第三話:たまには女房孝行も良いものだ
>>新太郎
俺がこの世界に来て最初の日曜日がやって来た。
免許を交付されてから一両日、車で島中をグルグルと回ったり地図を眺めたりしている内に、どうにか初奈島とその周辺の本土の道の道路地図は一応頭の中に叩き込めた。
だからそろそろ島の中だけでもいいから営業を開始しよう、と画策しながら玉緒が作った朝食を摂っていると、突然玉緒がテレビの方を指さしながら俺に声を掛けて来た。
「ねえ、あなた……。」
「ん?何だ?」
何だろうと思いつつ言われるがまま画面の方へ視線を向けると、本土の方…帝都にある秋原葉という、この世界における中心的で規模も大きな繁華街に新しく出来た大きな家電量販店の開店セールのコマーシャルを丁度放送していた。
「これが、どうしたんだ?」
玉緒の真意を大方推し量る事が出来たが、念の為に一応俺は彼女に確認した。
すると彼女はエヘヘと微笑みながら、その家電量販店のセールを報せる新聞の折り込み広告を1枚俺の眼前に差し出した。
「行きたいのか?この店に……。」
と尋ねると、玉緒は黙ったままだったが、そうだと言わんばかりにコクンと頷いた。
「何だ?何か欲しい物でもあるのか?」
と、また問いかけると玉緒は上目遣いで俺を見ながらモジモジと俺の背中にその柔らかい乳房を押し付けてきた。不覚な事に驚いてドキマギと顔を赤らめると、そんな俺の反応を確かめるように右肩の上に頭を載せて撓垂れ掛かり、まるで水商売の女が客の男にそうする様に強請り始めた。
「はい……。実は、そろそろ冷蔵庫が古くなって調子が悪くなったから買い換えたいなって……。」
「…………?」
背中に彼女のマシュマロのような胸の感触を感じて男根を猛り立たせながらも、彼女の言葉を怪訝に思って聞き返した。
「え?あれ買ってからまだ2年も経っていない筈だけど、もう壊れてしまったのか?」
すると、玉緒は憂鬱そうにしかめ面をし、
「そうなのよ。」
と不満を口にした。そして再びお強請りモードに突入し、
「あと洗濯機の調子も今一つだし、安売りをしているならこれを機会に新調したいな、って思って……。ねえ、いいでしょ?あ・な・た♪」
と、ジリジリと俺に詰め寄った。
どうせ洗濯機や冷蔵庫の調子が悪いなんて嘘八百だろう、そう疑いつつも仕事で使うからと自分に言い訳して欲しい車を金に糸目を付けずに購入しているという後ろめたさも手伝って、まあ…たまにはいいか、と思うと共に、久々に帝都の方へ出て中心街の道路状況も一緒に確認する良いチャンスだとも考えたので、
「いいよ。分かった。それなら今から出かけるか?」
と、俺は了承した。
服を寝間着から空色のカッターシャツと薄いベージュ色のチノパン、焦げ茶色の革靴という格好に着替えると、余所行きの紺色のワンピースを着て黒いパンストの上に黒い革製の婦人靴を履いた玉緒を連れて俺は部屋を出た。
駐車場の自分のガレージの前に立つと、例のモニターに左手首の記録装置を接触して認証させる。
『認証しました。』
という白い文字が現れると、昨日とは打って変わって車の小さな写真が付いた細かいリストがズラッとガレージの方のモニターに表示され、
『車を選択して下さい。』
と、リストの上の方に小さく案内文が表示されていた。
画面をフリックして長いリストを一気にスクロールさせると、俺はリストの一番下に表示された車、このゲームを初めてから今現在までの中で一番所有年数が長いGSE20レクサスIS350の後期型を選択した。
ゴオオオオオオウウウンンガタアアアアアアアンと重厚なシャッターの向こう側で大きな機械が動くような凄い音が辺りに響き渡ると、ピ――――ッという警告音と共にゆっくりとシャッターが上昇して開き、銀色の車体をピカピカに輝かせる精悍な顔つきをしたISが此方に頭を向けて駐車されているのが目に入った。
20系レクサスIS350の後期型……運営によって中レベルの能力を持った国産高級車として販売されているこの車を、高津タクシー仕様にする為に源さんの所でエンジン周りから足元、内外装にいたるまで手を入れ直した高津タクシーの第1号車両である。現時点でもう走行距離が4万キロを優に超えている筈だが、全くヘタっている様子が見られず、むしろ再び走りだすのを待ち侘びていたかのような、何とも言えぬ頼もしさを感じた。
車の運転席のドアを解錠して開けて、中を覗き込む。少しダッシュボードの上に埃が着いていたので払ったものの、ずっと屋根が付いたガレージの中で保管されていた為か、外装同様内部もそれ程汚れているようには見えなかった。これならこのまま営業に出掛けても差し障りが無さそうだ。
玉緒を助手席に乗ると、俺も運転席に乗り込んでエンジンを掛け、ドライビングポジションを調節してシートベルトを締めると、ブレーキを踏んでシフトをPレンジからDレンジに切り替え、サイドブレーキを解除して左ウインカーを点滅させると、ブレーキを離して惰性走行させ、ステアリングを左に切りながら駐車スペースから車を出した。
すると、車が出庫したのをセンサーか何かが検知したのか、ゆっくりとシャッターが自動で下降していくのが左側のドアミラー越しに見えた。今更だが結構凄いハイテク装備を搭載しているな…このガレージ、と俺は素直に感心した。
前照灯のロービームとフォグランプを点けて駐車場内の通路を移動し、アパートの建物の横のスロープを登って外に出ると、車幅灯だけ残して前照灯を切ってフォグランプだけは点灯したまま、俺は裏口へ向かい、出口を右折して公道の上を走り始めた。
別に真っ昼間で明るいのだから、視界を確保するという見地からライトを点灯して走る意味は全然無い。だが、他者に自車の存在をアピールして被視認性を上げるという意味では十分に効果が期待できる。タクシーの行灯を屋根に付けて営業している時は、空車だと屋根の上の行灯も黄色く輝いているから、客が空車の車を探す事が容易になるという利点もある。この為俺達のギルドではこの『昼間前照灯点灯運動』、所謂デイライト運動がトワイライト運動(夕方になったら早めにライトを点けましょう的なあれ)と共に推奨されていた。
本来はロービームを点灯するのがより良いのだろうが、車のヘッドライトはバイクやスクーターのそれに比べるとずっと明るくて眩しいので、道行く車が皆ヘッドライトを点けていると、ライトの光力が弱いバイクやスクーターが前照灯の波の中に飲み込まれて発見しにくくなる危険性がある。その為俺は車幅灯と、ヘッドライト程ではないが前方を明るく照らし、霧や悪天候時でも視認性・被視認性の両方を確保出来るフォグランプを点ける事でヘッドライトの代わりに使用していた。
もっとも、ショップによっては後付けの『デイライト』と呼ばれるスターターと連動して常時点灯する白いLEDの小さくて細長い灯火類を販売している事があり、そうした後付け部品を装着している車も多く見掛けるが、尾灯も点灯して後方からの被視認性も確保できるという意味でも、俺はそういう物は取り付けずにフォグランプを使う事に拘っていた。
島の中心部にあり、島の中に幾つかある商店街の中でも随一の規模を誇る中心街…初奈島第一商店街の近郊の繁華街にある中央通りを経由して高速道路に向かう為に、海沿いの片道一車線道路を左手に海を眺めながら南の方へ向かって下って行く。ある程度走って岬の麓にある住宅街までやって来ると、岬を登って峠越えをする為に道は大きく右へ逸れ、一転して急な上り坂と急なブラインドカーブが連続する狭い九十九折の峠道に変化した。
俺は気持ち強めにアクセルを踏み込み、エンジンブレーキを効かせながらテンポよくハンドルを捌き、30km/h制限の道路を最高60km/hを少し超える程度までスピードを出しながらヒルクライムを駆け抜けていった。
峠道の頭頂部、上りからなだらかに下りに転じる、左手の方に壁のように切り立つ崖がある緩やかな右カーブに差し掛かった時、前から10t位の濃紫色のスーパーグレートのダンプカーが、スピードを出してセンターラインから車体をはみ出しつつ対向して来るのが見えた。俺は出来るだけ道路左端にISの車体を寄せながら、ハザードランプを点滅させてトラックに向かって数回パッシングした。
ダンプの方も此方の方に気が付いたのだろう、詫び代わりに一度だけパッシングするとハザードランプを焚き、排気ブレーキを使って急減速して車体を道の左側に大きく寄せ、徐行しつつ俺達の車と離合した。
トラックとのすれ違いを終えてハザードを切り、ステアリングを微妙に右に切り込んで車線の中央に復帰すると助手席の玉緒が話し掛けてきた。
「何だったの?さっきのあれ……。危ないわね!何を考えているのかしら?!」
「仕方が無いだろ、この道トラックが走るには狭い方だし、ここから麓までは緩やかとはいえ長い坂道と高速カーブが続くんだしさ。勢いを殺さずに安全に登り切るにはああするしか無かったんだろ……。別に危なくはなかったと思うぞ。ちゃんと離合する時左にいっぱい寄ってくれたし……。」
「でも、あなたハザードを点けていたじゃない。」
「ああ、あれは単に対向車や後続の車に『対向車が来るぞ、気を付けろ!』って注意のサインを互いに送っていただけだから。この手の峠道では普通に見られるマナーだよ。」
そう彼女に説明しながら、ギアをDレンジからマニュアルセレクトに変更して、2速まで落としてエンジンブレーキを大きく効かせつつ、ステアリングを右から左に切り返して俺は坂道をどんどん下って行った。
中心街へ向かう中央大通りとの交差点にたどり着いた。ここに限らずこの片道4-5車線の大きな通りに交差する道路との交差点は、この大通りの特殊な構造上、全て部分的に立体交差する造りになっていた。
先ず、それぞれの方向へ走る車の流れを完全に分離する長くて幅も広いコンクリート製の中央分離帯が鎮座し、中央にある2車線は完全立体交差になった高速道路のような構造をした100km/h制限の自動車専用のバイパス道になっており、さらに1車線分のゼブラ模様の安全地帯挟んで側道の様に並走する60km/h制限の2車線の車道と歩道が取って付けたように設けられている。そして交差点へ近付く度に、2つの道は安全地帯からコンクリートの防御壁によって完全に仕切られ、バイパスは地下を潜ってノンストップで交差点をパスして地上へ迫り上がり、一方の歩道と一般道路はそのまま真っ直ぐ交差点へ突き当たり、信号機によって交通整理を受ける事になる。また、バイパスと一般道を区別する安全地帯は、時々消失して加速車線と減速車線を兼ねた新しい5車線目となり、その付近だけでバイパスを走る車と一般道を走る車が入れ替わる時がある。そんな新御堂筋や都市高速道路を彷彿とさせる造りをした道路だった。
ちなみにこのバイパス道路はそのまま速度無制限の高速道路に直結していたりもする。
信号が青に変わり、陸橋の手前の道を左折して中央大通りに入ると、直ぐに地下を通って陸橋をくぐってきたバイパス道が地上まで上がって来る所にぶつかった。直ぐに分離帯と安全地帯が途切れて加減速車線が現れたので右ウインカーを点滅しながら車線変更をし、タイミングを見計らってからバイパスの左車線へ合流し、僕は本土へ繋がる高速道路に向かう為に車を飛ばした。
追い越し車線を120km/hの速度で流れに乗りながら繁華街の中を駆け抜けて行く。車間距離を詰めて走らなければいけない程道路の上に溢れかえった自動車の中に一般車とか普通車と言えそうな車はあまり走ってはいない。殆どが俺みたいなタクシーやADバンやハイエースやサンバーのような民間業者の営業車、大小様々なトラックや大型バスである。その一般車にしたって買出しに行くようなミニバンや軽自動車、若しくは走り屋仕様のスポーツカーとかそういう物ばかりである。これが平日の昼間ならまだ分からなくもないが、今日は日曜日である。島髄一の繁華街なのに家族連れらしき姿を一切見ない事に俺は空恐ろしい物をひたひたと感じた。
暫く走ると、急に上り坂になってバイパスは高架道路になって中央大通と別れて高速のランプに向かって一直線に伸びて行く。そして暫くすると、
『初奈島東料金所 2KM』
『渋滞あり、前方注意!スピード落とせ』
と書かれて並べられた緑色の案内標識と黄色い警告表示が見えてくる。
そして暫くすると料金所の2つあるETCレーンに並んだ車の列に合流して停車した。料金所のバーを潜って左腕の機械から自動的に高速料金が精算されると、いよいよここから先は全線速度無制限の高速道路である。まずは先払い式の『本初高速連絡橋(初奈大橋・H1)』を通過し、その後本土にある高速道路で、後払い式の高速3号線を通って行けば帝都まで一直線で行く事が出来る。
俺はETCのバーを無事に通過して片道3車線の本線に突入すると、限界まで一気にアクセルを踏み込んで車をキックバックさせた。20……60…100……160……200…………270km/hと、エンジンとマフラーから重低音が心地良い轟音を響かせながら物凄い勢いでISはぶっ飛んでいった。流石スーパーチャージャーまで装着して無理矢理500PSまで性能を引き上げたモンスターマシンは伊達じゃない。
大きな吊り橋の追い越し車線を270km/hまで表示できる速度計の針が振り切れる程のスピードを出して巡航していると、
『間もなく発券所。車線減少につきスピード落とせ!』
と書かれた警告標識が視界の先に見えたのとほぼ同時に、前方を走る車が次々とハザードランプを点滅させながら制動灯を赤く明滅させ始めたので、俺も左ウインカーを点けて左ドアミラーに視線を移し、左後方を目視してから一番左のレーンにやや強引に車線変更すると、同じ様にハザードを焚いてかなり強くブレーキペダルを踏み込んだ。
リアを持ち上げ、前輪がタイヤハウスのフェンダーに接触する位フロントを沈み込ませながら急減速し、慣性で前方に引っ張られてつんのめった所為だろう、
「きゃっ!」
と可愛らしい叫び声を上げると、
「危ないじゃない!いきなりこんな急ブレーキを踏むなんて!」
と、玉緒が俺に向かって噛み付いてきたから俺の方も応戦した。
「急ブレーキなんて踏んでないぞ!」
「どう考えても急ブレーキじゃない!」
「後ろの車にぶつけられてないから、これは急ブレーキとは言えない。強いて言うなら、やや強いブレーキだ!」
「…………。」
呆れた様にジトッとした目で此方を見つめている玉緒の視線を極力意識しない様にしながら俺は渋滞の一番後ろに着いて停車し、シフトをNレンジに入れてサイドブレーキを掛け、後続車が停止するのをルームミラー越しに確認すると、ハザードを消して両手を前方へ伸ばして伸びをし、ハンドルの上に顎を掛けてハンドルを抱えるように蹲った。
発券所のETCでチェックを受けると、俺は気合を入れるように座り直し、またアクセルを踏み込んで車を加速させ、2車線ある内の左側の方へ車を進めた。
走りだして直ぐに、
『六郷JCT ↓帝都 陸南自動車道・高速3号線(M3) 陸南地方・田淵↓』
と書かれた緑色の案内標識が目に入り、左車線と右車線を隔てる白い破線がだんだん太く短くなっていき、やがてゼブラ模様の安全地帯が出現して左右へ道路が二手に分かれる分岐点までやって来た。ここから標識の案内に沿って左の方へ曲がって行く道にそのまま入って行けば、やがて高速道路3号線こと、首都である帝都と陸南と呼ばれる南東部の一地方を結ぶ陸南自動車道(M3)の上り車線と合流する。
前を走る15tの有蓋車のトレーラーに続いて、加速車線から加速しながら右ウインカーを点けて本線へ車線変更しようとして右のドアミラーを見ると、後ろから一番左側の本線の登坂車線を、積荷を満載した青い日野・プロフィアの10t無蓋車が150km/h位のスピードで迫って来るのが鏡面に映っていた。
今現在自分の出しているスピードが120km/hを少し超える程度だったので、俺は限界まで踏み込んでいたアクセルを少しだけ弱めて、徐々に加速しながら後ろから追い抜いて行く大型トラックと並走し、トラックが追い抜いて行くとそのまま速度を合わせて車線変更して本線に合流し、4車線ある内の一番左の登坂車線から直ぐ右側の走行車線に続けてレーン変更し、車をキックバックさせて先程の青いトラックを追い抜いた。
やがて上り坂が終了すると、
『登坂車線ここまで!→』
という表示と共に登坂車線が消えて3車線になり、R300mの左カーブと共に下り坂が始まり、うねうねと曲がりながら帝都に向かって山を下って行く。時々、
『急カーブ注意!スピード落とせ!』
とか、
『事故多発地点注意!排気・エンジンブレーキ併用推奨区間』
と警告する標識や電光掲示板、路肩や中央分離帯のガードレールに、
『>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>』
や、
『<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<』
な感じの赤と白のボーダー柄の急カーブ警告表示がプリントされているが、誰も意に介する事もなく、殆ど減速せずに高速カーブが連なる下り坂を駆け抜けて行く。
山を降りて平野部へ入ると、帝都の中心部へ向かうにつれ、一軒家やアパートなどが立ち並ぶ住宅地から高層ビルへと、沿道に立ち並ぶ建物の規模がどんどん大きくなって行った。
帝都の中心部の付近まで来た時、前方に大きな料金所が見えてきたので、俺はハザードランプを点滅させ、ブレーキを踏んだり離したりしながら徐々に車を減速させていった。
料金所でこれまで高速道を走った料金と、これから走る都市高速の定額料金を纏めて精算すると陸南自動車道は終結し、そのまま都心部まで向かう帝都高速3号線(3)に接続する。そして、都心部まで来ると、都心部の周囲を時計回りに4車線の道が一方通行でグルグルと回る帝都高速中央環状1号線(CL1)に合流する。この道を周回して秋原葉の最寄りのランプで降りれば目的地に到着である。
この街にはこのゲームを運営している会社のゲーム内での本部営業所が設置されているので、ゲームに入り浸っていた頃はほぼ毎日訪れていた、勝手知ったる行き慣れた場所の筈だったのだが、たった数ヶ月足を遠のいていた間に物凄く様変わりしていたから俺は心底吃驚した。
彼方此方に大きな雑居ビルやモールが整備されたり建設されたりして其処彼処で工事が行われており、以前は運営が直営するアイテムショップしか存在しなかった筈なのに、今では運営とは無関係の民間事業者のオフィスやショップが沢山軒を連ねていた。
目的の家電量販店は、そうした新しく出来たダウンタウンの広大な一角にドンッと構えた、地下にも駐車場を備えた10階建ての大きなビルだった。
地下の立体駐車場に車を駐車してから地上に上がってみると、その広壮な店舗と見渡すかぎり並び置かれた大量の展示商品に改めて俺は度肝を抜かれた。
「す…凄いな、これは……。」
と、目の前に飛び込んで来たワンフロアの3割近くを占めるPCの展示スペースと、国内外を問わず展示されている商品のヴァリエーションの豊富さに目を奪われて思わず呟いていると、
「さ、あなた。そんな所でボケッとしていないで、早く冷蔵庫を見に行きましょう!」
と、玉緒に催促され、そのまま彼女にシャツの袖を引っ張られる様に俺はエスカレーターを使って2階に上がり、2階から上階にジャンル毎に並べられた生活家電を玉緒と一緒に1つずつ見て回った。
買い物を終えて駐車場に停めた車に乗り込んでから、俺は隣に座ってシートベルトに手を掛けている玉緒に愚痴った。
「なあ、冷蔵庫と洗濯機だけじゃなかったのか……?結局こんな物まで買わされて……。」
と、後部座席に置いた高性能多目的型電子レンジと高機能電気炊飯器、そしてホットプレートの入ったダンボール箱をミラー越しに一瞥した。
「別に良いじゃない。欲しくなってしまったんですから。」
と、気にする風でもない玉緒の嬉しそうな姿を眺めていると敢えて責める気力も喪失したので、
「はぁ……。」
と軽い溜息を漏らすと、俺はシートベルトを締め、スタートボタンを指で押してエンジンを始動させ、発車措置を施すとロービームとフォグランプを点灯し、右ウインカーを点滅してクリープ走行で前進しながらステアリングを右に切って出庫した。
高性能大容量の最新型の冷蔵庫とドラム式の全自動洗濯乾燥機を購入して自宅まで配送する手続きを取った所までは良かったが、応対した白いYシャツの上に赤い法被を羽織った、やたらテンションが高いお祭り男のような店員に、
「只今新規出店出血大サービス期間中で、一度に纏めてお買い上げられた方がポイントも大量に付く上に、お値引きの方も頑張らせて頂きますからお得ですよ。」
と唆され、電卓で叩き出した数字に目が眩み、玉緒がその気になった所為で御覧の有様である。結局冷蔵庫に1万G、洗濯機に7千G、炊飯ジャーとオーブンレンジに4千Gずつ、ホットプレートに千Gと、合計26,000Gも払う羽目になってしまった。いや、実際は片道350Gの高速道路の通行料と自宅までの配送料100Gが加算されるからもう少しだけ掛かる訳だが、どちらにせよ格安の軽自動車をギリギリ買えない程度の大金を、雀の涙程度のポイントと引換に一度に支払ったのである。
こんな事を言うと、
「あなたが昨日使った30万に比べたら……、わたしにだって、たまにはこの位の事をしてくれても罰は当たらないでしょう?」
と、玉緒に窘められそうだし、認めたくはないが俺自身そう思う所が少なからずあるので、これ以上は言わずに黙る事にした。
まあ、そんな俺も、何故か電気屋の6階に店を構えていた本屋で『最新版・全国ロードマップ』というのをちゃっかり購入していたりする。いくらカーナビゲーションが車に付いているとはいえ、タクシードライバーがいつもカーナビに頼って運転していては格好がつかない。家に帰ったら一通り目を通してイメージトレーニングをし、何処に行くにはどういうルートを取れば良いのか大方の道順を頭の中に叩き込む心算だ。道が分からないなんて、タクシーの運転手としては致命的とも言える欠点だからだ。
本当は一週間程自分の車で走って回りながら体を使って覚えるつもりだったし、実際その方がほぼ一発で記憶する事が出来るのだが、思い掛け無い出費が続いたので、悠長な事は言っては居られなくなったから明日から早速仕事に出る事に俺は決めた。
駐車場から地上の道路に出て来ると、もう日が暮れて辺りが真っ暗になっていた。目の前には2つ一組の尾灯や制動灯を赤く明滅させる車の列が、対向車線を白や黄色に輝く眩しいばかりの光の河が道路の上をゆっくりと流れて行く。
一番近くにあった高速道路のランプから環状線に入って帝都高速3号線に進み、来た道を逆に辿るように俺達は帰路に着いた。
そして翌日の早朝、玉緒と一緒に冷蔵庫の中を空にし、家にあった青色のクーラーボックスの中に一時的に移す作業を行うと、昼頃に来る予定の新しい冷蔵庫と洗濯機の到着を待ち侘びてウキウキしている玉緒を一人残し、俺は久々に仕事へ向かう為に家を出ていった。