血液交換
左腕の装甲カバーを外す。
内側を流れる血液が見えた。赤に近いはずの色が、はっきりと黒みを帯びている。
七回。今日の魔法使用回数だ。
エイコーンが魔法を使う仕組みは、単純だ。脳から命令を出す。命令は血液に乗って、胸腔の奥に埋め込まれた特殊な器官へ届く。
その器官が、この世界に満ちた無数の極小素子──ナノマシンへ命令を転送する。ナノマシンは命令に従って振る舞いを変え、重力を操り、熱を生み、物質を組み替える。それが「魔法」だ。
しかし使えば使うほど、血液は変質する。
純粋な赤から、じわりと黒へ。変質した血液は命令を運ぶ力を失い、やがてその器官へ逆流してショートを引き起こす。
だから定期的に交換しなければならない。純粋な血液の残量──それがそのままエイコーンの魔力量だ。
一発ごとに削れていく。黒化が進むほど、次の魔法の出力が落ちる。
「血液黒化度:許容値の七十二パーセント。要交換」
リオールは静かに腕カバーを閉じた。重い型の残骸を一瞥し、拠点ブレンバルクへ向けて歩き始める。
感慨はない。
ただ、なぜか──走査を終えた後のこの空間が、やけに静かに感じられた。廃工場の穴から朝の光が差し込み始め、舞い上がった粉塵が金色の帯の中をゆっくりと落ちていく。その光景を一秒だけ見て、リオールは前を向いた。
整備室は、常にわずかに甘い匂いがした。
血液交換用の薬剤の匂いだ。新鮮な血液を安定化させるために加える薬剤が、加熱されると微かに砂糖を焦がしたような匂いを出す。リオールはその匂いで整備の時間だと判断するようになっていた。
「頭部側壁を開けてくれ」
整備医師のレミルは初老の男性だった。白衣の袖をまくり上げ、メガネを額に押し上げたまま、手際よく準備を進めている。
リオールの頭部側壁が静かに開いた。
頭部の内部、演算器官のすぐ隣に、それはある。人間の器官に似た形をした、しかし人間の体には決して存在しないもの。古代の魔術師──アポストルたちが使っていた器官を、人類が長い年月をかけて解析し、複製した人工物。
脳からの命令を受け取り、血液を媒介としてナノマシンへ転送する、魔法の起点。
人々はそれを「神の臓器」と呼んでいた。
正確には、神の臓器を模したクローンであり魔導回路の中枢、と言うべきかもしれないが。
レミルは慣れた手つきで血液交換チューブをその接続部に繋いだ。太い血管に沿って走る透明なチューブの中を、黒みがかった旧血液がゆっくりと流れていった。変質した黒ずんだ血液が、ゆっくりと抜き取られていく。
「……また七十二か」レミルは数値を見て、眉を上げた。
「最近の君、ペースが上がってるよ。無理してる?」
「戦闘の密度が上がっています」
「そうだな」
レミルはそれ以上追及しなかった。チューブの先に新鮮な血液パックを接続し、コックを調整する。透き通った赤が、ゆっくりとチューブの中を流れ始めた。
純粋な血液が神の臓器の接続部へ向かっていく。リオールは体の内側で、少しずつ魔力が戻っていくのを感じた。感じた、という言葉が自分に適切かどうかは分からなかった。ただ、何かが安定する感覚があった。
天井を見上げながら、前から抱えていた疑問を口にした。
「レミル先生。人間にも魔導回路を搭載することはできないのですか。あるいは、直接本物の神の臓器を移植すれば、より強力な魔術師になるのでは」
レミルは手を止めずに答えた。
「そうか、君は知らなかったのかい……試した人間が何人かいたよ。全員、三日以内に死んだ」
チューブの中を赤い血液が流れていく。
「現代人の体は神の臓器を受け入れるようにできていない。神の臓器が体内に入った瞬間から通信が始まって、血液の黒化が尋常じゃないスピードで進む。純粋な血液が尽きる前に止める方法がない。気づいた時にはもう、逆流が始まってる」
「では古代の魔術師……アポストルたちは、どうやって適応したのでしょうか。彼らも同じ血液を持つ人間だったはずです」
「それが分かれば、戦争の形も変わっていたろうね」
レミルは少しだけ手を止め、リオールを見た。その目には、古い疲れと、古い諦めが混じり合っていた。
「……諦めなさい、リオール。今の答えはエイコーンだ。本物の神の臓器の代わりに複製品を積んで、人間の血液で動く。それが今できる最善だ」
血液交換が完了した。チューブが外される。リオールは神の臓器への通信経路に新鮮な血液が正常に流れていることを確認した。魔力量が、戦闘前の水準に戻った。
頭部側壁を閉じ、立ち上がった。
「了解しました」
答えながら、その疑問を胸の片隅に残した。
どうして古代のアポストルたちは適応できたのか。どうして現代の人間には、それが不可能なのか。血液を媒介に神の臓器と通信する仕組みは同じはずなのに、何かが違った。その違いが何なのか、現代の研究では解明されていない。
整備室を出ながら、リオールはその疑問が閉じられないまま動き続けていることに、小さな違和感を覚えた。
まるで、答えを探し続けることを、自分が望んでいるかのように。
翌朝、上官クスバに呼ばれルーザリア地区へ向かった。




