翠としての始まり
あの日から、翡翠は名を翠と改めた。
頼政が鬼ヶ村を探し、友頼の生家の周りを根絶やしに探していると噂が流れた。
鬼ヶ村を移すことになり、豪鬼たちは数日前に散り散りに村を後にした。
誰もいなくなった村で、友頼は翠と二人で過ごしていた。
月日が流れるにつけ、翠は女性であった記憶が薄れて行った。
残っているのは、友頼への切ない恋慕だけ。
どうせなら、全て消え去れば良いのに……と、翠は思っていた。
いつも一定の距離感を保たれ、向けられているその背中は果てしなく遠い。
「翠……もし行きたい場所があるなら、行って良いんだよ」
友頼はいつしか、全てを諦めた瞳をするようになっていた。
何度か友頼の生家で暮らしたが、その度に送られてくる刺客たち。
そんな中、時々届く風の噂で、頼政が鬼狩りと称して罪のない人を殺していると聞いた。
きっと……翡翠を探しているのだろう。
「若様……私はずっと、あなたと共に……」
翠が傅き言うと、友頼は寂しそうな笑顔を浮かべるだけだった。
「結局、私は……翡翠を不幸にしか出来なかった。
なぁ……翠、きみは不幸ではないか?」
ポツリと呟いた言葉は、真っ青に広がる青空の中に、何度、溶けて消えただろうか──。
翠はそんな友頼の背中を、ただ黙って見守ることしか出来なかった。
友頼にしつこく送られてくる刺客を、翠は友頼に黙って始末していた。
一人殺す度、翡翠の記憶が消えていく──。
調度良い……
あんなひ弱な女の記憶など、無い方がマシだ。
翠はいつしか、感情というものを失っていった。
そんなある日の事だった。
「翡翠さん?」
翠が人里を歩いていると、ふいに声を掛けられた。
女性は身なりが良く、右手には5歳くらいの子供を連れていた。
「どなたかと、お間違いではないですか?」
ニッコリ微笑んで答えた翠に
「あら……本当だ。何でかしら?
あなたが知り合いの女性に見えたの
ごめんなさいね」
その女性はそう答えると、頭を下げた後に首を傾げた。
「母上、お知り合いの方ですか?」
「いいえ。頼久さんの乳母だった方に、面差しが似ていたの」
会話がもれ聞こえ、翠は弾かれたように振り向いた。
すると、人混みの中から
「晶様、ぼん、探しましたよ」
すっかり大人びた顔をした三郎太が現れたのだ。
「ごめんなさいね、三郎太。頼久さんが、あの簪を見たいと言うものだから……」
穏やかに笑う晶の手には、桜が彫られた簪があった。
「母上は、桜の花がお好きだから……」
「ぼんは、本当に晶様が好きだな」
優しく笑う三郎太に、頼久は笑顔を浮かべ
「うん!母上と三郎太が、大好きだよ」
と答えた。
翠はぼんやりと、自分には縁が無い幸せな空間を眺めていた。
すると、そんな翠を三郎太はハッとした顔で見ると、母子に何か話して頭を下げると、足早に近付いて来た。
「お久しぶりです、翡翠様」
疑うこともなく、三郎太は頭を下げた。
翠が顔を逸らし
「他人の空似だろう。私は男だ……」
と答えると
「私は翡翠様が女性……とは言っておりませんが……」
と続けた。




