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第七話:ヨネ婆さんの話~手掛かりのない人捜し

>>新太郎

 俺は部屋の卓袱台の傍まで移動すると、ヨネさんと真正面に相対する位置に胡座し、俺達二人の間を取り持つように、俺の左側に玉緒が正座した。

「さてと、氷室さん。あなたが置かれている状況を私が把握する為にも、先ずはあなたの身の上について出来るだけ詳しく話して頂けませんか?」

と、俺は静かに口火を切った。すると、ヨネさんは滔々と彼女の事について話し始めた。


 先ず彼女は東京の某所に長男の家族と暮らしていた、後数年で喜寿を迎えるような未亡人だった。

 息子の家族との関係は至極良好。本人も健康その物である上に、大分前に先立った旦那さんの遺産も十分過ぎる位あった事もあり、彼女は何一つ不満も不自由も無しに暮らしていたという。

 特に長男夫婦の3人の子供の内、末娘の次女である香澄とはとても仲が良く、6人いる孫の中でも一番可愛がっていた女の子なのだという。


 そんなヨネさんの生活が一変したのは3ヶ月前、そう……あの例のアップデートが行われた時の事だった。

 当時17歳の女子高生だった香澄は、この糞運営が運営管理していた無料ネットゲームの1つに嵌まっており、学校やバイトから帰った後や夕飯が終わった後等に、自室に篭ってずっとパソコンと睨めっこしている事が屡々だったらしい。


 そして、その日も学校から帰ると、彼女は自室に篭ってゲームに興じ始めた。

 やがて夕飯の時間になり、ヨネさんは香澄を呼ぶ為に2階にある彼女の自室に向かったそうである。

「階段を上がって、香澄や、もう夕御飯だからゲームなんか止めて降りて来なさい、って言いながら部屋の扉を開けたら……、蛻の殻になっていたんですから。そりゃあ、驚きますよ、あなた……。」

 香澄本人どころか、彼女が愛用していた机やベッドのような物まで綺麗に消え去って物置の様になった部屋の惨状を目の当たりにして吃驚仰天したヨネさんは、急いで階段を下りて他の家族の元へ駆けつけた。

「ところがですよ、あなた。息子の伸一も嫁の真由子さんも、更には末っ子として可愛がっていた筈のあの娘の兄の和紀や姉の絢香まで、お祖母ちゃん、ウチには香澄っていう娘はいないよ、って云うのよ。信じられる?」

「は……、はあ……。」

 家族の言い分に納得が出来ない彼女は、確かに香澄は存在した、と主張したが、彼女の健闘も虚しく、家族からけんもほろろに扱われ、剰えボケ認定まで食らい掛けるという散々な目にあったらしい。

 それでも諦めきれなかった彼女は、生前夫が愛用していたデスクトップパソコンを引っ張り出して起動させると、香澄が彼女に話していたうろ覚えのゲームの情報を元にこのリライフに辿り着き、そのまま彼女もこの世界に取り込まれてしまったのだという。

「このアバラー?ですか……、本当は歳相応の物があれば宜しかったのですけれど……。まあ、仕方がないですわねえ。」

と、両手を広げて自分の姿を見下ろしながら、寂しそうに彼女は呟いた。どうやら白髪頭の老婆っぽいアバターを作ろうとしたらアルビノのようになってしまったらしい。そう言えば、この世界に来てから年寄り臭い姿格好をした奴は見かけても、年寄りを見掛けた事が無い事に俺は今更ながら思い当たった。


 そして現在、ヨネさんはこのアパートの1265室で運営から月3千Gの生活保護費を受給しながら一人暮らしをしているのだという。

「ゲームを開始する時にパートナーを選択しなかったのですか?ワンルームとは云え、御年配の方の独居は何かと大変でしょうに?」

 SNSゲームの開始時に、自分のアバターの他に作成する玉緒のようなPPCを設定するが、場合によっては『後から作成する』という欄にチェックを入れる事で作成せずに済ます事もあるというのを聞いた事があるが、PCの操作に不慣れそうなお婆さんが……、いや、不慣れだからこそチェックボックスにチェックをしてしまった事に気付けなかったのか……、PPCを作らずにこの世界で一人暮らしをしている事が意外に思った。

「いえいえ、大丈夫です。この世界に来てから何か体が楽になって……。絶好調過ぎて半世紀以上若返ったような感じが致しますわ。ホホホホホ……。」

 ヨネさんはそう言って笑っていたが、本当に若返ったのだろう、と考察しつつ俺は黙って彼女の方を見つめていた。


 そうして今日、ひょんな事から玉緒と知り合って仲良くなり、俺がタクシーの運転手をしている事を聞いて、俺に彼女の頼みを聞いてもらう為に訪ねて来たらしい。

「それで、ヨネさん。私に頼みたい事というのは、一体どういう物なのです?」

 俺は、何となく見当が付いていたものの、念の為にヨネさんに訊いてみた。すると彼女は、強くはっきりとした口調でこう返事をした。

「香澄を……、わたくしの孫娘を捜し出すのを手伝って頂きたいのです。」


 俺は卓袱台に両肘を付けて頭を抱えるとそのまま突っ伏した。正直言って無理だと思った。

 だって、名前位しか手掛かりが無いのである。現実世界なら本名と容姿が確定している時点で容易に本人の居場所を特定する事が出来るかも知れないが、名前どころか容姿、さらには性別さえ任意に変える事が出来るネット世界に於いては何の意味も為しはしない。その娘が使っていたハンドルネームやアバターの姿格好、主に遊んでいたゲーム等が判れば、まだ捜索範囲を限定する事も可能だろうが、そういう情報が一切無いとなれば、はっきり言って素人にはどうしようもない。俺はあくまでも個人タクシー運転手であって、私立探偵でも興信所の人間でもない。出来る訳がない。


 断ろう……。そう思ったが、ヨネさんの不安混じりの真剣な眼差しを目の当たりにして、面と向かってそういう事は俺には憚られた。

「解りました。出来る限り力添えをしましょう。」

 結局、気が付くと俺はヨネさんに向かってそう答えていた。つくづく俺ってお人好しだな、と我が事ながら俺は自分に呆れてしまった。


 さて、人事を尽くして天命を待つにせよ、何処に手掛かりを求めたり助けを求めたりするかで事の結果が左右される訳であるが、その娘のユーザーネームや現在の風貌が不明である事と共に、彼女が免許証のようなそのユーザーの実名が書いてあるような身分証明書を持っているかどうかさえ定かではなく、事件性がある訳でもないので警察に捜索願を出すという事はちとやりにくい。そうかと言って俺には興信所や私立探偵のような、その手の民間企業の関係者である知り合い等いやしない。取り敢えず一番現実的だと思えるのは、ギルドマスターに相談して、ギルドに加入している他の同業者にも協力を仰ぎ、どんなに瑣末で断片的な情報でも兎に角集められるだけ収集する事だった。


 ならば善は急げ、早速ギルドマスターに事情を説明する為に彼のホットラインへ電話を掛けようとした時、ピンポ――――ン!と玄関のインターフォンの電子チャイムの間延びした高い音が部屋の中に響き渡った。

「あら、何方かしら?」

 立ち上がって部屋を後にした玉緒の背中を見送りながら、こんな時に誰だよ?空気読めよ、と内心愚痴りつつヨネさんと向かい合う。俺は煙草が嫌いな嫌煙厨だが、こういう時に煙草が吸えれば上手くこの場を対処する事位は出来るのだろうか等ともどかしい時間を過ごしていると、程なくして玉緒がリビングに引き返してきた。

「あなた!あなたに会いたいって言っているお客様が来られているのだけれど……。」

 俺に会いたい客だと?こんな時間に訪ねて来る知り合いなんて思い浮かばなかったので、不思議に思いながらも、

「すみません、少し席を外させて頂きます。」

と、ヨネさんに声を掛けると、俺は玄関に向かう為に立ち上がった。


 玄関の三和土の所に、やや青味が掛かった薄目のモスグリーンのスーツを着て横に長い長方形のレンズの銀縁眼鏡を掛けた、髪を丁寧に七三分けにした面長の角張った顔をした若い男が直立して俺を待っていた。無論何処の誰とも判らぬ知らない男である。

 その若い男は俺が来た事に気付くと、左手首の機械を差し出して、空中に社員証の映像を照射した。

「初めまして。私、株式会社モナー損保で勧誘員兼営業担当を承って居ります谷田部と申します。」

「はあ、どうも。此方で個人タクシー事業をしています、高津です。」

 そう言って、俺も同じ様に手首の機械を作動させて営業許可証の映像を映し出し、相手の社員証の情報を電話帳の中に取り込んだ。

 そして互いに自分の身分証明書の映像を消すと、谷田部という男は手に持っていた茶色い革製の通勤鞄の中から、華麗なフルカラーのB3版の薄手のパンフレットを取り出して俺の前に差し出した。

「モナー損保総合自動車保険?」

 俺はパンフレットの表題を読みながら目の前の勧誘員に尋ねた。

「はい、お客様の様に2台以上のお車をお持ちの方や毎日のように長距離を走っている個人タクシーや赤帽等の普通自動車を使用している個人事業主の方向けに、弊社がお勧めしている、弊社がお客様に提供している全ての自動車関連の保険サービスを盛り込んだ、お得な総合パックの商品でして……。内容と致しましては、補償額無制限の対人補償、対物補償、自損補償、限度額2万Gまでのトラブル保障、無料で御利用して頂きますロードサービスや、弊社の関連会社のモナーリゾートが各地で運営致しております保養施設の特割利用等、諸々のサービスが付随しまして、しめて月々の掛金の方が……。」

と、俺の前でパンフレットを広げて鞄から取り出した電卓を叩きながら、男はペラペラと堰を切った水の如く話し始めた。

 が、俺はそういう物に興味は無かったので、

「あの、ちょっといいかな……。」

と男の話を引き止めた。

「何か御質問がありますか?」

「いや、そうじゃなくてさ。ウチはそう云うの、いいから。」

「は?」

 男は唖然としたように口を開けながら俺の方を見つめて固まっていた。

「いやさ、ウチはもう個人タクシー協同協会が提供している『個人タクシー総合任意保障共済』に加入しているから、今更他の任意保険と契約する心算は毛頭も無いよ。それに実を言うと、今ちょっと取り込んでいるんだ。悪いけれど、帰って貰えないかな。」

「いや、しかし……。弊社の保険の方が月々のお支払い額も安い上に、保障もサービスも充実しておりますよ?」

「でも、実のところ掛金込みで会員費を毎月支払っているから、任意保障を解約して御社と契約した所で此方が得をする訳では無いし、保障が充実していると言ったって、精々関連会社の保養施設の格安利用の権利が付いているかいないかの違いだろ?ウチみたいな小さな自営業だと毎日が営業日みたいなものだから、正直言ってそういう所を利用する機会なんて殆ど無いよ。だからあまりメリットを感じないなあ。」

「そうですか……。それでは、パンフレットだけ置いておきますから、また何かお問い合わせがあれば、弊社のお客様相談室までお問い合わせ下さい。……失礼致します。」


 この客は駄目だ、分が悪い、とでも思ったのだろうか、そそくさと電卓を鞄にしまうと彼は我が家から出て行った。

 俺は心の中で、頑張れ、と彼にエールらしき物を送ると、彼が置いて行ったパンフレットを引っ掴んでリビングへ戻った。

 玉緒が俺に話し掛ける。

「あなた、どなたでしたの?」

「ん?……ああ、任意保険の勧誘だった。別に今の所から乗り換える心算は毛頭も無かったから、帰って貰ったよ。」

「……そうですか。」


 床の上に胡座をかくと、今度こそ俺はギルドマスターの所へ電話を掛けた。

「……もしもし。」

「もしもし、マスターですか?高津です。いつもお世話になっています。」

「ああ、新ちゃん!どうしたんだ?急に電話なんて掛けてきて……。」

「ええ、実はマスターに聞いて頂きたい相談事がありまして……。」

「相談事?」


 俺はマスターに、事の顛末について簡単に説明し、香澄ちゃんを捜す為にギルドや他の事業者の力を貸して欲しいと懇願した。

「う~~~~ん、難しいな。」

 珍しくマスターが渋っている。

「もっと他に手掛かりや足掛かりは無いの?どういう格好のアバターだとか、拠点としていたゲームの場所とか……。自分とそっくりの容姿をしているとは限らないし、下手すると性別まで変わっている可能性だってあるのに、本名と現実世界での容姿だけじゃ、はっきり言って捜しようがないよ。協力して上げたいのは山々だけどねえ。」

「ですよね……。」

 意識した訳では決してないが、俺とマスターは同時に溜息を吐いた。

「お忙しい所をすみませんでした。此方でもう少し手掛かりを探してみます。」

「力になれなくて申し訳ない。」

「いえ、こんな話を聞いてくれるだけで十分です。有難う御座いました。それでは失礼します。」


 電話を切ると、不安そうに此方を窺っているヨネさんと玉緒の顔を交互に見つめた。

「すみません、ヨネさん。やはり、探すのはちょっと難しいみたいです。」

 俺がそう言うと、

「そうですか、そうですよね……。」

と、ヨネさんは小さく声を漏らした。

「まあ、我武者羅でも行き当たりばったりでも、取り敢えずやるだけやってみましょう。ひょっとしたら何かの拍子にお孫さんの手掛かりが掴めないとも限らないのですから……。」

 俺は彼女に向かって、慰めとも励ましともつかない言葉を投げ掛ける事しか出来なかった。


 その後、新しい客を乗せる度に、それとなく香澄ちゃんの行方を知っているかどうか質問したが、有用な糸口を見つける事は出来なかった。


 そんなこんなでこの世界に来て1ヶ月が経過した。

 お昼までに中遠距離客を5組み程乗せて結構な額を稼ぐ事が出来たので、俺は昼飯を摂る為に何時も使っている第一商店街の外れにあるラーメン屋にやって来ていた。

 食事時の所為か、手狭なラーメン屋の店内は客と美味そうな飯の匂いでごった返していた。


 そんな中、殆どタクシーやトラックのプロドライバーしかいなかったが、俺の意識はカウンターの1席に座っていた1人のタクシードライバーの男に集中した。初めてこの店にやって来た時に話し掛けてきたあの男である。三池という名前らしい。帝都無線に属している株式会社タニコー自動車に勤務しているそうである。

 今、彼はカウンター席で数人の個人タクシーの事業者、何れも俺がここ最近で知り合うようになった他のギルドに所属している連中、に囲まれて何か熱心に議論をしているようだった。


 俺が入店した事に気が付いた店主が、

「いらっしゃいませ!」

と掛け声を上げると、それに気付いたのか、その話の輪の中に居た内の1人、藍色のブレザーに赤いネクタイを締めて薄いグレーのスラックスを穿き、黒髪をリーゼントの様に立ててちょび髭を生やした、逆台形のような顔立ちをした銀縁眼鏡の男、連盟所属の運転手の葛西が俺の方に振り向き、

「お、高津はん!ええところに来おったなあ!」

と、少し脂臭いダミ声で話し掛けてきた。

 何の話か、と思いつつ彼等の右側に空いていたカウンター席に腰を掛けると、俺の左隣、三池の右隣にいた薄空色のシャツを着たスキンヘッドの丸顔の男、同盟の小野が、

「聞いてよ、高津さん。こいつ独立する気があるらしいんだよ!」

と、ガハハと少し品のない笑い声を上げながら三池の右肩を指した。

「独立?三池君。君、法人を辞めて個人タクシーへ転向するつもりなのかい?」

 まあ従来の、まるで親の敵を見るような目で個人タクシー業者を見ているような僻んだ性格を三池がしている事を、図らずも知ってしまっている身としては、別段不思議とも意外とも思わなかったが、その場の適切な応答として、俺は一応彼に聞き返して確認した。

 すると、三池の代わりに葛西と小野、更に葛西の左隣に居た丸いレンズの黒縁メガネを掛けて四角く角張った顔立ちをしたYMAの遠野という男が返答した。

「そう!それで、移籍するなら何処のギルドがいいか、なんて言うからさ。」

「どのギルドが一番良いのか。」

「僕等が説明している訳だよ。」

「ふーん。」

「だから、高津さんも同じ個タク乗りとしてこいつの相談に乗ってやってよ。」

 そう小野に話を振られたので、

「構いませんよ。でも、三池君。君、どんなギルドに加入したいんだ?」

と、俺は三池に向かって尋ねた。

 すると彼は、ただでさえ景気が悪そうな陰のある顔を更に渋く歪ませつつ、

「それなんですよね……。今一何処が良いのか分からなくて……。」

「まあねえ……、ギルドっていっても全国規模の大きな奴から数人しか所属していない地元密着型の小さな所までピンきりだからね……。」

「何処かいいところないですかね……。」

 あまり悩んでいるような感じには聞こえない彼の乾いた声に少しだけ引っかかりながらも、

「そうだなあ……強いて言うなら……。」

と俺は口を開いた。

「ウチだな!」

 まるで斉唱するように丁度いいタイミングで互いの声がピッタシと重なった事に妙な感動を覚えつつも、俺と小野と葛西と遠野は不覚にも顔を見合わせて数瞬の間開いた口が塞がらなかった。

 普通ならちょっとした歓声を上げて少々の感慨に耽ってしまうようなそんな場面も、そこは競合する同業他団体の間柄である。一気に険悪な気配が辺りを取り巻き始めた。

「高津さん、冗談を言っちゃいけませんで!移籍するなら絶対ウチのギルドの方が良いですって!」

「またまた葛西さん御冗談を……。あなたの所みたいに車両から営業範囲に到るまで、規範でギチギチに縛り上げてくるようなギルドの何処がいいんですか。入るのなら規範も緩くて選択肢の幅が広い初心者にも優しいウチみたいなギルドでしょう。常識的に考えて……。」

「何が初心者に優しいねん!初心者もベテランも関係なくお互いに共喰いをしているような無法者しか居らん癖によく言うわ。ウチだったら少なくとも客を取られて食いっぱぐれる、って云う事はあらへんで!」

「そんな事を言ったらウチだってそうだよ。連合程じゃないが、連盟と違って車の改造だって認められているしね!」

「同盟は専用色がダサい上に塗装を特注しないと行けないのがなあ……。」

「おい、三池!ダサいって言うな!それに塗装を特注しないといけないのは連盟や『YMA』だって同じだろ!」

「まあ、ウチなら格好良いから女の子にモテモテだけどね……。」

「YMAは大手4団体の中で断トツに規模が小さいじゃないですか……。そこがちょっとなあ……。」

「でも、規模だけで考えるなら必然的にウチになるぞ。自分の所属団体だから悪く言いたくはないが、ウチは営業範囲や配車業務のシステム的に、上手く行けば一攫千金の荒稼ぎも可能だが、大抵の奴が稼ぐドライバーに喰われて他団体に逃げて行く事も多いギルドだからな。自由と引換に背負うリスクは結構大きいぞ。」

「う~~~~ん……。」


 ますます悩んでしまった三池の方をチラ見し、湯気で曇った眼鏡を外してハンカチでレンズの曇りを拭いながら、

「まあ、一概に個人へ転向するのが良いとは限らないしなあ。歩合制でも月給が毎月きちんと支払われる会社と違って、個人タクシーは儲け0どころか赤字が続く事も普通にある完全自己責任の自営業だからなあ。独立するにせよ、このまま従属するにせよ。よくよく考えた方が良いと思うよ。」

と、俺は声を掛けた。


 その翌日の深夜1時半。陸南地方北部にある国道沿いのファストフードのチェーン店の駐車場。

 俺は長距離を乗せた客を下ろした帰り道、休憩を取る為に寄り道をしたその場所で、自分と同じギルドに所属する加山という男が乗務する白いF50シーマと、同じく池田という男が運転している紺色のJCG17型のオリジン(2000年11月にトヨタ自動車が生産累計台数1億台突破記念として千台限定生産で世に送り出した。プログレをベースとして初代クラウンを再現した特別限定モデル。)が仲良く並んで駐車しているのに出くわした。近くにある街灯の光の逆光になってよく判らないが、よく見ると2台の車のそれぞれの傍に1人ずつ人影が立っているのも見て取れたので、俺は2台が止めたスペースの通路を挟んで反対側に、シーマと斜向かいになるようにJ30後期型のマキシマをバックで横列駐車し、エンジンを切って停車措置をしてから降車した。


 近くに寄って見てみると、やはりそれは加山と池田の両名であった。

「あ!誰かと思ったら高津さんだったのか!」

と、加山が声を掛けてきたので、

「やあ、お久しぶりです。」

と俺も右腕を上げて応えた。

「しかし……、どうしたんですか?そのマキシマ……。前はそんな車に乗っていなかったと思ったけど……。」

「ああ、此方に来た後、源さんの所で新しく買ったんですよ。」

「ああ、そうなんですか……。いいなあ、相変わらず儲かっているんだろうなあ……。」

 羨ましそうに此方を見てくる加山と、同意するようにウンウンと頷いている池田の顔を見ながら俺は慌てて首を横に振って否定した。

「いやあ、全然そんな事無いですよ。昨日今日こそ長距離の客が拾えてそれなりに稼げたけれど、一昨日なんて雀の涙程度しか利益が出なかったし……。景気づけに車を買ってみたものの、結構貧すれば鈍した生活に甘んじていますよ。」

「またまた――。」

「そうですよ。高津さん、1日に10万Gも稼いで殿堂入りした事だってあったじゃないですか……。」

 そう言って揃って茶化す二人に、俺は少しだけうんざりした。

「それだって、昔のNPC時代の話でしょう……。ああ、あの頃は良かったなあ。その場所に行けば、何時でも確実に客を拾う事が出来るポイントがいっぱいあったもの……。今じゃそんな場所何処にも無いし、あったとしてもゴミしか拾えない……。」

「でも、その代わりやたらと金払いの良い客も、最近なんか増えましたよね。悪い意味で。」

「悪い意味で、って?」

 何か含んだような池田の物言いに良からぬ物を感じた俺は、彼に問い質した。

「う~~ん、何と言ったら良いんですかね?何というか……、裏がある、っていうか……。そんな感じを漂わせている人が増えて来たよね。特にこの1週間で。」

「あ――――!解ります!解ります!お前絶対、こっち来る前に娑婆で何か良からぬ事をやっただろ!と云う感じの……。」

 何だか要領が得ない池田の言に加山が物凄く同意しながら話に加わってきた。

「そうそう、そんな感じ!服装も感じがいいし、言葉遣いも丁寧なんだけど、オーラっていうか、雰囲気がまんま裏稼業で、やーさんの匂いがプンプンしているのとか……。」

「分かります。分かります。絶対お前人殺っているだろ、っていう感じの奴とか……。」


 二人の穏やかでない会話を黙って聞きながら、俺は胸中に不穏な物を抱いていた。幸いにも俺はそういう客にはまだ巡り会っていないから事の真偽はよく判らないが、もし彼らが言っている事が事実なら、とんでもなく厄介な事態じゃないか。俺はかなり憂鬱な気分に陥ってしまった。


 闇夜の中に消えて行く白いシーマと紺色のオリジンのテールライトを見送ると、俺はヘッドライトとフォグランプを点けっ放しにしていたマキシマに乗り込み、エンジンを掛けて発車措置を施すと、ステアリングを左に切ってゆっくりと車を発進させた。


 高速道のICに向けてロービームで交通量のそれなりに多い、センターラインが1本の橙色の実線の片道一車線の国道を、前を走る10tトラックの5m程後ろを100km/hで走っていると、何処か様子がおかしい事に俺は気が付いた。

 対向している車全てが、どういう訳かすれ違い際に俺に向かってピカッピカッと複数回パッシングしてきたのだ。

 ライトが球切れを起こして暗くなった訳では勿論無い。やや左側だけ照射範囲が広いロービームは、2つ共ちゃんと点灯していて、フォグランプと共に目の前のトラックの荷台と路面を白く黄色く照らしている。ロービームだから、

『眩しいからライトを下向きに下げろ!ボケ!』

という意味のパッシングでもない筈だ。

 走りつつメーターを視認し、他の警告灯が点いていないか確認したが、別段走行に差し障るようなトラブルが発生している訳でもない。何か引っ掛けているのかとも思ったが、乗る前に車の周囲を軽く確認してから乗り込んだから、そういう事もない筈だ。

 警察によるネズミ捕りや検問、オービスやトラブルを起こした車両が先に居るのかとも思ったが、それなら俺だけでなく前を走るトラックにも同様の合図を送るだろう。何故俺の車だけハイビームでピカピカと照らされなければならないのか……。腑に落ちないやら眩しいやらムカムカとするやら……、複雑な気持ちになりながら俺はハンドルを握っていた。

 一瞬脳裏に、実は屋根の上に幽霊が……、という典型的な怪談が思い浮かんだが、冗談じゃない。まだ買って1ヶ月しか経っていないような新車に憑かれてたまるか!


 その時、そのまま通過すれば良かったのに赤信号になったから停止線の前で強引に止まろうと思ったのだろうか、前を走るトラックが制動灯を点滅させながら急ブレーキを掛けた(車によっては急制動時に後続車に注意を促す為にブレーキランプを点滅させる機能を備えたものがある。)ので、トラックの陰から歩行者信号の赤信号が見え隠れしていた時点で予想していたからブレーキペダルに右足を添えていたものの、俺は必死にブレーキを限界まで踏み込んだ。

 キキ――――――――バコンッバコンッズズ――――ッ!とローターディスクとキャリパーが接触した摩擦音とABSの作動音、そしてタイヤがアスファルトを削り取るスキール音を上げながらつんのめる様に、衝突する寸前で車は急停止した。荷重がフロントサスに掛かった瞬間、フロントガラスの上の部分に何か長い黒髪のような物体が見えたような気がしたが、直ぐに引っ込んで見えなくなってしまったし、トラックの台車の下に突っ込んで首チョンパした自分を想像して蒼白していた最中だったので、後から思えばそんな気がしたものの、その時の俺はそんな物に構っている余裕は無かった。

「ふ――、危なかった……。」

 大事に至らなかった事に安堵しつつ、再び走り始めたトラックの後に続くように俺はまたアクセルペダルの上に右足を置いた。


 深夜3時。駐車場に車を駐車して自宅の前まで来ると、

「ただ今。」

と静かに呟きながら俺は自分の部屋のドアを開けた。

 すると、まだ電気が点いていたキッチンから玉緒が出て来て、

「おかえりなさい、あなた。おつ……っ?!」

と言い掛けた所で、突然電池切れのロボットのように固まって目を白黒させた。

 いきなりの事に此方も仰天し、

「ど、どうしたんだ?!」

と透かさず聞き返すと、玉緒はいつもの如く雰囲気を鬼女のそれへ一変させ、

「ねえ……、あなた……。その女……、誰?」

と静かに怒りを湛えつつ俺の後ろの方を指さした。

「は?女?」

 こいつは一体何を言っているんだ?と訝しみながらも俺は首を左に振って自分の後ろを確認し、そのまま凍りついてしまった。

 確かに玉緒の言う通り、全身がずぶ濡れになって裾や長い髪から雫を滴り落とし、背中までありそうな少し長い焦げ茶色の混じった黒髪を顔の前に垂らして顔を隠し、黙ったまま俯いている少女が確かにそこに立っていた。

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