胸を焼く紅蓮に堕ちて
それは、胸の奥を焼き尽くす紅蓮の炎だった。
遥は見てしまった。
それはほんの偶然だったのか?
はたまた、鬼のしわざだったのか?
湖のほとりで、仲睦まじい男女の姿に息を飲んだ。
見間違えるはずのないその人が、自分ではない女性を抱き締めていた。
愛おしそうに目を細め、その頬に触れている。
あまりにも美しい光景だった。
彼に甘える女性は……おそらく翡翠なのだろうと悟った。
こんなにも……こんなにも一対なのが当たり前の二人を見せられても尚、この胸は嫉妬に妬かれるのかと遥は愕然とした。
楽しそうに会話をしていた二人が、やがて一つの影になる……。
遥は重なる影から目を逸らし、その場を立ち去った。
痛い! 苦しい! 切ない!
叫び出したくなった。
しかし、喉の奥からは血の味しかしない。
感情を飲み込む癖の着いた奥歯が、痛みに軋んだ。
あの二人を、引き剥がしたくなった。
一度だって、冬夜の熱のこもった眼差しを見た事などなかった。
あんなに愛おしそうに触れる手を……遥は知らない。
まるで全身が、燃えさかる炎の中で焼かれているようだった。
その時、一滴の水滴が水面に落ちる音が聞こえた気がした。
その声にハッとすると
その時、なまぬるい風が遥の周りにまとわりついた。
『冬夜が欲しくないか?』
頭の中で声がした。
遥は息を飲む。
『冬夜に……愛して欲しくないか?』
それは、真水に落とされる墨汁のように落ちては広がっていく。
最初は色がつかないけれど、その墨汁は間違いなく真水を黒く染めている。
『お前が望めば……あの男は手に入る』
ゆっくりと、透明だった水が黒く染まっていく。
『本来なら、あの女の場所はお前の場所なんだ』
その一言に、遥がピクリと反応した。
『冬夜の手が……眼差しが……唇が……、本当はお前を求めるものなんだよ』
その時、脳裏に映像が浮かんだ。
夢にさえ見る事が許されなかった光景──
『遥……愛してる』
冬夜の声が、甘く優しく語り掛ける。
触れたかった大きな手が、そっと遥の頬に優しく触れる。
『遥……』
聞いた事のない、掠れた熱を帯びた声。
強く抱き寄せられ、冬夜の顔が近付く。
遥は、思わず冬夜の背中に腕を回してその唇を受け入れた──。
『かかった!』
鬼の声が響いた。
すると、バタリと遥がその場に倒れた。
鬼は遥の身体を抱き上げ、小さく笑った。
『さて、次はどうする?』
鬼が楽しそうにわらう。
遥の顔を見下ろし
『良い夢を……。愛する男に求められ、女の幸せをたっぷりと味わうが良い……。その方が、現実を知った絶望は大きくなるからね……』
鬼はそう言うと、小さく吹き出した。
そして高らかにわらうと
『さぁ、お遊びの時間は終わりだよ。……ねぇ、冬夜。お前はどんな絶望を見せてくれる?』
高らかな笑い声だけを残し、鬼は遥を抱き上げたまま、闇の中へと静かに溶けていった。




