第八話:何か最近物騒になってきたなあ……
>>新太郎
何とも我ながら情けない事だが、俺は腰を抜かしたあまり玄関の上がり框の上に尻餅を着き、顔からさあああっと血の気が引いていくのを感じながら女の顔を見上げていた。すると、さっきは不気味に顔を覆いながら垂れ下がる彼女の長い直毛の髪の毛に気を取られたが、彼女が凄く特徴的な服装をしている事に気が付いた。
何と言えば良いのだろう?一言で言い表せば彼女は忍者……いや、女だからくノ一か……の格好をしていた。網状の紺色の鎖帷子の上から濃紫色の忍者装束を羽織り、黒い帯と手甲と脚絆を身に付け、頭には鉄製の額当てが付いた藍色の鉢巻を巻いて、御親切に帯に一緒に巻き付ける形で鞘も柄も鍔も艶のない黒い色をした忍刀を腰に下げていた。そこまでしておきながら、どういう訳か下が袴では無く黒色のスパッツというのが気になったが、兎に角目の前の少女は女忍者のコスプレをしていたのである。
少し開けた着物から垣間見られる、それなりに存在を主張する大きな双丘と深い谷間の風景と相俟って、目の前の女の子からは物凄い色気がプンプンと匂ってきたが、それ以上に彼女の周りに漂う妖気が半端ない物だったので、俺と玉緒は不審に思いつつ彼女の様子を窺っていた。
そして彼女が前髪を払いながら此方に向かって顔を上げた時、俺はまたしても、
「あっ!」
と叫びそうになり、思わず口元を右手で覆ってしまった。
似ている……。茶色の瞳に黒い髪という違いこそあるが、彼女の顔は間違いなくヨネさんのそれだった……。いや、まだそうと決め付けるには早急過ぎる。何故なら、目の前にいる少女は、彼女のアバターが『魔法』によって具現化した姿だからだ。いくらパーツの色や形を交換する事で多様なアバターを造り出す事が出来るとは云え、そのパターンにも限度がある。全く同じ顔のアバターなど結構な数がいるだろう。
俺は何とか心を落ち着かせて立ち上がると、可能な限り毅然とする事を心がけながら彼女と向かい合った。
「えーと、君……、誰?」
俺がそう口にした途端、突然少女が跪いてその場で土下座をしたので、俺はまたドキリとして後退った。そして、彼女は俺たちに向かってこう叫んだ。
「お願いします!わたしをここで雇ってやって下さい!」
「はあ?!」
くノ一少女にタオルを渡して身体に付着した水滴を拭き取らせてから、一先ず詳しい話を聞く為に俺達は彼女を我が家のリビングに上げる事にした。
「で、雇う雇わない以前に、まずは君の名前、リアルに居た頃の本名ね、と年齢、それからどうしてウチに来たのかという動機とか経緯とかを聞かせて貰おうか。」
俺は、ウチが俺のタクシーによる収入源しかない個人経営である上に、事務家事その他裏方雑事は基本的に玉緒に全権を委任している為、特に割り振る仕事も無いのに金を払ってまで人を雇用するなんて馬鹿馬鹿しいし、そんな余裕なんかこれっぽっちもない。だから、本来なら話も聞かずに門前払いをする心算だった。されど彼女の面影といい、俺の心に何処か引っかかる物を感じたので、取り敢えず彼女の話だけでも聞いてから判断しようと思ったのだ。
「わたし、ヒムロ カスミって言います。氷の部屋と書いて氷室、澄んだ香りと書いて香澄です。リアルでは16歳の女子高生をしていました。」
『氷室 香澄』……。目の前に座る少女の口からこの言葉が発せられた瞬間、俺はハッとして目を白黒させつつ左隣に座った玉緒と互いに顔を見合わせた。彼女も同じ様に気が付いたのか、吃驚したように目を丸くしていた。
俺はすぐさま左の肘で玉緒の右の脇腹を軽く小突くと、香澄には聞こえないように小声で命令した。
「おい、お前。上に行ってヨネ婆さんを呼んで来い。早く!」
「はい、わかりました。」
俺が耳打ちするや否や、急に立ち上がってそそくさと部屋を出て行った玉緒の様子を見て不審に思ったのだろう。
「あの……。奥さん、急にどうされたんですか?」
と、香澄に尋ねられたが、
「何でもない。気にせずに続けてくれ。」
と、俺は彼女に促した。
「はい。じゃあ、それでは……。」
彼女の話によれば、元々都内で女子高生をしていた彼女は、このゲームの運営会社が運営していたゲームの一つである、戦国時代の忍者に成りきって戦う多人数型バトルロイヤル系のアクションゲームに嵌って遊んでいた所、先のアップデートの騒動に巻き込まれてアバターの格好でゲーム内へ転生されていたのだという。
奇しくも、前回のアップデートで全てのゲームが完全に一つの世界に纏められた途端、他の非現実的、または非現代的なゲーム世界と同じ様に彼女がプレーしたゲームの世界も規模が若干縮小され、大規模な遊園地や遊戯施設の一つとして、プレーヤー同士で闘う事を止め、外からの観光客や行楽客を相手に金銭を受け取りながら様々なショーを見せるという大幅な仕様変更をし、彼女もキャストとして働く事でこの4ヶ月を何とか食い逸れずに過ごせていたらしい。
「でも、わたし、生来のドジッ娘というか……。事ある毎に大失敗をやらかしちゃって……。」
顔を赤らめながらテヘッと笑う彼女だが、実際には洒落にならないようなミスを短期間に連続でやらかしたらしく、到頭先日キャスト管理責任者である頭領からクビを言い付かってしまったそうである。
「まあ、だから。わたし、今こんな格好をしていますけど、要は抜け忍なんですよね。」
えっへんと胸を張った彼女に向かって、自分から辞表を叩きつけたのならいざ知らず、向こうからリストラされたのなら抜け忍ではないだろう、と突っ込めば良いのか逡巡している内に彼女が話を続けたので、結局俺は何も言わずに彼女の話に耳を傾けた。
そして、行く当てもなくふらふらと彷徨していた時に、偶然通り掛かった国道沿いのファミレスの駐車場で、俺が他の2人のタクシードライバーと交わしていた立ち話を耳に入れてしまったそうである。
そうして、俺がそれなりに儲かっているという事を聞きつけ、付いて行ってあわよくばバイトとして雇って貰おうと考えて車の後部に隠れ、俺が車に乗り込んだ後屋根の上にしがみついてここまでやって来たらしい。
「ちょっと待て!君、ここまでずっと車の上にへばり着いていたのか……?」
コクンと頷いた彼女を見つめて俺は絶句したが、同時に何故彼女がずぶ濡れなのか、その理由が判って納得していた。
帰り道。高速道路を北上していた時に、局所的ではあったがタイヤが路面を蹴る度に車の後部側面から激しい水飛沫が上がる程の凄い土砂降りに見舞われた。ハイドロプレーニング現象(路面上の水溜りの表面張力によってタイヤが完全に地面から浮き上がり、制御不能になる現象。一旦起こったら諦めて真っ直ぐ走りながらアクセルを離し、エンジンブレーキを使うなどして徐々に速度が落ちてタイヤが路面に接触する瞬間を大人しく待つしか対処方法がない。雨のスリップ事故の殆どはこの現象によって引き起こされる。)の発生を防ぐ為に100km/h以下まで減速していたとは云え、ワイパーを最大速度まで振ってもまともに視界が確保できない程の強烈な大雨だったから、屋根の上にいたらまともに浴びてずぶ濡れになるのは当然の理だろう。
根性がある娘だなあ、と感心すると共に、その位の根性があるのなら別にウチじゃなくても普通に雇って貰えるのではなかろうか……、と俺は考えた。
その時、玄関の扉が開く音がし、
「ただ今戻りました。」
「お邪魔します。」
と言う、玉緒とヨネさんの声が聞こえてきた。
その瞬間、香澄の瞳が一回り大きくなり、彼女の身体が硬直したのを俺は見逃さなかった。
リビングと台所の間を仕切るドアが静かに開き、玉緒の後に続くようにあやめ色の紬を着たヨネさんが入って来た。
「あの……、新太郎さん?玉緒ちゃんから聞いたのですけれど、わたくしにお話って、何かしら?」
「ああ、すみません。氷室さん。実はですね……。」
訝しげに訊ねてきたヨネさんに向かって、尋ね人らしき少女を見つけたかも知れない事を大雑把に説明しようとした時、俺達の会話に突然香澄が割り込んできた。
「も……、もしかしてその声……ヨネお祖母ちゃん?」
その声を聞いた途端、ヨネ婆さんは香澄と同様に目を大きく見開くと、
「ひょ……、ひょっとしてお前……香澄かい?」
と掠れた声を上げ、呆然としたようにその場に立ち竦んだ。
どの位経っただろうか。
正味10秒も無かったかも知れないが、5分ぐらいにも感じる長い間、俺と玉緒が見守る中、祖母と孫娘は互いに沈黙してじっと見つめ合っていた。そして……、
「お祖母ちゃん!」
「香澄!」
と叫ぶと、目から涙を溢れさせながらガシッと抱き合った。
後はまあ、お涙頂戴の感動のドキュメンタリーによくある、生き別れた家族の感涙の再会によくあるような事が俺の眼前で展開されていた。
何だかなあ、と思いつつもこれで良いのだと納得し、俺は肩の荷が下りてすっきりした心持ちで彼女等の様子を玉緒と共に傍観した。
さて、どういう訳だか解らないが、玉緒の心添えという形で何故か俺は香澄をウチの事業所で働かせる事になってしまった。無論通いのアルバイトの事務員として、である。そもそも第一種普通免許も持っていないような素人娘に車を運転させる訳には決していかないし、助手として助手席に乗せるにせよ、4人まで客を乗せられるのと3人までしか乗せられないのとでは大きな隔たりがある。それに、エンジンにセルモーターが付いて居らず、ピストン部を振動させる為に点火させながら動軸を人力で回転させていた大昔ならいざ知らず、今の車の設備で助手が必要になるシチュエーションなんて殆ど無い。だから、裏方として採用する事しか選択肢を用意する気がなかった。
それでも、やはり俺は人件費という物を払う事を躊躇していた。
だがしかし未成年とは云え、ヨネ婆さんという保護者、もとい後見人がいる以上バイトの最低限の雇用資格は満たしているし、クビになったとはいっても直近の過去に就業経験があるにはあるから断る理由が無い。それにそもそも、事務方の権限の一切を牛耳っている実質副社長の玉緒が必要だと主張する以上、強いてそれに反対する訳にもいかなかった。
それに……、生活保護を受給しているとは云え、無職の老婆と孫娘の一家をこのまま見過ごすという気にはとてもなれなかった。
だからといって、まさか彼女等が三食どころか間食まで我が家にたかりに来るとはさすがに想像出来なかったが……。まあ、兎に角高津タクシーにヨネと香澄という半同居人のコンビが仲間として加わったのだった。
香澄を雇ってから数日が過ぎた頃、夕食を摂る為に家に帰って来ると、ギルドから業界誌と共にまた何か重要な事を知らせる書面が届けられている事に気が付いた。
A4の白い紙の片面に書かれた4枚綴じ合わせの文書を封筒から取り出すと、俺は食事をしながらその文面に目を通した。
『――最近多発しているタクシー強盗被害への注意喚起と、営業時において犯罪者に遭遇した時の対処法について――
7月を大分過ぎ、本格的な夏がやって来たのか暑苦しい日が続いておりますが、皆様如何お過ごしでしょうか。真夏日の車中は、車によっては50度を超える場合もあるので熱中症には十分注意して下さい。
さて、去る6月末から今日までの間に、帝都を中心に各地でタクシーを狙った強盗事件が急増しています。さらには先日の7月9日、美優市城東地区にて個人タクシー連盟所属の個人タクシー運転手が強盗被害にあった挙句刺殺された事件を受け、この度個人タクシー協同協会が主導となり、タクシー営業時に犯罪に巻き込まれた事態を想定した対策ガイドラインを急遽作成致しました。
以下、ガイドラインの概要になります。事業主・乗務員の皆様は必ず一度は目を通すようお願い致します。
1.怪しい客は拒否せよ。
如何にも怪しい風貌、指名手配犯と思しき容貌の客を見掛けたら、気が付かなかった振りをして通り過ぎましょう。君子は危うきに近寄らず、です。
2.客を乗せたら、出発する前に必ず行き先を確認しましょう。
必ず実行しましょう。多くの場合、強盗犯やハイジャック犯は明確な目的地を指定せず、
「取り敢えず真っすぐ行け!」
と、行き先を曖昧にした上で人気の無い場所まで誘導します。大方の場所、目の前の車を追ってくれ等であってもいいから、お客様にタクシーで移動する目的地がある事を確認してから車を発車させて下さい。
(なお、この場合のハイジャックは、逃走中の犯罪者が警察から逃げる為、その場に居合わせたタクシーの乗務員を脅迫して逃亡を図る行為、またはそれに類する行為を定義するものとします。)
3.落ち着いて行動しましょう。
それでも不幸にして犯罪者に遭遇してしまった時には、犯罪者を興奮させるという最悪の事態を招かない為にも、パニックを起こさずになるべく平静を保ちましょう。
4.下手な抵抗は止めましょう。
護身術をやっているし体力にも自信があるとか、悪人を許せないとか、下手に正義漢を出して犯人に抵抗するのは絶対に止めましょう。多くの場合犯人は何らかの凶器を懐に隠し持っています。乱闘の末に激高した犯人がその凶器で襲った事で運転手が重傷を負う事件が後を絶ちません。最終的に犯人の要求に屈する事はあっても、犯人を取り押さえるような真似は絶対にしないで下さい。たった一つしか無い命を失ってはどうしようもありません。
5.犯人の隙を突いてタクシーメーターの緊急通報ボタンを押しましょう。
犯人を刺激しないように、犯人が目を離した瞬間などを狙って素早くメーターの壁面に付いている緊急通報ボタンを押して外部へ助けを求めましょう。
当ギルドに所属しているタクシーの場合、緊急通報システムを作動させると、スーパーサインに「SOS」表示、行灯が赤色に点滅した上でGPSと無線を介してコールセンターの方へ異常と車両の現在位置が自動で報告されます。
6.もしも異常が発生している車とすれ違った時は……。
たとえ自分は関係なくても、緊急表示灯を赤く点滅させて助けを求めている車や、本来なら有り得ない異常事態が発生している車を見掛けたら、すぐに警察へ通報するか、所属しているギルド・会社のコールセンターへ報告しましょう。余裕があれば追跡して現在位置を逐一報告して捜査に協力して下さい。(最近は緊急通報装置の存在を知っている犯罪者が増えてきたのか、乗務員に緊急通報装置を作動させない、または車両無線やGPSを切らせるという事例も増加しています。皆様の真摯な御協力を切にお願い致します。)』
ここまでが2枚目までに書かれていた文書の内容である。ここの処物騒な事件が続いていて少々気が立ってはいたが、自分やその周りに被害に遭ったという奴がまだ居なかったという事もあって敢えて考えないようにしていたのに……。
「蒸し返すなよな……。」
と、俺はプリントを読みながら思わず愚痴ってしまった。
「どうしました?あなた……。」
玉緒の声が聞こえたので顔を上げると、女達3名がじっと俺の顔を窺っていた。
「いや、何でもない……。」
俺はそう答えると、また書類の方へ目線を落とした。
その時テレビからニュースを読み上げるグレーのスーツを着た若い男のアナウンサーの声が俺の耳の中へ入って来た。
「……今日、夕方5時頃。初奈島市桜地区においてタクシー強盗未遂事件が発生したとの110番通報がありました。被害にあったタクシー運転手は、初奈島中央駅から強盗犯を乗せて事件現場へ誘導され、金銭を要求されましたが、緊急通報を受けて現場付近を巡回していたパトカーに気が付いた強盗犯が逃走を図った事から、辛くも難を逃れたという事です。警察では強盗未遂事件として、運転手から聞いた犯人の容姿を元に、初奈島を中心に緊急捜査網を敷いて犯人の捜索に当たっています。犯人は依然逃走中です。現在当局から発表されている犯人の特徴は……。」
おいおい、今度はこの辺りにまで強盗犯が出没するようになったのかよ……、冗談じゃないぞ……。そう内心戦戦恐恐としていると、まるで俺の心の中を代弁するかのように、
「怖いですわねえ……。」
とヨネさんが呟いた。
改めて3枚目に目線を向けた時、そのあまりの意外な内容に俺は不覚にも、
「おっ!」
と声を出してしまった。
『緊急時電話暗号表
・ギルドからの異常確認……「曽須様からの伝言を承ったのですが……。」
・運転士からの応答……「こちら(対応番号)号車、ただ今賃走中につき対応出来ません。」
強盗……510
ハイジャック……819
無賃乗車……640
泥酔……481
指名手配犯・怪しい人物……192
運行妨害・その他のトラブル……876
懐に武器を隠し持っていて脅迫している……「代わりにO-104号車へ回して下さい。」
緊急通報が発覚、切迫した非常事態……「お客様の御都合に付き、無線を切ります。」』
何だ?こりゃ?
いや、いざという時に隠語でオペレーターとドライバーが遣り取りをする為の指針である事は容易に察せられるのだが、もっと他に遣り様が無かったのだろうか……。いくら何でも安直過ぎるだろ。特に最後の文句とかまんまというレベルではないと思うぞ……。
まあ、無いよりはいいかも知れないな、と思いつつ俺は最後の紙を捲った。
『第一回新生全世界タクシー大会開催決定!ただ今参加者募集中!
来る8月25日、可瑠磐地方真砂市真砂市営総合市民公園大駐車場及び周辺にて、法人タクシー総合協会及び個人タクシー協同協会の共催による全世界タクシー大会を改めて開催する事に決定致しました。参加する企業、または事業主の方は同封の「月刊タクシードライバー」の裏表紙にある申し込みフォームに必要事項を書き込んだ上で、同じページにある返信用封筒に封入して7月末日必着(当日消印有効)で御返信下さい。大勢の事業者様の奮っての参加を心よりお待ちしています。』
お、もうこんな時期になったのか!去年初めて第二回の大会にISで参加した以来だが、今年は実際に車を乗ったり触ったりする事が出来るから、より面白い改造車を見たり、逆に自分の自慢の車をより良い形で披露したり出来る筈だ。
そう考えると、俺は年甲斐もなくわくわくして、思わず頬を緩めてしまった。お陰で、
「何?今度はニタニタ笑い出したりして、気持ち悪い……。」
と女衆から大層顰蹙を買ってしまったが……。
だが、そんな事以上に俺の頭の中を占めていたのは、今年は何のどの車でイベントに参加しようか……、ただそれだけだった。