満月と心の侵食
それぞれの思いを抱えたまま、ゆっくりと日が暮れて行く。
冬夜は翡翠を見送り、屋敷に戻って来た。
──今夜は満月。
翠の力が最大になる日。
夕食の時間も、いつもより皆、口数が少なかった。
幸太は、帰宅してから冬夜と少し話をしていたようだったが、遥はあまりに深刻な様子に近付けずに居た。
翠がどんな手を使って来るのか、正直、遥は分からずに不安だった。
灯りのない場所での満月は、まるで満月が照明のように明るく辺りを照らし出す。
それぞれの部屋で寝具に横になり、目を閉じた。
『遥……、可哀想な遥……』
誰かが遥の名前を呼ぶ。
耳を塞いでも、脳の中で響いている。
『本当に良いの? 冬夜を、諦められるの?』
もう一人の自分が泣いている。
「止めて!」
叫んだ遥の声に、嘲笑う声が聞こえる。
『あなたは、忘れられるの? あの幸せだった時間を』
「あれは……冬夜じゃない!」
『分からないじゃない? もしかしたら、翡翠にあの姿を見せているかもしれない』
クスクスと笑う声が、耳にこびりついて離れない。
『あなたを愛さない冬夜なんか、死んじゃえば良い!』
声が一際大きくなった時
「遥!」
冬夜の声が聞こえた。
ハッとすると、遥は布団で横になっている冬夜に馬乗りになり、包丁を振り下ろしていた。
「ど……して? 違う……私は、こんなこと……望んで……ない」
瞳から涙が流れ落ちる。
冬夜は遥から包丁をもぎ取ると、遥を強く抱き締めた。
「大丈夫だ……、俺は怪我してない。だから、自分を責めるな」
遥の背中を優しくポンポンと叩く。
「冬夜……!」
必死に冬夜にしがみつくと、冬夜は遥を抱き締めたまま
「大丈夫だ。遥、深呼吸出来るか?」
そう囁いた。
遥はゆっくりと深呼吸して、冬夜の背中にしがみつきながら胸に顔を埋めた。
冬夜から香る匂いは……夢の中の冬夜と同じだったけれど、遥を抱き締める腕は……友を心配する優しい腕だった。
(やはり……夢は夢だな……)
小さく笑い、冬夜の背中を軽く叩き返した。
「冬夜、ありがとう」
遥がそう言うと、冬夜は小さく笑い
「もう、平気そうだな」
と言って遥の身体を離した。
遥は怪我させなかった事にホッとしたが、冬夜の腕に切り傷があるのが見えた。
「冬夜! やっぱり私が?」
そう叫んだ遥に
「いや、違う。これは、幸太が俺に斬りかかってきて出来た傷だ」
と、冬夜が短く答えたのだ。
「幸太が? ……どうして?」
遥は驚いた後、口元に手を当て
「私の……せいだ」
呆然としながら呟く。
「遥?」
「冬夜……どうしよう! 私……私……」
動揺する遥に、冬夜は優しく頭を撫でると
「それは違う」
と呟いた。
「え?」
「幸太から……もし、自分が翠に取り込まれることがあったら、それは遥のせいじゃないと伝えてくれと言われたんだ」
「幸太……が?」
「あぁ。それから、俺に遥を頼むって……」
遥は冬夜の言葉に涙を流した。
「どうして! どうして……幸太はいつも……」
泣き崩れる遥に
「理屈じゃないんじゃないかな? 俺も……心から愛する人が現れるまで分からなかったけど……。
俺も、彼女の為ならこの命を投げ出しても良いと思っているんだ」
そう言って、冬夜が穏やかに笑った。
遥には……冬夜が言う『彼女』が、翡翠だと言うことはすぐに分かった。




