完全なる悪鬼─翠
直継との生活は、翠が生きてきた中で、初めて得た幸せな時間だった。
何処に行くにも共に連れ立ち、人目を盗んで愛を育んでいた。
もしかしたら、この人なら共に眠りに付けると希望を抱いていた。
幸せだった翠は、忘れていたのだ。
ここにはまだ、三郎太がいないことを──。
直継がなかなか縁組をしないのを不審に思った両親は、二人の仲を疑い、刺客を放った。
「友人ならば生かす。もし同衾の仲ならば、二人とも桎梏に処す」
──そう取り決められていたのだ。
油断していた二人は、直継の父が放った刺客に襲われ、直継は胸を貫かれて倒れた。
唇から血を零すその姿を抱き締めたまま、翠の胸は千切れるほどに痛んだ。
先程まで、自分に愛を囁いていた唇から血が流れ落ちて行く。
二人まとめて殺すつもりで放たれた刀は、抱き合ったまま二人の身体を貫いていた。
「ぁぁぁぁぁぁ────!」
翠は、その力なく抜ける身体を抱き締め、慟哭した。
───あの日と同じ、あの叫びが屋外まで響いた。
翠が直継の身体から刀を引き抜き、刺客を睨み付ける。
その瞬間、彼らは、翠の身体に一滴の血も流れていないことに愕然とし、たちまち狼狽した。
刀は確かに刺さっていた。
だが血は一滴も滲んでいない。
抱き抱えられた直継を胸に、翠は人の領分を超えた姿で立っていた。
「誰の命令だ! 答えろ!」
刀を床に擦りながらゆっくり近づく翠に、刺客たちは怯え逃げ惑った。
「答えぬのなら──皆殺しにしてやる!」
───その後、刺客たちの悲鳴は途絶えた。
瞬く間に辺りは血で染まっていた。
翠は直継を抱きしめながら
「なぜ……また一人で、逝くのですか!」
翠は怒りとも、嘆きとも、喪失ともつかぬ声で叫んだ。
その直後、翠に落雷が落ちた。
髪は金色に光り、瞳は深い翠色へと変わる。
「どんなに守っても、どうせ殺されるのなら、もう私が殺す」
──低く吐かれた言葉の後、翠は直継の首筋に噛みついた。
血を喰らい、嗚咽を上げて狂ったように泣いていた。
やがて翠は、刺客の懐から出てきた文を見つけた。
───それは、直継の両親からの依頼状だった。
翠は依頼状を握り締め、怒りに震えた。
その怒りは凄まじく広がり、翠は直継の一族を根絶やしにした。
さらに婚約者側の関係者までも手を付け、やがて一族は消え去った。
その時、翠は気づかなかった。
人を滅ぼすごとに、記憶が少しずつ削り取られていることを──。
愛された日々も、直継と寄り添った幸福も……全てゆっくりと薄れていった。
残ったのは、人間への深い憎悪と、友頼の魂を宿す者を貪る記憶だけだった。
やがて翠は人間を憎み、天災を呼び、疫病を蔓延させて復讐を果たす──悪鬼と呼ばれる存在へと変じていったのだった。




