第十五話:裏社会の人との接触
>>新太郎
現実世界の気候と概ね連動していたのか、猛暑日が一月以上続いた糞暑かった夏が過ぎ、10月に入って少し経つと流石に暑さも鳴りを潜め、やや肌寒く感じるものの過ごし易い季節が訪れた。もう少し暖かければ小春日和として申し分ないのだが、熱波に襲われるよりはずっとマシだろう。
そろそろワイシャツ一枚だけでなく上着も欲しくなる時分である。下着の上から青くて細かい縦のストライプが全面に描かれたワイシャツ一枚を着、居間兼夫婦の寝室に取り付けてあるクローゼットの前に立った俺は、スラックスとセットでハンガーに掛けられた8着のスーツのジャケットを選びつつ、今日は果たして上着が必要になるだろうか、と我ながら下らない事を思案していた。
こういう事には優柔不安な性格の所為か、なかなか決断を下す事が出来ない。埒が明かないので、台所で食器洗いをしている玉緒の意見を伺ってみる事にした。
「なあ、お前。今日、上着がいると思うか?」
すると彼女は洗い物の手を止め、心底呆れているというか、若干蔑みのような物も混じった表情で俺を見つめ、大きく息を吐いた。
「あなた……、子供じゃないのですから、御自分で判断なさって下さい。」
「そうは言ってもなあ……。」
俺はそう呟きつつ背後に面している窓の方へ振り返った。朝方の空は雲ひとつ無い快晴で、群青色に澄み切った青空が窓硝子の向こういっぱいに広がっている。
「今日は特に寒くはならないようですわよ。ただ、然程暖かくなる訳でもないそうですから、あなたのお好きなようになさいなさいませ。」
「じゃあ、着て行くか?」
「御自由に……。でも、あなた、始終車に乗っていらっしゃるのだから、正直何方でも構わないのではありません?」
「それもそうか……。それなら着て行くわ。」
俺はクローゼットから紺地に少し広い間隔で極細の白い縦線が入ったスーツを手に取ると、スラックスを穿いて黒い皮のベルトと青い絹のネクタイを締め、ジャケットを羽織って身支度した。
筆記用具等を入れた黒い皮のセカンドバッグと運行記録簿を引っ掴むと、俺は居間から台所を経由して玄関に向かった。
「それじゃあ、いってきます!」
「いってらっしゃい!あっ、そうだ!今日も夕飯はウチで食べますの?」
「たぶん……。夕飯までに帰られそうに無かったら連絡するよ。」
「分かりました。」
玉緒の声に見送られ、靴を履いて廊下へ出る。いつもと変わらない日常だ。
駐車場に降りて自分のガレージの前に立つ。3Lの2JZエンジンをボルトオンターボ化してツインターボ車にした150系クラウンの後期型を呼び出すと、俺はそれに乗り込んで発進させた。
いつも走る道を初奈島中央駅へ向かって進む。峠を越えた後、中央バイパスとの交差点を左折し、自動車専用道と平行して走る側道の方へ入る。
この様々なゲーム世界、もう少し言及すればそれらを構成する大元になった世界中の様々な時代の文化を集大成した『リライフ』では、広大な大地だけでなく海までも越えて無駄に縦横無尽に敷き詰められた高速道路ネットワークによって、物流の9割近く、旅客輸送の半分を自動車が握っている。だがしかし、残りの貨物1割弱、及び交通では全体の4割強を、帝都を中心にして各都市を結ぶ鉄道網が担っている。
大部分はこの世界の中央政府でもある運営が取り仕切る、全世界にある鉄路の大部分を所有する『RR』と呼ばれる国鉄が占めるが、帝都周辺を中心に私鉄も運行されている。
そして、ここ初奈島も初奈島大橋の高速道路のすぐ下を通る複線の線路によって本土と結ばれ、島の何箇所かに国鉄や地元のローカル線の駅がある。その中でも一番大きく、且つ初奈島方面の特急列車や急行列車の終着駅でもあり、故に旅行客を島へ出迎える玄関口として機能しているのが初奈島中央駅である。
このような側面を持っている上に、絶対に枯れない桜として有名な『不枯桜』や下から上へ向かって逆流する『助鯉弱龍の滝』等、珍奇なパワースポットのような名所や謎めいた伝説を持つ観光地をこの島は比較的多く有している。その為一年を通じて観光客の流入が多く、通勤などで使っている地元民も含めると初奈島中央駅の年間利用客数は、島内の他の小さな駅と比べて2ケタ位違う、膨大な数になる。しかもその殆どが、何時来るか不明瞭なバスではなく、常時タクシー乗り場で待機しているタクシーに乗って市内へ繰り出すのだ。
初奈島中央駅のタクシー乗り場で待機していれば、列車から降りてきた客を確実に車へ乗せる事が出来る。そういう意味で俺達タクシードライバーにとってこの駅はまさにドル箱だった。
だから、初奈中央駅へ初奈島で流し営業を生業とするタクシーの大部分が一極集中するのは考えるまでもない事だった。
タクシーは基本歩合制である。客が多く拾えれば儲けものだが、一人も居なかった場合、収入が激減するどころか燃料代などの結構な出費が伸し掛かってくる。一滴もガソリンやLPガスを使わず、ただ待っているだけでお客さんが向こうから出向いてくれるのなら、それに越したことはない。
だから、朝一番の列車が入線してから最終列車が発車する間際まで、初奈島中央駅の中央正面出口のバスターミナルの隣にあるタクシー乗り場では、客待ちをするタクシーが列を成し、駐車場や通路だけでなく、接続する中央バイパスの側道の西行きの方の第一走行帯の上にまで渋滞を形成する形で占有しているような有様だった。
そうして今日も、バイパスの側道を西から走ってきた俺は、駅との交差点の東側にある、バイパスを越えて対向する側道同士を繋ぐ陸橋を経由して転回すると、既に第一走行帯の上で10台程の長さの渋滞を作っていたタクシーの列の最後尾に並んだ。
だが、何処かおかしい。普段第一レーンに掛かるまで並んでいると、ぐるっと回ったタクシープールの中まで100台以上タクシーが列を作っている筈なのだが、どういう訳か10台位しかない。駅へ入る交差点の手前で渋滞が途切れて終わってしまっているのだ。
色とりどりのタクシーで埋め尽くされていたロータリーが、今朝に限って灰色のアスファルトの色が遠目からもはっきりと見える位閑古鳥が鳴いている事にも驚いた。が、それ以上に交差点の先に青い制服に紺色の野球帽を被り、赤い誘導灯を手にした警備員が数人いる事に俺はただならぬ気配を感じた。
奇妙な事に彼らは、駅の中へ入れないようにタクシーを誘導していた。そしてその度にそのタクシーの運転手と激しく口論しているようだった。
勿論、俺だって例外じゃなかった。
運転席の窓硝子をコンコンとノックされたのでパワーウインドウを下げると、開口一番こんな事を言われた。
「空車ですか?」
「はあ……、見れば判るでしょう?空車ですよ。」
「あの、申し訳ありませんけどね。駅へ入らずにこのまま……まっすぐ行って貰えないですかね。」
「はあ?どういう事ですか、それ?」
訳が解からない。
無意識の内に俺は誘導員の顔を睨みつけていたのだろう。彼は少したじろぎつつも高説明した。
「すみませんねえ。実は駅で客待ちするタクシーが交通の妨げになるという事で、前から市や駅の方に苦情が着ていましてね。市と駅とタクシー協会との連携で、空車のタクシーを駅の中に入れないようにする社会実験を今日から行なっているんです。御協力をお願い出来ないでしょうか?」
「…………そう、仕方が無いなあ。」
「すみません。御協力有難う御座います。」
平身低頭にお辞儀する警備員の傍から離れるように俺は静かに車を発進させた。
仕方がない、とは思うもののやはりしっくりとこない。俺は連合だから、いざとなれば他の街まで行って稼いで来る事も可能だが、市内で営業している他の事業者や運転手達はどうなるのだろう。初奈島中央駅の集客能に期待というか、自身の収支を依存している奴は相当数いるだろう。空車は入れない、こんな事がまかり通ったら彼らの首を締め上げる事にもなりかねない。
というより、あくまで実験としての一時的な仮の措置として収束すればいいが、万が一この状態が恒久化して自然に定着した場合、俺の方の負担だって尋常ではないものになってしまう。それ以上に、折角目の前に宝の山があるというのに指を咥えて素通りしなければならないなんて口惜しい。何か上手い手はないだろうか?
ふと閃いた。空車お断り、と云う事は駅まで向かう客を乗せている状態でならいくらでも入れると云う事である。なら、それを逆手に取ってしまえばいいのではないか?
途端に俺の頭の中に一つの案が浮かんできた。そうだ、これで行こう。俺は大至急で自宅へ引き返した。
リビングの扉を開けて部屋の中へ足を踏み入れると、丁度お茶を淹れて卓袱台の周りを囲み、茶菓子を啄んでいたらしい玉緒とヨネさんと香澄が一斉に俺の方を振り向いた。
「あら?おかえりなさい、あなた。えらく早いお帰りですのね。お仕事は?」
「ああ、まあ……ちょっとな。」
言葉を濁して玉緒の質問をはぐらかすと、俺は3人に相対するように卓袱台へ腰を下ろし、彼女等の顔を順番に見回した。
「ねえ、みんな……、バイトをしてみる気はないか?」
当たり前かもしれないが、彼女等は目を点にして俺の顔を無言で見つめている。少し唐突過ぎたか?先走り過ぎてしまったようだ。急いては事を仕損じる。気を付けなければ……。
俺は今し方遭った出来事を簡単に伝えると、改めて彼女等に要請した。
「いや、なに……。ただ単に客の振りをして、俺が車を駅内へ入れるまで後ろで座っていてくれたらいいんだ。」
俺は玉緒達に、俺の思い付いた事を簡単に説明した。
まず、玉緒達を初奈島中央口正面の交差点、中央バイパス西行き東側付近、喫茶店か百貨店に待機させる。そして必要に応じて路肩に停めた車へその中の一人を電話で呼び出し、実空車表示を『賃走』に変えた状態で駅の敷地内へ侵入する。
そして、上手く駅の中へ入れたらタクシー降り場で彼女を下ろし待機場所へ下がらせ、自分はスーパーサインを『空車』表示に切り替え、何食わぬ顔でタクシー乗り場へ車を横付ける。
乗車場で無事に客を拾えたら、その人が向かう目的地まで車を走らせ、料金を受領後駅前まで戻り、待機場所から別の一人を呼び出す。これをローテーションで一向繰り返す。
毎回さくらとして別の人間を乗車させる事で、駅の管理者サイドへ不正通行を発覚させ難くする。これが味噌だ。
「どうだろう?引き受けてくれないか。手間賃は弾むぞ。」
「でも、社長。それ、わたし達がする必要、無くありません?」
と、香澄から突っ込まれて御破談になるとは思わなかったがな。
「たしかに、わたし達がやるよりも、向こうで誰かをお雇いになる方が効率的だと思いますわ。」
「そうですよ、玉緒さん。それに社長、わたし達を数時間放置とか平気でやりそうだし……。」
「…………。」
御尤も過ぎて立つ瀬がない。
結局、俺独りで初奈島中央駅へ向かう事になった。仕方がない、望は薄いが誰かさくら役になってくれそうな人を探す事にしよう。
……と思ったのだが……。
「は――い!どんどん入って!どんどん入って!」
「空車発見!はい、左寄って!左に寄って下さ――い!」
「あ……、あの……。ウチ空車なんやけど……。」
「あ、良いです。良いですから!入って、入って!」
「????」
中央バイパスを東向きに走って初奈島中央駅前交差点に接近すると、たった一時間弱しか経過していないにも関わらず、反対車線では何人かの誘導員が車道の左端に間合いを取って並んで誘導灯や大きな赤い旗を振り、先程とは打って変わって客が乗車していない車も分け隔てなくどんどん駅の中へ通している光景が俺の目に入ってきた。さっきまで頑なに空車を入れる事を拒んでいた様子を知っているこっちとしては、何だか狐につままれたような気がする。それは他のタクシーの乗務員も同様なのか、
「本当に入っても良いの?」
と異口同音に訝しんでいる。
接近してから初めてその姿を認めたが、東向きから西向きに転回出来る陸橋の傍の歩道にも警備服姿の誘導員が控えていて、俺の車に向かって誘導灯を振り上げつつ、橋を渡って反対車線へ向かうように誘導していた。
道沿いに並ぶ誘導員の指示に従って対向車線へ入り、そのまま道路の左側に車を寄せて交差点を左折する。今朝方の事が嘘のように、何の咎めもなく駅の中へ通されたので、俺はやっぱり拍子抜けした。
朝令暮改なんてレベルではなく即行で通行規制が撤廃された原因は、タクシープールに着いた時に明らかになった。タクシーに乗り込もうと順番待ちをする乗客で、タクシー乗り場の周辺が大混雑に陥っていたからだ。需給の均衡を保つ為に供給要因を制限しようと極端な施策を行った結果、やり過ぎて反対にその需要に追いつかなくなってしまったのだ。
大部分の利用者がタクシーを使う上に、元々人の流入が激しい駅である。空車のタクシーがさっぱり来なくなった事で、まるで堰き止められた砂防ダムの中の川の水の如く、あれよあれよというまにこういう惨状を呈してしまったのだろう。はっきり言って、始める前から容易に予想出来た状況だと思うのだが、これ程の大騒ぎになるまで市側が何の対策も取って無かったであろう所に、俺はある意味驚愕した。
当然の事ながら、普段は長時間の待機を強いられる駐車スペースもガラガラで閑古鳥が鳴いており、素通りをして歩道にクラウンを横付ける。兎に角客を捌く為に来る車来る車に機械的に放り込んで行くので、すぐに俺の車にも男が一人乗り込んだ。
メーカーは判らないが、如何にも高級ブランド品といった感じの、ホスト辺りが好んで身に付けそうな気障な黒いスーツをそれと感じさせずに着こなした背の高い東アジア系の、30前と思しき若い男である。ただ、黄色人種の割には彫りが深く濃い顔立ちと、襟の第一ボタンとすぐ下の第二ボタンを留めずに開けた白い薄手のワイシャツの隙間から垣間見える、痩せている体型にそぐわない筋肉質な肉体から、こいつ……日本人ではないな……、と俺は直感した。
「どちらまで参りましょう?」
「そうね……。まずは不枯桜を見に行こうかね。」
元々日本語が達者なのか、この世界では機械的に日本語へ翻訳されているのかは定かではないが、男のそれはかなり流暢な部類の代物だった。
「畏まりました。」
まずは……、という男の言葉の発し方に何処か突っ掛かった物を覚えたが、俺は彼の言う通り不枯桜へ向けて車を発進させた。
初奈島中央駅から南西の方、中央バイパスとの交差点から桜小路通りを真っ直ぐ下ったどん詰りに、初奈島市営桜公園という名の、海岸まで広がる東京ドーム一個分程度の規模がある大きな総合市民公園がある。そこの中心部、放射線状に5本延びた桜並木が交わるロータリーの、円形の植え込みの中央に、何時来ても満開で薄桃色の可憐な花を魅せつける不思議な桜があり、絶対に枯れない事から『不枯桜』と呼び親しまれている。
公園を走る通路は、歩行者専用の散策道等を除けば概ねアスファルトやコンクリートで舗装された、道幅6mから10m程度の広い道ばかりだったので、20km/hの徐行を厳守させられるものの、50G程度の入園料を払えば不枯桜の間近まで車で接近する事が出来るようになっている。
そして今俺は、男の要望に従って、不枯桜を囲むロータリーを時計回りにグルグルと、少なく見積もってももう50周以上もエンドレスで旋回していた。半径10mかそこらの小さなラウンドアバウトなので徐行しても20秒程度で一周してしまうとはいえ、いくら何でも周り過ぎだ。正直言って目が回ってクラクラする。環状の交差点の中に3本引かれた右方向へ周回する事を示す矢印表示や、芝生を囲み、ラウンドアバウトへの進入口に左折矢印と停止線が描かれた、同じ様に連なる桜並木も、目眩を誘発させる視覚効果を生んでいるようだった。
無駄に回る分料金が嵩むのは良いが、そろそろ勘弁して欲しいと音を上げそうになった頃、
「もういいよ。ありがとうね。」
と、ようやく男が俺に声を掛けた。
「御満足して頂けたでしょうか?」
内心ホッとしつつも、一応の儀礼として俺は後ろの男にそう訊ねた。やはり彼の口調から、不満が滲み出ている、というか引っ掛かりを感じたからだった。
ところが、俺の不安を余所に、男は朗らかに微笑むとこう口にした。
「うん、満足したよ。運転手さん。君、良い人ね。香港なら嫌な顔をせずにグルグル周り続けてくれる人、そうそう居ないよ。」
「それは……、どうも……。それで、次は何方へ参りましょうか?」
「そうね……。運転手さんは何処かお勧めな場所はないの?」
「お勧めですか?……そうですねえ。」
右にいっぱいに回していたステアリングホイールを逆方向へ回して元来た道へ左折しながら、俺は暫し考えた。そして、結局一番近い観光名所へ連れて行く事にした。
そうして、市内にある様々な観光名所に男を連れ回す内に、俺は男と名刺を交換し、色々な世間話を交わすようになっていた。
男、渡された名刺には黄 飛影という名と連絡先だけが印字されていた、は俺に、
「僕はね、香港から来たんだよ。」
と言った。
「香港……、中国の方なのですか……。」
道理で色んな意味で日本人ぽくない筈だ。俺は心の中で納得した。
「何時から此方の方においでになられたのですか?」
「今日だよ。」
「今日?!」
俺は仰天してうっかり飛び上がりそうになった。だって、訳が分からず混乱している人間特有の、あの狂気じみた悲愴感や絶望感が、彼からは一切感じなかったからである。右往左往している訳でも、思考停止して付和雷同している訳でも、諦念のあまり妙に達観している訳でもない。平静……、落ち着き……、いやもっと違う何か。兎に角、少なくとも同じ様にトリップを経験した俺から見るとかなり不気味に思う程、彼の仕草や態度は普通その物だった。
いや、態度こそ普通だがその行動も謎だ。普通、見知らぬ新しい場所に突然飛ばされたら、何はともあれ住居の確保(まあ、これは初めから用意されているが)とか、仕事を探して食い扶持を賄うとか、その世界での生活基盤の確立を最優先事項に据えるべきだと思うが、どうしてこいつは呑気に観光などやっているのだろう?そういうのはある程度色んな事が落ち着いて余裕が出来てからこそ出来るものではないのか?来て早々にこんな事をするなんて……、狂っている。
おかしい、否怪しいと云えば、黄の手首の機械に頻繁に掛かってくる電話である。
彼が中国語で話していたから会話の内容こそ推測不可能だったものの、その高圧的でたまに怒気を混ぜる激しい口調から、彼が何処かの組織で相当高い地位にいる事と、一見気さくな印象とは裏腹に剣呑とした性格をしている事が窺われた。
俺は車を走らせつつ、以前同じギルドの事業者である池田と加山と雑談をしている時に彼らが交わしていた遣り取りを朧げながら思い出していた。
「う~~ん、何と言ったら良いんですかね?何というか……、裏がある、っていうか……。そんな感じを漂わせている人が増えて来たよね。特にこの1週間で。」
「あ――――!解ります!解ります!お前絶対、こっち来る前に娑婆で何か良からぬ事をやっただろ!と云う感じの……。」
「そうそう、そんな感じ!服装も感じがいいし、言葉遣いも丁寧なんだけど、オーラっていうか、雰囲気がまんま裏稼業で、やーさんの匂いがプンプンしているのとか……。」
「分かります。分かります。絶対お前人殺っているだろ、っていう感じの奴とか……。」
ああ、そうか。あれはそういう意味だったのか……。確かに雰囲気とか、黄の節々から漂ってくるオーラは、俺達堅気の人間にはない何か物騒な物だった。
最後に、
「助鯉弱龍の滝を見たいよ。」
と男からリクエストされたので、俺は島の北部中央に広がる山岳地帯へ車を向けた。
真ん中に一際高く聳える標高千m弱の活火山を中心とし、本土の物には遠く及ばぬものの、緑の豊富な森林と有り余る水源地帯が広がる山々が連なっている。
そういう所だから、自然と温泉郷や水郷地帯が出来てリゾート化し、その中の象徴として、川が流れ込む深いすり鉢状の窪地の底にある活火山の火口が間欠泉と化して断続的に熱水を吹き上がらせ、水を一段と高い所へ押し上げるのでまるで滝が自然の理に反して逆流しているように見える助鯉弱龍の滝が崇められていた。直ぐ側を川に沿って市道が走り、車窓からも水が爆散して激しい飛沫を上げる様がよく見えるから、パワースポットとしても宣伝し易かったのだろう。今や島の中で定番の観光地の一つになっている。
俺に車を路肩に停めさせ、対向車線側のガードレールの向こうに見える間欠泉をかなり長い間ぼんやりと眺めていた黄は、近くにある温泉街で一番大きくて豪奢なホテルへ向かうように突然指示した。
言われた通りに車を発進させ、温泉街の奥まった所にある有名な5つ星ホテルの前に車を横付けると、事前に連絡があったのか、俺が後部座席の自動ドアを開けた途端、唐突に濃いサングラスに黒いスーツ姿の、柄の悪いSPのような屈強な男達が3人現れて整列し、その中の一人が要人をエスコートするように車のドアを手で支えた。黄と広東語で交わす遣り取りの様子から、どうやら男達は彼の部下か舎弟のような感じらしかった。
「高津さん、今日はありがとうね。僕、とっても楽しい時間を過ごせました。また、お願いします。……これ、お礼ね。」
俺の名刺を手渡したからか、俺の名前を親しげに呼ぶと、彼は正規の代金の他にチップとして100万Gも振り込んできた。
いきなりお礼と称して1千万円もポンと手渡されれば誰だって狼狽するだろう。俺だって例外ではない。あまりの金額に仰天し、桁を4つ位多く見間違いているのではなかろうかと3度もディスプレイに表示された数字を見直した。
「お……お客様!いくら何でも多過ぎます。喜んで頂けた事は運転手の冥利に尽きますが、こういうのはお気持ちだけで結構です。」
当然、常識的な感覚から受け取れないと判断した俺は、黄に辞退する旨を申し出た。ところが俺が返金しようとする素振りを見せるや否や、彼の笑顔から目だけ笑みが消え、彼は俺の左肩に右手を乗せてこう言った。
「高津さん。忠告するけど、僕の好意は素直に受け取っておいた方が、身のためよ。ありがたく受け取りなさい。その方が身のためよ、うん。」
そのあまりにも低く、脅迫じみて陰鬱な調子に圧倒され、二の句も告げられずにいる内に黄は俺から背を向けて降車し、肩の所まで右手を挙げてバイバイをするように俺に向けてヒラヒラと振りながら、3人の部下を引き連れてホテルの中に入り、そして消えて行った。
俺はその様子を呆然と眺めつつ、とんでもない者に関わってしまったかもしれない、と言い知れようのない不安に駆られていた。
現実世界で居場所を奪われた、マフィアやヤクザといった裏社会の人間達の安寧の逃亡地として、またそうした人間達の多額の資金の流入先として、リライフが利用されているのを俺が風の噂で知ったのは、まだ大分先の事だった。