第二話:運転免許を取ろう
>>新太郎
朝が来た。
ベッドから起きてメガネを掛け、現実味を感じない位澄みきった青空を眺めながら玉緒が作った朝食を摂り、仕事着である濃いグレーのスーツに着替えた俺は、早速試験場へ向かう為に部屋の外に出た。
部屋の外に出ると、まるで巨大なホテルの客室フロアの様に何処までも長く伸びる廊下の壁の両側に、5m位の一定間隔で何枚も同じ様な扉が並んでいるのが見て取れる。実際足元には安っぽいフェルト生地とはいえ深紅色の敷物が敷き詰められているし、壁にも壁紙が貼られ、昔ながらの白熱球色をした電球によって薄暗く照らされているので、アパートと言うよりホテルと称した方がしっくりくる代物だった。
一応ドアの所に付いている表札に俺の名前が書いてあるものの、迷ったらどうしよう……、と思いながら俺はエレベーターホールを探して漂流者の様に歩きだした。
どうにかこうにかエレベーターを見つけて下に降り、目の前に現れた正面玄関を抜けて建物の外に出ると、俺は興味深げに辺りを見回した。
群青色の空の下後ろを見上げると、横に長くて物凄く高さもある大きな薄黄色の建物があり、此方から見て右側面の壁には地下の駐車場に降りる為のスロープが取り付けられている。そして棟番号だけ違う同じ様な建物が団地の如くそこかしこに何棟も建っている光景に俺は少しだけ圧倒された。
視線を正面に向けると、コンクリート製の灰褐色をしたタイルが一面に敷き詰められた殺風景な広場が広がり、その奥に2m位下に見える道路に降りる為に同じ様な色のコンクリートの階段があり、左側に目を向けると広場の横を通って道路に出るように造られた下り坂の車道があるのが見えた。
広場を抜けて階段を下り、歩道に降り立ってふと顔を右側に向けると、なだらかな下り坂の2車線道路の緩やかな右カーブの途中に、そこそこ広い歩道を少しだけ切り崩し、凹ませて造形した様なバス停が道の両側に並んでいるのに目が付いた。
一本足をした四角柱のような、『初奈島第一団地裏門前』とバス停名が書かれた表示盤の所に行くと、何本かバス路線があってその内の一つが目的地の運転免許試験場に続いている事が判ったので、俺は金を節約する為にこのバスを使って行く事にした。
さて、現在の時刻が丁度8時半だから、それ以降で10時半までに向かう事が出来るバスはあるだろうか、と思いながら時刻表が貼ってあるだろう方へ回り込んだ途端、信じられない物を見て俺は唖然とした。
そこには各路線の時刻表など一枚も張り付けられておらず、縦長の長方形の形をした白いスペース一杯に、
『信じていれば、いつか来る!』
と、何かの標語の様に大きな文字が書き込まれているだけだった。
いつか来るって何なんだよ?信じるも信じないも、時間通り来てくれないと公共交通機関として終わっているだろ。というか、来ない事が普通にあるのか、このバスは……。
呆れながらもそんな突っ込みを入れながら待っていると、坂の下の方で唸り声が聞こえ、見ると大きなバス、高速バスや観光バスとして良く見かける橙色をした少し古い型のエアロクイーンが俺の目の前でハザードを焚きながら停車した。
前照灯の間に設置された行き先表示灯には『12-1・初奈島循環内回り』と書いてあるから一般道を走るごく普通の路線バスなのだろうが、何故乗降性に優れた路線バス用の2ドア車両ではなく、こんな前方にドアが1枚しか付いていない高速バス専用の車両を態々使っているのか意味が解らない。
しかもバスのドアの後ろの側面の所に、『PBA-Private Bus Association 個人事業バス協会』と白い字で書かれた青い正方形のステッカーを貼り付けていた。
バスなのに1人1車制の個人営業?と不思議に思って眺めていると、目の前でバスの扉がゆっくりと開き、運転台でハンドルを握っていた運転手が、
「お客さん、乗るの?乗らないの?」
と、怪訝そうに俺の方を見つめて来た。俺は運転台から半身を乗り出した、紺色のスラックスに白いYシャツを着て、青いネクタイを締めて紺色の制帽を被った運転手に向かって話しかけた。
「すみません。『初奈島運転試験場前行き』のU5系統って何時位に来ますか?」
「さあなあ。U5……U5か…………。ちょっと判んないなあ。」
そう言うと、その運転手は運転台シートの右側にある車体との隙間に手を突っ込み、A4サイズの紙が10枚位クリップに挟まれた菫色のファイルを取り出すと開き、紙を捲って何かを調べ始めた。
「U5……U5……と。あ――――、今日の当番は『川島バス』さんか……。あの人高速メインで走る事が多いし、昨日何かデカイ仕事終えて帰ったばかりって言っていたし……。今日は休んでバスを出さないんじゃねえの?多分待っていても来ないと思うよ。」
「え?あ…そ…そうですか……。どうもありがとう。」
疲れたから今日は出さないって……、公共交通機関がそれでいいのか?というか、その場その場で客を拾い次第逐一チャーター契約を結ぶ俺達タクシーならいざ知らず、不特定多数の人間を大量輸送しなければいけない大型バスは規定されたダイヤ通りに運行しないといかんだろ。悠々と走り去って行ったエアロクイーンの後姿を見送りながら俺は呆れていた。
さて、『バスで行く』という選択肢は限りなく高確率で潰えた様なので、これからどうしようか……、と思いながら俺は辺りを見回した。
すると、先程バスが走り去って行った方向から、反対車線を同盟所属の車らしい薄黄緑色のクルーのタクシーが此方の方へ坂を下って来るのが見えたので、俺は右手を軽く上げてそれに合図を送った。
俺の存在に気が付いたのか、タクシーはハザードランプを点滅させて反対車線のバス停に一度停車すると、操舵角を右に大きく切って車体を右に向け、何度か前後進を繰り返して切り返しながらUターンをすると、俺の目の前で左後部ドアを開けて停車した。
俺が乗り込むと、白いYシャツの上に緋色のVネックのベストを着た運転手が此方に顔を向け、
「どちらまで?」
と声を掛けてきた。
「運転試験場までお願いします。」
と答えると、
「わかりました。」
と言って車の自動ドアを閉めると、運転手は車を発進させた。
車が走りだして暫くしてから、不意に運転手が俺の方へ話しかけてきた。
「運転試験場って事は……免許を取りに行かれるのですか?」
「え……ええ。」
当たり前だろ。それ以外に何があるのだ?そう不思議に思いながら、俺はルームミラー越しに運転手の顔を見て訝しんだ。そんな俺の視線に気が付いているのかいないのか、運転手は話を続けた。
「車でも買われるんですか?」
「いや、車は既に持っているんですけれどね……。」
「…………?」
「昨日の夕方来たばかりなんですよ。」
「ああ、そうなんですか!」
そう納得したような声を上げると、此方が強いて訊いた訳でもないのに、その運転手は親切にもどういう流れで試験が進んでいくのか事細かく具体的に教えてくれた。
特に俺にとって一番参考になったのは、この世界における車の運転感覚についての話だった。
乗客として後部座席から運転方法を観察していた時から気が付いていたが、一見した所この世界の車も実車をベースにして造ってあるだけあって、基本的な操作方法は実在する自動車のそれと何ら変らない様に思われた。だが、操作方法が同じだからと言って、車両感覚、制動・加速等の体感性能、細やかなハンドリングといった本能的な、あるいは精神感応性的な部分まで同じだとは限らない。特に客を探したり不特定の目的地へ向かったりと、何かと運転以外のところで集中力を削がれながら運転する場面が多いタクシーの営業では、基本的に手足の一部の様に車を操れる位の技能を普通に要求される。それに例えそうで無かったにせよ、ステアリングの遊びが大き過ぎて細やかな動きが出来ないとか、急発進と急停車しか出来ないとか、コントローラーでは気にならなかった事でも実際に自分が乗って運転するとなると実用面で不便になる事はかなり多い。運転者の立場として、その辺りの事がどうなっているのか非常に気になった。
そうして、彼の話によれば、そういう心配は皆無だそうで、普通に現実世界にある車の運転感覚となんら変わらないのだそうである。重箱の隅を突くように細かい所が気になって仕方がないような神経質な人ならいざ知らず、少なくとも彼にとっては何も違和感が無かったそうだ。それを聞いて俺は少し安心した。
運転試験場の正門の前に着くと、運転手はハザードランプのスイッチを押して車を正門の前に広がるロータリーの路肩に横付けた。
さて、この段になって俺は考えた。支払い……どうしよう……。以前だったらモニターの右上端に出てきた所持金額を表示するサブウインドウの中の数字が料金分だけ勝手に減額されるシステムだったが、今現在はどうなっているのだろう?
そんな風に俺が途方に暮れていると、先の運転手が、タクシーメーターとケーブルで接続された、何やらICカードの読み取り装置の様な黒っぽい機械を取り出すと、
「その腕時計型の機械をこれに翳して下さい。」
と言って、俺の目の前に差し出した。
言われるがまま差し出された機械の、読み取り部分だと考えられる、平らな上面部に腕時計型立体プロジェクターの投射ディスプレイを、左手首を押し付けるように重ねると、ピッという電子音がプロジェクターの方から聞こえ、ディスプレイを起動させて所持金を確認してみると、確かにタクシーメーターに表示されている分だけ金額が引かれていた。どうやらこの世界ではこの機械を使って、ICチップを使って買い物する時と同じ要領で金銭のやり取りをすればいいようだ。便利だな……。
だが、ふと疑問に思ってしまう。客の所持金がメーターの表示料金より少なかった場合はどうなるのだろうか?
「ねえ、運転手さん。」
「はい、何でしょう?」
「これ……、もしも私が持っている所持金が足りなかった場合はどうなるんです?」
「え――――?……まあウチの場合は、あるだけ頂いて後はサービスって形にしますかね。法人さんの場合は知りませんけど……。でもまた何でそんな事を?」
本当に不思議に思ったのだろう。運転手は腰を捻って此方に顔を向けて小首を傾げながら俺に尋ねてきた。
「いやあ、実は私も個人タクシーをやっていましてね……。」
と答えると、彼は驚いた様に目を丸くした。
「ああ!同業の人だったんですか……!」
「ええ……、まあ……。」
「へえ……。どこのギルドなんですか?」
「あ――……、その……連合なんですけれどね。」
「ああ!連合ですか……!」
一応同じ提灯系のギルドだからか、運転手は特に嫌な顔をする訳でもなく、
「頑張って下さい。」
と、降車した俺の背中に向かって声を掛け、ドアを閉めると車を発進させて行ってしまった。
この手の公共設備によくあるような、施設名が書かれているプレートが取り付けられた部分を境にして車両が通る所と人が通る所を区別した、鉄製の薄紫がかったベージュ色の門扉が付いた正門を通り抜けると、日焼けしてやや茶色がかったコンクリートの塀に囲まれた運転試験場のただ広い敷地内へ俺は足を踏み入れた。
施設の敷地の中に入ると直ぐに20台位駐車できそうな駐車場あり、その直ぐ傍に灰褐色をした3階建ての大きな建物が建っていた。よく見ると建物の大きな正面入り口の自動ドアの傍に、薄っぺらなベニヤ板のプラカードの足元に重石を付けて立たせたような、ちゃちな造りをした立て看板が立て掛けてあり、そこに大きく黒い文字で、
『運転試験を受験される方はこちらの本館へ!更新の方は←の別館で手続きをして下さい。』
と書かれた白い模造紙が貼られていたので、俺はその指示に従って目の前の建物の中に入って行った。
灰白色の小さな正方形のブロックを組み合わせて大きな菱形を沢山作りつつ、その周りを同じ形状の赤褐色の物を並べた帯で覆うようにブロック材が床中に敷き詰められ、壁も薄緑色に霞んだ直方体のレンガで造られた、凄く広さがあるものの心なしか薄暗い屋内へ入館すると、入り口の側にいた、紺色のスーツを来ているスタッフらしいメタルフレームの眼鏡を掛けた女性が、
「お早う御座います。試験を受けに来られた方ですか?」
と、俺に向かって声を掛けて来た。
「そうですが……。」
と答えると、
「じゃあ、まず此方にある申し込み書類を取って、そちらの方で太枠内の所に必要事項を記入されてから丸2番と書かれた窓口へお越し下さい。」
と言って、『①』という紙が貼られ、申込用紙の束と見本とボールペンなどが置かれている白い鉄製の立ち机が幾つか置かれているスペースへ案内された。
用紙にユーザー名や職業、生年月日や住所等、必要事項を記入して『②』という書かれたプレートが掲げられた窓口へ向かい、言われるがまま窓口を順番に回って手続きをし、視力検査等の適性検査と簡単な証明写真の撮影、そして受験票を受け取って試験会場となる講習室の前に来た頃には、もうそろそろテストが開始されるだろうギリギリの時間になっていた。
講習室に入ると、試験監督役を仰せつかったらしい、薄いグレーのスーツを着た頭が禿げたおっさんの教官が1人で教卓の所に立っている事を除けば、俺以外の受験者は、スエードグリーンの丸首のトレーナーに青いジーンズのロングパンツを履き、かなり黄色い黄土色のニット帽を被った自分と同年輩位の小太りな男と、白いゴスロリ調のワンピースに水色のガーディガンを羽織った、青い髪のセミロングの若い女の2人しか居なかった。
○☓形式の2択問題と危険予知が組み合わされたマークシート方式の筆記試験を終えると、受験者が3名しか居なかった為か、30分も経たない内に『合格』という結果が返ってきて、俺はそのまま第一種普通免許と第二種免許の技能試験を同時に受ける事になった。第二種免許の筆記試験は、以前個人タクシーを開業する為の営業許可を受ける為に遂行したクエストによって免除される事になったらしいから、この実技試験に合格してしまえば晴れて運転免許証の交付を受ける事が出来る、という訳である。
本館の裏口から外に出て広大なテストコースへ出て来ると、ロータリーの所に3台の白い教習車仕様のコンフォートが縦列で駐車されていた。その3台の車を見た瞬間、ああ…たぶん源さんのところの車だな……、と俺は直感した。
源さんと云うのは、俺がギルドに加入して個人タクシーを始めた頃、ギルドのマスターや他のメンバーに紹介されて以来、必ずそこで新車をオーダーしている、ウチで使っている車の殆どを造ってくれた車職人の事である。
実車を凌駕する位ディテールがきめ細かに凝っている洗練されたエクステリアに、中の方も実物と見違えてしまう位繊細に造り込まれ、他の自動車職人の作る車とは一線を画しているので、目の前の教習車を見た瞬間、彼が製作した車両だと判ったのである。
実際目の前のコンフォートは安い教習車とは思えないくらいの迫力があった。実車と寸分変わらぬ寸法にフェンダーライン等の細かい部分もよく再現された外観、そして実車に乗った事があるからこそ感嘆せざるを得ない、些細な点や質感まで考慮して造形された内装、神業と言っても過言ではない職人芸によって実車以上に実車らしく完璧に再現されていた。
少し青っぽいグレーのスーツを着た男の教官からキーを受け取って周囲の安全確認を終えてから、その中の真ん中に停められていた『2号車』と横っ腹に書かれた車のドアを開けて運転席に乗り込むと、俺は心底源さんの神振りに感心した。シートの座り心地といいステアリングホイールの握り心地といい、まさに実車のそれである。
助手席に先程キーを貸与した第一種免許の技能試験の教官が、後部座席左側に第二種免許の試験監督が乗り込むと、助手席にいる教官の指示に従い、俺は車のスロットにキーを挿し込んでエンジンを掛けると、ドライビングポジションを調節してシートベルトを締めると、右後方→右ドアミラー→ルームミラー→左ドアミラー→左後方の順に安全確認し、ブレーキを踏んでPレンジからDレンジへシフトチェンジする。前の車が発進するとサイドブレーキを解除して右ウインカーを点滅させ、もう一度右ドアミラーと右後方を目視し、ブレーキから足を離してクリープ走行させながらステアリングを右に左に切って、俺は車をゆっくりと発車させた。
テストコースをグルリと回って、S字・クランク・縦列・車庫入れ・坂道発進等の基本的な技能試験を受け、その後駐車場の方を回って正門の外に出て、客役になった後部座席の教官の指示に従いつつ第一種と第二種の路上試験を併行して行い、また出発地点のロータリーに戻って車に停車措置を施し、降車してキーを助手席にいた教官に返却し、
「合格!」
と、その場で結果を伝えられると、俺はニット帽を被った男と共にさっき試験を受けた講習室へ戻り、係員から出来たてホヤホヤの免許証を受け取った。
階段を降りて先程申し込みの手続きをしたロビーに辿り着くと、運輸関係の業界団体のお偉方が長テーブルを並べて簡単な窓口を拵えている所に出会した。どうやら合格した事業者の再登録の手続きを今から行うらしかった。
個人タクシー協同協会の窓口へ向かうと、協会の幹部であるGM陣に並んで、俺が所属しているギルドである『個人タクシー事業者連合』の長で、見かけも実際も俺より大分年長者の男性であるギルドマスターが座っていたので、手続きをするついでに挨拶も済ませておこうと歩み寄ると、向こうも俺の存在に気が付いたのか、
「おっ!」
と、右腕を軽く上げて親しげに声を掛けて来たので、俺の方も頭を下げて会釈した。
「お久しぶりです。」
「久しぶり!何時来たのさ?」
「昨日の夕方です。久々にログインしたらこんな目に……。」
「まあ……、災難だと思って諦めろ。それに、慣れると案外快適なものだぞ。」
「そういうものですかねえ……。しかし、外の世界じゃどうなっているのやら分からないのが気掛かりですが……。」
「一応ネットやテレビで外の情報は入ってきているぞ。」
「そうなんですか?でもそうだとしたら、今の私って、現実の世界ではどういう扱い何でしょうかね?」
「初めから存在しない事になっているか、生死不明の長期失踪者として処理されてしまっているみたいだな。」
「え……?」
ギルドマスターの言葉に俺は一瞬ゾッとして背筋が凍りついた。
「俺さ、現実世界じゃ某地方都市の市役所の職員として住基番号の管理をしていたんだよ。」
「はあ……。」
マスターの突然のカミングアウトに困惑しながらも、俺は彼の話を聞いていた。
「こっちに着てからすぐ位の時にさ、こっちに一緒に来たPCを使って役所のサーバーにアクセスしたらさ……。」
「…………。」
「どういう訳か、俺の名前と番号が綺麗サッパリと無くなっているんだよ。」
「…………?」
「俺、初めからこの世に居ない事になっていんの!ハハッワロス!」
と、ギルドマスターはケラケラと乾いた笑い声を上げていたが、俺の方は完全に固まって呆然と立ち尽くしていた。
「そんな馬鹿な……。」
「俺だって信じたくないが、現実だ。まあ、あいつらの言う『魔法』って奴だろ……。」
と、近くに座っている協会の幹部や周りにいる試験場のスタッフの方を見渡しながらギルドマスターは吐き捨てた。
「魔法…ねえ……。ところでマスター、どうして今日は此方に?」
「ああ、純さんやデロやん達と持ち回りでね、各地の試験場を順番に回っているんだよ。」
「そうなんですか……。御足労様です。」
「新ちゃんの方もお疲れ様。免許交付おめでとう!……じゃあ、再登録の手続きを取るからここにサインして……。」
目出度く再登録手続きを済ませ、さあ…帰ろうか、とその場を立ち去りかけたところ、
「あ!新ちゃん!ちょっと待って!」
と、慌てふためくギルドマスターに呼び止められたので、俺は後ろを振り返った。
見ると、ギルドマスターは何やら車の鍵らしき物を右手に持って振っていた。そしてその鍵と1枚の真っ白な紙片の引換券を俺に渡すと、
「これを持って、さっき技能試験を受けたロータリーに行って、係の奴にこの鍵を見せてその引換券を渡してくれないか?」
と、妙な笑みを口元に漂わせながら言った。
「何ですか?これ……。」
と、思わず訊き返すと、
「免許交付及び再登録した事を記念する褒賞品のプリウスだよ。」
という答えが返って来た。
「プリウス?」
「そう、源さん所で誂えた連合特注仕様のプリウス!しかも3代目の最新型だぜ。」
余程の天下一品なのか、ギルドマスターは胸を張って誇っていたが、いくら源さんが造った車であってもプリウスなんて要らない、と俺は思った。
だが、祝いの意味も込めてタダでくれると言っている物を無下に断る気にも全然なれなかったので、渋々ながら有り難く頂く事にした。それに拾えるか分からないタクシーや恐らく来ないであろうバスをあてにするより、自分の車で帰る方が安くて確実である事もたしかだからだ。一時のしのぎとして使うのならプリウスでもいいだろう。
貰ったプリウスは、特注品と豪語するだけあって、自動ドアが付いていたりタクシーメーターを設置するラックが後付けられていたりと、タクシーとして使用するのに適した装備を満載し、アルミホイールを装着してはいたが、それ以外は至って普通の白いノーマルのZVW30だった。
タダで貰った物だから文句を言うことは出来ないが、御世辞にも格好いいとは言えない上に、何故かリアフェンダーのボルト痕等安っぽくて幻滅させられる負の部分まで詳細に造り込まれたエクステリアデザイン、ゲーセンにあるレースゲームのアーケード機に付いているシフトレバーの様なちゃちなCVTのシフトレバー、モーターの補助があるとはいえやっぱり非力な1.8Lの直4エンジン等、様々な部分に不満を抱きながら俺はプリウスを発進させた。
自宅のあるアパートの方には直帰せずに、島の西側にある、廃車場や解体工場等が立ち並ぶエリアへ俺は車を走らせた。
大抵何処へ行っても、やや郊外へ入った寂れた所に行けば、レースゲームだった頃を彷彿とさせるこのような自動車関係の販売店や工場が集中している地区があるのだが、源さんの工場である『舞原オートセンター』もこのエリアの一番奥まった所にひっそりと人目を忍ぶ様に建っていた。
売り物の車が野晒しで放置された広大な敷地の中にある、いかにも町の小さな修理工場といった感じの、自動車を2m以上まで持ち上げられる巨大な昇降機やエンジンを吊り下げるリフト等の大型の機械が幾つも設置され、5台位までなら一度に整備できそうな程規模が大きいいが、何処か古めかしくて陰湿な雰囲気を感じる工場の中に入ると、俺は車を停めて外に出た。
車が入ってくる音で気が付いたのだろう。大きな機械が並んでいる、その更に奥まった所にある事務所から、薄緑色の作業着を着て同じ色の野球帽を被り、金色のメタルフレームの眼鏡を掛けたガタイの良い男性が外の様子を窺うように現れた。この如何にも町工場の経営者という身形の男こそ、この『舞原オートセンター』の主にして、俺が今乗ってきたプリウスの製造者でもある、源さんこと舞原 源治その人だった。
俺は源さんの姿を目に留めると、真っ先に右腕を上げて、
「源さん!」
と、彼に声を掛けた。
彼の方も俺の存在に気が付くと、
「お、誰かと思ったら新ちゃんか!」
と言いながらこちらに駆けつけた。
「お久しぶりです。」
「久しぶり、君もこっちへ来ちゃったのか……。で、今日は何の用で来たの?」
「ええ、実は……。」
このプリウスを下取りに出して新しい車を買いたいんだけど……、と言おうとした俺の口を遮るように源さんは話を続けた。
「あ、それ俺が造った30じゃないか!という事は、無事に一種免許が取れたんだね?」
「ええ、お陰様で。」
「そうかそうか、じゃあもう今日からタクシーを再開するつもりなの?」
「それはまだ……。何せ昨日久々にログインしたばかりですし。前と違って地形が変わったり新しい道が出来ていたりしている所もあるみたいだから、暫くは車で回って道を覚えないと……。でも、遅くても1週間以内には営業再開する心算ですよ!何せ2人分の『生活』が懸かっていますから。」
「そうか、そうか。……で、今日は何の用で来たの?」
ここで漸く俺は本題を切り出した。
「実はですね……。源さんには申し訳ないけれど、このプリウスを下取りに出して、営業再開を祝して景気付けに新しい車でも買おうかな、と思いまして……。」
「え――――!?」
露骨に不本意だと言わんばかりに、苦虫を噛み潰した様に表情を歪ませながら源さんは不満を口にした。な……何か悪い事を言ってしまっただろうか?
「いやさ、車屋としては、新しく車を買ってくれるのは凄く嬉しいんだけどさ……。そのプリウスも新ちゃんの手元に置いておいてやってくれないかなあ……。新ちゃんまで返品されちゃったら丁度30台目になっちゃうんだよ……。どうしてみんな気に入ってくれないのかなあ……。これ一応俺のここ一番の力作なんだよ?」
と、源さんは何とも情けないしょぼくれた顔をしながら不甲斐なくそう言った。
源さんは本気で解っていなかった様であるが、俺は何となく源さんのプリウスの評判が芳しくない理由が察せられて、どう反応すれば良いか判らず苦笑した。
ただ単にプリウスの負の部分まで完全再現しているからだという単純明快な理由だけではない。もともとプリウスが好きになれない俺は気に入らなかったが、中にはあれが良いと思う奇特な運転手だって沢山いるだろう。
問題は排気量と車格の割にプリウスのサイズが大き過ぎるという事である。
連合だけでなく、大抵のギルドでは車体のサイズでタクシーの料金を区分する時、排気量や全高の上限に関わらず、全幅1.7m未満で全長4.6m未満の車を小型タクシー、それ以上の大きさの車を中型タクシーと規定している。そして小規模なギルドによっては中型規格の車の中で排気量が2Lを超える車を大型車としてより高い料金を取っている所もある。
さて、プリウスは一応5ドアハッチバックセダンという名目で売られているが、早い話が一般的に言うコンパクトカーである。そしてコンパクトカーであるからには、小型車が廃止されて中型車に一本化された法人タクシーならいざ知らず、小型枠がある此方からすればやっぱり料金が割安の小型タクシーとして運用したい所である。
だがこの車、全幅が1,745mmもある3ナンバー車である。残念ながら大き過ぎて中型車としてしか営業する事が出来ない。
しかしながら、先述した通りモーターの補助があるとはいえ、この車の排気量は1.8Lしかない。中型車に排気量の制限がある所なら兎も角、中型車の中に3Lや3.5L車がゴロゴロいる連合や連盟のような組織の中で鑑みると、どう考えても非力過ぎるのである。特に俺の場合高速道路を飛ばして全世界規模で営業しているから、どうしてもパワーと余裕が必要になる分、使用する車の排気量も大排気量と称されるレベルのモノになってくる。乗り心地やお客様へのおもて成し等も考慮に入れれば6気筒以上で2.5L以上の車でないと対象外となってしまう。
でもまあ、源さんがそれ程嫌がるのであれば、下取りに出すのは止めてこのプリウスも私用車として残しておこう。ただ、今持っている営業用の車も全て私用で使う事を前提に注文し、実際に使っているからプリウスを運転する機会があるかどうかは定かではないが……。
「わかった。それじゃあ、プリウスはこのまま手元に置いておくから、新しく車を造ってくれませんか?」
そう俺が言うと、源さんはパッと表情を明るくして喜び、
「よし来た!じゃあ、どの車を買う?」
と言って、俺達は商談を始める事になった。
「そうだなあ、大概の欲しい車は造ったから……。あっ、そうだ!源さん、あれ造ってよ!マキシマ!」
「マキシマ?」
「そう、J30の後期型。出来る?」
「そりゃ出来るけれど……。また古くてマイナーな車を選択するなあ。まあ、俺は好きだけど……。で、やっぱり高津タクシー仕様にするのかい?」
「勿論!エンジンはVQ30DETTでお願いします。」
高津タクシー仕様というのは、俺が源さんの所に車を注文する時に、ノーマルのままだと物足りないという理由で、エンジンやミッションや過給器といった基幹部分の部品や足回りの部品等を交換して特別に造って貰っている、俺専用の特注の仕様の事である。
具体的なパッケージとしては、エンジンは基本的にNAならチャージャー付きの3.5L6気筒エンジン、ターボなら3Lツインターボの6気筒エンジンで統一する。足回りはエアサスに5穴ハブの大型ディスクローターを付けた4ピストンの対向ピストンキャリパーのブレーキを装着し、しかも4輪ともディスクブレーキ化する。
外観も大幅に修正し、マフラーは左右2本出しステンレス製直管マフラーに交換し、ホイールは20インチ鋳造アルミホイールでドレスアップし、勿論フルエアロにし、サイドカーテンやLEDのハイマウントストップランプが付いた小型のリアウィングも取り付ける。
前照灯のフォグランプは必ず付け、バンパーにウインカーとフォグが並ぶ場合はウインカーとポジションランプをLED化して一体化させ、エアロを交換する事でフォグのデザインも俺好みに作り替える。
俺のタクシーの一番の特徴としては、ルーフウィンカーを屋根に付ける代わりにドアミラーウィンカーを取り付け、更にトランクリッドに装着したリアスポイラーのハイマウントストップランプの両端にも、小さな黄色のLEDが輝くハザードランプを取り付けている点である。ドアミラーウインカーを付けた車ならよく見るが、このハイマウントハザードランプをストップランプと共にリアウィングに装着している車は、俺の車以外で今の所お目に掛かった事がないので、高津タクシーの車両を見分ける大きなポイントになっている。
最後に、色は絶対シルバーメタリックか、それに近い色に塗装し、『個人・高津タクシー』と書かれた金文字の透明なステッカーを運転席と助手席のドアに貼りつければ高津タクシー仕様車の出来上がりである。
こうして完成した車をそのまま乗って帰っても勿論良いのだが……。
「おーい、龍!出番だぞ!」
「ほーい!」
今、源さんに呼ばれて奥から出てきた髭面茶髪で、作業着をだらしなく着崩している若い男が、源さんの弟にして舞原オートセンターのカスタム担当の龍さんこと、舞原 龍蔵…源さんの弟である。
互いに、
「久しぶり。」
と軽い挨拶を交わすと、俺は龍さんにインパネの中央部上に電気式油圧・油温・水温の三連メーターの設置、AV一体型マルチナビの装着とカーナビの音声を能登声に変更、ナンバープレートを後ろだけ字光式にし、ガラスに70%の透過率の黒いフィルムを貼りつけてフルスモークにし、更にエンジン・ミッション・ボディにアフターパーツを取り付けてチューンアップするカスタマイズを行う事を注文した。
実際やる事は彼らが持っている個々のデータを組み合わせ、それらを実際に実体化させる大きな魔法の機械に入力するだけなので、新しい車は直ぐに製造されて、ちょっとした大きな物置のように薄灰色のシャッターが付いた、くすんだ白色をした巨大な機械からベルトコンベアに乗った状態で吐き出された。初めて間近で観察したが、シャッターが開いて車が排出される様子は壮観で、かなり興味深い物だった。
そうして出来た車の出来を入念に確認した後、俺は会計をする為に源さんと向かい合った。
源さんから差し出された明細書を確認する。
『車両本体価格:105,000G
特注仕様部品代及び交換手数料150,890G
その他カスタム費:54,320G
車両登録費・他諸費用:5,000G
総計:315,210G
支払い方法:一括支払
利率:なし
総支払額:315,210G』
まあ、こんな物だろう。安物の軽自動車なら3万Gから購入する事が出来る事を考慮すれば高い買い物には違いないが、大体いつも30万から50万位で1台を誂えるから、今回は大分安く済んだ方だと思う。
支払を済ませて車をプリウスからマキシマに乗り換えた途端、煙に巻かれたようにフッとプリウスの車影が跡形もなく消え去って驚いたが、どうやらガレージへ自動転送されたようだ。ゲームでは当たり前の様に起こっていた事が下手に現実味を帯びてくると怪奇現象じみてくるから吃驚する。
舞原オートセンターを後にし、購入したばかりの新車でアパートまで戻って来ると、俺は裏門から入って34番棟横の地下へ降りるスロープから地下の駐車場へと降りて入った。
「俺の記憶が確かなら……『B3のCの15番』だったな……。」
と独り言を言いながら駐車場の中を進んで行き、地下3階のCエリアと書かれたエリアで目的の15番ガレージに到着した。
見たところ、真向かいと両隣にズラッと並んだ他のガレージと同じ様に、地下空間の車1台分の幅が開いた灰色のコンクリートの壁の間に黒いシャッターを取り付けた個別のガレージであるみたいだった。
シャッターには大きく白い文字で『C-15』と書かれていて、その傍のこちらから見て向かって右側にあるコンクリートの支柱にも同じ番号が刻印されたカードリーダーと超小型モニターを組み合わせた様な機械が取り付けられてあった。
何だろう、と思って車を停め、降りて傍まで近寄ってみると、
『手首に付けている情報集積装置をこの機械に翳して下さい。』
と、直ぐ下の方に説明文が白い文字で真っ黒なモニターの画面にくっきりと表示されたので、その通りに俺は左手首のプロジェクターを支柱の機械の読み取り部分にくっつけた。
そうした途端、
『認証を開始します。…………確認しました。』
と言う電子音声が機械から聞こえてきたと思ったら、いきなりゴッゴッゴッという重厚な低音と共にゆっくりとシャッターが開いて、中から床に銀色のステンレス製の板が敷き詰められた1台分の駐車スペースが現れた。
俺は車に再び乗り込んで一旦前進すると、ギアをRレンジに入れ、ブレーキを踏んでゆっくりと後退しながらステアリングを左に切り、横列駐車の要領で車を駐車スペースにバックで駐車した。
そして少しだけ前進してハンドルを真っ直ぐに直して停車措置を施すと降車し、施錠してからキーをイベントリへ転送し、ガレージから出てから先程の機械に向かい合い、モニターに出てきた指示通りにシャッターを閉めてからエレベーターを探す為にその場を立ち去った。
どうにかこうにかエレベーターホールを探し出して3階へ向かい、0345号室へ帰ってくると、朗らかな顔をしながら玉緒が出迎えてくれた。
「ただいま!」
「お帰りなさい、あなた。どうでしたか?免許……。」
「ああ、無事に交付されたよ。」
「そうですか。お疲れ様でした。」
「うん。これでまた営業する事が出来るぞ。」
「それは良かったですね。おめでとうございます。」
「ありがとう。」
「時にあなた……。」
「何だ?玉緒……。」
急に玉緒の様子が豹変し、声色が険しくて冷たい物に変化したので、俺は内心戸惑いながら彼女の様子を窺った。
「今さっき確かめたら、急に何だかお金が物凄く……30万位減っている様な気がするのですけれど……、わたしの気のせいでしょうか?」
「ああ、営業再開に先駆けての縁起担ぎに、さっき源さんの所で新しく車を買ったんだ。」
「…………。」
「…………。」
「…………。」
「そうですか……。」
何だかよく分からない奇妙な間の後、そう一言だけ漏らすと、かなり遅めの昼食を用意する為に、俺一人を部屋に残して玉緒はキッチンの方へ出て行った。そしてそれ以降、一緒のベッドに並んで眠るまでの間ずっと、表には出さなかったもののその日は虫の居所でも悪かったのか、事ある毎に鋭く冷淡で毒々しい視線を俺に向かって浴びせかけたので、その度に俺は戦慄を覚えるとともに非常に閉口した。
俺……何かあいつの気に障るような事でも言ったかなあ?訳が分からず俺は首を傾げていた。