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第二十一話:深夜タクシー叙情

>>新太郎

 世間では、クリスマスだ、正月だ、などと騒いでいるが、俺達にそんな物はない。


 世間の殆どの人間が休み時でも、俺達にとっては稼ぎ時である。何せ旅行などの移動による自宅と空港や駅との送迎や、忘年会や新年会での朝帰り客、そういった臨時の需要が激増するからだ。

 だから俺もこの年末年始は、元日に玉緒が用意した御節料理を口にした事と、車のフロントグリルに注連縄の正月飾りを取り付けて営業に出た以外は正月らしい事なんて特にせず、朝は予約したお客様の家へ迎車を走らせて駅や空港まで送り、昼は商店街や百貨店の周辺で待ち伏せて買い物客を拾い、夜は夜で帝都とかの歓楽街へ流しに行き未明に帰って寝る、という不健康な生活を続けていた。


 ある週末の夜の事、仕事始めで俄に活気づき夜の繁華街にまた人が大勢戻って来た頃の事。

 VG30ETTエンジンを積んだY31セドリック・セダンのブロアムVIPで夜の街を流していると、何時の間にか賑やかなダウンタウンの中心部から外れ、あまり人気のなく薄暗い場末なエリアに入り込んでしまった。

 白い破線の中央線が引かれた、両脇に細い歩道、そして店舗らしき暗い建物が並ぶ片道1車線の道路をゆっくりと走っていると、目の前に同じような道が左右に伸びる丁字路、横断歩道、停止線、そして赤く点った信号機の灯が見えたので、俺は左ウインカーを点滅させて静かにブレーキを踏み、ギアをNに入れてサイドブレーキを掛けた。


 プログラミングがおかしいのか、たまに左右からタクシーやトラックが走り去る位なのに信号が青に変わる気配はない。だが、別に急いでも居ないし、下手に信号を無視して待ちぶせているかもしれないお巡りさんのご厄介になるリスクを冒すよりはマシだろうと思ったので、俺はカーラジオのFM放送を聞きながら大人しく青になるのを待っていた。


 すると、不意に向かって左側、奥の方の歩道をサラリーマンらしいおっさんの酔っぱらいが、少しふらめきながらもとぼとぼと歩いて来たのが見えた。そして、黄色く行灯を灯した俺の車を見つけたのか、此方へ向き直って右手を上げ、腕を大きく振ってアピールした後、左腕を水平に伸ばして俺から見て右側を指差した。どうやらその方向に向かいたいらしい。

 俺は運転席の窓を全開して身を乗り出して右腕でガッツポーズし、窓を閉めた後1発パッシングする序でに上に上げていたウインカーレバーを一番下までグイッと下ろした。商談成立である。


 交差点を曲がった所で拾おうと信号機の灯が赤から青へ変わるのを今か今かと待っていると、コンコンと後席左側のドアが叩かれる音がしたので、俺は左後へ顔を振り向けた。

 恐らく車の後ろ彼方に見える信号機のある交差点との間の何処かの路地から出て来たのだろうか、肩まで掛かる長いカールした茶髪でスーツ姿のOLらしい若い女で、後部左側のドアのウインドウから車中を覗き込んでいるのと目が合った。

 俺は後席左側の窓を全開にし、左後に向かって腰を捩るように大きく身を乗り出した。

「申し訳ありません。実はもうそこのお客様に先に呼び止められてしまいまして……。」

 俺が交差点の向こうにいる男性を指さして先客が居る事を示し、その女性の乗車を断ると、

「ちょっと、こんな暗くて寒い中、女が独りで居る所を見過ごそうって言うの?」

と、彼女は露骨に不機嫌な顔になって俺を睨み付ける。気持ちは解るが、此方もサービス業をしている手前、先に手を出したお客様を押さえて次に来た奴を優先する、という防御に出る訳にはいかないのだ。

「しかし、あなたより前から待っている方を差し押さえてあなたを優先する事も、サービス業に従事している私達の道義上、許される事ではありませんから。堪忍して下さい。」

「でも……!」

「代わりの車を今から手配しますから……。」


 俺は女から目を背けると、左手首の機械を操作して連合のオペレーターへ繋いだ。

「はい、連合本部です。どうぞ。」

「此方、営業番号109、高津タクシーです。どうぞ。」

「了解。どうかしましたか?どうぞ。」

「現在、信号待ちの事情によりお客様の重複。只今一方のお客様に事情を申し上げてお断りしているところなのですが……。場所が場所なので適当な空車を今すぐ手配して頂けないでしょうか?どうぞ。」

「了解。現在地とお客様の特徴を伝えて下さい。どうぞ。」

「了解……。」


 この世界の車のカーナビの画面には、左右上下の角の隅の何処かに、GPSによって計測された車の現在位置の経緯度が小さく表示されている。俺は、後付けのオーディオからディスプレイだけが飛び出しているタイプのカーナビの、丁度液晶モニターの右下隅に出てきている現在位置を示す数字と、車の傍で立っている女の大まかな容姿をオペレーターに伝えて終話した。

 そして女の方へ向き直ると、

「今、此方の方へすぐ来るように代わりの車を手配致しましたから。御面倒ですが、もうしばらくお待ち頂けないでしょうか?」

と、出来るだけ深く頭を下げた。

 流石に目の前で別の車を呼び出す手間暇を見せられた上に、その運転手から平身低頭にお願いされたとあっては強硬な姿勢は取り難いのか、

「ああ、そう。」

と、女性はそんな一言を漏らしたきり大人しくなった。

 その時、信号が青に変わったので、俺はもう一度女性に向かって頭を下げると、全開にしていた窓を閉めて発車措置をし、車を発進させた。


「大変長らくお待たせ致しました。ご乗車ありがとう御座います。」

「どうも……。さっきの人……、悪い事しちゃったかな?」

「お気遣いなく。本部の方へ連絡して代わりの車を寄越すように手配しましたから。」

「そうなんだ……。」

「それで……。どちらまで参りましょう?」

 交差点を曲がった所にある横断歩道の上でハザードを点けて停車すると、俺は自動ドアを開けて少し薄いグレーのスーツを着たがっしりとした体格の男性客を車内に招き入れた。

 そしてその客から目的地を聞くと、そこへ向かう為にハザードを切って右ウインカーを焚き、ハンドルを少し右へ回しながらアクセルを踏み込んだ。

「お客様。ラジオの音量、このままでも宜しいでしょうか?」

「別に構いませんよ。」

「では車内の温度はどうでしょうか?寒過ぎたり暑過ぎたりという事はございませんか?」

「いえ、特に……。」

「畏まりました。」


 車道の中央に白い破線が引かれた片道1車線の道路を北上し、大通りとの交差点で赤信号の為に停止した。

「どうしましょう?このまま環1を左に行きますか?それともここは真っ直ぐ行って愛生通りを左折してから赤梅街道へ入りましょうか?」

「どっちでも良いけれど……。どっちが早いですかね?運転手さん。」

「どのみち赤梅街道へ入りますから、真っ直ぐ抜け道を突っ切って行く方が、幾分か早く着くとは思いますね。この時間なら丁度呑み終わった人達が揃ってご帰還になる時間ですし……、赤梅街道も混んでいると思いますから。」

「じゃあ、このまま真っ直ぐで。任せます。」

「畏まりました。」

 片道3車線あって中央分離帯のある大きな通りへ左折せずに、少しだけ幅が広くなった片道1車線の抜け道を次に交差する広い道路へ向けて駆け抜ける。そして、片道2車線でセンターラインが2本の白い実線とその間にあるキャットアイの列である通りとの交差点で、改めて俺はステアリングを左に切った。

 交通量のそこそこ多い相生通りの第二通行帯を90km/hを少し越える速度で巡航していると、

「運転手さん、これ、良い車ですね。」

と後ろの客が俺に話し掛けてきた。

「結構速度を出している筈なのに、殆ど揺れない車なんて初めてだ。」

「お褒め頂きありがとう御座います。」

「それに、運転手さんもなかなか運転がお上手ですよね……。さっきから止まる時に全然カックンってしない。」

「どうも……。恐縮します。」

 別に大した事はやっていない。精々一定間隔でブレーキングして停止する瞬間にそれをフッと抜いているだけである。だが、乗り心地が良いとお客様に満足されるのは、運転手として冥利につき、光栄である。


 帝都近郊の街の一画にある5階建て位の中型マンションの前にハザードを焚いて停車すると、俺はタクシーメーターの精算ボタンを押し、スーパーサインを『支払い』表示に切り替えた。

「ご乗車ありがとう御座いました。232G頂きます。」

「はい。じゃあ、これで……。」

 客の手首の機械から電子払いで料金を受領すると、俺は自動ドアを開けた。

「どうもありがとう!凄く良かったよ。」

「此方こそ。またの御利用を心よりお待ちしております。」

 車を降りた男性がマンションの中に入ったのを見守ると、俺は自動ドアを閉めてハザードを切り、右ウインカーを出してセドリック・セダンを発車させた。


 時計はまだ、10時34分を指したばかりである。

 突如そこはかとなく尿意を催した俺は、表の大通りから接する小路へと左折し、その路地に面した小さな児童公園の入り口の前に車を停め、エンジンとライトを切って車から降りた。

 そしてそのまま公園の敷地内に入ると、暗闇の中隅の方、まるで此方に向かっておいでおいでと招き寄せるが如く蛍光灯の黄ばんだ白い灯をチラチラと瞬かせる公衆トイレに向かって俺は黒い革手袋を外して上着のポケットの中に突っ込みながら小走りする。

 殆ど管理を放棄された公園のそれに相応しく、排便の臭気と何やらよく分からない腐臭が相まって凄まじく不快な事になっているのに目を瞑り、2つしかない小便器の手前の方で手早く事を済まし、入り口の所に1つだけある洗面台で手を洗うと、スラックスのポケットの中に常備しているハンカチタオルで手を拭き、手袋を填め直しつつ車の方へ引き返した。

 ガチャンッ、と勢い良く運転席のドアを閉め、シートベルトを締めてエンジンを作動させた瞬間、手元の機械がピピピッと鳴り出した。

「此方、連合本部。連合本部。ただ今オーダー入り。該当地周辺を通過中の空車車両は適宜応答せよ。どうぞ。」

 見るとカーナビの地図の一点、丁度俺の車から見て斜め右前方1km程の所に赤い丸印が現れて激しく明滅している。特に客の方で車の指定が無かった場合。客の要請があった場所付近を走行している全ての空車に、こんな感じでその位置が赤く表示される仕組みとなっているのだ。

 俺はすぐに左手首を口元に近付けた。

「こちら営業番号109、高津タクシーより本部へ。向かえます。どうぞ。」


 連合のオペレーターを通して呼び出された、住宅街の一角にある小洒落たバーの扉を開いて中に入ると、俺は然程広くないカウンター席しかない店内をさっと見回した。

 そんな、席に着く訳でもなく突っ立っている白いドライバーキャップにグレーのスーツを着用した眼鏡の男に向かって、真っ白なワイシャツに黒いスラックスとベスト、そして同じ黒色の蝶ネクタイをした金縁眼鏡のほっそりと角ばった顔をしたマスターが、カウンターの向こうから声を掛ける。

「いらっしゃいませ。どうかなさいましたか?」

「いえ、先程そちらからお電話を承りまして、個人タクシー事業者連合の方から派遣された者なのですが……。タカハシ ミナミ様というお客様は何方でしょうか?」

「ああ、タクシーの!お待ちしていましたよ。」

 バーのマスターは納得したようにそう言うと、カウンターを越えるように身を乗り出し、カウンターの奥から1つ手前の椅子に座り、腕を突っ伏して猛烈な大鼾を立てて寝ている濃い藍色のスカートタイプのスーツ姿のセミロングの黒髪の若いOLに語り掛けた。

「高橋さん!高橋さん!起きて下さい。タクシーが来ましたよ……。」

「皆美!皆美!起きて!起きて!」

と、俺から見て1つ手前の席にいた紺色のスラックスタイプのスーツ姿の肩まである黒髪ポニーテールの、酔い潰れたのと同輩と思われるOLも頻りに名前を呼び、起こそうとしていた。


「う~~~~ん……。」

 タカハシ、と呼ばれた女性は唸り声を上げて起き上がると、

「研二の馬鹿野郎!」

と、いきなり大声で叫び、そのまま声を立てて号泣した。どうやら失恋か何か、彼女にとってショックな出来事があったらしい。

「あ――あ――、分かった、分かったから。さあ、帰ろう。」

「う――――あ――――!」

「手伝いましょう。」

「あ、ありがとう御座います。そうだ!お金!お金!」


 擦った揉んだした後、同僚らしきポニーテールとマスターに両脇を抱えられて、酔いどれOLは店を出て、入り口の前にエンジンを切ってハザードを焚いた状態で停まった俺のセドリックの前まで運ばれてきた。

 車を解錠して後部座席左側のドアを開けると、まず泥酔した方が先に奥の方へ乗せられ、その後もう一人の介抱していた方の女性が続いて手前側に乗り込んだ。

「じゃあ、運転手さん。お願いします。」

 そう、下座の方に居る女性に声を掛けられたので、

「分かりました。扉を閉めますので、御手元に御注意下さい。」

と、俺は手を掛けていたドアを閉め、運転席へ回り込んだ。


「それでは、今晩は御利用頂き誠にありがとう御座います。何方まで参りましょうか?」

運転席に腰掛けてシートベルトを掛けると、左後ろの方にいるポニーテールの女性へ尋ねた。

「新日没里の方までお願いします。」

「畏まりました……。」

 ロービームとフロントフォグランプを点けて発車措置をすると、俺はそおっと静かに、なるべく滑らかになるように心を砕きつつ車を発進させた。


 それでもやはり、道路の細かい凸凹のショックアブソーバーやサスペンションが吸収しそこねた些細な振動が身体に響くのか、

「あ――――う――――、気持ち悪い……。」

と、時折不穏な呻き声が俺のすぐ真後ろからヒシヒシと聞こえてくる。吐かないでくれよ……、と心の底から祈りながら俺はハンドルを握り続けた。


 15分程幹線道路を車の流れに乗って巡航していると、酒の酔いが覚めた、というか流石に落ち着いてきたのか、藍色スーツの女性は唸り声を上げるのを止め、暗がりで見ても明らかに判る程血色も良くなったように感じられた。恐らく吐物で車内を汚され、クリーニング代で涙を呑むという惨事は回避出来そうだ。

 やれやれ一安心。……という事で丸く終われば大団円だった。が、意識がはっきりしてくるようになると、俺は同乗している紺色スーツの女性と共に、藍色スーツの女性の愚痴を延々と聴かされる羽目になってしまった。

「本当、研二の奴酷いでしょ!そう思いません?」

「……そうですね。それは酷いですね。」

「でしょう?もう信じられない。こんな形で裏切られるなんて!」

「はあ……。」

 どうやら相当長い期間付き合っていた恋人に浮気された挙句、唐突に別れ話を振られてそのまま捨てられてしまったらしい。大変お気の毒だと個人的に同情するが、だからといって無関係の第三者である俺にその話題を持ち掛けられても非常に困る。

 他の運転手は知らないが、何度も利用してくれるお得意さんの話ならいざ知らず、少なくとも俺は客の身の上話と云う物に然程興味がある訳ではない。俺にもお客さんにも土足で踏み込まれては困るプライベートな、というより精神空間に於ける心理的なテリトリーが存在する以上、下手に踏み込んでその人の気を害する事があってはならないからだ。

 しかも、

「この車、俺も以前乗っていたんだよ。懐かしいな。」

とか、

「運転手さんも○○やるんですか?自分もなんですよ。」

とかのように趣味や嗜好や明るい笑い話なら兎も角、この手の痛切な不幸話は色々と地雷過ぎる。詳しい経緯や当人の心境の変遷を全く知らないから、どう答えればフォロー出来るのか皆目見当が付かない。

「こら、止めなって!」

と、同伴している友人らしい女性が必死に宥めてくれている事は解る。だが、勘弁してくれよ、とどうしても俺はそちらの方へルームミラー越しにそちらの方へ視線で助けを求めずにはいられなかった。


 しかもこういう時に限って、誰かがリクエストしたかしらんがオーディオのFMラジオから『失恋』をテーマにしたラブソングが流れてきたりして……。

「よっしゃー!歌うぞ――――!」

「止めなさい!皆美!」

「…………。」

 ポニーテールの女性が物凄い形相で制止しようとし、俺もただ冷や汗を掻いて呆気に取られる中、若干酒臭くて妙に甲高い濁声が車内に響き回る。

 そして、一頻り歌ってストレスを発散した事で吹っ切れたのか、やっとミナミと呼ばれている女性は落ち着いた。

「あ――あ、すっきりした♪」

 いやいや、すっきりした、じゃないよ……。俺とポニーテールの女性は殆ど同時に深い溜息が口から吐き出された。


 それで黙ってくれたら申し分ないのだけれども、セミロングの女性は何か知らないが今度は俺に身の上話を訊いてきた。しかも丁度いいタイミングで深夜の帰宅ラッシュの幹線道路の渋滞に引っ掛かる。何か話さないと気不味い雰囲気が出来上がってしまった。

「こんな時間までお仕事って……。運転手さんって独身なんですかあ?」

「いえ、嫁が1人居りますが……。」

「へえ――――、結婚しているんだ!何年目なの?」

「何年でしょうかね?本格的に夫婦を始めたのはここ1年弱ですけれど……。」

「へえ、馴れ初めは?」

「ずいぶん馴れ馴れしく突っ込みますねえ……。そうですね……。特に無いですね。」

「…………?」

「元々私の好みに沿ってカスタムしたと云うか、割り当てられた者ですし……。」

「????」

「ああ。私、転生組なんですよ。」

「ああ!向こうの人だったんですか!突然カスタムとかぶっ飛んだ事言い始めたから吃驚しちゃった。」

 納得したとでも言うようにそう口にすると、紺色スーツの女性は愉快そうにケラケラと笑い声を上げた。


 ……と思いきや、渋滞の車列が綻びて少しずつだが進み始めた頃にはセミロングの女性客はグーグーと鼾を掻いて眠ってしまった。一方、連れであるポニーテールの女性客は、ただただ申し訳なさそうな顔で此方の様子を窺っている。

「何かもう……。本当にごめんなさい。」

「いえ、お気になさらずに……。ところで、新日没里のどの辺りに着けましょうか?」


 何処かの社員寮らしい、住宅街の路地の端にある単身者向けの大きくて白い四角なマンションの正面口の前に車を停めると、俺は後部座席の方を振り返った。

「お待たせ致しました。559G、頂きます。」

「はいはい。……あ、お金無いや。ゴメン、恵美。お願い!」

 セミロングの女性に、まるで仏様か何かのように頭を下げて拝まれてポニーテールの女性は面食らったように目を見開いていたが、やがて覚悟を決めたのか、心底辟易していると言わんばかりに深い溜息を吐いた。


「御乗車ありがとうございました!」

 互いを庇い合うように肩を組んで、黄色い灯りの漏れるマンションの中に入って行く女二人組を見送ると、俺は自動ドアを操作して後席のドアを閉めた。

 さて、まだ夜は長い。賑やかな所に行けば後2~3組みは客を乗せる事ができるだろう。


 携行している黒い厚手のファイルにクリップで留めた運行記録簿に走り書きしてから室内灯を消す。そして、シフトレバーをNからDへ入れると、俺は強くアクセルを踏み込んだ。

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