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第十一話:イベント当日・朝

>>新太郎

『ようこそ真砂市へ、そしておかえりなさい。』

『ここから真砂市』

 市章と一緒にそんなメッセージが書かれた看板が、薄い緑色に染まった草原と森と、所々に点在する畑と住宅が寄り集まった小さな集落達を突っ切る高速道路の傍らに立て掛けられている。

 もう午後の3時を過ぎているが、夏場だからまだまだ日は高い。この分なら確実に日が高い内に目的地に到着出来るだろう……。何だかんだと20時間以上運転してきた疲れが溜まったのか、固まってゴキゴキと軋む両肩と首の痛みに閉口しつつも、後もう少しすれば存分に休憩できる、それまで頑張れ、俺!と自分の身体に鞭打ち、気合を入れて俺はステアリングホイールを握り直した。


 ICのETCで料金を精算し、穏やかな丘陵地帯を走る一般道R9を海沿いに西南へ南下する。周囲には地表にうっすらと草木が生えた砂丘が広がり、向かって左側には藍色に輝く透明な深淵が何処までも広がる海洋が臨んでいる。そして、レパードは黄色い中央線が一本だけ引かれた黒々としたアスファルトのなだらかなカーブが続く片道一車線の対面道路を、前を走るR33スカイラインや3代目ボルボ・V70に続いて100km/h程度のスピードで順風満帆に流していた。

 たまに道の左右に住居や商店等の一軒家のような小さな建物や狭い田畑が唐突に現れる以外は何もない長閑な田舎道が何処までも伸びている。気のせいか対向してくる車も、勿論基幹路線故に大きなトラックが主体である事には変わりないが、3台か4台に1台程度の割合で、ミラやアルトのような軽自動車とか、ハイゼットやサンバーといった軽トラに遭遇する確率が高くなった。だが、その代わりタクシーとすれ違う回数はグッと減ってしまった。いや、並走している事は並走しているのだが、どれもこれも今回のイベントに参加するらしき他市ナンバーの個人タクシーや法人企業の車ばかりで、地元のタクシーは殆ど見かける事は出来なかった。

 こう云う無駄に広大なばかりで人が少ない田舎だと、流し運行ではとてもじゃないが採算が取れないので、専ら迎車運行が主体となる。そんな事を人伝に耳にした事があるが、まさかここまでとは思わなかった。


 やがて道は海から逸れ、やや内陸の丘陵地帯の上の方へ登って行き、やがてイベント会場である真砂市営総合市民公園に到着した。

 壮大な自然が視界いっぱいに広がる、東京ドーム3個分程度の広大な敷地に、キャンプ場や各種スポーツ施設、遊技場やキャンプ場といった諸施設が点在する、公営施設の為に格安で利用出来るレジャー施設である。

 その一角にある、2千台以上収容できる大駐車場と、隣接する1万人位までなら野外イベント広場、そしてF1やスーパーGTといった公式種目でも使用可能な本格的なモーターサーキットコースが主な会場として使用される予定だと、事前に主催者側から届いた書状から俺はそう聞いていた。


 前を走る白い40系カムリの前期型の個人タクシーの後ろに着くように、駐車場のゲート前に続々と一直線に連なった車列にハザードを点滅させながら並んび、俺は車を停車させた。

 駐車場のゲートに入ると、アイボリー色のジャージを羽織った、左手にタブレット型の銀色の電子端末を持っている一人の若い男のスタッフがやって来たので、俺は窓を全開にした。

「こんにちは!御苦労様です。参加者の方でしょうか?」

「はい、そうですが……。」

「名前と所属、登録番号を口頭でお願いできますか?」

「あ、はい。……高津 新太郎。個人タクシー連合所属個人タクシー事業者高津タクシー。登録番号は確か……。」

 俺は係の人から目を逸らすと、スーツのジャケットの左ポケットに丸めていたメモ帳の紙片を出して広げた。

「00681!」

 俺がそう答えると、目の前の男は俯いて手元のタッチパネルに何かを打ち込んでいった。

「はい!ナンバー00681、高津様ですね?確認しました。H区画の41番になります。このゼッケンをフロントガラスの外からよく分かる場所に貼り着けて下さい。中で改めて誘導員が誘導しますので、係りの者の指示に従って進んで下さい。」

 そう言うとそのスタッフは俺に、ゲートの発券所の中にある灰色の特殊複合プリンターが吐き出した『0068番個人タクシー連合所属・個人タクシー・高津タクシー事業所H-41』という表記と共に個人タクシー連合のギルド章が大きく印字された白いアクリルパネルのゼッケンボードを手渡した。

 俺はそれを受け取ると、ダッシュボードの運転席側、計器類を収納する為にそこだけ大きくぽっこりと膨らんだダッシュボードカバーの裏側に手を伸ばし、そこに置いていた運行記録書が挟まれた黒いファイルをセンターコンソールと運転席のシートの隙間に縦にして挟み込み、代わりに今し方渡されたそれを立て掛けた。ちょっと寝かせ気味になってしまったが、前からなら車外からも見えないことは決して無いだろう。


 見渡す限り白線と黒々とした舗装されたばかりアスファルトが何処までも続くただっ広い駐車場の構内では赤く明滅する誘導灯を手にした数十人のガードマンが交通整理を行っており、車で接近すると、誘導灯を左右に振って行き先を指示している。

 そして導かれるままに駐車場の中を進んで行くと、やがて左右に一台ずつ駐車スペースを空けて横列駐車する色とりどりのタクシーの群れが俺達の目の中に飛び込んで来た。


 帝都無線、八栄タクシー、市松自動車、ニッセン交通、大和ハイヤーサービス、個人タクシー連合、個人タクシー連盟、個人タクシー同盟、YMO等の大手から、その他中小グループに到るまで、ただのタクシー車両の宣伝と展示会だとは云えそれぞれの企業・団体の看板を背負っているからか、どの車も堂々と構え、どこか誇らしげに見える。


 他と同じ様に両側が空けられた『H-41』と白い印が路面に付けられた駐車スペースの前に来た。

 俺はハザードのスイッチを入れ、車を通路の左側に少しだけ寄せて右側に顔を向け、2台先のパーキングスペースの真ん中を通る線に目線を合わせて停車すると、そのままギアをリバースに入れてルームミラーに視線を移し、ステアリングを限界まで右へ切りながらゆっくりと車を後退させ、駐車スペースに滑り込んで行った。そして車が完全に真っ直ぐになって後ろ側に背中合わせに停まる車の後部バンパーが近付くと、ドアを少し開けて上半身を外へ乗り出しつつ、ステアリングを戻してギリギリ白線の外へでない辺りまで進み、ブレーキングして停車措置を施し、全ての灯火類のスイッチととエンジンを切った後、やや鷹揚にシートベルトを外した。

「よし!着いたぞ!皆、長時間お疲れ様でした。」

と、俺が声を掛けると、

「あ~~~~、やっと着いた!……疲れた――……。」

と、香澄が何とも間延びした声を出した。

「何言っているんだ……。ただ長時間座っていただけじゃないか……。」

「だって……。同じ姿勢でこんなに長い間固定されていたんですよ。疲れちゃいますよう。」

 香澄は俺に向かって顔を顰めると、口を窄めた。

「まだまだだなあ。此方は同じ姿勢を取りながらずっと運転をしていたんだぞ。……ああ、肩痛え……。」

 俺は左手を右手に回すと、ゴリゴリと関節が唸る肩を揉みしだき、首をグルグルと回した。


 車から降りて荷物を下ろし、施錠する。

 その後、駐車場を縦断する感じで展示スペースとは別の区画へ移動した。

 そこには、年式や車種、メーカーを問わず100台以上のトレーラーヘッドが横列で停められていた。

 そしてそれぞれの車には、トレーラーの台車の上に、アルミ製のコンテナの代わりにプレハブみたいな白い無機質な直方体の建物を据えた、所謂トレーラーハウスと呼ばれる物が堂々と連結されていた。主催者側が参加者の為に用意した、今夜から我々が2日ばかり世話になる簡易宿泊施設である。

 無論、この公園にも市営の宿泊施設があるにはあるのだが、駐車場から距離がある事と、そっちは祭りに観覧に来た行脚客が使用する事になっている点から、俺達は纏めてこれらの移動住宅を少しの間だけ間借りする事に相成ったのである。


 トレーラーハウスの中は左側に白いリノリウム敷の廊下があり、手前にある男女別のトイレと奥にある男女共用のシャワールームを除けば10程の区画に分けられており、それぞれ2畳程しかないグレーのカーペットが敷き詰められた正方形の狭い部屋に、それぞれに白いカーテンが掛けられた緑色の薄いベッドマットの簡単な二段ベッドが二組備え付けられ、正面に見える薄い水色のカーテンが閉められた一枚窓の下に8インチ程のテレビモニターと2つのスピカーが埋め込まれているという、まるで鉄道の片側通路式簡易寝台客車を少しだけ快適にしたような造りをしていた。

 俺は横になれるのならこれでも十分だと思ったが、女性陣は全く快く思わなかったようだ。

「まあっ…………。」

「これは……ちょっと恥ずかしいですわ。」

「最悪!」

 早速三者三様にリアクションを取り、そしてじっと俺に冷水のような冷め切った視線を送ってきた。しかしながらこの件に関して俺に文句を言われても困惑するしかないし、2日間の間だけだからと宥めて我慢して貰うしかない。

「まあ、我慢してくれ。幸いな事にこの部屋に関して言えば俺達以外の利用者はいないだし。何処の馬の骨か判らない奴との相部屋や、ずっと車中泊と云うよりは断然良いだろ?」

「それは、まあ……。」

「そ、そうかもしれないけど……。」

「心配しなくても、お前等の身体をガン見するような野暮な真似はする気は無いから安心しろ。特に興味もないし。何よりも疲れた。明日に備えて早く寝たいしな。」

 俺がそう断言すると、彼女らは白けたような顔をしながらまた互いの顔を窺い始めた。

「それはそれでちょっと……。」

「興味がないって仰られるのも、妻としてそれはそれで悲しいですわ……。」

 もう勝手にしろ、心のなかでそう怒鳴ると、俺は入り口から見て左側の上の方にあるベッドに飛び乗ると、そのまま横になって目を瞑った。


 翌朝6時前。

 いの一番に起き上がった俺は、他の三名を起こさないように静かに下に降りると、自分と玉緒のスーツケースの中から、前日までに作成していた白いA4サイズの両面刷りのチラシの束と、30cm程の長さのチェーン、そして、

『お気軽に御見学して下さい。宜しければ↓のチラシも御自由にお取り下さい。ただし当車は禁煙車につき、煙草は御遠慮下さる様お願い致します。』

と書かれた紙が入った透明なヘッドレストカバー等を手にすると、自分の車へ向かって歩き出した。


 展示車両が駐車された周囲では、既に多くの人が今日の祭りに向けて準備を進めているようだった。

 レパードに乗り込むと、真っ先に俺は自動ドアを制御して左後ろのドアを全開し、ヘッドレストカバーを、表示が後ろを向くように助手席のヘッドレストに取り付けた。その後、持ってきた黄色い鎖の両端に付いた銀色の留め具を、ドライバーズシートとコ・ドライバーズシートの各々のセンター側、ヘッドレストの高さを調節する真鍮で造られた細い円柱状の金具にそれぞれ嵌め付けて固定し、後部座席から前部座席の方へ移動できないように処置をした。

 そして、俺は車検証などの貴重品や金目の物をグローブボックスへ仕舞う為に、辺りを見回した。すると、奇妙な事に普段グローブボックスの下に放置している発炎筒が、どういう訳かセンターコンソールのフロアシフトの付近、ドリンクホルダーの中にすっぽりと収まっている事に気が付いた。

 一瞬狐につままれたようたような気がしたが、よくよく思い出してみると、昨日落し物の現場に遭遇した時に発炎筒を持ち出してから、事故を目撃したどさくさの所為で元の場所に戻さず、そのままになってしまっていた。俺は今更ながら発炎筒をダッシュボードの下方部の定位置へ固定すると、グローブボックスを開いて運行記録簿やその他の雑多な貴重品を押し込むと、キーをグローブボックスの鍵穴に差し込んで施錠した。


 後部の左側のドアは開けっ放しにするとして、右側のドアは元からチャイルドロックを掛けてあるからこれでいいだろう。

 俺は車から降りると左手首のデバイスからインデックス画面を呼び出し、アイテム一覧から輪止めタイプの車両荒らし対策グッズを取り出し、レパードの右前輪にガチっと固定した。

 さあ、車両盗難対策はこの辺でいいだろう。俺は再びドアを開け、上半身を乗り出すと、助手席の上に放ったらかしていた祭り用の広告紙を手に取るとドアを閉めて施錠した。

 そして後ろ左側に回ると、紙の束を表が此方側に見えるように助手席の背凭れの裏に付いているポケットに仕舞った。


 広告にはこんな事を書いておいた。

『遠出、出張、通勤等、お車の急な手配が必要な時は、是非個人・高津タクシーを御利用下さい。


 個人タクシー共同協会加盟ギルド・個人タクシー連合所属個人タクシー事業所

 高津タクシー


 当事業所は、初奈島市第1地区に営業拠点を置き、初奈島及び帝都周辺を中心に営業するハイグレードタクシー専門の個人タクシーです。この度は実車見本として当事業所が保有し、操業するJY33型日産・レパードを展示させて頂いております。


 当タクシーは次のような方々にお勧めです。

・遠距離、高速利用のお客様

・企業従業員の自宅への送迎

・ゴルフ等プライベートで車が必要となったが、適当な車が無いお客様

・車好きな方


 当タクシーは複数台の車を営業車として使用し、御予約の際にお客様にお好きな車種を指定して頂けます。(※指定された車種を当事業所が保有していなかった場合、またはお客様から車種の指定が無かった場合、此方が勝手に御用意した車でお迎えに上がらせて頂きます。御容赦下さい。)


 車種は日本とドイツ車を中心に取り揃えております。

トヨタ…JZX81 JZX90 JZX100 JZX110 GRX130 JZS130 JZS140(マジェ・セダンあり) JZS150(セダンあり) JZS170(マジェ・アスリート) GRS180(アスリート) GRS200(アスリート) S10 JZS147 JZS160その他多数

レクサス…JZS190 GSE20

日産…Y30(セドリックHTのみ) Y31(セダンあり) Y32(シーマ・レパード無し) Y33 Y34 F50 Y50 Y51 C33 C34 C35 R32(4DGT-R) R33(4DGT-R) R34 V35 V36 J30 A31 A32 A33 J31 J32その他多数

その他ホンダ、三菱、マツダ、スバル、ベンツ、アウディ、BMW、ジャガー、アルファロメオ、ボルボ、キャデラック、クライスラー、ダッジ、シボレー、ポンティアック、現代、起亜の一部車種のみをラインナップしております。

 詳しい車種の内訳のお問い合わせは個人・高津タクシー事業所HP(認証バーコード)まで。


 その他、御予約お問い合わせは個人タクシー連合(TEL:0120-840-594)を通して頂きますようお願い致します。なお、御希望があれば営業地区以外の遠隔地へも出張致します。その場合は御利用予定日の2日前までに御予約をお願い致します。


名称

個人タクシー事業者高津タクシー

営業所所在地

 本部:初奈島市第1地区緋桜団地34番アパート0345号

代表取締役兼乗務員:高津 新太郎

経理及び庶務管轄副代表:高津 玉緒


 皆様の御利用を心からお待ちしております。』


 うん、カラーでもなければ写真すら貼っていない。パソコンのワードソフトを使って適当に拵えた、我ながら何ともお粗末な出来の宣伝広告である。一応500部も刷って持ち込んだものの、恐らく大量に余るであろう事が容易に想像出来た。が、足らなくなったよりはマシだろうし、そもそもこういう物は余るのが当たり前だと考えていた俺は深くは考えなかった。あくまでメインはここに置いてあるレパードである。


 ただ、そんな俺でも予想外な事が2つも有った。

 1つは、同じ型の連盟カラーの車を少し離れた所で見かけた事。まさか同じ車が参加しているとは思わなかったので軽く驚いたが、まあこんな事もあるだろう、と俺は特に気にしなかった。

 本当に魂消たのは、自分がレパードを止めた位置から僅か50m以内の場所にブルーメタリックのJY32レパードの後期型が威風堂々と駐車されていた事である。これは本当に吃驚した。だってJフェリーの、あの独創的なエクステリアデザインが生んだ珍妙なフォルムによってトランクの容量が圧倒的に少ない、そして後席のクリアランスがなくて非常に狭く、余程前席を前に押し出さないと必要とされている後席空間(タクシーの後部座席は、乗客の快適性への配慮から、後席と前席との間の幅の長さの最低長が法律で規定されている。)の確保が不可能という短所から、まずタクシー車両として使用する奴はいないだろうと高を括っていたからである。

 だからこそ、目の当たりにした刹那、やられた!と冗談抜きで痛感した。存在感も稀少価値も色物度合いも、全てにおいて一線を画している。というより、此方が越えられず苦悩している壁をあっさりと超越されてしまった様な感じさえ受けた。勝てる気がしない。


 そんな事を考えつつトレーラーハウスへ向かって歩いていると、トレーラーが停められている一角の更にその向こう、公園内の緑地帯の森の中の辺りから、微かにいい匂いが鼻元へ漂って来た気がしたから、空き腹を刺激された俺は好奇心にそそらされ、発生源を求めてふらふらと彷徨した。


 駐車場から公園内に入り、ちょっとした木立を抜けるハイキング道のような土塊た細道を越えた先、周囲を森の木々に囲まれ、一面に芝が張られて草原となった2万5千平米程の正方形の広場に大勢の人達が輪を成して集合していた。そしてどうやら、先程から鼻孔で感じる美味しそうな食べ物の気配が、その人集りの中心から風によって漂流しているらしい、と俺は推測した。

 俺は群衆の傍まで接近すると、たまたまそこに並んでいた、水色に赤い花柄のアロハシャツにチノパンのハーフパンツ姿の優男のような風貌の男に話し掛けた。

「お早うございます。」

「…………?!」

 後ろからいきなり声を掛けたのが災いしたのだろうか、男はビクっと肩を震わせると、目を引ん剥いたひょっとこのお面のような顔をし、俺の方へ振り向きながら飛び上がった。が、すぐに少し頬が赤味を帯びた、今ひとつ締りが無い真顔になると、

「お、お早うございます。」

と挨拶をした。

「付かぬ事を伺いますが、これは何の集まりですか?」

「これですか?」

 男はそう言うと、俺から目を離し、集団の中へ顔を向けて遠くを見やるように目を細めた。

「聞いていませんか?朝食待ちの行列ですよ。何でもここで野外バイキングをするのだとか何だとか……。あなたも並ぶのなら早く並んだ方が良いですよ。無くなり次第で終了するらしいですから。」

 なんだやはり飯か……。予想通りと言えば予想通りな回答だったが、俺は優男の忠告に従って、玉緒達を呼びに行く為に小走りでトレーラーハウスへ引き返した。


 特に何も考えずに部屋の扉を開けた途端、普段穿いている茶色いパンストの下に透けて見える白いシルクのレースのパンティに包まれた玉緒の妖艶な尻が、いきなり眼前いっぱいに飛び込んできたので、数瞬の間俺は思考停止に陥り、自分の嫁の下着姿に釘付けになった。

 そして我に返ってからよくよく部屋の様子を逡巡してみると、玉緒の傍、右側のベッドにそれぞれベージュと薄ピンク色の下着姿をしたヨネさんと香澄の姿も目に入った。どうやら俺は不覚にも彼女らの着替えの最中に乱入するという、大失態をやらかしてしまったようだった。

「…………!」

「…………。」

 あまりの事態に互いに茫然自失しているのか、俺達は無駄に長く沈黙を守りつつ口をあんぐりと開け、ただただ相手の顔を見つめ合う。重い……、部屋の空気が異様に重苦しい。圧倒的な分の悪さから来る焦燥感と、不測の出来事に対する己の処理能力を大きく超える危機的状況に直面した事で、少なくとも俺の方は混乱をきたしたあまり、謝罪するとかそういう事は頭の中からすっぽりと抜き去り、どうすればこの場を上手く切り抜けられるのか、そればかりを考えて必死に策を講じていた。


 結局、数十秒間黙考した末に俺が導き出した選択は、

「す……、すまん。」

と、一言遺してから慌てて扉を閉めて屋外へ逃げ出す、という我ながら何とも情けない物だった。


 トレーラーハウスの出入口の傍で意味もなく立ち竦む。しかも手持ち無沙汰でやる事がないから暇で暇でしょうがない。こういう時に煙草の一本でも吸えればいい暇潰しになるのかもしれないが、生憎俺は嫌煙者だった。

「ああ、暇だなあ。」

 誰も居ない宙に向かってぼやいていると、

「あ、高津さん。お早うございます!」

 唐突に声を掛けられた。振り返るとすぐ傍に三池が立っていた。

「ああ?三池君か。君も来ていたんだね。」

「ええ、会社の命令で出向する事になりまして……。あ、そうだ。高津さん、俺、やっぱり今の会社を辞めて個人に転向する事にしようと思うんです。」

「あ、やっぱりこっちに来るんだ!で、どのギルドに移るか決めたの?」

 俺がそう訊ねると、三池はバツが悪そうに笑った。

「いやあ、それが……。まだ、これからなんですよ。先立つ物だって必要ですし、まだ会社に辞職する事を伝えていないので……。」

「ふ――――ん、そうなのか。じゃあ、車は?」

 無事にどこかのギルドに登録され、晴れて営業許可証を取得できても肝心の自動車がなければどうしようもない。

「一応自分の車なら持っていますけど……。」

「へえ、三池君って何に乗っているの?」

「日産のノートですけど?」

「そうなんだ。じゃあ、それに自動ドアを取り付けて、緑ナンバー(リライフの世界における事業用ナンバープレートの俗称。事業用の普通以上の乗用・貨物車に交付される緑地に白字のナンバープレート。自家用の白地緑字の白ナンバーに対してこのように呼ばれる。白ナンバーと同様に大板と中板が存在し、俺の車の物のような字光式も存在する。貨物用のトラックには白ナンバーを付けた車も多いが、旅客運輸をするタクシーとバスは必ずこのナンバープレートを装着しなければ営業する事が出来ないと法律で定められている。)を取る心算なんだね?」

「ええ。」

「でもそれって、少し面倒臭くない?」

 事業用の緑ナンバーは、新規に取得する時は自家用の白ナンバーと同様、百Gと安価で取得する事が出来るが、既に白ナンバーを取得した車を緑ナンバーに登録変更する場合、変更手続仲介料も込みで千Gと約十倍取られる。また、新造時なら5千G程で装着出来る自動扉も、改造工事をするに当たって一度前の座席を全て取っ払う必要があるので、平均1万Gと、此方も金が掛かるし、塗装代だって必要になる。実際のところ、彼の自家用車をタクシー様に改造するという方法を、俺は個人的に良く思わなかった。


 三池は運転に於いては一応プロだが、事業者としては素人である。彼は俺が良い顔をしないのを不思議に思ったのか、

「そうですか……。じゃあ、どうすれば良いですかね?」

と尋ねてきた。

 ここで、俺は三池に対して一つ提案をした。

「一番良いのは、やはり新車を新しく購入することだけど……。出来るだけ安く済ませたいのなら、払い下げのタクシー車両を購入するって手があるよ。」

「払い下げですか?」


 三池は不審そうに俺の顔を見つめたが、はっきり言ってこれ程やり易い手も無い、と俺は断言する事が出来る。

 払い下げのタクシー車両というのは、文字通りタクシー会社や個人タクシーで活躍していた車が廃車手続よってスクラップ市場に流れてきた、故障が少なかった為に解体を免れて修復を受けた登録抹消動産の事である。公道を走行するにはもう一度緑ナンバーを申請しなければいけないが、ゴミ同然なので価格が非常に安価で手に入れやすい上、もともとタクシー車両だけあって既に自動ドアもメーターの取付け口も設置されており、色だけ塗り替えれば何時でも使えるという意味で、かなり手っ取り早い方法だった。

 しかも最近は、特に法人タクシーがセドリックやクラウンからプリウスやリーフへの買い替えを全面的に推し進めている傾向が強い所為で、今まで以上にタクシーの廃車処分が相次ぎ、ただでさえ低い市場価格が車両と部品余りの余波をモロに受けて大暴落を起こしている、とデジタルラジオの経済速報で放送していた。要するに、今なら激安な値段で車を手に入れる事が出来るのである。

 廃車と聞くと確かに聞こえは悪いかもしれない。事実、酷使されてきた分走行距離も凄く長い物が殆どである上に、一度は登録抹消された車だから購入するに当たって車両本体価格とは別に取得税と自賠責(自動車賠償責任保険の事、だがこの世界では現実世界とは違って自動車保険は基本運転手1人に対してその責務を負うので、既に使用者が保険に加入していれば、2台目以降やそれ以外で運転した他者名義の車にも使用者の自賠責と任意保険の補償が適応され、逆に車が1台しか無くても複数人で共同使用している場合は、人数分の保険料を毎月納めなければならない。ただし自賠責は月極の掛金とは別に、自動車の購入の際に取得税と共に登録分として約2千G支払う。)の保険料と、業者に諸々の登録手続き代行させるのならその分の手数料も上乗せして払わされる羽目になるので、下手すると実際の車両本体価格よりも公道を走らせる為の手続きの方が倍も金が掛かるという珍妙な事態になる事が大部分である。それでも、元々それ用に製造された自動車であるから自家用車と違って非常に頑丈である(最早21世紀に入って大分久しいのに、今も現役で生産されているY31セドリックの営業車など、元を正せば80年代末辺りに設計された車体を20年以上も現役で使っていたりする。それだけ元々の車の剛性面や耐久性等における潜在能力が高かったのだろう。)し、大手のタクシー会社の車なら常に適切な整備を受けている上に車の買い替えサイクルが物凄く早い所が多いので、走行距離があるスクラップという割に綺麗で調子も良く、程度が物凄く良い、寧ろ良過ぎる物が非常に多い。地雷が多いとされる中古車・廃車市場に於いては珍しく滅多にハズレに出会さないという意味で、一般のユーザーにも勧められる程度には信用に値する購入方法だ。


 それに今日明日の祭りの会場にも、新車や中古車の各販売店のブースと共にそうした廃車や払い下げ車が一同に会した大掛かりな販売会が行われる筈だった。

「今日はサーキットとその近くで大きな販売会も行われて、その手の自動車も沢山売りに出されて選り取り見取りの筈だから、君も行ってみれば?俺も今日は新車を色々と見て回る心算だしさ。」

 そう言って右手で三池の左肩をポンッと叩くと、ガヤガヤと騒ぐ女達の楽しそうな嬌声がトレーラーの中から聞こえて来た。

「ああ、家内達の用意が出来たみたいだな。じゃあ済まないが、僕はこの辺りで暇を乞う事にするよ。それでは、また!」

「え、ええ。また……。」

 そうして三池と別れ、少し機嫌が斜めな玉緒達と合流すると、俺達は朝食を摂りにバイキング会場の方へ足を向けた。

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