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第十六話:自賠責と車検が切れている奴は逝ってよし

>>新太郎

 スーパーチャージャーを装着したKA9型後期のレジェンドを車庫に停め、俺は自宅のある階へエレベーターで上がった。

 部屋のドアを開けて玄関に上がり、台所へ入ると夕飯の準備をする玉緒の姿が目に入った。当然だ。早めに切り上げて帰ってきたとはいえ、もう夜の19時半である。

「あら、お帰りなさい、あなた。今日は早いのですね。」

 俺の姿に気が付いたのか、此方へ振り向いた玉緒が声を掛けてきた。

「ああ、客足も鈍いし早目に切り上げたんだ。」

「…………。」

「ところでお前。今日、俺宛に何か届かなかったか?」

 俺がそう尋ねると、玉緒は何かを思い出すように首を傾げた後、

「ええ。リビングの卓袱台の傍に置いてありますわ。」

と答えた。

「そうか、分かった。」

 俺はリビングへと足を進めた。


 卓袱台の足元には、玉緒の言う通り数枚の封書が乱雑に積み重ねられていた。


 取り敢えず一番上の細くて横長の薄翡翠色をした封筒を手に取った。

 封筒の表には、濃緑色で桜をモチーフにした市章と『初奈島市陸上運輸局・第二種普通免状許可課営業認可部庶務1係』とでかでかと書かれ、プラスチックの透明な窓の向こうに、白い紙に印字された俺の名前と住所が透けて見えている。

 糊付けされたフラップ部分にペーパーナイフの刃を入れ、破り開けて中の書類を取り出した。


『個人タクシー連合所属・個人高津タクシー事業所

代表・高津 新太郎殿


 R107初奈島中央線(バイパス側道)初奈島中央駅正面口交差点付近におけるタクシー等による慢性的な渋滞の暫定的解決策として、虹色ローテーション作戦(仮)を条例規則で施策するに当たり、上記の者に青色マーク(木曜日のみ空車時駅敷地内進入を許可する)を交付する。


承認印・国土交通省下初奈島市陸上運輸局局長・長谷川 博昭

発行・同第二種普通免状許可課営業認可部庶務1係』


 このA4用紙の他に、もう一枚同じサイズの紙で、吸盤付きで窓に貼り付けて下げられるタイプのステッカーが2枚挟まれた物が同封されていた。


『タクシー事業者様、及び乗務員様各位

虹色ローテーション作戦についてのお知らせ


Q・虹色ローテーション作戦って何?

A・初奈島中央駅正面口(北口)付近の客待ちタクシーによる慢性的な渋滞の解消策として市と陸運局が中心となって市内を基本営業地域とするタクシー事業者に対して施行する特措条例規則です。


Q・具体的にどういう事をするの?

A・一週間の七日間を、日曜日を起点にして赤・橙・黄・緑・青・藍・紫の七色に分け、一日に駅に入れる最大空車台数を人為的に制限します。これにより、利用客の交通の流れを阻害する事なしに渋滞の発生リスクを軽減させます。


Q・何時から実施するの?

A・まだ様子見を含めた姑息的な施策なので、本格的な開始時期は未定ですが、10月23日(日)より試用期間を兼ねて実施致します。また、暫時経過を観察し、その結果次第では漸次完全施策へと移行します。』


 この文書には、この下部に一週間のスケジュール対応表があり。それぞれどの色が何曜日に割り振られたのか解り易く表示されていた。ステッカーも白い長方形の台紙に青い丸が大きく描かれた、日章旗を彷彿とさせる簡潔な物である。


 その下にあったA3サイズの大きな白い封筒へ手を伸ばす。開けてみると中から個人タクシー協同協会が隔月で刊行している情報機関誌の最新号が滑り出てきた。後で目を通しておこう。


 更に最後、薄菫色の縦に細長い封筒を拾い上げ、これも封を切ってみる。すると中から折り畳まれたA4の白い紙がハラリと掌に落ちてきた。

 その紙にはこんな事が書いてあった。

『今期の車検、定期整備、自賠責の更新の手続きを完了致しました。』


 タクシーの場合、車検、定期整備は2年、自賠責保険の更新手続きは1年に一度必ず行わなければいけないと法律で決められて、俺はこの時期に諸々の手続きをする心算でいたから、その報告の書状だろう。この世界では機械は簡単に電子データに戻す事ができるから、態々指定工場や認証工場まで車を持ち込まなくても、データ化された車がガレージから勝手に工場の方へ送られて整備され、お金も自動振込で請求されるから、此方は特に何もする必要がない。しかも事故らない限り滅多に壊れる事が無いから、現実世界の糞な車検制度のように何万円もボラれる事もない。精々バッテリーやオイルのような消耗品を交換して、1台当たり千Gが関の山である。

 しかも、これらの事は個人タクシー連合や連盟といったギルドが、個々の事業者と、整備工場と各地の陸運局を仲介して面倒な手続きを代行してくれる。だからこそ安価で簡略に事を進める事が出来るのである。

 もしも、これらの申請や更新手続きを俺独りでやらなければならない、なんて事になれば、俺のように何十台も車を運用している運転手は間違いなく死ぬ。


 ちゃんと法律に遵守するように全ての手続が行われた事を書面に軽く目を通して確認すると、夕飯を盛った皿を運びに玉緒がリビングへ入って来たので、俺は一先ず晩飯を済ませる事にした。


 さて、その週の週末から、『虹色ローテーション作戦』は予定通り開始されたが、事前にタクシードライバーの方へ詳しい説明がなされていた事と、適宜に空車を入れて偏った受給の停滞を防いだ事により、懸念された程の混乱は見られなかった。


 俺も、初奈島中央駅に入れる木曜日と、予約が入った日を除けば、専ら帝都か、たまに近隣の都市の繁華街へ流し営業をしに遠征していた。特に金曜から週末に掛けては、深夜から未明まで飲み明かす酔い客が多く拾える事もあって、深夜営業をする割合も増やすようにしていた。


 そうやって行動範囲を広げていけば、利用する休憩場所とか給油所とかも増えてきて、結果的により多くの同業他者と知り合って親しくなる機会も増加した。

 そうしたネットワークを太くしていくと、スーパーのタイムセール情報を遣り取りする主婦達の井戸端同盟のように、どこで何処の時間帯に客入りが良いか、どこのスタンドがより安値か、あそこの昼食は美味い、という感じで様々な噂や流言が清濁の区別なく耳元で飛び交うようになっていた。


 その日も、VQ30DETTのY33グロリアのアルティマで営業していた俺は、ガソリンの残量が心許無くなったので、休憩も兼ねてスタンドへ給油しに寄った。


 そのスタンドはその都市で一番大きなスタンドで、普通車20台、大型車が6台も一度に給油できるだけでなく、周辺の給油所の中でレギュラー・ハイオク・軽油の3点セットの他にLPガスを唯一扱っていたので、一帯のタクシーが給油の為に終始集結していた。

 すると、自ずと色々な風の噂が耳の中に流れ込んでくる。


 例えばほら、向こうの給油機の両側にそれぞれ連盟カラーの18系クラウンのロイヤルサルーンの後期型とY34セドリックを並べ、燃料補給しながら談笑している二人の男の会話が耳を澄ませば聞こえてくる。


「……ハハハ、そうなんだ!」

「そうなんだよ。そうなんだよ。」

「へえ……。あ、そう言えば聞いたか?」

「何を?」

「何か、個人タクシーの営業許可の法規定を今度変えるとか……。」

「そうなのか?」

「ああ……、よく知らんが、大掛かりな改定になるらしいぞ。」

「ふ~~ん、でも俺等には関係無いだろう?これから申請する人間は兎も角……。」

「それがさあ、ギルドに所属しなくても個人タクシーを開業できるようになるらしい……。」

「はあ?直接協会に事業者登録するのか?」

「さあ、そこまでは知らん。たぶんそうじゃないか。」

「そんな事しようとする馬鹿がいるのか?書類の申請や車検の手続きだけで余裕で死ねるぞ。」


 だよなあ、と俺は心の中で男達の内の一人の意見に同意した。何だかんだと言って門戸を一応開いているけれども、自分達の既得権益を守る為に、基本的にこの業界は新規参入に対して排他的だ。俺だって客の取り合いが確実に激化するから、出来れば新しく人が入って来て欲しくはない。それに金を貰って客を運ぶ以上、一定以上の安全とサービスの価値を常に保っていなければならない。その為、個人タクシー協同協会に事業者として所属して営業許可を得るには、次のような基準を満たしている事を証明し、膨大な書類を作成して審査を受けなければならないのだ。


・乗務する事業者本人が、指示された第一種免状と共に第二種免状も所持している事。

・事業で使用する車が、法規定通りに造形された物であり、かつ指定された種類の車検及び定期整備を義務付けられた旅客事業用ナンバーを正式に取得した車両である事。

・事業者本人を証明できる物を二種類以上所持している事。

・営業拠点において、その住所等が架空の物でない事と、該当住所に事業所が存在する事を証明する必要書類を準備する事。


 こういった物の関係書類を100種類近く用意して審査して貰わなければならない。自動車関係の書類こそ、販売会社や指定工場、陸運局が代行して準備してくれたりするが、それ以外と保険と組合への加入手続きは自分で行わなければならない。はっきり言って非常に面倒臭い。


 事業者と協会を仲介し、さらにそんな煩わしい手続きを一気に引き受けてくれる、それがギルドなのである。

 それだけではない、客の斡旋、保険事業と労働組合の代行窓口、トラブル時の弁護士の紹介、銀行業務等もギルドの主要な役割だ。確かに少々高めな献金を収めなければならないが、全体から見ればギルドに所属している事は俺達個人事業主にとって、本来の稼業に存分に集中出来るという意味で非常に有利な事なのだ。


 もしもギルドに入らない事に利点を見出すとすれば、精々税金以外の収入を自分の物に出来る事と、ギルドの規定に囚われずに自由に運行車両を設定出来るかもしれない事位である。

 まあ確かに、スーパーカーのタクシーとか軽自動車のタクシーとか、既存の枠では実現不可能な車両が出てくる余地があるのは大変面白そうだとは思うが、そんな些細な事ために態々茨の道を突き進む必要は全く無い気がする。


 ところが、俺の予想に反して居たのである。そんな馬鹿が……。


 10月ももうすぐ終わる頃の週末だった。

 前日、遠出して飲んだ挙句深夜の長距離バスに乗り遅れた酔い客を、本土とは別のもう一つの巨大な大陸として隔離されたファンタジーゲームの世界との間を定期的に結ぶ高速船が就航する、南の方にある音羽という大きな港湾都市へ運んだその帰路。片道2車線の高速道路の、はみ出し禁止の黄色い実線の車線が引かれた10km超もある物凄く長いトンネルを、テールライトだけ後期型に組み換え、3LにボアアップさせたツインターボのJZX100系のチェイサーのツアラーVの前期型を走らせていると、後ろからグングンと近付いて来る自動車の白いライトがルームミラーに映っている事に気付いた。


 俺の後ろにぴったりと張り付いたその車は、白いランボルギーニ・ガヤルドだった。車高の低い楔形のフォルム、シャープな三角形の形状がクールなライトレンズ、ガルウィングの大きなドア……、嘆息する程格好良い。が、何かおかしい。屋根の上に何か黄色いランプを取り付けている。余計な装飾など無用だろうに。

 よくよく見ると、ランプに何か文字が描いてある。『たくしい』と……。


 いやいや英語、せめて片仮名で書けよ!なんで平仮名?と心中で突っ込んでいると、そいつがパッシングをして煽ってきた。

 ところが生憎、俺のすぐ前にも100km/hでのろのろと走る、明らかに許容量超過しているだろと言いたくなる、車体が風船のようにパンパンに膨らむまで廃材を堆く積み上げた10tの幌付き車の大型トラックが居た。

 だからスピードが出せないというのに、後ろの車は俺の車に向かって、さっさと行け!とでも言わんかの如くピカピカとハイビームを点滅させ、盛大にクラクションを鳴らした。


 ビ――――――――ッ!ビッビ――――――――――ッ!


 流石に蟀谷に青筋が立ったような気がする。こんな時にリアフォグがあれば閃光を煌めかせて牽制する事が出来るのだが、残念ながらこの車には欧州車と違って純正のリアフォグは付いていなかった。

 抜かった。改造する時に、リアバンパーの所にでも装着しておいて貰えば良かった!後の祭りだ。仕方がない、帰ったらまだリアフォグが付いていない日本車や米国車にも漸次装着して、全車標準装備化を目指すか……。


 なんて事を考えていたら、前を行くトラックの尾灯が突然消え、車全体が一つな大きな影となり眩ばかりの白い光に包まれた。トンネルの出口だ。

 俺はロービームを切ってスモールまで落とすと、右ウインカーを点滅させて車線変更の準備をした。

 黄色い実線が途切れ、白い破線に変わった。今だ!俺はほんの少しだけステアリングを右に切った。

 その刹那、なんと後ろのガヤルドも俺とタイミングを被せて車線変更してきた。しかもノーウインカーのフルスロットルで。危ない!俺は条件反射でペダルが壊れそうになる位ブレーキを蹴っ飛ばして限界まで踏み込み、ABSを効かせながらフルブレーキを掛けた。


 ガコンッ!という大きくて鈍い轟音と衝撃と共にチェイサーが左側の路肩の方へ1m程弾き飛ばされた。バランスを崩して後輪がスリップしたけれど、そこは俺もプロドライバーだ。咄嗟にカウンターを切って(ドリフト時など、後輪や駆動輪が横滑りした時、体勢を整える為、滑り始めた方向と逆方向へステアリングを切る事。左を向いて車が滑り始めたらその分ハンドルを右に切る。まあ、そんな事を気にしなくても、常に自分が行きたい方向を見据えてそちらの方向へハンドルを回せば良いだけなのだが……。)車体を真っ直ぐに立て直したから、ガードレールに突っ込むなんて事態は辛くも避けられた。

 でも、絶対フロント部分に凹みが出来ているよな。だって事故を起こしたのだもの……。俺はげんなりしつつもハザードを点滅させ、すぐ先にある路肩の緊急退避帯へ車を横付け、エンジンを停止した。目の前には、やはりハザードを焚いた先程のガヤルドが、五月蠅いエンジン音をがなりたてながら停車していた。


 警察に通報して電話を切った後、俺はそのまま個人タクシー連合の無線番号へ掛け直した。

「はい、どうしましたか?どうぞ。」

 オペレーターの若い男の声が、手首の機械から漏れ出て来る。

「此方、営業番号109、高津タクシーです。どうぞ。」

「109……高津……。了解、確認しました。どうぞ。」

「現在、事故遭遇にて音羽自動車道上り、竹原IC手前の路肩にて停車中。どうぞ。」

「事故ですか?どうぞ。」

「事故です。どうぞ?」

「通報は済ですか?どうぞ。」

「済です。どうぞ。」

「了解。状況報告お願いします。どうぞ。」

「追い越し時での車線変更中、二重追い越しを仕掛けた後続車に釜、両車損傷あり。どうぞ。」

「了解。怪我とかはありませんか?どうぞ。」

「今のところは感じません。相手の負傷は現状不明です。」

「了解。万が一の場合もあるので一応病院へ行って下さい。それと、事故証明と共に診断書もギルドの保険窓口の担当者へ提出して下さい。どうぞ。」

「了解しました。どうぞ。」


 通話を終えると、俺はそっとドアを開けて車外へ出た。

 チェイサーは、やはり右横、フロントフェンダーから前を思いきり凹まされ、破れ外れたフロントバンパーのフルエアロがベリッと捲れて超鋼鉄製のバンパーが顕になり、右側のヘッドライトがずれ落ちて、辛うじて配線ケーブルによってぶら下がっている。ただ、見た感じラジエーターやインタークーラー、オイルクーラーと云った冷却系の破損や油漏れが見られない事から、何とか自走は出来そうだ。


 一方ガヤルドは、真後ろから見ると特に何も無さそうだったが、前に回り込むと思わず絶句する程、凄まじい惨状を呈していた。

 きっと、俺のチェイサーに接触した後、中央分離帯に激突し、そのまま跳ね返った勢いで緊急避難帯に突っ込んで停止したのだろう。台形型の退避場の斜めに走るガードレールと遮音壁にドアから前の部分をぺしゃんこにしてめり込んでいた。エンジンは後ろにあるミッドシップ車とはいえ、左のホイールは天を、右のタイヤは左に切れて、前輪が互いにあらぬ方向を向いている状態では、自走などとても無理だろう。


 砕け散って真っ白になった窓の向こう側の運転席で人影が動いたから、運転手は無事のようだけれど、茫然自失しているのか一向に車の外へ出て来る気配がない。


 そうこうしている内に、後ろの方からサイレンの音が遠く聞こえ、振り返ると暗いトンネルの中から赤いパトランプとハイビームを点けた170系クラウンの白黒パトカーが2台、黄色いパトランプを灯した黄色い200系ランドクルーザーの道路パトカーが1台、此方へ向かって疾走して来るのが見えた。


 警察官と共に力づくでガヤルドから運転手を引っ張り出した。

 ドライバーは、俺とそう歳の変わらない、まだ二十代になったばかりと思われる何処かなよなよした情けない雰囲気を纏ったかなり痩せている若い青年だった。何だろう、俺も人の事を言えた義理ではないが、物凄いオタク臭さがある。


 そうして、その若い男と俺は、パトカーで駆けつけた4人のお巡りさんに囲まれ、それぞれ事情聴取を受ける事になった訳だ。が、早速何方に非があるかという問題で、双方拗れる事態になった。

 俺は、前を走行するトラックを追い越そうと、事前に右ウインカーで予告していたにも関わらず、俺が車線変更したと同時に、相手が二重追い越しを咬ませてきて衝突した、と主張した。しかし当の若者は、自分のガヤルドが追越車線を走っていたら俺のチェイサーが急に車線変更してきた、と言い掛かりをつけてきたのだ。


 当然、俺は奴もトンネルの中で後続車として同じ第一通行帯を走行していた、と反論した。ところが、それを実証できる物がない。それは相手も同様のようだった。

 結局、そこの所は簡易裁判か保険屋同士の話し合いで細かい過失割合は追々決めていく、と云う事で何とも釈然としない決着を迎えたが、問題は寧ろその後だった。


「え?君、任意に入ってないの?」

「はあ……。」

 項垂れる同業同世代の青年を見て、俺は呆れて二の句が継げなかった。本当にガヤルドに緑ナンバーを付けてタクシー車両として使っている事にも仰天したが、一般のドライバーでも入っていて当然とされている任意保険に加入していないだなんて信じられない事だった。

「しかもお前、この自賠責保険証明書の期限、とっくの昔に切れているぞ!」

「え?マジですか?」

 強制保険ばかりではない、よく見たらフロントウインドウに貼ってある車検のステッカーの日付も、3日前の物だった。車検切れである。恐らく、車検と自賠責の期限が残り少ない時に営業用車両として申請して通ってしまったのだろう。絶対定期整備も碌にやってないのだろうなあ。タクシーでなくとも、こういう無駄に高性能な車に乗っている場合、万一の事も考えて整備には一番に気を遣うものなのだけれど……。


「では、致し方ない。君、一体何処のギルドの所属なの?こっちのギルドの担当からそちらに掛け合って、立て替えて貰うから、教えてよ。」

 俺は内心苛立ちながら相手の男に詰め寄った。ところが、しどろもどろに呟いた男の返答は、またしても俺の想像の域を超える物だった。

「いや……、その……。入っていないんです。ギルド……。」

「は?じゃあ、何?ギルドすっ飛ばして直接協会に加入しているの?」

「はあ……、まあ……。」


 俺は愕然としつつも、心の中で何となく納得した。だって、たとえどうしようもない程小さな零細ギルドでも、まともな組織なら、料金やサービスの質だけでなく、車検や整備や保険関係といった安全安心に直結する法規手続きを所属事業者にきちんと履行するように仕向けさせるからである。


 結局、ガヤルドは警察官が応援として呼んだ積載車の上に乗せられ、俺は別の警官からベージュ色のガムテープを拝借し、バンパーとライト部とボディーをガムテで覆って応急処置を施した。そして当の相手の男は、無車検走行、及び無保険走行の現行犯で逮捕され、2台の内の一方のパトカーに乗せられて連行されてしまった。


 その後も自分の車を運転し、何とか自力で初奈島に辿り着くと、俺はすぐに警察署で事故証明書を発行する手続きを行い、源さんの所へ車を持ち込んで修理し、領収書を受け取っると大きな市民総合病院へ行き、医師の診察と精密検査を受けた。

 幸い、これと目立つ損傷は見られない、との事だったが、

「今回だけはたまたま見つからない程損傷箇所が小さかったという可能性もあります。痛み等、何か体調の不調を感じたらすぐにお越し下さい。」

と、医者から念押しされた。


 そして一週間後、郵送された事故証明書と自賠責と任意保険の請求書類、修理に掛かった諸経費の領収書と診断書を市販の茶色い大きな封筒に同封し、俺はギルドの初奈島支部本事務所の中にある、個人タクシー協同協会の保険担当の窓口に提出した。


 さて、裁判所が出した過失割合3:7を根拠に、保険屋と相手の男の間での示談交渉によって、一旦俺の保険から補償した分を相手に補填させて万事解決!という運びとなる予定だったが、後日保険関係手続きの担当者から掛かってきた電話によって事態は一変した。なんと、共済は、相手が金銭的にも社会的信用においても支払い能力がない、と判断して彼への請求を破棄したのだという。要するに俺の保険から出した分は相殺されるどころか、返って来ないという事らしい。

「という事は……、つまり……。」

 俺は額から冷や汗をかきながら息を飲んだ。電話の向こうから聞こえてくる壮年男性の担当者の言葉は非情なものだった。

「来期からの保険料が値上げされますね。」


 嘘だ――――っ!やだ――――!ただでさえも排気量が大きな高出力車を複数台所有している上に年間航続距離も長いから、今でも保険料が高めでちょっと苦しい位なのに、この次の審査から更に上乗せで払わなければいけないのかよ。

「何とかこれ、次の審査事項から外して貰えません?」

 俺はいけない事だと認識しつつも担当者に相談した。

「難しいですね。今回は高津さんも事故の当事者ですから……。」

 彼は苦笑していたが、慰めかこんな言葉も発した。

「ただ、今回の場合、相手が無保険無車検の重篤な違反を犯していましたから。その事も考慮して値上げは微小、来期に補償請求が無ければまた以前の保険料に下げられる筈です。それ程気に病む必要は無いと存じますよ。どのみち、請求があった時点である程度は保険料の審査の対象となりますから。」


 いざという時の為の保険、そのお陰で確かに今回は金銭的な出費をせずに済んだが、その代わり、事故の相手側が無保険だったばかりに来年度の保険料が上がるという形で返ってきた。

 何だかなあ……。何処か腑に落ちない出来事として、この出来事は俺の胸に刻まれる事になった。


 余談だが、高津タクシー仕様にリアフォグという項目が新しく加わった。

 早速龍さんに頼んで、所有している全てのリアフォグ無しの車のリアバンパーを加工して、バンパーの上部両端に細長い赤色LED灯の明るいリアフォグランプを1つずつ埋め込んで貰った。ヘッドライトかフロントフォグ点灯時しか作動できず、それ単体で消灯できるようにダッシュボードの右端に専用のスイッチも取り付けた。これで何時濃霧や大雨や猛吹雪に遭遇しても安心である。多分……。

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