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第五話:人間万事塞翁が馬とは言うけれど……

>>新太郎

 あれから、第一商店街から初奈島中央駅の間のエリアを中心に流し営業をしていたが、結局ゴミ(初乗り運賃以内の距離しか利用しない短距離客)を3組乗せた以外はさっぱり客が捕まらず、結局午後5時になろうとしていた。もう日が傾きかけて外の景色は綺麗な橙色に染まって輝いている。

「今の所、稼げたのは376Gか……。」

と、俺は内心苛立ちながら呟いた。

 376G……、現実世界の円に換算すれば4千円弱の金額である。少ない。一日の稼ぎとしてはあまりにも少ない。生活費の事を考えたらせめて一日の稼ぎは最低でも千Gは欲しかった。


 これっぽっちの稼ぎじゃ流石にやばいな、絶対に玉緒が般若の如く怒り出すのが目に見えている。俺は車の流れを乱さない程度で出来るだけ速度を抑えて走りながら、タクシーを探しているような人が居ないかどうか、キョロキョロと方々に視線を走らせつつ車を運転していた。

 すると手首に巻いた機械のディスプレイが、突然目が眩むくらい青白く光り輝いたかと思うと、物凄く激しく明滅し始めた挙句、機械からプルルルルルル…という電話が掛かってきた時のそれのような少し高い電子音が車内に響きだした。

 何事かと思いつつハザードを焚き、車を路肩に寄せて停車すると、俺はディスプレイを右手の人差指でタッチした。

 その途端、光は消えて電子音も鳴り止んだが、その代わりにピッという音と共に、

「やっほー!高津さん、高津タクシーさん、聞こえますか?」

という元気な女の子の声が手元の機械から聞こえてきた。ディスプレイを見ると、

『個人タクシー連合所属オペレーター:ナツキ』

と表示されていた。どうやらギルドの方から直接俺宛で連絡が来たらしい。

「ちょっとー、高津さん!みんなのアイドル、ナツキちゃんですよ!もしもし!」

「もしもし、失礼しました。高津です。どうしましたか?」

 あまりにも煩いオペレーターの声に応戦するように俺はディスプレイに向かって声を張り上げた。

「あ、高津さん。ギルドより連絡です。お客様が直々に高津様を御指名されています。」

「え?本当ですか?」

 俺は我が耳を疑った。


 俺達小規模の個人タクシー事業者は大手の法人タクシーと違い、直接客の元へ駆けつけるという予約運行に関して言えば、認知度と事業社としての信用の無さから太刀打ち出来ず、競争にすらならない事が多々ある。だからこそ、高い会員費を収めつつもギルドという組織に所属する事で、大手に負けない位認知度と信用度が高いギルドに大口の窓口となって貰って適宜客を振り分けて頂く事で、こんな小さな事業者でも予約運行もする事が出来る。そしてそれは、その時客に一番近い所にいた空車の車に割り振られるので、此方もどんな客が宛てがわれるのか判らないし、客の方もどんな車がやって来るかは判らない。というか、余程運転手と客の仲が良くて彼らの間で信頼関係が結ばれてもいない限り、客の方から運転手を指定する事は滅多にない。

 だからこそ、俺は驚いたのである。以前NPC相手に営業をしていたとはいえ、営業再開初日で客の方から直接指名されるなんて思っても見ない事だった。上手くやれば次回以降も継続して自分の所を利用してくれるお得意様になってくれるかもしれない。俺は思わず胸を躍らせた。

「す、直ぐに向かいます!お客様の氏名と指定場所を教えて頂けませんか?」

「はい。フルセ カツヤ様で、初奈島市伊織町3の3の11、勇栄ビル正面口前へお願いします。もう一度繰り返します。フルセ カツヤ様、初奈島市伊織町3の3の11、勇栄ビルへお願いします。」

「…………。」

 さっきまでの高揚感は何処へ行ったのやら、オペレーターの指示を聞いて、俺は呆然として二の句が継げなかった。


 今朝方最初に乗せた客を下ろした建物の正面玄関の前に、ライトを全て切ってハザードだけを点滅させた状態で車を停めると、俺は車から降りて蛍光灯の真っ白な光が煌々と漏れているビルの中へ入って行った。

 床には薄い灰色の大理石の正方形のブロックが敷き詰められ、壁や天井は薄く紫色掛かったクリーム色に塗られた、よくある感じのオフィスビルの中へ入って行くと、受付カウンターの近くに、薄いベージュ色のカーペットの上に黒い革製のソファーが何脚か置かれた休憩スペースが設けられているのが見えた。更によく見るとそのソファーの一脚に、此方に背を向ける形で、今朝の男女が並んで座っているのが目に入った。

 俺は二人の元へそっと近付くと、

「大変失礼しますが、フルセ様でしょうか?」

と、男の方へ声を掛けた。

 いきなり後ろから話し掛けたのが不味かったのか、ビクっと少しだけ肩を震わせつつ二人は俺の方へ振り向いた。

「なんだ、今朝の運転手さんか……。驚かさないでくれたまえよ。」

 そう言いながら苦笑する男性の首には、先程まで会議か何かをやっていたのだろうか、プラスチックの透明なケースに入れられた名札が青い紐に通されて胸元辺りにぶら下がっていた。名札には『古瀬 克也』という名前が印字されていた。

「失礼致しました。私、個人タクシー、高津タクシーの事業主兼運転手をしております、高津と申します。御指名して頂いた古瀬様ですね?」

と、俺は詫びながら男に向かって確かめた。

「ああ、そうだ。待っていたよ。」

「それは申し訳御座いません。大変お待たせしてしまいました。表の方に車を停めて居りますので、御案内致します。」

 そう言って俺は車に乗せる為に二人を促した。その時、ふとあの女が男のアタッシェケースをまだ持っている事に気が付いた。だから、

「あの、宜しければ、それ、車まで運びましょうか?」

と、女の方へ声を掛けたが、

「いいえ、結構です。」

と頑なに拒まれたので、俺は客の荷物を何も持たずに二人と共にビルを出て、車の左後部ドアを開けて二人を車の後部座席へと招き入れた。


 車に乗り込む瞬間、古瀬氏が俺に皮肉るようにこう言った。

「何か、ハイヤーみたいなタクシーだな。どうせなら頭の上のランプを外して来てくれれば良かったのに。」

「迎車料金の他に入庫までの回送分の料金も掛かるので割高になってしまいますが、ハイヤーで指定して頂ければ、ハイヤーとして、タクシー灯と実空車表示を外した状態でお伺いする事も出来ますよ。」

と答えると、

「それでは、扉を閉めさせて頂きます。お手元にご注意下さい。」

と言って扉を閉め、俺は運転席の方へ回って車に乗り込んだ。


 運転席に腰掛けてロービームとフォグランプを点灯し、メーターを作動させてスーパーサインを『賃走』に変えると、

「どちらまで?」

と、俺は後ろの二人に話し掛けた。

「世戸ヶ谷まで頼む。」

「世戸ヶ谷?!」

 古瀬氏が発した言葉を俺は驚嘆しつつ鸚鵡返しした。世戸ヶ谷と言えば、帝都の中心部の一角にある、それなりに名の知れた高級住宅地及び商業地域である。今いる地点から直線距離で大体200km位は離れているから、行き帰りの高速代金を差し引いたとしてもかなりの金額を荒稼ぎする事が出来る。正しく願ったり叶ったりの状況だった。

「ん?やはり遠過ぎるのかな?」

「いえいえ、そんな事は御座いません。何処へだって喜んでお送りさせて頂きます。世戸ヶ谷ですね?畏まりました。」

 内心で有頂天になりながら古瀬氏に対して愛想良く振舞うと、俺はハザードを切って右ウインカーを点滅させ、発車措置をすると静かに車を発進させた。


 夕闇の中、前方彼方まで続く赤色の光が漂う河の流れを追い掛けるように、夕闇で鈍い藍色に染まった高速道路を、真っ白なハイビームと白熱球特有の黄白色のフォグランプの光のコントラストで目の前の路面を眩く照らしながら200/km近い速度で走行していると、不意に古瀬氏が俺に話し掛けてきた。

「しかし、いい車だねえ。」

「ありがとうございます。」

 感心したような表情をしてポンポンと左の掌で黒い本革シートの座面を叩く古瀬氏をルームミラー越しに見ながら、素直に俺は礼を述べた。お客様に自分の車を褒められる、個人タクシーを操業していてこれ程冥利に尽きる事はない。何故ならこの車こそ、俺達運転手にとって自分の城であり、誇りであり、分身でもあるからである。だから、他人から自分の車の事を褒められると、まるで自分が褒められたかの様に嬉しく思ってしまった。


 秋原葉と丁度正反対の所にある、世戸ヶ谷地区の中心部にあるCL1の『山町ランプ』から一般道へ下りると、俺は古瀬氏の秘書の華音嬢の道案内に従って、世戸ヶ谷区の外れ、高級住宅地の一角にある古瀬氏の邸宅の門扉の前でハザードを点滅させながら車を停止させた。車の中から望んでいる上にもうすっかり辺りが暗闇に包まれているので、真っ黒に聳え立つ屋敷の影しか判別出来ないが、中々立派な豪邸であるように俺は感じた。

「本日は御利用有難う御座いました。1,353G頂きます。」

 そう言って、俺はメーターに繋がっているICリーダーを差し出しながら後ろを振り向いた。

「じゃあ、これで。」

と、古瀬氏は左手首に着けた例の機械をリーダーに押し付けた。

 俺は自分の立体ディスプレイを起動させ、きちんと料金が入金されているか確認した。

『1,553G』

 ディスプレイに表示された金額を見て驚いた俺は、思わず古瀬氏の顔を凝視した。だが、彼は俺の失礼な行動を咎める事もなく、明朗に笑いながらこう言った。

「チップだ。受け取ってくれたまえ。……また、機会があれば頼むよ。」

「あ……、ありがとうございます!」

と慌てて口にすると、俺は急いで自動ドアを開いた。

「またの御利用を心よりお待ちしています。」

 降車していく華音嬢と古瀬氏の背中を見送ると、俺は自動ドアを操作して車の後部左扉を閉めると、ハザードを切って右ウインカーを点滅させながら静かに車を発進させた。


 山町ランプは出口専用のランプなので、その先にある『世戸ヶ谷JCT』に直結する『世戸ヶ谷IC』からCL1に合流する。

 4車線ある本線の右側にある加速車線から本線の追越車線へと合流する形になるので、緊張しつつアクセルを限界まで踏み込みながら加速車線を走っていると、左後方からギュイイイイイイイイイイイン…と盛大に鳴り響く、自分の車の物とは違う変に甲高いエンジン音が物凄いスピードで近付いて来るのを感じて、俺は思わず左側のドアミラーに目を向けた。

 するとそこにはすぐ後ろから、本線の追越車線をもの凄い勢いで疾走する複数の車のハイビームが鏡面に大きく反射していた。そして次の瞬間、左ウインカーを焚きながら本線へ合流しようとしていた俺の車の傍を、滅茶苦茶速いスピードを出して疾駆する3台の自動車が続け様に駆け抜けて行った。


 帝都高速は、有料道路だし全線が高速料金の適用区間でもあるが、あくまでも制限速度が設定された一般自動車専用道路である。そして、現在俺が走ろうとしている区間の制限速度は70km/hで、俺自身の現在の瞬間走行時速は100km/hを少し超える速度である。どう考えてもさっきの車達は制限速度を大きく超過したスピードで疾走していた。

 だが、これが本来このゲームの醍醐味だった。不特定多数の集団で行う公道レース。俺も嘗ては色々な車に乗って、こうした暴走行為に参加して、環状高速道路を馬鹿みたいに何周も周回していたものである。


 久しぶりにCL1をグルグル回ってみようか……。そんな事を考えながら車を左へ寄せて追越車線に入ると、気合を込めてアクセルを踏み直して車を加速させた。

 ルームミラーをチラリと横目で流し見ると、前照灯とフォグランプの4つの白い明かりが後方から追い駆けて来るのが目に留まった。どうやら前の3台の他にも走り屋が屯しているようだ。俺だってタクシー運転手の前に走り屋である、追い越せるものなら追い越してみるがいい。俺はテンションを揚げる為にインパネのセンターコンソールにあるオーディオのボリュームの摘みを回して音量を上げると、鼻歌を歌いながら他の車の間をすり抜けるように車線変更を繰り返し、後ろの連中を振り切るように、そして前を走っているだろう先程の3台を追い掛けるように180km/h近いスピードで車を走らせた。


 暫く走っていると、さっき最後に追い抜いて行った車の物らしいテールランプの赤い光が前方に見えてきた。ブレーキを踏んでいるのか、横に2つ並んだその光は強くなったり弱くなったりしている。

 どんどん近付いて行くに連れて、段々と前を走行する車の色と車種が判別出来るようになってきた。白いFC3SのRX-7の後期型だった。

 前を走るFCの後ろに続きながら、だからあんな変な轟音を上げていたのか、と俺は納得していた。目を凝らしてよく見ると、FCの前方の左から3本目の走行車線を暴走しているのは、『走るラブホテル』とも称されたバブルの申し子、マツダのロータリーエンジンの歴史上唯一の3ローターエンジンを搭載したユーノス・コスモである。金色に輝くゴールドメタリックに塗装された重厚な車体を、有り余る馬力を駆使して疾駆させていた。

 更にコスモのすぐ前を激走しているのは、何故か尾灯を青色の灯火に変更している黄色のFD3SのRX-7の前期型である。本来であれば尾灯は赤色の灯火でないといけないだろうと突っ込まなければならないのだろうが、それすら野暮ったく思える程格好良いと俺は思ってしまった。


 ふとルームミラーで後方を視認した時、またまた俺は驚いた。さっきヘッドライトの光くらいしか分からなかった後続車が、もう十分車種が判断出来るくらい近くまで迫っていた。しかも現行型のブルーマイカ(マイカとは、塗料の中に雲母を混ぜる事でキラキラと輝かせた色の事。因みにメタリックは、塗料に鉄粉を混ぜる事でさらにキラキラと輝かせた色の事。)のRX-8である。前を走る3車と違ってNAエンジンである為に、少し苦しそうに見えるが、ロータリー車特有のキ――――――――――ン…という甲高い、まるで航空機のそれのようなエンジン音をがなり立てながら頑張って追い掛けていた。

 今夜はロータリー車だけで構成されたチームが走行会を催しているのか、前後を往年の名車達に囲まれて、俺はワクワクと子供の様に興奮してならなかった。


 暫くの間、この4台の車達と並走しながら夜中の都市高速の環状道路を何周か回っていたが、やがて4台は左ウインカーを焚きつつ本線から離脱していき、帝都高速5号線(湾岸線)へ入るJCTの分岐線の方に走り去って行った。

 左ウインカーを点滅しながら左から二番目のレーンへ車線変更し、ブレーキを掛けて120km/hまで減速すると、そろそろ家に帰ろうか、と思いながら俺も3号線とのJCTへ向かって車を走らせた。


 CL1から3号線に入ってからも、前を走る車を次々と追い抜きながら俺は順調に追越車線を160km/h近いスピードで巡航していた。本来は追い越しや追い抜きが終わったらすぐに左側の走行車線へ戻らなければいけないのだが、走行車線を走る車の流れが遅い為に、車線変更するタイミングを逸したまま、何時までも追越車線を走り続けるような形になってしまっていた。

 そうやって走行車線を走っている車の中に、1台だけ妙な雰囲気を纏った車、一見するとフルスモークのVIPカーの様にも見えなくもないが、営業車が履くような安物の16インチの鉄チンホイールの細いタイヤとアルミ製のホイールキャップを装着し、車高を落とす訳でもなく、寧ろ屋根の真ん中辺りが不恰好に少しだけ膨らんでいる白いY31セドリック・セダンのブロアムがいる事に気が付いたが、特に意識する事もなしに俺は他の車と同様にそいつを追い抜いて行った。

 すると、そいつは俺の車が前に出た途端、急に加速を開始すると追越車線へ車線変更をし、そのまま俺を追い掛けるように10m程の距離を保ちながら後ろにぴったりと張り付いて来た。

 そして1分半程そんな風に走っていた時、突然セドリック・セダンは3度もパッシングをしてきたので、ルームミラーに反射する上向きの前照灯の明かりに目が眩んだ俺は、怒りの余り思わずルームミラーで後方を確認した。てっきり後ろの車が俺の車を煽っていると思い込んでしまったのである。

 だが、セドリックは俺の予想に反し、屋根から反転式の赤いパトランプを跳ね上げて赤く明滅させ、バンパーのエアロの部分に仕込まれた2つの前方警告灯のリトラクタブル式のカバーを取って赤く点滅させると、ウ―――――――――……!と凄まじいサイレンを鳴らしつつ俺の車を追跡してきた。

「前を走る銀色のクラウンのタクシーの運転手さん!銀色のクラウンのタクシーの運転手さん!スピードの出し過ぎです。至急、減速して左の車線に移りなさい。繰り返す、『初奈島330 あ 3361』の車の運転手、抵抗しても無駄だ!すぐにスピードを落として左へ車線変更しなさい!」


 どうりで変な車だと思った筈だ。覆面パトカーじゃないか。俺はトホホと悲嘆に暮れながら、警告通り左へ車線変更し、降伏する意思を示す為にハザードランプを点滅させるとブレーキを踏んで静かに減速していった。そして覆面パトカーは、助手席の窓を全開にして窓から左腕を伸ばすと、着いて来いと誘導するように後ろから前へ振るジェスチャーを繰り返し、俺の車を追い越した。覆面パトカーを後ろから見ると、後ろの窓の後部座席のヘッドレスト後方に備え付けられた電光掲示板が、黄色い文字で『パトカーに』と『続け!』と書かれた2つの表示を交互に点灯させていた。


 結局、誘導されるに任せて緊急退避用に設けられた路側帯の出っ張った部分に車を停めると、助手席から降りて来た、警察官とも兵士とも区別がつかない紺色の制服に黒い防弾チョッキを羽織って白いヘルメットを被った屈強な男に導かれるまま、左側に俺を連れて来た男、前方に同じ様な格好をしたもう一人の男に囲まれて、俺はパトカーの後部座席の右側に座らされた。

 彼らは、自分達はこの地区の保安を警察より委任された自警団に所属する保安官と副保安官だ、と名乗ると俺を尋問した。

「免許証と、営業許可証を確認させて下さい。」

「はい。」

 隣にいる副保安官の命令に従って、俺は素直に自分の手首の立体映写機を作動させて免許証と営業許可証の確認ウインドウを表示させると、彼に向かって提示した。

「高津 新太郎さん……ね。分かっていると思いますが、あなたには速度超過と通行区分違反により切符を切らせて貰います。」

「はあ……。」

 俺は自分が情けなくて溜息を吐いた。

「はあ……、じゃないですよ。本当に解っているんですか?あなたの走っていたこの道路の制限速度は時速100キロ、我々の計測だとあなたの車の速度は160キロ。60キロの超過です。何をそんなに急いで居られたのですか?」

「そのう……、出来るだけ早く家に帰りたかったものですから……。」

 副保安官に厳しく問い詰められて、咄嗟に俺はこう答えた。半分は本心、半分は出任せである。だが、目の前の保安官達は厳しい表情を崩そうとはしなかった。

「早く帰りたかった、ですか……。でもね、高津さん。飛ばそうが飛ばさせまいが、自宅は逃げないんですよ。急いで帰宅する必要があったなんて言い訳にはなりませんよ。」

「はあ、済みません。家で女房が待っているものですから、つい……。」

「奥さんが待っているなら、尚更制限速度を守って安全運転をしなきゃ駄目じゃないですか!もしあなたが事故を起こして帰らぬ人になったりしたら奥さんがどんな気持ちになるか考えた事があるんですか?事故を起こせば、あなただけの問題で済むと云う訳では決してないのですよ。ましてタクシーの運転手をしているのなら、ああいう運転をする運転手がどういう末路を辿るのか、身に染みて解っている筈でしょう?」

「はあ……、本当に済みません。反省しています……。」

 運転席の保安官に厳しく怒られて、思わず俺はシュンッと縮こまった。

 そんな俺の様子を見ながら保安官は副保安官と互いに顔を見合わせると、俺に向かってこういった。

「まあ、今回は初犯のようですし、大目に見て上げましょう。制限速度違反10点と通行区分違反2点、計12点を減点。罰金千Gの赤切符を切らせて頂きます。」

「え……?赤切符?青切符じゃないんですか?」

「赤切符です。」


 保安官に断言されて、俺は軽く絶望の淵に叩き落された様な気分がした。

 反則金をその場で払えば終了となる青切符とは違い、罰金という名目の赤切符は刑事罰扱いになり、簡易裁判所へ出向いて支払いの手続きをしなければならない上に、1年間無事故無違反を貫いたら消失するとはいえ、前科歴が付くから俺自身の経歴にも傷が付く事になる。しかも支払いを拒否すれば督促状が舞い込む程度の青切符と異なり、罰金を払う事を拒むと問答無用で刑務所で一月程お世話になる羽目になる。

 さらに最悪な事に、この罰金の所為で本日の稼ぎの殆どが消えてしまった!帰ってから玉緒に何て弁解すればいいんだ?俺は気が進まなかったが、赤切符にサインをして受け取ると、やっと解放された。


 重い足を引き摺りながら我が家へ帰還する。これから直面する事態を想像して憂鬱になりつつ玄関のドアを開けると、軽快に鼻歌を歌いながら楽しそうにステップを踏んで夕食の用意をしている玉緒の姿が視界に飛び込んできたので、予想に反して彼女の機嫌が頗る良い事に、却って俺は少なからず戸惑った。

 何だかおかしいぞ、と不審に思う俺の目に、昨日玉緒にせがまれて購入した真新しい冷蔵庫が目に入った。そうだ、今日は新しい冷蔵庫と洗濯機が家に来る日だった。ははあん、だから妙に機嫌が良いのだな、と俺は推測した。そして、ひょっとしたら上手く誤魔化せるかもしれないと邪な考えが頭の中にちらついた。


 取り敢えず玄関の上り框に上がり込み、

「ただいま。」

と言うと、玉緒が俺の方へ振り返った。そして、

「お帰りなさい、あなた。」

と言いながら、彼女は俺に抱きついてきた。

「おいおい、どうした?止めてくれ、照れるだろ。」

「えへへ、だって嬉しいんだもの。」

 冷蔵庫と洗濯機如きでここまで喜べるものなのか、困惑している此方の事などお構いなしとでも云うように、玉緒はこれ以上にない位密着してきた。


 これは、ひょっとすると本当に有耶無耶に出来るかもしれない。そんな事を考えながら玉緒と共に夕食を摂っていると、

「そう言えば、あなた。今日の稼ぎはどうでしたの?」

と、突然玉緒が立ち上がって、床の上に置かれたノートパソコンを立ち上げて本日の収支をチェックし始めた。

 やばい!と思って慌てて適当に言い繕うと口を開けかけたが、最早手遅れ、先程まで天使の様に微笑んでいた玉緒の表情が、まるで亡者の様にこの世の者とは思えぬ程おっかない顔に変化する過程を刻々と、額に冷や汗を掻いてゴクリと息を呑み込みながら俺はじっと見つめていた。

「……たった、これだけ?」

 ピンと張り詰めた湖水の水面の様に静謐な調子で呟きながら、玉緒はゆっくりと俺の方へ振り向いた。その顔は静かに微笑んでいたが、目だけは据えて獲物を狙う蛇の様に俺を睨みつけていた。

「一日中働いて。たったの154Gって、どういう事なのかしら?」

「す、すまん……。実は帰りに交通機動隊のパトカーに捕まっちゃって……。千Gの罰金を取られてしまった。本当に、済まないと思う。」

「…………。」

「…………。」


 嫌な沈黙が流れていた。玉緒の震える肩から湧き上がるどす黒い怒気によって部屋中の空気が澱んで行くのを俺はヒシヒシと感じた。もうやばいとかそういうレベルの問題ではない。冗談抜きでこのまま彼女に殺されるかもしれない。本気で命の危機を覚えた。


 もう駄目だ……、と全てを諦め掛けた刹那、突如俺の手首の機械にギルドから着信が入ったので、俺はこれ幸いと藁をも掴む思いで電話を取った。

「もしもし、こちら高津タクシーでございます。」

「あ、もしもし、こちら個人タクシー連合の新見と申します。お疲れ様です。」

 相手のオペレーターは聞きなれない声で若い男のようだった。新入りだろうか?

「こちらこそお世話になっております。……それで、え――っと、どういう用件でしょうか?」

「はい、先程古瀬様というお客様から、高津タクシーにハイヤーを出して欲しいとの御指名がありまして。」

「は……ハイヤーですか?」

「はい。明日朝9時に世戸ヶ谷区川本町11の2の38番地、電話番号0010の9887の205、古瀬氏の御自宅前に来て貰いたい。との事です。」

「すみません。もう一度繰り返して頂けませんか?」

「はい、わかりました……。」


 俺はメモを取りながら、新見というオペレーターから更に詳しい仕事の内容を聞き出した。

 朝9時に古瀬邸に出向き、彼の指示に従って送迎する。期間は丸一日。送迎に関しての車種の指定は特になし。ハイヤーは距離別料金は設定されず全て時間料金で換算されるから、1日チャーターした場合、24時間×60分×2×4G=11520Gに200Gの配車料金(帰りの駄賃も含む)が掛かるから、締めて11720Gを得る事が出来る計算になる。まあ、実際には精々10時間までが関の山だろうが、それでも相当の金額を荒稼ぎする事が出来る。


 図らずも汚名返上、名誉挽回の大チャンスが訪れた。

「玉緒、喜べ!明日朝一からでかい仕事が舞い込んだぞ!」

「あ!あなた、何処へ行きますの?まだ話は終わっていませんわ!!」

 善は急げ、悪は延ばせ。俺は玉緒に背を向けると、明日の車を準備する為に俺はガレージへ向かって逃げ出し……いや、飛び出して行った。

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