第十二話:新車購入!
>>新太郎
朝食を終えると、俺はその場で他の3名を集めた。
「それでは、これから夜まで自由時間にしようと思います。夕食の時間になったら部屋に集合して下さい。それでは解散!」
「え?」
異口同音に呆気に取られたような彼女達の反応を見て、逆に俺の方が驚いてしまった。
「え?って何だよ?そんなに変な事を言ったか?」
「え……?だって……、何か手伝う事は無いんですか?社長。」
「何も無いぞ。基本的に空の車を展示して置くだけだし。たまに見回りに行くかもしれないが、放って置いても大丈夫だ。」
「…………。」
「それにどっちにしろ、車のスペックや改造箇所を具体的に答えられるのはオーナーである俺位だろう?手伝ってくれるのはありがたいけど、今回は気持ちだけ受け取っておくよ。今日明日はやる事は無いし、食べ物とかの模擬店も出ているそうだから、ヨネさんと二人で祖母孫水入らずで楽しんでくればいいさ。そういう訳で、解散!」
寄り添うように去って行ったヨネさんと香澄の背中を見送ると、俺は玉緒と二人っきりになった。
「どうする?お前も一緒に行くか?」
「ええ……。でも何処に行くんです?あなた……。」
「なに、付いて来れば分かる。」
俺はそう言うと、玉緒の手を引いてゆっくりと、だけど内心では少年の時に感じたそれのように高ぶらせながら足を踏み出した。
よし!新車、買うぞ!
公園の敷地の東端、サーキット場と隣接する駐車場の一角に、タクシーとは違う大量のピカピカの新品の自動車と、それの周りを囲むようにわんさかと大勢の人々が群がっている。そして今、明らかに青筋を立てて機嫌を損ねている玉緒と、バツが悪くて恐縮している俺もその中に居た。
「付いて来いって、こういう事だったのですね?あなた……。はぁ……。」
「見るだけ!見るだけだから!」
溜め息混じりに浴びせられる女房の怒声を掻い潜りつつ俺は懇願した。だって、この祭りの期間に合わせ、様々な自動車屋がタクシー向けの車両をバーゲンセール特価で大放出しているのである。この好機を見逃すなんて事は出来なかった。
人混みに巻かれ、妻と手を結びながらふと周囲へ視線を向けてみる。
『セドリック営業車、クラウン営業車、その他各種営業車格安大放出!タクシー向けコンフォート営業車2L車体本体価格7万Gをセール5万5千G~販売!その他事業用自動車のお求めは中川自動車へ!』
『メルセデス・ベンツ、VW、BMW、アウディ、オペル……ドイツ車専門ディーラー七瀬商会』
等と書かれた、赤や黄色といった派手な彩りの看板や上りなど、彼方此方に『特価』『セール』『安売り』と云った文字が踊り、そうした間に『8万5千』とか『120,000G』と表示された大きな値札をフロントガラスに張られた光り輝く鏡面のように磨き込まれたセダンやミニバンが、威風堂々と陳列されている。
法人だけでなく個人タクシーの需要にも応えているので、主に高級セダンを中心に古今東西、日本や欧米の有名メーカーやその他の中小のアジアンカーの歴代のフルサイズカーやミッドサイズカーが一堂に会しているのだ。しかも、左側交通という道路事情に合わせてほとんど全てが右ハンドル車なのだから面白い。だから車に興味がなくても興奮や熱気が伝播しているのか、玉緒の気色も落ち着き、俺達は一緒に色々な車を見て回っていた。
「あ!あなた見て!この車、面白くて可愛い。」
そう言って玉緒が指さしたのは、介護タクシー用にとあるフランス車専門店の店頭に展示されていた黄色い5ドアのルノー・カングー2だった。
「まあ、そうだな……。」
と同意したものの、俺ははっきり言ってこの車が好きではない。というよりフランス車全体に言える事だが、毛色が合わない。フランスという国もフランス料理も好きだが、どういう訳かフランス車の灰汁が強いセンスが好きになれない。
いや、勿論フランス車を否定する心算は毛頭もない。寧ろ冷徹に分析すれば、目の前のカングーも然り、性能も発想も使い勝手だって申し分のない、十分に考えて作り込まれた物だと思うし、あのフワフワとした柔らかい足回りだって石畳ばかりのパリの街並みを颯爽と駆け抜ける為に導きだされた物である事を考えれば、かつて西欧でフランス車が席捲し、多くの人々を虜にしてきた事だって納得できる。特にコンパクトカーとカブリオレに限って言えばルノー、シトロエン、プジョーの3社ともに秀逸なモデルを輩出してきた事は間違いない。それなのにも関わらず、何故だか俺はフランス車が好きになれなかったし、勿論所有してハンドルを握ろうとも思わなかった。
だが最近になって、その理由が薄々と自覚できる様になった。単純に許せないのだ。コンパクトカーを作るノリでミッドサイズ以上の4ドアセダンを拵えている事に。そしてその強烈で奇抜、且つ個性的なデザインセンスによって隠されているものの、大きなセダンなのに随所にコンパクトカーのデザインの流用によって生じた歪さを垣間見てしまう事が不快でしようがないのだと。
だから、少しの間玉緒に付き合って外観を眺める事はあっても、到底試乗なんてする気になれなかったし、当然の事ながら購入などとんでもなかった。
しかし、屋外に置かれた展示車両を見ていた俺達に気が付いたのか、30m程離れた仮設用の白い天蓋のテントの中から、スーツを着た若いディーラーウーマン、それもかなり化粧が濃く、茶髪でボサボサとしたポニーテールの品のないギャルが、その不細工な顔面を更に面倒臭そうな面持ちにして俺達の所へトボトボと歩いて来た。
「いらっしゃいませ~。試乗なされますか?」
ただでさえ買う気が無いのに、変に鼻に付く妙に高い声にイライラとしてますます購買意欲が減退した。
「いえ、単に目が付いて見ているだけですので……。」
「今ならナビとサンルーフ付きで1.6リッター車が3万8千Gからお買い求めになれますよ。如何ですか?」
断ったのにも関わらず、その姉ちゃんは俺達を引き留めるようにしつこい位に迫ってきた。
「すみません。悪いけれど見ていただけでカングーを購入する気はないんです。介護タクシーの営業許可を持っている訳でもないですし。」
「でしたら、タクシー用じゃない一般向けの物も御用意する事が出来ますよ。」
「だから、カングーを今買う心算は無いんだって!私の趣味じゃない!」
思わず声を荒げ、そのまま玉緒を連れて店を後にしようと思ったが、女店員は咄嗟に興味深げにカングーを眺めていた玉緒に狙いを定めた。
「なら、奥様。お気に召されたのなら奥様のお車として1台如何でしょうか?」
「え?えっ、ええ?!」
突然話しかけられた所為か、戸惑った挙句玉緒は彼女のペースに飲み込まれそうになったので、俺はすぐに助け舟を出した。
「家内は車の免許を持っていないんだ。それに私だって自分の気に入らない車に態々金を払ってまで乗りたい性分じゃないのでね。失礼させて貰うよ。さあお前、行くぞ。」
無理やり玉緒の手を引いてその場を立ち去ろうとした所、
「では、今日はどのようなお車をお探しに来られたのでしょうか?」
と後ろから声を掛けられた。仕事熱心と言えば聞こえがいいが、ここまで空気が読めていないと往生際が悪いという方がしっくりと来る。しかも見掛けによらず無駄に言動が慇懃である故に、無碍に断り辛いので余計にたちが悪いと感じた。
「ん、まあ……。フルサイズ……。Eセグメント級の4ドアセダンがあれば買おうかな、とは考えていたけれど……。」
すると女店員はパッと明るい笑顔を俺に向けると、
「でしたら、お客様にぴったりの車が御座いますよ。」
と、車が並べられた中を奥の方へ俺達を案内した。
「此方なんてどうでしょう?」
そう言って女店員が指し示した先には2台の乗用車、黒いルノーのラティチュードの2010年モデルと、フランス大統領の専用車でもあったシルバーメタリックのシトロエンのC6の2005年モデルだった。
ラティチュードの方はセダンらしいセダンだったが、残念ながら俺の食指は動かなかった。いくらルノー・サムスンが製造元だとはいえ、レクサスLSの40系とACV40系カムリを足して2で割ったような風貌はどうにかならなかったのか?オーソドックスなセダンは嫌いではないが、幾ら何でもこれは酷い。大体自車の旗艦車種に子会社のパクリカーを持って来るってどうなのよ?そもそも安い韓国車として購入するならこんな質の悪い内装でも、まあ嫌いではないからこれはこれでありかなとも思うが、富裕層向けの仏車として買うとなると話は変わってくる。最安値で12万Gは流石にないぞ。こんなの買う位なら素直に日産車を買った方が千倍はマシなレベルと言っても良い。
対して、シトロエンのC6の方は、良い意味でも悪い意味でもフランス車といった趣を感じる。3LのV6エンジンと聞くと最上級の旗艦車種とすれば弱い気がするが、フルサイズとしては十分なレベルだし、何よりも大統領専用車として採用されているだけあって豪華、しかも優雅で堂々とした風格をした彼の国を象徴するような車だと言って良い。限りなく『変』の一言で集約できるその前衛的なスタイルに言及しなければの話だが……。俺のように日独米でよく見かけるような正統的なセダンを良しとする人間は、ほぼ全員が一目見た途端に拒否反応を起こすのではないのだろうか?
Cピラーから緩やかに下るルーフとDピラー、そしてそれらに囲まれた大きなリアサイドウインドウ。そして一見ステーションワゴンかと思いきや、一番後ろにオマケのように取り付けられたトランクリッドが物凄い存在感と違和感を発している。まさに賛否が激しく別れる奇妙奇天烈な容姿を持った車である。
個人的な感想を言えば、どうしてシトロエンはこの車を普通に5ドアセダンにせずに4ドアセダンに強引に仕立て上げたのか?正直理解に苦しむ。実際この車の先祖に当たる、LXやCXは普通の5ドア車だった。ひょっとすると名車DSのリスペクトやオマージュとしてこんなデザインに拘ったのだろうが、Cピラーの後ろにある大きな窓と、地面と平行に伸び、その後垂直に線が落下する直線志向のトランクリッドが全てを台無しにしている。
もっと言えば内装がとんでもなく酷い。車内の其処彼処から漂ってくる違和感が半端ない。
先ず目につくのはインパネのコクピット側の計器類が収められている部分である。センターコンソールの真上にナビを持ってきた上に、今や懐かしさも感じられる液晶デジタルメーターも格好良いし好感が持てる。だがその計器類の上に覆いがされていないのは何故なのだろうか、普通の車を乗り回してきた者にとってはとても尋常ではなく感じられる。なら徹底した左右対称主義かと思いきや、よく分からない液晶パネルの基盤の所為でセンターコンソールのエアコンのダクトが助手席側に一つしか付いていなかったりして、微妙に左右非対称になっている所があるから気持ちが悪いったらありはしない。
次にハザードランプのスイッチがセンターコンソールの一番下、シフトノブの正面という凄く押しにくい場所にある。緊急時以外にも他車とのコミュニケーションや客の乗降時など、普段からハザードランプを多用する事が多い俺達にとって、使い難いというのはある意味致命傷で有ると言ってもいい。これならまだハンドルの裏のステアリングコラムの上にセットされている方がずっといい。
しかも、まあこれはこの車に限らず左側交通の国の車に共通する事かもしれないが……、左ハンドルから右ハンドルへ仕様変更した時の仕事が雑過ぎる。特にフロアシフトのゲート構造、上から見るとトヨタ系のそれを左右逆にしたようなレイアウトをしていて凄く使い難い。それもその筈だ。左ハンドルも全く同じ物が填め込まれているからな。つまり右手なら操作しやすいシフトチェンジゲートを右ハンドル用に左右反転させずにほぼそのまま流用しているのである。そこは手間を惜しまずに左右反転した右ハンドル車専用品を拵えろよ、と切に思うのである。
でもこんな物でも絶賛する人も居るんだよなあ。まあ、人と違う物に乗りたいのなら、これ程までに適切な車もないとは思うけれど、やはり俺の趣味ではないと改めて思った。あえて褒めるとすればシートがふかふかとして柔らかい事位だが、正直な話柔らかい座席よりも固くても良いからホールド性の高いレカロみたいな物の方が運転していて疲れないのだが……。前席後席共に足回りのスペースにもそれなりの余裕が感じられたが、フルサイズの高級車なら足下の空間も広くて当たり前だ。窮屈だったらそれこそ車としてどうかと思う。
「どうですか?中々に宜しいでしょう?」
余程自信があるのか、販売員はしつこく俺に薦めてくる。
「ん、まあ……。悪くはないな……。」
俺の方も真正面から批評する訳にもいかないので軽くお茶を濁した。
「では、御試乗なされますよね?」
何故そうなる?笑顔で俺に車の鍵を押し付けて来た店員の顔をしげしげと眺めつつ、その場の流れで仕方なく俺はC6の運転席に乗り込んだ。
助手席にディーラーの姉ちゃん、後部座席の左側に玉緒が乗車した事を確認すると、俺はUSBチップの様にリモコンキーから鍵の部分を引き出すとスロットに突っ込んだ。
エンジンが軽快に作動し、目の前の液晶のデジタルメーターが点灯し、ナビが立ち上がる。
試しにハザードなどのボタンを押したり、ブレーキを踏みながらガタガタとシフトノブを動かしたりしてみる。新車だから当たり前だが、特に不具合は見られなかった。
「試乗ルートの方はわたしが御案内させて頂きますね。では、まずは左の方へ進んでください。」
そう案内する嬢の指示に従い、フォグランプを点けて左ウインカーを点滅させると、発車措置を施して俺は車を発進させた。
駐車場の通路を左に進み、店から出てさらに左折し、駐車場に接するサーキットの入り口へ向かって徐行する。
駐車場からサーキットへ進入するピットの中に入り、他の車と共に二列縦隊でコースインする順番待ちをする。
ふと、周囲を見渡す。C6の前には黒色のポンティアックの9代目ボンネビルが、その右隣に白い200系クラウン。C6の右隣には銀色のBMWの5代目3シリーズのセダンが静かに停車し、その後ろに銀色の200系ハイエースと白い第2世代のシボレー・アストロが並んで停まっている。
場所は違えど、この世界に来てから何気に見慣れた異様な光景だ。本来なら日本に供給されていない、手に入れるのに非常に困難が伴うヨーロッパや北米やその他の国々の専売車が日本専用車と肩を並べてその辺を走り回っている。しかも本来なら有り得ないそんな光景も、殆どが右ハンドル車で日本の物のようなナンバープレートを付けている所為か、ごく普遍的な風景に感じられてしまっている。
そう言えば、街並みにしてもこの世界は変化に富んでいるように思う。同じ様な近代的な都会の街並みでも日本的な場所もあれば北米を彷彿とさせる物もあり、またヨーロッパのように石畳の道が続く街もある。そしてそれらの都市を長大な高速道路が結び、色々な車が走り回っている。
今、車の走行音が響いているサーキットだってある意味そうした物の縮図みたいな物だろう。
ピットから右側に出る形で本コースへ合流する。そしてその合流口の手前に停止線と縦型の信号機が2台設置され、時差式のリレー方式で交互に点灯し、右車線と左車線の車を1台ずつ合流車線へ吐き出している。
BMWに続いて、自分の右方で道路の真中にある車線上に設置された信号が青に変わった瞬間アクセルを踏み込んで発進する。そしてスピードを出しながら本線に入り、最初のコーナーの外側を周りながらスピードを乗せていく。車体の大きさとエンジンの仕様の割にはレスポンスが早く思いの外加速が良かったので、俺は思わず、
「おっ!」
と軽く叫び声を上げてしまった。
「どうですか?お客様。中々の物でしょう?」
「まあ、確かに。」
意外だった。あの前から後ろになだらかに流れるルーフの構造や中途半端なトランクリッドが、単なる優雅なフォルムや奇抜なデザインというだけでなく、空力的な意味でかなりの効力を車体に発揮している。屋根の形状は前から流れる走行風を華麗に受け流し、それを受けたリアの直線構造のトランク部分がうまい具合に空気の渦を創り出し、下向きのグランドエフェクトを発生させている。それ故に高速走行中の車体の安定感がとてつもなく強い。これがエンジニアの狙った物なのか、それともデザイナーの偶然の産物かは定かではないが、相変わらずフワフワした落ち着きのないサス周りを考慮したとしても、この車を絶賛する人が少なからずいる理由もよく解る。今もって好きにはなれないが、金を払う以上の対価が十分得られる位の価値は確実にある。俺自身は購入する気は全く無いが、もし知り合いにこの車を買う事を検討している人が居れば、俺は喜んでこの車の素晴らしさを力説してその人の背中を押すだろう。デザインさえ受け入れられれば文句なしに満足出来る、云わば奇乳や魔乳やフタナリものの傑作エロゲのような車だからだ。
全長5km程のグニャグニャとカーブが続くサーキットコースを3周してピットインする。駐車場へ戻り車を店まで回想する道すがら、隣に座る店員に話し掛けられる。
「どうでしょう?お気に召されましたか?」
「う~~~~ん……。悪くはない。悪くはないんだけどなあ……。正直エクステリアデザインがやっぱり性に合わないや。ただ、車自体は凄く良いから買ってもいいかなとは思う。尤も、他の店も回ってみたいから、今ここで即決する訳にはいかないけれどね……。」
適当に茶を濁して車を元の位置に戻してキーを店員に返すと、俺と玉緒はそそくさとそのディーラーを後にした。
フランス車専門の自動車屋から出て近くにあった休憩所のような所で昼食を摂り、少し進むと、北米ブランド全般を取り扱う、以前からグランプリやコンコードやカプリスといったビッグ3系のブランドの車を購入する度に世話になっている店が展示場を展開しているのを見掛けたので、俺は玉緒を引っ張ってその中へ入って行った。
「おお、凄い!とうとう11年モデルのチャージャーが出たのか!」
車が所狭しと並べられた展示場の真ん中に鎮座していた1台の白いセダンを見て、思わず俺は声を上げた。それは最新型のダッジ・チャージャーの3.6LV6モデルだった。
フロント側はウインカーの位置が少し変わり、やや顔立ちが厳つくなった事を除けば大して変化していなかったが、リア側は一転して信じられない位に格好良くなっている。
恐らくチャレンジャーのオマージュだろう。マイナーチェンジ前の小さな台形型のリアコンビランプとは打って変わり、ハザードランプとバックアンプランプを取り囲むように何百個もの赤色LEDで左右が繋がった細長いテールランプを与えられている。
サイドのデザインも様変わりしたようで、地面と平行に走っていたドアの縁のラインが、フロントフェンダーからリアフェンダーに向かって滑らかに駆け上がっている。
そして何よりも一変したのは、内装のインパネのデザインである。いくら何でもこれは変わりすぎだろう……。全く別の車になってしまっている。勿論良い意味で!これだよ。これこそ俺が待っていた有るべき姿のスポーツセダンだよ。しかも現実には存在しない右ハンドル仕様である事が余計に俺を余計に興奮させた。
玉緒の呆れた視線を感じつつ食い入るように四方八方から車を眺めていると、グレーのスーツを着た男の店員がスタスタと俺達の方へ近付いて来た。
「お客様、興味がお有りなら、試乗なさいますか?」
「出来ますか?」
「外に試乗用の車がありますから、お客様さえ宜しければすぐにでも御用意致しますが。」
「是非お願いします。」
そんな訳で早速試し乗りをしてみる事にした。
先の店員が簡易店舗の外へでて少々たった頃、パンッ!と軽快に響くクラクションと共に真紅のチャージャーが静かに滑り込んできた。
店員と交代して運転席へ腰を下ろし、ドラポジを調節する。
「レバーの位置が日本車とは大分異なりますので、不慣れな方だと判らない事が多いと思いますが……。」
「大丈夫です。私もメルセデスとかキャデラックとか、この辺の欧米車を乗り継いでいますから。大体の勝手は判っています。」
そうは答えたし、実際に見ればどれがどのスイッチかは一目で判別できるものの、一応コクピットからセンターコンソールにかけて見渡してみる。
この世界のアメ車は、外観は本国仕様のそれにかなり近いが、中身は日本仕様以上に日本仕様らしく造り込まれている。
まず、しつこいようだが右ハンドルである。
そして、速度計がマイル表示ではなくキロメートル表示で、この世界では普遍的な270kmまで指す事が出来る計器を取り付けられている。また、オートエアコンの温度表示が華氏ではなく摂氏で示すように変更されている。
更に、ドアミラーのデザインが部分的に修正され、電動で角度を調節するだけでなく日本車のように折り畳んで格納出来る機能が付け加えられている。
同じ様な車社会でも、日本とアメリカの車の大きな違いの一つに、日本では独立した橙色の灯火でなければウインカーが、アメリカでは赤色燈のままテールランプと共用させる事ができるという物がある。だが、この世界は日本の車両法に基本的に遵じているので、このままの状態だと違法車両になってしまう。
そこでその対策として、ウインカーの電球だけ緑色の物が使われている。これならレンズカバーの色自体が赤くても、ランプは橙色に点るので、目出度く合法車両として認可させる事が出来るのだ。
この車も当然のように同じ様な処理が車体に施されている。しかもありがたい事にC6とは違ってこの車には右ハンドル用にシフトゲートの形が反転して造り直してあるから違和感というものがなく操作もし易い。ハザードランプのスイッチも手の届きやすい所に設けられているからハード面で特に不満に思うところはない。何よりもスポーティーで格好良いだけでなく正統的なFRセダンである事も評価のしがいがある。FFだって好きだし、運転し易いから好んで乗車しているが、やはり少々トリッキーで危険な側面を持つ後輪駆動車の方が運転していて楽しい。
それに、C6もいい車だったけれど、やはり同じV6型エンジンで600ccの差は大きい。何というか、余裕の有無の差が予想以上に大きい。C6が優美だがピョンピョンと池を跳ね回る錦鯉だとしたら、チャージャーは巨大な水槽の片隅で存在感を放ちながらひっそりと貫禄を持って佇むアロワナみたいな物だろうか。低く静かに唸るエンジン音、踏み込めば静逸だが力強い加速がダイレクトに、そして踏み込み具合に正確に反応して車体を前へ押し出していく。たとえ低速でも実感できるゆとりもさる事ながら、驚くべきはこのクラスのエンジンを積んでいるにも関わらず、この車が同車種の中でも最下位にあたるグレードだと言う事だろう。5.7LV8の最上級のSRTとかどんな化物なのだろうか……?そんな大排気量車だと燃料の食いっぷりや維持費が半端なく高いのでとてもじゃないが買う事が出来ないが、嫌でも気になってしまう。
そうそう、燃料といえばこの車のエンジンには気筒休止システムが使われていて、低速時や巡航時には一部のピストンを止める事で車を低排気量化し、その分の燃料を節約できる機能があった筈だ。
「ねえ、この車のエンジンって、気筒休止システムは付いているの?」
「いえ、気筒休止はSRTだけですからこの車には付いてないですね……。」
残念。でも3.6L位なら別にそこまで燃料を食うわけでもないか……。
「ぶっちゃけた話。大体実燃費でどの位走れるの?」
「ウチの社員が実測測定した場合ですけど、大体高速で10km弱ってところでしょうかね。」
まあ、このクラスの高級車ならそんなものだろう。日本のクラウンやフーガだって実測値ではそんなものなのだから、アメ車だから燃費が悪いとは思わなかった。
高速巡航の動きも素晴らしい。大柄のボディーなのにも関わらず、俺のハンドル捌きに細やかに反応してクイックにカーブを曲がって行く。これ位高性能なら、少なくとも日常的な範囲で不自由する事はあまり無いだろう。狭路での擦れ違いを除けばの話だが……。
ピットインして店の前まで帰ってきた。
車を降りた後、後部座席に座ったりトランクの中を覗いて見たりする。これだけ広ければ十分だ。だから、俺は店員にこう声を掛けた。
「これ、買うよ。」
「ありがとうございます。では此方へ……。」
「ちょっと、あなた!」
すんなりと具体的な商談へ移行していた最中、水を差すように玉緒の怒号が飛んだ。
「ん?お前、どうした?」
「どうした?じゃありませんわ。何で勝手に話を進めているんです?また車を買うだなんて!」
「別に良いだろ。俺が稼いだ金なんだから、俺が何に使おうが……。」
「あなたが良くても、わたしが良くないんです!」
ちらっと妻の顔を見ると、熱気がこっちにまで伝わる程顔が赤くなっていた。相当お怒りのようである。
俺は売買の話し合いをする為に腰を掛けていた椅子から立ち上がると、玉緒の方へゆっくりと接近し、正面から彼女を抱き締めた。
「…………っ!あ、あなた?」
「玉緒、この埋め合わせはきちんとするし、今まで以上に稼いで帰られるように頑張るから。……今回は勘弁してくれ。頼む!」
「…………ふぅ……。」
頭を下げる俺を、苦虫を潰したような表情で見つめていた玉緒は、まるで何かを悟ったかのように小さくて短い溜息を吐き出した。
「もう……、勝手にして下さい……。」
玉緒のお墨付きも無事得られたので、商談を進める為に再び席に着く。
「取り敢えず、3.6LV6のラリープラス。ボディーカラーはシルバーでインテリアは黒。これは確定で。」
「オプションの方はどうしましょう?」
「エアバックやABSとかは標準装備だからなあ……。あと基本、必要になるのはカーナビとセキュリティーシステムかな。あっ!それと、このタクシー改造オプションも絶対に必要だ。……お!こんな装備まで付けられるのか?!これはいいなあ……。」
俺はメーカーオプションを適当に選択すると、売買契約を結び、契約書にサインをして料金を支払った。締めておよそ15万8千G、下から3番目位、同じエンジンを積んだグレードとしたら最上級の物だったから、決して安くはないがいい買い物が出来たと思った。
もう既に夕方になっていたし、初奈島まで陸送して貰う手筈も整えたので、待ちぼうけをさせていた玉緒を連れて店を出ようとした所、またしても三池とすれ違った。どうやら近隣の店で車を見て回っていた所らしい。
「あ、高津さん。」
「よっ!」
「ええっと……、その人は?」
「ああ、これ?ウチの愚妻。」
「主人がいつもお世話になっています。」
「ああ、此方こそ……どうも。……ところで、高津さんも車を見てきたんですか?」
「ああ、というより丁度今し方、あそこにあるチャージャーと色違いの奴を買ったばかりだけれどな。」
「うわあ。出たてホヤホヤの車をもう買ったんですか?」
「安かったからな。」
「いくらでした?」
「オプションと税金込みで大体16万弱だった。」
「うわあ!高い!」
「新規モデルでもある上に、下位グレードだとはいえ腐っても高級車だからな。……ところで、三池君。君こそ何しに来たんだ?ここ、ゼネラルモーターズとフォードとクライスラーのブランドしか扱っていないぞ。」
「いやあ、色々見ていたんですけど……。アメ車のタクシーってのも面白いかなあって思って。何か無いかなあって思って。」
「まあ、色々置いてあるから見てみればいいんじゃないか?」
漠然と言われてもよく分からないので、俺は首を傾げつつも三池に提案した。すると、三池も呟いた。
「そうですね。ところで、ここってどんなメーカーの車が置いてあるんですかね?」
「俺の知る限り、キャデラック、ビュイック、GMC、ポンティアック、シボレー、サターン、アメリカン・モーターズ、オペル、ハマー、デロリアン、フォード、クライスラー、ダッジ、ダイムラー・ベンツ、ジープ、プリムス……は置いてあった事があったな。ひょっとしたら他にも昔のブランドを扱っているかもしれないが、大きな車にそこまで興味がある訳じゃないから分からん。」
俺だって決して小さな車を乗り回している訳ではない。寧ろ世間では大きな方に分類される車を運転している訳だが、流石に全長6m近く、幅ほぼ2m、ホイールベースまで3mを超えて来るような本当の意味でのFセグメントクラスのフルサイズカーとなると、V8エンジン等の車両の重量の重さも相俟って一気に取り回し辛くなる。
だから嫌いではないが、昔からあるような大型のフルサイズの自動車は敬遠していたし、戦後、特に二度のオイルショック以後は殆どがダウンサイジングして普通のEセグメントクラスカーになった挙句、残ったとしても日本に入って来なくなったので、本当に有名な物以外はその手の車種に疎く、バッジエンジニアリングも当たり前のように行われている分、どれ位のブランドが取り扱われているのかは知らなかった。
「兎に角、立ち話しているのもあれだから、隗より始めよって言葉もあるし、まずはその辺にあるのから片っ端に見ていけば良いんじゃないか?一言でアメ車って言っても色々あるよ。」
と、俺はすぐ傍のテントの外の展示スペースに停められている白いポンティアックの7代目グランプリを指さした。
三池はこの車の事を知らなかったのか、車の後ろに回ってエンブレムを確かめた。
「え~~~~っと……、ポンティアック……グランド・プリックス?(GRAND PRIX)」
「グランプリだ!ポンティアックブランドの北米専売車だよ。」
「へ――――。」
三池は右側の運転席へ回り込むと、ドアを開けて中を覗き込んだ。
「うわっ!すげえ!変わった造りをしていますね。」
「まあ、無駄に沢山付いたエアコンダクト、大きなデジタル液晶インジケーター、外装の割に貧相な内装……。ある意味ポンティアックのお家芸だったな。最終型ボンネビルも結構凄かったぞ。こっちはダクトが6個もあるけど、向こうは8つだしな。」
「へ――――。」
そう生返事しながら、三池はキョロキョロと辺りを見回していた。
「そう言えばこの車、ハザードランプのスイッチが見当たりませんね。」
「ん?付いているぞ。」
「え?何処に?」
「ほら、これだよ。」
俺は車内へ半身を乗り込むと、ステアリングコラムの真上、ステアリングホイールのすぐ裏側にちょこんと貼り付いている黒いハザードランプのボタンをポチッと押した。それと同時にチッカッチッカッチッカ……と正反対に向き合った2つの緑色の光の矢印がリレー音に合わせて速度計の上で点滅し始めた。そしてまたボタンをカチッと押すと、ハザードのインジケーターは消え、車内はまた静かになった。
「へ――――、こんな所に……。」
「昔は多かったみたいだけれどな。今は日本車も欧州車も助手席からも押せるセンターコンソールの上にハザードのスイッチを持って来る場合が殆どだけど、今でもアメ車はこういう場所に置いてあるのが多いから、知らなかったら大変な事になるぞ。」
しかも、普通ハザードランプのスイッチといえば、ボタンに描かれている三角板を模した二重三角形が赤く塗られていたり、白いままでもボタン全体が赤く塗られていたりといった、パニック時でも目立つように配慮されている物だと思うが、この手の車のボタンはそういう処理がなされていないから、ここに付いている事もあると云う事を知らなければ、何時までも馬鹿みたいにスイッチを探す羽目になりかねない。
そういう意味では、アメ車はあまり初心者には優しくない車だと思う。
まあ、そんなこんなで、後は一人で何とか出来ると言い張る三池と別れ、俺と玉緒は香澄達と合流する為に歩き出した。