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水鏡  作者: 古紫 汐桜
第五章
90/120

触れた指先で、千年がほどける

 冬夜は湖に来ていた。

真っ赤なソメイヨシノを見上げ、千年前に思いを馳せる。

自分が何者で、何故、ここに呼ばれたのか……。


その時、背後で『パキッ』と枝が折れる音がして振り向くと、ここに来た日に出会った女性が立っていた。

女性は冬夜に気付くと、慌てて駆け出した。


「待ってくれ!」


慌てて追いかけ、彼女の腕を掴んだ。


「!」

女性がバランスを崩し倒れそうになり、慌てて抱き留めると、すっぽりと腕の中に納まる程に細かった。


「急に腕を掴んですまない」

そう言って、抱き留めた女性をそっと離すと

「大丈夫です」

と言いながら、真っ赤な顔をして俯かれてしまう。

正直、冬夜にこんな可愛い反応をする女性は初めてだった。

大体は、ガンガン押し迫って来る人しかいなかった。

──というよりも、そういう人しか相手にして来なかったのだと思った。


……そういえば、遥も当初はこんな反応だったな……と、懐かしく思っていると

「あの……手を離してくれませんか?」

と言われて、掴んだ手をずっと離さないでいたのに気付いた。

「手を離したら、逃げるんじゃないのか?」

そう言うと、彼女は首を横に振って

「逃げませんから、離して下さい」

と答えて冬夜を見上げた。


漆黒の濡れたように潤んだ瞳と目が合い、『ドクリ』と心臓が高鳴った。


(やっと会えた──)


心がそう震えた。

心臓でも無く……臓器などない胸の真ん中のもっと奥底が、焼けるように熱い。

必死に理性で感情を抑制しようとしても


「翡翠……」

唇が……勝手にその名を呼んだ。


すると女性はビクリと身体を震わせた。


「翡翠……なのか?」

名前を呼ぶ声が震える。

そんな訳がない。

彼女は千年も前に死んだのだ。

だけど、心が……身体が……細胞一つ一つが……

彼女が『翡翠』だと訴える。


会いたくて会いたくて……

ずっと恋焦がれたその人だと……


すると彼女は戸惑うように冬夜を見上げ、目を見開いた。


「何故……泣いているのですか?」


そう言われ、翡翠の細くて白い指が冬夜の頬に触れた。

その時、まるで水風船を針で刺したかのように何かが弾けた。

細い手を掴み、その身体を強く……強く抱き寄せた。


「いけません!」

彼女の唇から……拒絶の言葉が紡がれた。

「ダメです……。お願いですから……私にあなたを殺させないで……」


涙を流す彼女の細い指に、唇を当てた。

すると彼女は、まるで感電したかのように身体を震わせて涙を浮かべた。

冬夜が頬を伝う涙に唇を当てると、彼女は堰き止めていた感情が爆発したかのように

「若様……、ずっと……ずっと……会いたかった」

そう呟いて、冬夜を見上げた。


二人の視線が絡み合った瞬間、打ち上げ花火が夜空に打ち上がった瞬間のように、二人の心に“何か“が大きく火花のように燃え広がった。


唇を重ね、冬夜が彼女の身体をきつく抱き締めると、彼女の細い腕もまた、冬夜の身体をかき抱いた。


理性では抗えない、大きな渦に飲み込まれるように、二人は互いを求め合った。


その時、散らない筈の真っ赤なソメイヨシノの花びらが一枚、空に舞い上がり、ゆっくりと湖の水面へと落ちていった。

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