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第二十二話:走り屋ハイヤー

>>新太郎

「何だ?これ……。」

 帰宅してすぐ目についた、居間のテーブルの上にポンと雑に置かれていた葉書用の白い封書を手に取ると、俺は台所で夕飯を作っている玉緒に声を掛けた。

「さあ、知りませんわ。買い物から帰ってきたら丁度来ていた郵便屋さんに頂いてそのままにしていましたから……。宛名にあなたの名前が書いてありましたし……。」

「そうか……。」

 そう呟くと、俺はその封筒を隅々まで観察した。宛先には確かに家の住所と俺の名前が様付けで印字されてある。そして裏を返すと、同じようなフォントで小さく印刷した帝都内某所のそれと共に『柏聖龍会・大源 虎十郎』と達筆な筆ペンの文字が剛毅に書かれていた。

 ん?何処かで聞いた事のある名前だな……。嗚呼、思い出した。前に乗せた香港マフィアの黄さんからの紹介とかで乗せた事のある某指定暴力団系列の組の組長さんだ。頬に傷がある黒髪オールバックの強面の、如何にもその筋の親父格といった風情の大柄なおっさんだったような気がする。


 封を切って封入されている『招待状』と大きく書かれた葉書大の厚紙を取り出す。裏に差出人のそれとはまた違うが、帝都内にある某所のブライダル会場の簡単な地図と、運転手向けのドレスコード等の注意事項が簡潔に書かれている。どうやら中枢に近い大手の組の長の子女同士が結婚式を上げるそうで、それに招待された差出人の住居から会場まで、そして2次会・3次会会場から再び自宅までの全般に於ける送迎を請け負って欲しい、ということらしい。

 一介のハイヤーの運転手にまで招待客という名目でそれなりの服装を強要してくる事も何だかなあと感じるが、それが裏稼業の関係者ばかりが集まって来る物となると、自称一善良な市民としては全力でお断りしたい。だが、こういう人に限って異常に金払いも良い訳で……。

 それに電話やメールではなくいきなり手紙を送りつけて来た、という事は即ち、つべこべ言わずに来い!という事だろう。断れるであろう筈がない。


 約束の日の早朝。ベッドから起き上がり、洗面所で洗顔や髭剃りを済ませた俺は、玉緒が用意しておいてくれた真っ白なワイシャツを着、クローゼットの中からたった1着だけ持っている喪服も兼ねた黒い礼服を取り出した。

「なあ、玉緒。祝い事用のシルクの白いネクタイ、何処にあるか知らないか?」

「シャツと一緒に渡したでしょう?あなた……。」

「え?……あ、ごめん。足元に落ちていたや。」

「もう、しっかりして下さい!」

 玉緒に呆れられつつネクタイを締めると、俺は背広の第1ボタンを留め、準備を整えた。

「じゃあ、玉緒。行ってくるよ。」

「あ、あなた!」

「ん?どうした?」

「ネクタイ。少し曲っていますわ。」

 成る程、顔を下に向けて確かめると、何となくネクタイの結び目が歪なようにも見えなくはない。しかし、強いて言う程だらしがないとも俺には思えなかった。

「別に大丈夫だろ。」

「そんな事有りません。」

 玉緒はそう言って近付くと、態々結び目を解いてから、几帳面な位きちんとそつなくネクタイを結び直した。

「別に良かったのに……。細かいなあ。お前、少し神経質になってないか?」

「あなたが無神経過ぎるんです!先方に失礼に思われたらどうするの?向こうは、その……、ヤクザ屋さんですのよ……。」

「そこまで気を張る必要はないだろう。大丈夫さ。俺がそんなヘマを踏むと思うか?伊達にサービス業に従事している訳ではないぜ。流石に5回目となれば奴さんの扱いにも慣れてくる、というものさ。」

 尚も不安気な顔を俺に向けて何かを言い掛ける妻の様子を愛おしいと思いつつ、努めて明るい笑顔を作って制止すると、俺は玉緒から背を向けた。

「じゃあ、行ってくる。」

「あなた、気を付けて……。」


 ガレージからJZS147後期型の、1JZエンジンをツインターボ化したアリストを引っ張り出して乗り込むと、料金メーターだけを取り付け、俺はロービームとフロントフォグランプを点けて左ウインカーを明滅させながら発進させた。


 もう6時を大分超えたというのに、まるで墨汁をぶっかけたように暗い闇の中を、車の白いHIDの前照灯と蒼白の霧灯、そして路面を橙色や白色の光で照らす街灯の灯りを頼りに進んで行く。そしていつもの様に山を越えて繁華街を走るバイパスに乗ると、俺は帝都へ向かって一向車を走らせた。


 夜明けが近いのか、陸南自動車道への合流路へ差し掛かる頃、段々と空の色が藍色掛かって星の明かりが陰りを見せ始めた。

 明け方の高速道路は、長距離を移動する大型トラックと深夜運行の高速バスで賑わっている。場合によっては200km/h以上出ているその流れに、やや強引に割り込んでいく。


 もうすぐに目的地である帝都の中に突入するからだろうか、追い越しざまに擦れ違うトラックもバスも命を賭しても時間までに間に合わすという気迫や殺伐とした殺気は感じない。気の所為か安堵や安息に近い空気が辺りを覆っている。そう、あと1時間かそこら後には、一晩中ハンドルを握っていた仕事が終わって束の間の休息を得る事が出来るのだ。

 羨ましいなあ……。さっきまで休んでいたとはいえ、此方は夕方までずっと仕事だよ……。


 7時30を超えて空が完全に明るくなり、帝都高速3号線に入った所で、俺は朝のラッシュの渋滞に巻き込まれた。

 やれやれ、やっと仕事が終わった……。やれやれこれから仕事だよ……。自分も含めて道行く自動車から、そんな相反する想いが溢れて交じりあう。配送センターや中央卸市場へ向かうトラック。バスセンターや駅前に向けて乗客を運ぶバス。活動を始めたタクシー。出勤途上の乗用車。納品や営業に出掛けるライトバン……。様々な車がそれぞれの目的地へ向かって同じ道の上で交錯する。

 俺も3号線を途中のランプで降りて一度賑やかなオフィス街に入ると、大通りをそれてとあるお屋敷が密集する高級住宅地へと、車を走らせた。


 午前8時30分の少し前……。

 時価数千万Gを優に超えそうな、セレブが暮らす高級不動産が軒を連ねる広めの路地の一画、他の色彩豊かな屋敷とは一線を画したように、まるで要塞のような白くて高い壁に囲まれた、敷地だけは馬鹿広いと窺える1軒の家がどっしりと建ち佇んでいる。ここが、本日俺を運転手として指名して下さった、大源 虎十郎氏が家族と暮らす自宅兼柏聖龍会の現在の本拠地である。

 話によると、本日都内某所で結婚するという新婦が大源夫妻の長女で、新郎が柏聖龍会の上部組織にあたる組の若頭だそうで、その所為か門に取り付けられた鉄壁のような塀と同色の分厚いシャッターの前で、サングラスを掛けて黒尽くめの怖そうな人達が何人も、その屋敷へ入ろうとする車を逐一検閲していた。

 当然、俺とアリストも例外ではなく、男達の1人に運転席の窓をコンコンと叩かれ、俺は素直に窓を全開にした。

「お早うございます。御足労様です。」

「これは、これはお早うございます。……ところで運転手さん、本日は我が家へ何用で?」

「本日此方へ御予約を賜った、高津です。」

 そう言って招待状を見せると、男達は俺に向かってこう請うた。

「失礼ですが御車を改めさせて頂いても宜しいですか?」

 逆らってどういう目に遭うか分からないので、これも快諾する。そうして俺が車外へ出されると、男達によってアリストは、運転席のペダル周りやカーペットの裏に座席の下、果てはトランクルームの中やエンジンルームに至る隅々まで細かく検分された。一体何処の修羅の国だよ、と思う程の警戒ぶりである。

 やはりこういう祝事で気が緩んでいる隙をついてこようとする敵対組織が、この手の稼業の方々には多く居るのだろうか……。男達の様子を見て俺はそんな事を考えてしまった。


 車にまた乗車し、ガラガラガラと金属同士が擦れる重く低い音を立てて上がったシャッターの下を潜って敷地の中に入る。狭い帝都の中にあるのにも関わらず無駄に舗装された殺風景な部分が広がる屋敷の前庭には、関係者らしい黒塗りや白塗りのメルセデスやレクサスの高級車が8台と、連合所属と思われる横っ腹に『五十鈴タクシー』と金色で印字された黒塗りのロールスロイスの現行ファントムのハイヤーが1台、他クラウンやセンチュリーといったトヨタ系の黒塗りハイヤーが8台、既に表の方へ顔を向け、整列して待機していた。

 私有地の中でも警戒を怠らないスキンヘッドに四角くて黒いレンズのサングラスをした男に誘導されて、俺は一番前のど真ん中に鎮座していたロールスロイスの右隣にバックで横列駐車した。まるで、8列横隊2段で隊列を整えた自動車の車列を右翼側から従える副指揮車のような扱いである。1台だけ銀色でスポーツ色の車だし、色々な意味で目立つ配置だ。

「またえらい所に着いてしまったな……。」

 思わず独り言を呟いてしまった。


 準備が立て込んでいるのか、いま暫くは此処で留まる事になりそうだったので、俺は車のエンジンを切ると、他の車の運転手のように車外に出て羽を伸ばした。

 隣とすぐ後ろに並ぶハイヤー達へ目を遣ると、全部が全部連合から呼び出している訳ではない、と云う事が車の側面に書いてある表示や前面に付いている飾りですぐに判明した。

 俺の車や隣に停まるファントムのように、『○○タクシー』というように事業者個人の名前+タクシーの表記で事業所名を掲げたままハイヤーを運行し、提灯を付ければ今すぐにでも流し営業出来そうな車は紛れもなく連合所属の車だ。『○○ハイヤー』と運転席のドアに表示されている黒塗りの車は、連盟が運営しているハイヤー専門の1部隊である『個人タクシー連盟ハイヤー部』から派遣されたのだろう。他にも『第一交通』とか『帝都目白』、『金嶺』といった社名プレートがフロントグリルに装着された車は法人企業のそれである。

 どうやら1つの所に一括で注文するのではなく、方々から少しずつ車を呼び寄せたようである。世間全般で何かイベントで盛り上がるのは中途半端過ぎて繁盛期という訳でもなし、1団体だけでは車を揃えられなかった訳でもないだろう。意図がよく解らない。集団で行動させるなら勝手をよく心得ている同士で組ませた方がずっと効率も良くて不快感も減る、と俺は思うのだが……。


 その理由は然程せぬ内に、以前お会いした時とは幾分か雰囲気が様変わりした大源氏とその奥さん、そして件の嫁入りに行くという娘さんらしい白いドレスの花嫁装束で着飾ったうら若き乙女の3人が大きな白い豪邸の中から前庭へと現れ、ロールスロイスに乗り込んで出発した後に発覚した。

 何と、不思議な事に先程出掛けて行った筈の3人が、娘さんだけ何故か普通の地味なベージュ色のカクテルドレスという違いこそあれ、同じように家の玄関から庭に降り立ったのである。

 事態を飲み込めず、まるで狸か狐に化かされた後のようにあんぐりと口を開けて惚ける俺達部外者など意にも介さないというように、大源氏とその家族は部下の黒尽くめ達に周りをガードされつつ真っ直ぐに俺の車に近付いて来た。

「どうだ?吃驚しただろう。」

「…………。」

「あれは儂らの影武者を務めている者達だ。……じゃあ、今日は宜しく頼むよ。君!」

 それだけを早口で言うと、尚も呆然と立ち竦む俺を尻目に大源氏は後部左のドアのノブに手を掛けようと手を伸ばす動作をし掛けた。慌てて我に返り、俺はさっと左の後部扉のドアノブに手を掛けてゆっくりと静かに開扉した。


 大源夫妻が後部座席、何故か娘さんを助手席に乗せる形でロールスロイスを追い掛ける。

 こう言っては難があるが、まるで結婚式に出席する為に花嫁側の手配した車で移動する出席者の家族、と云った体である。相対的に客室の広いセダンと云え当の主役が助手席という下座に座っている時点で、とてもじゃないが、

「実は此方が本物の花嫁です。」

と教えられた俺ですら俄には信じ難い。


 そうかと言って、二手や三手に別れて互いをカモフラージュしながら目的地まで向かうのかと思いきや、隊列を組んだまま法定速度で式場である帝都ホテルへと行進しているのだから、増々理解不能だった。


 兎に角、結局何事も無く式場まで辿り着き、当初の予定も粛々と進み、披露宴の3次会場となった高級レストランから大源家へと戻って来て俺の仕事は無事に終了した。無駄に緊張を強いられた割には案外呆気無く終わったので、こんなに貰ってもいいの?と仰天する程の報酬を懐に仕舞いながら俺は妙な気分に浸ってしまった。


 深夜1時。

 自宅のある初奈島まで戻る為、白いHIDのヘッドライトと黄白色のキセノンランプのフロントフォグライトの光で目の前を明るく照らしながら、帝都高速7号線をCL1へ向かってひた走る。昼間と違って街灯と繁華街のネオンや店絡もれる明かり以外は消えた暗い路面の上は、殆ど車も通らずにガランとしていて、とても寂しい景色が何処までも続いている。

 直帰する心算だったので、俺は車の屋根に行灯を載せず、タクシーメーターも片付けて、一見すると普通の自動車と変わらない状態で車を飛ばしていた。


 パラリラパラリラ……。

 ふと気付くと何処からともなく、何か懐かしい気分に浸らせる車やバイクのホーン音が薄っすらと耳へ流れてくるような気がして、俺は目を細めてそれが聞こえると思しき前方を凝視した。


 500m程先に見えるランプの合流口から、沢山のバイクや車と思われる赤い灯火の群れが、まるで洪水のように本線へとなだれ込んでいるのが見えた。どうやら後ろから走ってくる合流先の後続車の事など全く考慮してないようで、殆ど速度も上げないまま道幅いっぱいに広がって蛇行運転を繰り広げているようだ。


 ブレーキを掛けて速度を落とし、仕方なく珍走団の車列の中に車を侵入させる。


 まあ何と言うか、凄く昭和臭のする古いスタイルの暴走集団である。

 高さだけは馬鹿にあるカウルや背もたれを筆頭にけばけばしい飾りを沢山付けられたZ2、CB、ゼファー等、所謂ナナハンとか400とかの大型二輪車やビッグスクーター。スカイラインのジャパンやケンメリ、70以前のマークⅡや古いローレルのような、竹槍マフラーや糸のように細いホイールや無駄にデカいオーバーフェンダーを装着された四輪車も多数参加しているようだ。しかも車高を落とし過ぎてアスファルトと車の底が擦れて時たま火花が上がる所為か、高速道路なのに50km/hかその程度の無駄にゆっくりとした速度で走行しているのだから、格好悪い事この上ない。

 そして何とも腑に落ちないのは、どうやら俺の147アリストも同類に思われているらしい、と云う事である。先程からハイタッチするように腕を上げてすり抜けて行くライダーとか、此方に顔を向けて笑顔で手を振るドライバーの多い事、多い事。俺のは街道レーサーではなく、どちらかと言うとドリ車の要素の強いVIPカーの筈なのだが……。世間的に見ればノーマルから外れたアウトローな改造車の時点で同じような物なのか?解せぬ!

 ま、まあ……。だからこそ襲われる事なく平然と暴走族共と並走する事が出来る、と前向きに捉える事が出来ない訳でもないのだから良しとするべきなのだろうか……。いや、ちょっと待て!本当にそれでいいのか?

 そんな葛藤をしていると、別のJCTから流れ込んで来た集団の中に、3ナンバーサイズのクラウンやセドグロ等の、俺と似たような趣味趣向をしているVIPカーが何台か紛れているのが見えた。嗚呼、何だ……。あいつらと同類に思われたのか……。

 俺は何故かホッと安息した。まあ、それはそれでどうかと思わなくも無いけれども……。


 結局、珍走団達はCL1に入る手前のランプで、下の繁華街の方へ全員降りて居なくなってしまった。心なしか寂しさに似た物を感じつつ、俺はアクセルを踏み込んだ。


 CL1との合流地点を目の前にし、左からの合流なので右ウインカーを出しながら加速していると、本線と支線を仕切るガードレールの隙間から、轟音を上げながら物凄いスピードで走り抜けていく黄色いヘッドライトと赤いテールランプの光が垣間見えた。どうやら此方は此方で公道最速を誇る類の同類が闊歩しているらしい。

 しかも後ろから響いてくるエンジン音を聞くに、まだ何台もお越しになるような気配である。俺は軽くアクセルを緩めると、気合を入れ直すように猛然と踏み込み直した。


 EG6か……。神阪の方から此方の方へ走り込みに来た環状族だろうか……。西方から遠路遥々ご苦労様である。

 BNR34、C33、S13、S15、AE86、FD、JZA80、JZX100、EG9、DB8、CT9A……。駆動方式も趣向も異なる様々な車がエンジンから悲鳴を上げさせながら高速道路を疾走している。

 殆ど減速せずに急カーブにアウト・イン・アウトの要領で頭から突っ込んでいき、ギュルルルルルルル……と後輪をスリップさせつつステアリングでカウンターを軽く当てて強引に車の鼻先を回頭させる。曲線に差し掛かった時のロスで幾分か失速したが、それでもギリギリ180km/hの線を針は超えている。


 目の前に前後にずれるようにトラックや普通の乗用車が道幅いっぱいに並んでいる。

 丁度左から2番目のレーンを走る黒い3代目エルグランドと、右隣りのレーンでそれを追走する濃紫色のヴェルファイアの際どい隙間を擦り抜けられそうだったので、俺はアクセルを限界まで踏み込み、車を急かすように駆った。


 グウウウウウウウウウウウウン……キュルルルルルルルルル……ズバアアアアアアアアアア……。

 両車のバンパーにドアミラーを接触しそうになりつつも、見事俺はヴェルファイアとエルグランドの追い越しに成功した。が、ステアリング操作が急だった所為でタイヤのグリップが追い付かず、アリストの頭を左の防音壁へほぼ垂直に向けるように後輪が滑り出して制御不能に陥り掛けてしまい、俺は必死に右にハンドルを切って立て直しを図った。

 前から後ろに流れる筈のフロントウインドウの景色が、右から左へと流れていく。

 右にいっぱいに操舵角を切ると、やがて景色は右へ流れ始める。やれやれやっと元に戻ったと思えば通り過ぎ、今度は右方向へ振り返される。今度はステアリングを左へ限界まで切って修正する。

 そうしてキリキリとせわしなく舞うハチドリのように、アリストは高速道路上を踊るようにしばらく漂う。そしてグリップが回復すると、何事も無かった、とはいかないまでも無事に体勢が戻った。ホッと一息つく。


 ところが、何事も無かったようにスリップ状態から復帰したからだろうか、どうも後続車に、俺が追い越しざまに態とサイドブレーキを掛けるかしてテールスライドからの直進ドリフトでスラロームを噛ました、と勘違いさせてしまったらしい。

 キュルルルルルルルル…………ブオン!ブオン!ブオオオン!

 悲鳴を上げる物凄いスキール音とフルスロットル状態のエンジンから出る轟音が辺りへ劈くように響き渡る。左右のドアミラーやルームミラーをちら見すれば、後続する車の白や黄色のヘッドライトの光が左右に大きく激しく揺れていた。後ろに続いた殆どの車が、まるで振り子を揺らすように大げさにテールスライドさせているのだ。


 何だろう。図らずも切っ掛けを作ってしまった事に、俺は少なからず責任感のような物を覚えてしまった。というより、後ろの皆が直ドリをしているのに、肝心の先陣を切った俺がスラロームを止めてしまうのはどうなのだろう?

 そんな考えが思い浮かぶや否や、俺は自然と左手でパーキングブレーキ解除ノブを引き、左足を足置きの上からサイドブレーキの上に移していた。そしてアクセルを限界まで開けた状態でステアリングをグイッと右へ切ったのと同時に、思いきりサイドブレーキを踏みつけた。

 ただでさえも横方向の摩擦力を加えられて危うい状態の所に、急にサイドブレーキが作動した事で後輪が強引にロックされる。無駄に馬力がある所為で電子制御が間に合わずテールが左の方向に流れ始める。

 俺の方は滑り始めたのと同時にサイドブレーキの上から足を、ハンドルから手を離し、アクセルをテンポ良く煽りつつキュルキュルキュルとカウンターを掛ける為に左へ切り返し始めたハンドルを横目に見ながら行きたい方向へ視線を向ける。

 そして適当な所でギアを2速に入れ、ヒール・アンド・トゥーでタイヤの回転を制御し、ステアリングを捌いて左に右へと車のお尻を揺らす。ギアボックスからシャフトへの力の伝達の感覚が掴みにくいトルコンで、且つコンピューターによってガチガチでコントロールされている高級車を、3ペダルMTで電子制御をオールカットしたガチ仕様のドリ車も顔負けのパフォーマンスをされるのは大変難しい。だが、だからこそ余計に楽しくて仕方がない。

「イヤッホ――ッ!」


 よく、MTの方が面白いのにどうしてATに乗るのか理解出来ない、とAT車が揶揄される事があるが、そんな事はない。大排気量で高出力なエンジンとの組み合わせなら、AT車だってこのように低排気量のMT車以上にぶん回して遊ぶ事が出来るのだ。

 だから、たとえATにしか乗れない所で悲観する必要は全然ないと思う。何故なら、突き詰めれば、AT車の方がMT車よりもずっと自分の体の一部として意のままに操る事に困難を極めるのだから。馬鹿にされたって、華麗にドリフトを決めてそんな奴らの鼻を明かしてやればいい。


 4分の3周程回った時、3号線への分岐を知らせる標識が見えてきた。

 俺はドリフトを終えて車を落ち着かせると、一度3発だけハザードを焚いてから左ウインカーを点滅させ、緩やかに減速しながら徐々に左へ車を寄せていった。


 分流体に入り、すぐに2車線になった左側を、カーブに合わせてステアリングを大きく左に切っていく。そうして俺はそのまま家路に着いた。

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