた。
ブ――ンキュルルルルルル……グウォンウォンオオオオオオン……。セルメーターが回って点火プラグがエンジン内部で火花を照らし、ポンプを通じてシリンダー内へ充満した気化したガソリンへ引火して爆発し、轟音を上げながら6本のピストンが上下に激しく動き出してタコメーターの針が2,000rpmまで跳ね上がり、やがて徐に1,000rpmよりやや下がった位置まで降りてくる。その間約10秒。その短くも長くも感じる時間の中、エンジンが震える振動に合わせるように照明の明かりが霞んでいき、やがて車内が暗闇に包まれた。
どんなエンジンも、点火時は激しく回転してから惰性状態へ落ち着いて行くものだが、良いエンジンは直ぐには回転数が落ちずに、爆発直後の熱情的で官能的な調べの余韻を残すものだし、良い車はそれを心ゆくまで堪能できるだけのエフェクトやギミックを用意している。そして快適性や利便性以外にこう云った絶妙なフィーリングにも心を砕いてこそ高級車としての価値や貫禄が生まれるのである。エントリークラスの大衆車や低排気量の安物のエンジンを搭載した廉価版モデルでは絶対に味わえない感覚だ。そして一度でも味わったら最後、もう元には戻れない。
ステアリングの操舵軸に付いているレバーのスイッチ等を弄ってロービームとフォグランプを点灯させる。その途端、目の前のSAの通路と歩道と建物を白い光が照射すると共にセンターコンソールのボタンやメーター内に仕込まれたバックライトが一斉に点灯し、手元がぼんやりと明るく照らされる。さあ、出発だ。
「わかっただろ?問題ないって。それと香澄、今度からそのドアを開けるときは此方に一言声を掛けてくれ。……それじゃ、行くぞ!」
香澄に一言注意をし、気合を入れると、俺は発車措置をして右ウインカーを点滅させた。そして、左右をよく確認してステアリングを右へ切りつつゆっくりと車を前へ出して行った。
歩道とエンジンを切られて静まり返った車達が整列する駐車スペースの間を、歩行者の飛び出しとかに備えて徐行して進んで行く。
大型車や他の駐車スペースに続く通路とぶつかる地点、丁度本線への合流路に入る直前の場所に差し掛かった時、一番本線側にある通路の路肩で車幅灯だけ点けて停車していたビッグサムの最終型後期の15tのトレーラータイプの給油会社の白と赤のツートンカラーのタンクローリーが、エンジンを掛けて真っ白なHIDのヘッドライトを点灯し、のっそりと巨体を揺らしながらこちらへ向かって来るのが見えたので、俺は本線への加速車線に入る前に一時停止し、トレーラーに向かって一発だけパッシングした。
ピカッ。(お先、どうぞ――。)
パンッ。(ありがとう。)
タンクローリーは軽くクラクションを鳴らしてのろのろと発進すると、去り際に3発サンキューハザードを焚き、赤く輝く2つのテールランプの余韻を残しながら漆黒の闇の彼方へ走り去って行った。
そして俺もハンドルを左の方へぐるりと回してアクセルを踏み込むと加速車線を下って行き、右ウインカーを点滅させつつ走行車線上を走り出した。
SAを出て暫くすると、ハイビームの明るい光の輪の中に、左側の路肩に立てられた緑色の案内標識が照らされているのが視界に入って来た。
『2km先高速出口:M3-18戸賀IC』
『R25戸賀市内、戸空線(忍忍ロード)経由空賀市・M1中央高速道路116空賀IC方面接続』
『注意!この先トンネルあり。ライト点灯用意!』
やがて、目の前に山肌を突貫して造成した、まるでドライバーを迎え入れるように橙色のナトリウムランプを煌々と照らして大きく口を開けた1kmもない短いトンネルが見えてきた。
戸賀市……。元は隣接する空賀市と共に戦国忍者系オンラインゲームとして興じていたが、一体化してしまった現在に於いては、隣市と共に忍者の里として観光事業に尽力している街である。因みにこの街にある『戸賀忍者の里』は以前香澄がバイトしていた行楽施設であり、彼女を拾った某ファミレスも市内を走るR25沿いにある。
そして何よりも、海沿いを延々と伸びて行く陸南自動車道が内陸部へ入って山越えをする数少ない地点の一つでもある。
トンネルを抜け、斜度がきつい下り坂にある急な右カーブへ差し掛かると、左前方の山間に人家の黄色い明かりがぽつりぽつりと眼下に広がっているのが見る事が出来る。
そうこうしている内に高速の出口を示す標識と共にS字カーブの出口に設けられた減速車線が見えたので、俺は左ウインカーを点けると、ブレーキを踏み込みながら減速車線へ入った。
スロープを下りつつ急な左カーブを曲がって行き、料金所で精算を済ませると、R25との交差点に到達する。左手に行けば麓の市内へ、右手に進めばR25とR321の重複区間である戸空線、別称『忍忍ロード』という険しい山中を越えていく道路へ至る。
忍忍ロードは、その名を聞くと何だかとても楽しい道路のようだが、片道2車線の上下線と歩行者・自転車専用道の3本の道から形成され、険しい山肌を強引に削って上から順に歩行者道、下り車線、上り車線が設置されており、それぞれの落差が数十m以上ある。
しかも道中に一切の街灯が存在せず、高度が高い所為で時期によっては始終濃霧に覆われて視界が殆ど確保出来ない上に、交通の要所でもあるから大型トラックやバスが引っ切り無しに走り回り、四六時中高速道路並みの100km/h以上の速度を出して走行している(法定速度は60km/h)。その上現時刻は夜中の22時半である。いくら道幅があるとは云え、街灯もなく真っ暗な挙句、急勾配と限りなくヘアピンに近い高速カーブが連続する山岳路を、走行する他の車の速度に合わせて猛スピードで、それも自分以外に3人もの命を預かった状態で走り抜けなければいけないので、俺は信号待ちで停車している間もこれ以上になく緊張していた。
せめてもの救いは今夜が満開の星空が夜空に広がる位快晴であるという事だけだろう。これで土砂降りに降られたり乳のように白くてどんよりとした霧に視界を奪われたりした日にはその場で降参し、万全を期して市内へ下りて一泊する位の事はしたと思う。実際、この道は一般に言われる意味とは違う意味で『酷道』と称されていて、大型車の横転事故やスピードの出し過ぎによる崖下への墜落事故、濃霧による視界不良で引き起こされた玉突き事故等が後を絶たない、この世界における交通難所の一つとされている。
はっきり言って、運営が鶴の一声を掛けて戸賀ICと空賀ICの間に新しく安全な連絡道を拵えてくれればいいのだけれど、R25沿いにある店舗や商業施設の面々が黙っていないのか、そのような気配は露程も無い。だから危険な道だと認識していても一番早く確実に着けるルートがこれしかないから仕方無しに使っている。それが実情である。
信号が青に変わって車が順番に動き出す。俺は右折して一旦片道1車線の対面通行のR25に進行すると、R321との丁字交差点まで向かってそこを左折し、片道2車線で植え込みによって形成された細い中央分離帯で仕切られた道路、R25R321重複区間戸空道路へ入っていった。
100km/h以上の速度を出しながらきつい上り坂を駆け上がって行く。右手を見るとはるか眼下に下り車線を走る車のヘッドライトの白い光が点のように見えている。一応追越車線にはガードレールが設けられている区間もあるにはあるが、無い区間が殆どなので、ハンドル操作やアクセルの加減を誤れば50m以上下まで一直線に飛んでいく事が余裕で可能だ。しかも頼りになる物が自車のヘッドライトしかないから怖いなんてものではない。前方にワインレッドのCD5型アコードワゴンと、黒い現行型センチュリーと3代目デボネアの個人タクシーが走っていて、彼等の赤く灯す尾灯に先導されなければ恐怖のあまりまともな速度を出す事すら出来なかっただろう。俺はなるべくキープレフトを維持して極力追越車線を走らない事、そして絶対に先頭に出ない事を意識してハンドルを握り続けた。
空賀市内に入り、麓に下りて街中まで到着してから、やっと俺は極度の緊張感から解放されて人心地が付いた。
これからは再び中央高速と呼ばれる大動脈の一つである高速道路に乗っかって真砂ICまで南下するだけである。だからだろうか、寝ていてもいいぞ、と声を掛ける前に後ろから祖母と孫娘の二人分の寝息がか細いながら俺の耳まで聞こえて来た。
俺は加速車線から片道6車線ある本線車道へ合流してそのまま車の速度を上げながら、横目で隣に座っている玉緒の様子を窺った。別に寝ていても構わないのに、律儀にも彼女は静かに前を見据えていた。
その様子を見て、不覚にも俺は玉緒に話し掛けた。
「なあ……。」
「はい?」
「寝ないのか?」
「あなたが運転しておられますから……。」
「別に俺に構わずに寝ていてもいいんだぞ。」
「でも、助手席の人間も起きている方が、運転手が眠気を感じる事が少ないと云いますから……。」
「そうか……。」
好きにしろ、そう思いつつも俺は彼女なりの心配りを嬉しく感じた。
日付が変わった。
流石にずっと運転をしていたから溜まっていたのだろう。肩や腰に痛みを感じる上に軽い眠気にも襲われてきた。いかん、いかん!俺は欠伸を噛みしめると前方へ意識を集中した。
その時、
「あなた。」
という声と共に助手席から玉緒が何かを俺に差し出してきた。1枚のブラックブラックガムだった。
「どうしたんだ?これ。」
「さっきサービスエリアの売店で買っておいたんです。さ、どうぞ……。」
「あ……ありがとう。」
本当、手際がいい奴だ。俺は感心しながら彼女からガムを受け取ると口の中に放り込んだ。メンソールのきつい清涼感が俺の口内を刺激して一気に目が冴えていく。
「紙。」
「どうぞ……。」
「すまん。ゴミ。」
「この中に……。」
俺は噛み終えたガムを包み紙の中に吐き出して丸めると、玉緒が取り出したビニール袋の中へ捨てた。
「もう少しいったらまたSAがあるみたいだから、そこで少し仮眠をとらせて貰ってもいいか?」
「ご自由に。」
「うん……。」
俺はお言葉に甘えて少し仮眠を取る事にした。
夜は静かに更けている。