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水鏡  作者: 古紫 汐桜
第五章
92/120

胸を焼く紅蓮に堕ちて

それは、胸の奥を焼き尽くす紅蓮の炎だった。


遥は見てしまった。

それはほんの偶然だったのか?

はたまた、鬼のしわざだったのか?


湖のほとりで、仲睦まじい男女の姿に息を飲んだ。


見間違えるはずのないその人が、自分ではない女性を抱き締めていた。

愛おしそうに目を細め、その頬に触れている。

あまりにも美しい光景だった。

彼に甘える女性は……おそらく翡翠なのだろうと悟った。

こんなにも……こんなにも一対なのが当たり前の二人を見せられても尚、この胸は嫉妬に妬かれるのかと遥は愕然とした。


楽しそうに会話をしていた二人が、やがて一つの影になる……。


遥は重なる影から目を逸らし、その場を立ち去った。


痛い! 苦しい! 切ない!


叫び出したくなった。

しかし、喉の奥からは血の味しかしない。

感情を飲み込む癖の着いた奥歯が、痛みに軋んだ。

あの二人を、引き剥がしたくなった。

一度だって、冬夜の熱のこもった眼差しを見た事などなかった。

あんなに愛おしそうに触れる手を……遥は知らない。

まるで全身が、燃えさかる炎の中で焼かれているようだった。

その時、一滴の水滴が水面に落ちる音が聞こえた気がした。

その声にハッとすると


その時、なまぬるい風が遥の周りにまとわりついた。

『冬夜が欲しくないか?』

頭の中で声がした。

遥は息を飲む。


『冬夜に……愛して欲しくないか?』


それは、真水に落とされる墨汁のように落ちては広がっていく。


最初は色がつかないけれど、その墨汁は間違いなく真水を黒く染めている。


『お前が望めば……あの男は手に入る』

ゆっくりと、透明だった水が黒く染まっていく。

『本来なら、あの女の場所はお前の場所なんだ』


その一言に、遥がピクリと反応した。


『冬夜の手が……眼差しが……唇が……、本当はお前を求めるものなんだよ』


その時、脳裏に映像が浮かんだ。

夢にさえ見る事が許されなかった光景──


『遥……愛してる』

冬夜の声が、甘く優しく語り掛ける。

触れたかった大きな手が、そっと遥の頬に優しく触れる。

『遥……』

聞いた事のない、掠れた熱を帯びた声。

強く抱き寄せられ、冬夜の顔が近付く。

遥は、思わず冬夜の背中に腕を回してその唇を受け入れた──。


『かかった!』

鬼の声が響いた。

すると、バタリと遥がその場に倒れた。

鬼は遥の身体を抱き上げ、小さく笑った。


『さて、次はどうする?』

鬼が楽しそうにわらう。

遥の顔を見下ろし

『良い夢を……。愛する男に求められ、女の幸せをたっぷりと味わうが良い……。その方が、現実を知った絶望は大きくなるからね……』

鬼はそう言うと、小さく吹き出した。

そして高らかにわらうと

『さぁ、お遊びの時間は終わりだよ。……ねぇ、冬夜。お前はどんな絶望を見せてくれる?』

高らかな笑い声だけを残し、鬼は遥を抱き上げたまま、闇の中へと静かに溶けていった。

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