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水鏡  作者: 古紫 汐桜
第四章
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友頼の母の死

 その日から、翡翠はこの家に通うようになる。

自分の立場を知らず、普通に仲良くしてくれる友達ができて翡翠は嬉しかった。


 しかし、十の歳になった頃、友頼の母が体調を崩しがちになっていた。

翡翠はまだ性別が定まらず、村人たちから無言の圧を感じていた。

 村にいるのが苦しくなり、つい友頼の家へと身を寄せる日々を送っていた。


 一方、豪鬼は結婚した相手と子を成したが、それは子を成さなければ妻が責められ、離縁されて他の女を充てがわれることを分かっていたからだった。

しかし、豪鬼の妻となった“(はつ)”は、心の広い女性だった。

豪鬼が誰を想い、どんな過去を抱いているのかを理解した上で、それを咎めることなく受け止めていた。


 そんなある日、翡翠が人の家に入り浸っていること──そして、人間の母親が病を患っているということが豪鬼の耳に入る。

同じ頃、翡翠の性別が確定しないのは「人と交わっているからだ」との噂が、村中に広がっていた。

豪鬼は翡翠を呼び出し

「人間と親しくすれば後が辛くなる」

と伝えたが、豪鬼の言葉に翡翠は小さく首を振った。

その瞳の奥には、決意の色が宿っていた。

豪鬼は、かつて自分がそうであったように、

翡翠と友頼が村の掟に縛られ、引き裂かれて苦しむことを恐れていた。

それでも──どうにかして人間の親子を鬼ヶ村に移せないかと、村人たちに働きかけた。

少しずつ偏見は薄れてはいたが、長く虐げられてきた遺恨は簡単には消えない。


 やがて、友頼の母が床から起き上がれなくなる頃、豪鬼は村人たちの制止を振り切り、彼女のもとへ駆けつけた。

痩せ細り、命の灯が今にも消えそうな友頼の母。

豪鬼は、かつて愛したその人を献身的に看病した。


──けれど、祈りも虚しく、母は息子が十一の歳になるのを待たずに、豪鬼の腕の中で静かに息を引き取った。


 その夜、豪鬼の屋敷には灯が絶えなかった。

妻の(はつ)は、黙ってその灯を守っていた。

彼が誰のもとで涙を流したのか、初はすべて知っていた。


「どうか……行ってくださいませ、旦那様」

出立の前、初は静かにそう告げた。

声は柔らかく、けれど揺るぎない芯を持っていた。


「……すまぬ、初」

豪鬼が深く頭を下げると、初は小さく首を振った。


「謝らないでくださいませ。

旦那様がその方を想うように、私は旦那様を想っております。

それだけのことです」


 夜更けに戻った豪鬼の衣を、初は何も問わず整えた。

泥にまみれ、涙の跡が残る袖を静かに拭いながら、

「お疲れさまでございます」

とだけ呟いた。

その手つきが、あまりにも優しかった。


 ──愛は友頼の母へ。

 ──情は初のもとに。


 豪鬼はその温もりに救われた。

翌朝、初は穏やかな声で言った。


「旦那様。あの子を、私にお預けくださいませ」


その声音には、誰も逆らえぬ強さがあった。

「人の子であろうと、母を失った子を見捨てるわけには参りません。それが、女の務めでございます」


豪鬼は静かに頷いた。

初の中にある“強く優しい母”の一面を、このとき初めて心から美しいと思った。


 こうして、天涯孤独となった友頼は、豪鬼の妻・初のもとに引き取られることとなった。

最初は村人から疎まれていたが、母譲りの美しい容姿と優しい性格で、少しずつ村に馴染んでいく。

その中で、友頼の支えは翡翠ただ一人だった。


 豪鬼の子どもたちと共に暮らす中、翡翠が後ろ盾となっていたため、友頼は村人達から直接的な迫害を受けることはなかった。

むしろ、翡翠が結界の外へ出ることも減った。

友頼がそばにいる時だけは、おとなしく座学や掟に従う。

そうしているうちに、いつしか友頼は翡翠に仕える“従僕”のような存在となっていた。


 そして月日は流れ、十三の歳で元服を迎える頃──

鬼ヶ村の娘たちは、こぞって彼の名を口にした。

性格はおとなしく、誰にでも優しく穏やか。

嗜む笛の音は美しく、聡明でもある。


 人間でありながら鬼の里で受け入れられた友頼の評判を耳にするたび、翡翠の胸には黒い影のような感情が静かに広がっていった。


それがいつからだったのか──

翡翠自身にも、もう分からなかった。


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