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水鏡  作者: 古紫 汐桜
第五章
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翡翠の決意と足跡

 翡翠は走った。

まだ陽は高い。

今の時間、翡翠はあの洞穴の先にある鬼神神社から動けない。

動けたとしても、人を殺すことは出来ない。


まだ間に合う。

あの二人が翠に操られている事を、冬夜に知らせなければ……


『ブチッ』と鼻緒が切れた音が響き、翡翠は激しく転んだが、立ち上がって走り出す。


──足を止めたら間に合わない。


翡翠はそう思って走り続けた。

足袋は黒く汚れ、着物も顔も……全て泥だけになっている。

でも、翡翠にとってそんな事はどうでも良い事だった。

息が上がり、喉の奥から血の味がする。

肺は酸素を求め、気管支からヒューヒューと音がし始めた。


鬼神の力は、翠が全て持っている。

一方、翡翠は普通の人間と変わらない。

足がもつれ、身体が悲鳴を上げる。

何度も倒れ、それでも足を先へ先へと進める。


(冬夜さんは……冬夜さんだけは、殺させない)


翡翠はそう決意して、何度も足を動かす。


初めて冬夜を見た時、友頼が生き返ったのかと思った。

しかし、冬夜と会う時間を重ねる毎に、彼の『日下部冬夜』という人間の魅力に翡翠は惹かれていった。

好きな写真の話をする時の瞳は、オニキスのように深く、その奥で、ブラックスターサファイアのような光が瞬いていた。

子供のように無邪気に笑う笑顔。

自分を守ろうと、目の前に飛び出してくれた広い背中。

まだお互いを知る前の頃、翡翠を驚かせようと手品を見せてくれた綺麗な指。

手品が成功した時、ちょっとだけ右眉が上がってドヤ顔になるところ。


全てが愛しいと思うようになっていた。

きっと……友頼の魂が入っていなくても、惹かれたと──翡翠は思った。

今まで出会った友頼を宿した人物には、『友頼の魂』が入る器としての認識だった。

しかし、冬夜は違った。

最初はその認識だった翡翠が、いつの間にか『若様』から『冬夜さん』と呼んでいる自分がいた。


友頼は喜怒哀楽……特に『怒』を表すことはなかった。

常に穏やかで、優しい人だった。

そんな友頼が大好きだった筈なのに、今、目の前にいる喜怒哀楽がハッキリしていて、人間味のある冬夜に惹かれた。


それが友頼と頼政の魂が融合されたからなのか、冬夜自身の人柄なのか……。

それは翡翠には分からない。

ただ、憎い頼政の魂を感じても、それを凌駕する『日下部冬夜』という人間の魅力に惹かれている自分に驚いた。


たくさんの悲しみを経験して、全てを乗り越え受け入れた冬夜の若竹のようなしなやかな強さと、全てを受け入れてくれそうな深い愛情を感じる冬夜の瞳。

翡翠は共に暮らす時間が増えれば増える程、昨日より今日。今日より明日……冬夜を好きになっていた。

それはまるで、“まだ生きている“人間のような感情で、翡翠は戸惑いながらも幸せだった。

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