嵌められた罠
その日は突然やって来た───
月日は流れ、春になっていた。
ヒラヒラと舞い落ちる桜の花びらは、まるで初雪のように儚い。
「桜か……」
ポツリと友頼が呟いた。
「いつの間にか、春になっていたんだな」
湖畔に咲く桜を見上げている友頼に、翠が上着を掛けながら
「友頼、まだ風は冷たい。
そんな薄着では、風邪ひくぞ」
と寄り添う。
その姿は、傍から見たら美しい夫婦のようだと三郎太は思った。
翡翠に生き写しだが、男性の翠。
彼がどこからあらわれたのか……は、友頼は一切触れなかったし、三郎太も聞かなかった。
砂上の城のようだ
三郎太は、不安定なこの生活がいつ壊れるのか怖かった。
生活は基本自給自足だったが、取れた野菜や森の動物を狩っては、近隣の村に物々交換して暮らしていた。
三郎太たちの村はいつしか、他の人たちが暮らして違う村になっていた。
焼け野原だった場所に、新しい家が建っていた。
翡翠や友頼の助言により、この村の田畑は整備されていた。
焼け野原に家を建て暮らせば、肥沃な地になったこの村は住みやすいだろう。
自分の両親や兄たちが開墾し開拓した村が、今は見知らぬ人が豊かな暮らしをしているのを、三郎太は複雑な気持ちで見ていた。
この地は……石だらけで土壌め硬く、開墾作業が大変だった。
『三郎太、危ないから座ってなさい』
『三郎太、俺の握り飯を分けてやるよ!』
目を閉じると、あの日の光景が浮かぶ。
まだ幼く、両親が汗水流して畑を耕す姿を、眺めることしか出来なかったあの頃。
それがもどかしかったが、穏やかな幸せが確かにそこにはあった。
「あれ、三郎太様」
村の入口で物思いに耽っていると、声を掛けられて目を開けた。
どうやら翠と一緒に居ることで、村人は三郎太がどこぞの偉い殿に使える武士だと勘違いしているようだった。
何度、自分に敬称はいらないと言っても、村人は頑なに三郎太に「様」付けしている。
声を掛けて来たのは、村長の嫁の『よし』だった。
「こんにちは、よしさん」
微笑んで挨拶すると
「今日は、翠様とご一緒ではないのですね」
と聞かれ
「えぇ……今日は俺だけです。翠に何か?」
三郎太は、翠が村の女たちに好かれているのを知っていたので、特に気にも止めずに答えた。
「いやね……特に用事はないんだけどね。
ほら、翠様は美しいから」
『目の保養になるのよ』と言って笑うよしの言葉に、『まぁ、そうだよね』くらいに考えていた。
するとよしは、思い出したように手を叩き
「そうだ! 昨日、うちの人が雉を狩ったんですよ。お肉を少し持って行きませんか?」
と言い出した。
「雉ですか?」
「いつも美味しいお野菜を分けて頂いているし、是非!」
よしが強引に三郎太の腕を掴んだ瞬間、パチンッと音を立てて何かが弾けた。
その瞬間、急に視界が広がったように感じた。
すると、自分の腕を掴むよしの周りに、どす黒い霧が見えた。
え……この霧は───
思い出しくもない、見覚えのある黒い霧に気を取られた刹那
『ドスッ』っと三郎太の首筋に痛みが走り、意識が暗闇に飲み込まれて行く。
翠、罠だ
若様と逃げろ───!
遠ざかる意識の中で、三郎太は心の中で叫んだ。
『チリン……チリン……チリン……』
意識を手放した三郎太の耳に、遠くから風鈴の音が次第に大きくなって鳴り響いていた。




