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ロピとレーナ

 第137ゲットーは、死んでいた。


「廃墟」という言葉では足りない。


 廃墟とはかつての生の痕跡であり、時間が静かに積もった場所のことを言う。しかしここには、時間が積もる隙さえなかった。建物の輪郭は残っているが、それは骨格が残っているだけで、肉はすべて剥ぎ取られている。


 焦げた壁に刻まれた無数の爪痕が、最後の瞬間の暴力を今も生々しく語っていた。路地を曲がるたびに、黒く変色した染みが地面に広がっている。その形が何であったかは、見れば分かる。


 見れば、分かってしまう。


 リオールはセンサーを全方位に展開しながら、路地を一つひとつ丁寧に確認していった。


 生存者反応ゼロ。


 センサーはそう言い続けている。しかし数値が正しければ確認する必要はないとも思わなかった。数値が示さないものを、センサーは拾えない。


 ジレは少し離れた位置を並走していた。タバコに火はつけていない。咥えたまま、口の端に挟んだだけだ。その目は建物の上部を常に警戒していた。


 三十分ほど歩いた頃、リオールの熱源センサーが反応した。


 微弱だ。人間の発熱に近い数値。場所は北側の半壊した倉庫の地下──がれきと崩れた床材で封鎖された扉の向こう。センサーが示す熱源は、二つ。


「ジレさん」

「分かってる。先に行け。俺は周囲を固める」


 リオールは倉庫の扉に近づいた。正面からでは開かない。左右に走る蝶番と、崩落した天井材が扉を塞いでいる。リオールは扉の左端に両手をかけ、力を加えた。


 金属が軋み、蝶番が悲鳴を上げる。二秒ほどで、扉が歪みながら外側へ開いた。


 暗闇が広がっていた。


 その暗闇の中から、細い腕が伸びた。


 手製の鉄棒が、リオールの顔面へ向かって振り下ろされた。リオールは反射的に片手でそれを受け止めた。金属が金属を打つ乾いた音が響いて──


 鉄棒を両手で握りしめたまま、少年が立っていた。

 全力で震えていた。


 足が、声が、両手が、全身が震えている。それでも踏み出せない足で懸命に踏ん張り、暗闇の奥から後退しようとせずに、前を向いていた。


 片目を覆う白い包帯が汚れて、端が解れている。10歳ほどに見える。その小柄な体は痩せていて、動きが素早い──しかし今は、恐怖が体をかじりついていた。


「……来るな! アポストルの手下なら関係ない、僕たちには関係ない……!」


 アポストルの手下。

 リオールはその言葉を処理した。


 人型機械といえば、アポストルが従えていた兵器。この少年の知識の中では、そういう分類になるのだろう。


「アポストルとは関係ありません」


 リオールは静かに答えた。鉄棒を掴んだ手は離さないまま、ただ声だけを柔らかく落とした。


「私は人間のために動いています」


 少年の目が揺れた。

 鉄棒を握る手の震えが、恐怖から混乱へと変わっていくのが分かった。恐怖は反応が単純だ。混乱は複雑になる。思考が動き始めた証拠だ。


「……人間のために? アポストルの人形が、そんなこと言うのか」


「私はアポストルが作ったものではありません。構造は似ていますが、別の存在です」

 奥から、足音がした。


 少年の背後から進み出てきた少女は、薄いヒスイ色の髪をしていた。スタイルが良く、整った顔立ちをしている。15,6歳に見える。


 後ろで編み込まれた髪が肩まで垂れ、銀色の髪飾りが暗闇の中でわずかに光る。少年の前に立ち、リオールをまっすぐ見据えた。その目には怯えがない。怯えを押し込めた上で、見据えている。


「……アポストルの人形と、あんたは何が違うの」

「アポストルの人型機械は主の命令がなければ動けません。私は自律して判断します」


「……アポストルたちがディヴォールになってから、ゲットーの外では何が起きてる。あの人形たちはどうなった」


 リオールは順を追って答えた。


 アポストルが用いていた人型機械のほとんどは、主を失って停止したこと。現在は人間の手で改造された新しい人型機械がディヴォールと戦っていること。自分がそのうちの一体であること。


 少女──レーナは黙って聞いていた。途中で割り込まなかった。最後まで聞き終えてから、また質問した。

「あの人形たちは魔法が使えた。あんたも?」

「使えます」


 レーナはまた沈黙した。今度はもっと長く。何かを測るような目で、リオールを見ていた。


「……ゲットーの外に、人間が暮らせる場所はある?」


「あります。ゲットーから出てきた人たちが集まる拠点があります。私はそこからここへ来ました」


 少年が、ぽつりと口を開いた。


「……人間が、まだいるんだ。外に」

 その声には震えがあった。恐怖の震えではない。長い時間をかけて問い続けた疑問が、ようやく答えを得た時の、静かな震えだ。

「……その拠点に、連れていってもらえる?」

「はい。それが私の任務です」

 少年は、まだリオールを見ていた。鉄棒を下ろし、両手をぶらりと垂らして──しかしまだ、何か引っかかっているものがあるように、口を開いた。


「……なあ、その......お前。名前とかあるの」

「リオールです」

「……僕はロピ。こっちはレーナ」

「覚えました」


 ロピは少しの間、その言葉を反芻するように口を動かしてから、ぼそっと言った。


「なんか、変な感じがするな。人形に名前を呼ばれるって」

「不快でしたか」

「ちがう」

 ロピは首を振った。

 包帯の端を引っ張る仕草をして、それから空を見るように少し顔を上げた。


「……なんか、ちゃんと存在してる感じがした。久しぶりに」


 リオールはその言葉の意味を処理しようとした。存在している感じ。それは何を示す言葉なのか。誰かに名前を呼ばれることで、存在の確認が生まれるということなのか。

 演算は終わらなかった。


 リオールは二人に向かって告げた。


「参りましょう」

 リオールはジレとおち合い二人に紹介する。


 リオールは振り返った。

「ロピさん、レーナさん。こちらはジレさんです。私のバディで、同じエイコーンです」

「よろしくジレ......さん」ロピがためらいがちに言う。

「.......」レーナは無言だった


 ゲットーを出て三十分も進まないうちに、ジレが足を止めた。


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