#8 辺境の火種(後編)
(※※)この章には暴力的な描写と、一部に性的な要素を含むシーンがあります。苦手な方は読み飛ばしても、物語の本筋には影響ありません。
「……伯爵様、静かすぎます」
夜明け前の森は、風も止まり、鳥すら鳴かない。兵士の声がかすかに震えていた。
スピノール伯の密書には「奇襲で終わる」とあった……。
髭をくいっと撫で、夜の冷たい空気を吸い込み、気楽そうに吐き出した。
「ふん、何事もなければ好都合だ」
その瞬間だった。森の奥から角笛が鳴り響く。
闇を裂くようにドラグニアの守備兵たちが飛び出した。
「人間ども、ここは渡さん!」
「な、なんだ!?なぜ敵が……!」
「陣形が崩れる!下がれ、下がれぇっ!」
剣戟の音、叫び声、ゲメネ軍は応戦するも、次第に押されていく。
「伯爵様、もう持ちません!」
「黙れ、まだだ……まだ終わらん!」
ゲメネ伯は、腰から黒い壺を取り出す。
「くそっ、スピノール伯め……!、役立つか見せてもらうぞ!」
「そ、それは」
蓋をひねると紫黒の瘴気が溢れ出す。地面を這い、人も竜人も喉を焼く。
「ぐあっ……毒だ、息が……!」
「ひ、ひぇ……味方まで倒れていく……!」
瘴気が広がる中、ゲメネ伯が馬首を返す。
「な、なんだこれは……!、撤退!撤退だー!!」
「は、はっ!総員撤退ーーっ!」
ゲメネ軍は、瘴気に追われるように逃げ去っていった。
残されたのは、瘴気で弱りきったドラグニアの守備兵と、宰相から預かった無傷の兵。
「……一人も残すな!」
無慈悲に剣が振り下ろされ、動けぬ守備兵は無念のまま一人残らず息絶えた。
無傷の兵たちは溶けるように闇に消えていった。
***
夜の村に、壊れた戸板の音と下卑た笑い声が混じる。
「へっへっへぇ……伯爵様のご褒美だ!」
「おい、樽ごと持ってこい!」
「こっちは女だ、はやく縛れ!」
悲鳴。泣き声。物が砕ける音。
「ぎゃはは、燃やせ燃やせ!」
「逃がすなよ、ひとり残らずだ!」
炎が上がり、黒煙が夜空にのぼる。
「金目のもんは全部だ!」
「ほら、笑え笑え!」
笑い声と悲鳴が交じり合い、村は赤く染まった。やがて、略奪を終えた盗賊たちは荷を抱え、燃える村を背に、泉のほとりへ集まった。
「おい野郎ども、十分楽しんだかぁ?」
「伯爵様との約束だ、泉に毒入れて、さっさとずらかるぜ」
老人が、震える声で叫ぶ。
「や、やめてくれ……それだけは……!」
盗賊の一人が剣を抜き、ためらいもなく振り下ろす。
「——黙れ」
短い悲鳴。首が転がり、泉の水面に音もなく沈む。盗賊たちは毒を投げ込み、笑い声とともに闇の中へと消えていった。