闇と光
どのくらい
時間が経過したのだろうか────。
翠は、友頼を弔った湖から動かなかった。
しかしその背中は、小刻みに揺れていた。
三郎太は、そんな翠の小刻みに揺れる背中を、ただ黙って見つめる事しか出来ない自分が歯がゆかった。
どうしていつも、自分は何も出来ないんだろう
どうしていつも、あの二人の足を引っ張ってしまうんだろう
どうして どうして どうして────!
いくつもの『どうして』が、三郎太の中を駆け巡った。
若様と翡翠様は、ただ二人で静かに幸せに暮らしたいと願っていた。
翠だって、ただ自分と若様と三人で笑って暮らしていたいと願っていた。
ただそれだけなのに───!
三郎太の胸に、どす黒い感情が渦巻く。
頼政が……頼政が……全て壊した!
おっかあも、おっとうも、二人の兄者も頼政が殺した!
俺から、何人奪えば気が済むんだ?
憎い憎い憎い憎い────!
殺せ殺せ殺せ殺せ─────
この感情は……誰のものか?
頼政に殺された人達のもの?
目の前で泣いている翠のもの?
───それとも、封印していた自分の感情?
『チリン……』
闇に沈みかけたその瞬間、風鈴の音がひとつだけ、静かに鳴った。
『三郎太、どんなに嫌なことをされても、人を恨んではダメよ』
懐かしい声が聞こえて来た。
あれはいつの事だっただろう。
村長の息子で、親の権力をかさにきて、威張り散らす二つ年上の義昭に虐められて泣いていた時の事だった。
義昭は乱暴者だったが、親の前では利発な子供を演じる小狡い奴だった。
三郎太の次兄・次郎太と同じ歳で、次郎太は翡翠の影響もあり、誰にでも優しい性格だった。
農民でありながら、翡翠と友頼に学び、読み書きや算段までこなした。
それ故に、近隣の村の同じ歳の女子は、大概、次郎太に惚れていた。
5つ上の長男 一郎太も同様で、村の男子は面白くなかった。
幼い頃から親の手伝いをしていた二人は、腕っぷしも強かったので、その憂さ晴らしに三郎太を虐めていたのだ。
あの日も、義昭に変な言いがかりをつけられて殴られて泣いていた。
母の民は畑仕事と友頼・翡翠の家の管理で忙しく、三郎太がそんな状況だとは知らなかった。
親や兄に言えず、ただ泣きながら自宅への道を歩いていると
「三郎太?」
美しい鈴の音のような声が耳に届いた。
声の方を向くと、天女かと思う程に美しい翡翠が立っていた。
翡翠は三郎太の怪我を見て、顔色を変えて走り寄って来た。
「三郎太、この怪我はどうしたのです?」
初めて、大人が自分の怪我を見て心配してくれた事に涙が溢れた。
わぁわぁと声を上げて泣く三郎太を、翡翠は優しく抱き締めて
「偉いわね、こんなにたくさん擦り傷作っても、自分の足で帰るなんて」
そう囁いた。
三郎太の泣き声に、近くにいた友頼も走り寄り、三郎太をおんぶして二人の家に連れて行き、手当てをしてくれたのだ。
三郎太は、あの日の友頼の大きな背中も、優しく抱き締めてくれた翡翠の温かな温もりも……忘れたことはなかった。
手当てをしてもらいながら、二人に義昭たちの恨み言を言っていると、手当てを終えた翡翠は、薬箱を片付けると、そっと三郎太の前に座り両手を握り締めた。
「三郎太、どんなに嫌なことをされても、人を恨んではダメよ」
そう言われて、三郎太は味方だと思っていた翡翠に裏切られた気分になった。
思わず
「じゃあ翡翠様は、黙ってやられてろ!って言うのか?」
込み上げて来た悔しさと、寄り添ってくれていると思っていた翡翠の裏切りとも取れる発言に涙が滲む。
すると翡翠は首を横に振り
「まさか!」
と言うと
「やられたらやり返す! 大いに結構よ。
……でもね、人を憎んだり恨んだりしてはダメよ。
憎悪は憎しみの連鎖しか生まないの」
そう言われて、三郎太は首を傾げた。
「やられたことは、憎いと思っていい。
でもね、その人を恨んだり憎んだりして復讐しても、次はその人から復讐される。
これは負の連鎖しか生まないの」
この時の三郎太には、難しくてよく分からなかった。
「だからね、勝てないと思ったら大人の悪知恵を借りなさい」
翡翠はそう言って、悪戯っ子の笑みを浮かべた。




